八十八夜
白峰はこの所よく眠る。
朝に昼に夜に供物を届けてくる巫女の声に
はっとしたように目を開けると、
必ず白峰は自分から供物を取りに行く。
巫女の方はそれを置くと一目散に山を下って行く。
うっかり白峰の姿なぞ覗こうとしたら、どんなあふりがくるか。
自分から姿を現わさぬ限り
触れる事のならない掟のような物を巫女は判っている
扉を開けて供物をとりいれると白峰が
ひのえの前に供物を置き食べるように言う。
「精をつけねば、ややが育たぬぞ」
確かにひのえは孕んでいる。
軽いむかつきが胸に上がってくるようになっていた。
悪阻である。
『やはり、宿ったか』
悪阻が上がってこぬでも、もう、二月以上つきの物が無い。
その上、連夜の白峰の責めである。
孕まぬわけがない。
「ひのえ、女子じゃ」
「は?・・い」
「宿ったのはの、女子じゃ」
「もそっと、馳走を出すようにいうてやらねばならぬの」
「いえ・・・」
「食べにくうなってきおるのか?」
「あ」
「そうか、わしは其れこそ朝の露の一滴でも飲んでおればよいのじゃが、
ひのえは、そうはいかぬぞ」
「はい」
「身体をいとえや」
ここ、しばらく白峰がひのえを求むるのが柔らかくなって来ている。
ひどくひのえを喘がせるのを辛抱するかのように、ゆっくりと動く。
性の強さは相変わらずであるが、
それでも、白峰は行き果てる。
「性があってきておるのじゃ」
とも
「ひのえのものが、よう、わしに絡むようになってきおる」
とも、言う。
供物にくち果てると、ひのえは、少し横になった.
「しんどいか?」
「あ、はい」
白峰の寵愛も柔らかくなっているが、変らず長い。
「ひのえ.抱かずにおけぬ日はないのじゃ。
百日百夜の願を懸けておる故、すまぬの」
「・・・・・」
「子を孕みて後までかように責めねばならぬのもわしも辛い」
そう言うと、白峰がひのえの身体を寄せつけた。
「それでも、ひのえ?どうじゃ、しぶりがこよう」
白峰のじつうを受けようとひのえのほとを潤ます渋りが沸いて来る。
「あ・・・」
軽く胸に宛がわれた白峰の手がぐるりと動いただけである。
「よいの・・・」
白峰がひのえの裾を肌蹴ていった。
九十日・・・・九十五夜。
白峰が蛇の姿でいるようになった。
「恐ろしいか?」
白峰はそう、聞くが、別段ひのえには、気に成らない。
「さすがに、わしも、精が尽き果てそうじゃ」
人の姿でいようとする事も白峰を、草臥れさせるのである。
「のう、ひのえ」
白峰がふと黙った。
やがて
「二つ身になった後もここにおらぬか?」
「・・・・」
「わしも今だから明かすが、もう身体がもたぬ。
その、腹の子が生まれる頃には、天空界に帰らねばならぬ」
千年の永きに渡ってこの地上で生き抜いてきた
白峰がとうとう天空界に戻ると言う。
「わたしのせい・・・ですか?」
精魂尽き果て白峰が蛇の姿でいることも出来なくなってきている。
「いや、ひのえを望んだのはわしじゃ。
それでもの、気になるのはそちの事じゃ」
白峰が天空界に上がった後のひのえの行く末をいうのである
「・・・・・」
ひのえの胸にふと去来するものがある。
「わたくしはどちらを産みます?」
「?どちら?」
「蛇・・・・ですか!?人ですか?」
じっとみていたが
「判らぬ。お前がわしを思う気持ちが強ければお前の容で
わしの思いが強ければ、わしの容じゃろう」
「そうですか?私もどちらが生まれるかによりて、
先行きを決めとう御座います」
「蛇ならどうする?」
「・・・・・・」
「お前の気が、わしの物になっておれば人の容で産まれるわ。どうじゃ?」
白峰の形で生まれれば、ひのえの思いが白峰の物でない。
が、今のひのえには自分の思いの丈が判らない。
百日に近い情交を経てひのえの心が白峰をけして憎くは思っていない。白峰がひのえに寄せくる思いに対しても
何処かで憐れなのを通り越している。
それは愛しいという気持ちなのかもしれない。
「蛇で産まれたれば、その子は・・?」
「ここで祭神として奉られようの。代継ぎじゃからの・・・」
「人の子であらば、それは私の想い?」
「そうじゃ」
白峰がひのえの身体を巻き上げ始めた。
「後、四日。わしは、そのあともここにいる。
子が生まれる頃にはわしもいきたえよう。
それまでは、ひのえ・・・逢いにきてくれるな?」
持上げた鎌首を振ると白峰は人の姿になった。
両の腕でひのえがしっかりと包まれ、
抱き寄せられると、ひのえはその胸に顔を埋めた。
白峰が死ぬ!?この身体でひのえを包む事はなくなる・・・。
「こうやって、腕に擁いているだけでもよい。
共に生き果てたいがもう、無理じゃ」
ひのえの口を啜る白峰の手が伸びてくるのを、
じっ、とひのえは待つようになっている。
『これでも、私は白峰の物ではないと言えるか』
「ああ・・・」
白峰の動きにひのえの小さな歓喜の声が上がるのを、
白峰は食入る様に見ていた。
そして・・・・
百日が過ぎ、ひのえは朝の扉を開けた。
陽光に照り輝く緑の葉も濃い緑を湛えていた。
振り返ると、すぐ傍に白峰がいた。
「来てくれるの?」
「はい」
そう、返事をした。
ひのえはどこで産を成すか、
ここに来た時とは違う事を考えならなくなっている。
「とにかくは、父上に逢いとう御座います」
「百日の長き間、よう、わしの傍におってくれた。
子まで成し足れば、わしも思い残す事は無い。
が、それでも生きている間はひのえの顔は見たい。我が侭かの?」
「判りました」
ひのえはそのまま外に出た。
でなければ、きっと白峰の死ぬる時までそばにいてしまう。
そんな気がした。
振り返らなかった。
白峰の肩を落とした姿を見るのが心に痛すぎる。
こんな事なら、いっそ白峰の物になってしまえば良い。
そんな思いを湧かされる白峰の悲し気な顔が浮んで来るのを振り払うようにしてひのえは山を下った。
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