主膳の若かりし頃、今は亡き妻であるかなえを娶る前の話である。
伊勢の父の元の姫君であったかなえであるが、
そのかなえ恋しさに都度都度伊勢に参られた主膳であった。
姫君に会うには色々な口実が必要でもあり、
また将を射んと欲すれば馬を欲っすの喩えそのままではないが、
姫君の父に目を止めて貰いたくもある主膳は、
弓の名手で知られる姫の父君の気を引く為にも
多少なりとも弓の事に精通しておきたく、
まずは弓矢の腕に磨きをかけ始めたのである。
そんな様子を人に見られたくもなく、
主膳の弓の稽古場所に
自然人目のつかない森羅山を選んだのである。
主膳が稽古場所に選んだのは
森羅山の北東の椎の木より向こうにある窪地で、
その窪地が僅かに傾斜する山の上昇線に
一端、胸の高さくらいで双に分れた幹が上部で一つに繋がった榛の木があった。
双に分れた所に丁度、拳二つを横に並べた隙間が上下に二尺くらい開いていた。
主膳はその隙間に弓を潜らす事をめどうにして榛の木を的に選んだのである。
が、主膳が弓の稽古をするのも束の間、
その榛の木に落雷があり、
榛の木は見事に真二つに避けきな臭い煙を上げて、
その姿を変え果てたのである。
「ところがの、その落雷が落ちる前にわしは夢に魘されていたのじゃ」
と、主膳の話は続いた。
主膳の枕元に緑色が淀んだ色をさした着物を羽織った者が現れ、
哀しそうな目で主膳を見詰めると
主膳に向かって拝む様に手を合わせたのである。
その緑色の着物の袖が所々裂けた様に見えるので、主膳は目を凝らして見た。
裂け目はどうやら矢が貫通した勢いで裂けたとみえる穴が空いており、
着物を通したその矢も主膳の矢であった事は間違いなく、
その証拠に着物の穴に黒く染められた矢羽を飾った雄鷹の羽が絡みついていた。
これは榛の木の精霊に間違いが無い。
榛の木がこの雨でいっそうに矢傷に苦しんでいるのだなと気がつくと、
主膳も榛の木を的にするのは止め、
明日にでも膠を持って行って
榛の木の矢傷を埋めてやることにしょうと決めていたのである。
その、榛の木が矢傷の痛みにうめき、
雷神の役にも立たぬ雷鳴を上げ小躍りする様にいらつくあまり
雷神に向って毒のある言葉を投げかけてしまったのである。
その役にも立たぬ雷に阿呆の様に小躍りするのは恥ずかしくないかと言う
榛の木の言葉は、雷神の痛い所を突いていたのである。
何処かで、役にも立たぬ雷鳴を上げる事に喜び勇んでいる
己への劣等意識があったか、
雷神はやにわに榛の木にいかづちを食らわせたのであるが、
榛の木は断末魔の声を上げるその瞬間に雷神の姿を捕まえ、
雷神はいかづちと共に姿を消し去ったのである。
無論、こんな経緯を主膳は知る良しもない。
「朝になって、斑の木の元に行ってみたのだが、
あったのは・・・落雷にやられ焼け焦げた
無残な榛の木だった」
と、主膳は言った。
「それが?」
「うむ。それがの。その夢に出てきた精霊と言うのが、どう言うていいのか。
二人居ったと言うていいか。
一つの身体であったのであるがの、
二人が一緒くたになって出来上がっていると言うていいか。
双神というたが見た事はあるのか?
わしは、その双神というのが榛の木をうしのうて
行き場を無くしたその精霊のような気がしての」
「なるほど」
宿根神のいう事と符合する物があったのである。
白銅は改めて髪揃えの儀式の延期を申述べると
流石に主膳も自分が元で、容易ならざる事態を生んでいるとしると
「神様事はわしではどうにもならぬ。宜しく頼む」
事の解決に向かう様に頭を下げたのである。
白銅は城を出ると、澄明の元に急いだ。
主膳から聞かされた話しで双神の正体が榛の木の精霊であると確信したからである。
雷神のいかづちにより榛の木を裂かれたときに精霊も同時に裂かれたのであろう。
この世に体を宿す場所を失った双神は
おそらく雷神の雷による空間の淀みに飛び込んでしまったのであろう。
その狭間に何故自由に出入りできるのか。
それは、そのまま姿を消した雷神と関係のある事かもしれない。
雷神のもつ、いかずちの力を利用しているのかもしれない。
が、そんな事より、双神が二つに分かれた理由が判ったのなら
双神を元一つに戻してやれるかもしれない。
二つに分かれた事でシャクテイが必要になってしまっているのなら、
元に戻せばシャクテイを吸う必要がなくなる。
澄明の元に帰り付くと、白銅は主膳から聞かされた事を話した。
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