何時のまにやら夏の盛りになり、
青く小さな柿の実が花を結んで枝枝に付いている。
蝉の声がじいいいと底鳴りをさせるように唸り出すと、
あちこちから、呼応していくつもの蝉が鳴き始めた。
ひのえは急いでいた。
早く家に帰りつきたい。
父に逢いたい。
そう思うが父の顔を見て泣き付いてしまわぬだろうか。
やっと、帰って来たひのえを迎える父の前でけして泣いてはならない。
そう言い聞かせながら足早に歩いていたひのえの足が止まった。
白銅の家の前にさしかかった。
開け放たれた縁側に今日は白銅の姿は無かった。
今更、どんな顔をして逢えばよい。
ひのえはふと俯いた顔をあげると又、すぐに歩き始めた。
家の玄関まで来ると足駄をはむ正眼の姿があった。
ひのえに気が付くと
「おお、今、白峰の麓まで迎えに行こうと思うておった」
「帰りました」
「よう、帰って来たの。ああ、早う、上がれ」
潤みそうな目元を隠すように正眼は下を向いて足駄をはずしはじめた。
「父上、ひのえは・・・」
泣き出しそうになるのが判るとひのえも後が継げない。
「言わずともよい。望まぬにせよ。子に罪はない。
身体をよう愛うて早う身二つになれ」
「はい」
「まだ、まだ、先は長い。色んな生き様を選んでゆけばよい」
「はい」
「草臥れたであろう。少し休むがよい。何、わしが茶ぐらいは入れてやる」
「はい」
「ほれ、早う、上がれ」
ひのえは家に入るとどっと疲れが身体を襲った。
帰りついた生家はひのえに安堵を与え、
父の労わりがひのえの心を解して行った。
正眼の入れてくれた茶をすすると
「横になります」
そう、告げて自室に引篭もると、そのままどっぷりと熟睡の中に落ち込んで行った。
夕刻まで知らずに眠り続けていたのを正眼に呼び起こされた。
「余りによう、眠るので起こさぬかったが、夕餉を食べに来てはどうか?」
八葉が作り置いていんだと見えて八葉の姿は無かったが
膳の上には、馳走がならんでいた。
「喜んでおった」
そのまま白峰の元に居残るのではないか?
八葉もそれを一番案じていたのである。
「帰ってらっしゃいましたか」
そう言うと、袂で涙を抑えた。
「よう、眠っておる、起こすでないぞ」
正眼が言うと、はいと返事をした途端に
八葉は膳に乗せる物を誂えに出て行ったのである。
「帰ってきた、早々なんだがの」
正眼は箸を持った手を休めた。
「はい?」
ひのえの箸が止まると、
「あ、いや、食べながらでよい」
ひのえに食べる事を促がすと
「実はの、白銅がの・・・」
言いにくそうに先を続けた。
「また、ゆうてきおってな。いや、なに、そう言う事ではないのだがの」
やはり、ひのえを嫁にくれと頭を下げてきた白銅である。
悪い話ではない。
が、ひのえは白峰の子を宿している。
それでなくとも今更、こちらから、貰うてくれとは言える訳が無い。
正眼の目の前でとうに諦めているだろうと思っていた白銅が、
頭を下げている。
おずおずと正眼が
「しかし、白峰の子を宿しておる。叶わぬ事じゃ」
と、言うのを更に白銅が
「腹の子ごと頂戴仕りたい」
と、言うたのである。
そうなると、流石に正眼も返事に困った。
ひのえの行く末を思えば白銅の申し入れは涙が出るほど有り難い。
が、事情が事情といえ
他所の胤を孕んできた遊び女を片付けるがのように
白銅に惜しつけるようで正眼も気が引ける。
そして何よりも意に沿わぬ結び付きであらば
一番憐れなのは当のひのえであろう。
「ひのえがどう言うか聞いてみてからだの」
そう、返事をした
「かようなわけでな。
わしはお前を片付けたいと思うておるのではない。
てて無し子をここで生んで育てるもよい。
白銅の所に行くもよい。
お前の望むようにするが一番よい」
「父上。御気持ち有りがたく頂だいします。
が、父上は一番大事な事をお忘れです」
「なにかの?」
「私を白銅が元にやれば、主膳殿と同じ過ち繰返します」
「あっ・・・」
「さすれば白銅も同じ。
蛇神の血を受けた子も同じ運命繰り返す事になります。
白峰も腹の子は女子というております。
さなれば神格と言えど半妖の子を人にくれてやるのですか?」
「あ、あ、」
「それでは、私が主膳殿の因縁断ち切ったのはなんになります!?
我が子可愛さに狂うて、
私は己可愛さでわざわざ因縁の種を蒔きますか?
ひのえには出来ませぬ」
「そうであったの・・・・断りをいれよう・・・」
「父上申し訳御座いませぬ。
されど、父上。ききづろう御座いましょうが、
白峰がひのえに寄せくる思いは真です。
けして陵辱の果てに宿った子で御座いませぬえ」
「あい・・・判った」
白銅の思いを伝えようかと思ったが正眼は止めた。
「早い内の方がよいの。
気ずつないが白銅を生殺しでいさせとうもない。
明日にも・・・」
「いえ、私がいきましょう」
「いや、それは」
ひのえの口から、
はっきり断わりをいれるのは余りに酷い気がする。
「一つ、気懸りが御座います故行こうと思っておりましたから。
顔を合わせた後にその話のほうが酷う御座いましょう?」
「そうかもしれぬ・・・・の」
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