「あなたはかなり精神力の強い人だと判断しました。
ですが、この事実を確かめたときにあなたに話すかどうかは、私に一任してもらえませんか?」
女医の提言は女医の譲歩と誠意であるのだが、私は女医の言葉の裏側を読み取ってしまう。
「それは、私が知るにつらいことだということですか?」
私の顔を見つめながら女医は私をたしなめるように、話し出した。
「人が狂気に陥るとき、必ず根っこに大きなきっかけ、いえ、傷があるのです。
治らないほうが幸せかもしれないというのは、瞳子さんだけのことじゃないんですよ。
たとえば、あなたがおっしゃったように、夫婦の行為を目撃したことがきっかけ、傷になって、瞳子さんが狂ったとするならば、
このことを覚醒させたのがもとで、瞳子さんが完璧な廃人になってしまったら、瞳子さんも親ごさんをうとむでしょう。
そして、そのことで今度は夫婦の間に亀裂が入り、貴方もご夫婦を憎み、瞳子さんに覚醒をもたらした自分をせめ、貴方も危うくなるのですよ。
こういう危険性を持っているのですよ」
私は女医のたとえを聞きながら、瞳子の傷が「夫婦の行為を目撃したせいでない」と気がついた。
もしそれが傷であるのなら、女医が改めて催眠療法で聞き出す必要もないし、たとえに使われることもない。
その通りだというに違いないだろう。女医はなにかしら瞳子の狂気の基に気がついているに違いない。
催眠療法で「確かめてみる」というのは、女医が往診で見抜いたものが、正解だったと確かめるという意味合いに違いない。
その狂気の基。それを瞳子に自覚させると、瞳子の発症状態から周りの皆も傷つき、ともに崩れてしまう。
そう、私には聞こえる。
「催眠療法は同意書が必要です。用紙を渡しますからご家族の方のサインと印鑑・・同意をとりつけてください」
おって、日程を連絡すると女医が私に告げると看護士が女医を呼びに来ていた。
すでに午後の診察時間にはいり、患者が待っていた。
女医との接見はなにか、腑に落ちない骨をのどに残したものになった。
こののち、そののどにささった骨の異物感をとりのぞこうとした私が、
今まで違う見解に達することになると思いもせず、しっくりこない残留感をひきずりながら、
用紙を貰い受けるといったんは大学に戻った。
大学構内に戻った私は早速、教授に同意書を見せた。
「催眠療法?」
教授は同意書を見つめ、不思議な顔をした。
確かに療法と書いてあるのだから、治療方法があるじゃないかと思わせたのだろう。
女医に告げられた「このままのほうがよい」が、つじつまがあわなくなる。
そういう治療方法があると解かっている女医がそれでも、「このままが良い」と判断したのに、
何故、いまさらになって『催眠療法』を持ち出してきたのか?
教授はそこに瞳子に回復の余地がでてきたと解釈したようだった。
だが、じっさいは催眠療法という説明を受けたが、瞳子の深部をしるためであって、
そこで、治療の余地があるか、どうかを判断するという事前調査のようなものでしかない。
その結果によっては、あるいは、「このままが良い」と私も諦めざるを得ないのかもしれない。
「う~~~ん」
教授はずいぶん長い間、同意書を見つめていたがやっと口を開いた。
「これで、瞳子は治るのかね?」
どうしても、女医の最初の言葉が教授をくくりつけていた。
同意書が必要だということは逆を言えば何らかの危険性があるということにもなる。
このままのほうが良いとまで言われた瞳子に危険性があると思える催眠療法を行って、本当の廃人になってしまったら・・・。
教授が簡単に同意書にサインを出来なかったのはやむをえない。
そこで、私はやっと、催眠療法が治療でなく下調べ的なものでしかないことを告げた。
治る見込みがあるかもしれないと思わせてしまったと私が勝手に判断して、催眠療法の本当の目的をしゃべれなかったのと、
女医に説明された危険性のことまで、説明しなければならなくなる。
たとえば、その下調べで、私が、教授夫婦を憎むことになったり、
教授夫婦が混沌におちいることがあるかもしれないという二次的被害が出てくるかも知れないことをしゃべったら
絶対「このままでよい」と言い出されるとわかっていた。
だから、私は催眠療法の本当の目的を隠しながら説明を加えていった。
「催眠療法というのは、直接的に治療するものじゃないんですよ。
深層意識に閉じこもったものを話すということで、瞳子の深層意識のストレスを拡散させることが出来るのです。
もちろん、教授が心配したように、瞳子の覚醒につながったら、廃人になる可能性はあります。
ですが、そこの部分は瞳子の深層意識を引っ張り出したあとに、瞳子が何を話したか、話したことさえ覚えてないように暗示をかけます。
ですから・・・」
同意して欲しいと教授に願い出たが、教授のサインも承諾も得ることが出来なかった。
教授の同意を得ることが出来なかった私は次の手段に入った。
夫人の元に行き、夫人から教授の判とサインの代筆を得ようと思ったのだ。
教授が午後の講義にむかったあと、私は教授の家に向かった。
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