政勝が去ると正眼はひのえに向って
「ひのえ。気持ちの良い男じゃのう」
「はい」
「横恋慕はならぬぞ」
「え?なんといわれました?」
正眼の意外な言葉にひのえは、問い直した。
この父はひのえの気持ちを知っているのやもしれなかった。
「いや、なんでもない。おおっ。しもうた」
正眼が急に大きな声で言うのでひのえは
「ど、どうなさいました」
「米がないのであろう?今ならまだその辺りにおろう。袋に詰めて一斗ほどもたせてやれ」
慌てて、ひのえが倉に入って晒しの袋に米を詰めると政勝の後を追った。
正眼が昨日の事を知っているのが、ひのえにも判る。
政勝のした事など正眼も男である。四の五の思う事もない。
それより、それとなくひのえに最後に政勝との逢瀬を作ってやるつもりでもあったのであろう。それで、思い残すなと言いたいのであろう。
「父上。すみませぬ」
口の中で呟きながら重い米を持って走って行くと、ぶらりぶらりと歩いて行く政勝の姿が見えた。
「政勝殿」
一声呼ばわると、ゆっくりと後ろを振り向いた政勝であったが、ひのえの重たげな物を見ると、駈け寄って取り上げてくれた。
「何処へ持ちやる?」
使いに出されたと察しが付いているがその袋の届け先が政勝の所だとは思わないようである。見かねて持っていってやろうと言うのである。
「欲の無い方だ」
「?何処に」
「あないしますゆえ、おもち下されますか?」
「おお」
この男の事だ。自分の家にもってはいっても、まだ、気が付かないのかもしれない。かのとに渡そう。ひのえもしばらくは、家を出ることになる。要らぬ心配をさせぬようにことわりを入れておいた方がよかろう。そう、決めると政勝と並んで歩き出した。
「しかし、澄明殿には、いろいろ、愕かされる」
「はい?」
「いや」
考えてみれば、勢姫と悪童丸のそのさまを見てもたじろぎもせず、なおかつ、切られた陽根をその手に取る。
女だてらに馬には乗るは、見事な小束捌きでもあるが悪童丸をものともせずその舌をしゃいてみせてもいる。
政勝の口に出せない様子でそれと察した澄明は俄かに気色ばんだ。
「いや。私も必死でありましたし、自分でも、政勝殿の前では男で通そうと思うておりました故」
「ふうううむ。しかし」
「もう、良いでは御座いませぬか」
「うむ。しかし、何故、そのように男姿に身をやつしておる?別に構わぬでないか?」
「そうは、まいりませぬ。陰陽師が女など聞いた事がありますまい?」
「そうではあるが」
「陰陽事を頼んで来るほうも、女と見れば、今一つ信がおけませぬ。只でさえ不安事を抱えておられるのに、それではもっと、こちらがきづつのうございましょう?」
「なるほど。しかし、女だてらに、何故、陰陽の道などに?」
「女ゆえに可笑しいと、思われますか?」
「確かに、府に落ちぬ事だ。」
「その通りだと、私も思いました。けれど、こうなってみて判る事で御座いますが、むしろ、女ゆえの利点が御座いました。」
「?」
「女には、月の障りが御座います。陰陽道においても、それは汚れとして、やはり忌み嫌われることで御座います。が、不思議な事で御座いますが、妖かしの者の毒気に当てられた時、障りの下血の中にその思いが解けこんで一気に体外へ排出されてゆくのです。」
「浄化されるということか?」
「男は、よほど、精神力を鍛え上げなければならないところを、女子は月の満ち欠けに差配されて守られていると言うところでしょうか」
「ふうん。不思議な事よのう」
「ええ」
「所で、勢姫のことだが、いや、悪童丸かの」
「なにか?」
「いや。あれで、すんだのかと、思うてな」
「さあ。」
その返事を何処かで聞いた事がある。そうである。
「そう言えば、思い出した。あの折、何故、悪童丸はそなたに術をかけなんだ?「さあ」はないぞ」
「掛け忘れたのでしょう」
「そんな答えで得心すると思うておるのか?」
「怒りますまいな?」
「・・・・」
「それでは、「さあ?」ですね」
「もう、よいわ。今更、何をきいても、驚かん。いや、そなたの事じゃ、どうせ、愕く事に決っておる。
ように、腹を括りて聞く故、話してみろ」
「私は悪童丸に」
「悪童丸に?」
「おん・まからぎゃ・ばぞろうしゅにしゃ・ばざとらさとば・じゃく・うん・ばく」
「なんだ?それは」
「愛染明王の真言です。それを百万弁唱えたれば、勢姫様との事が成就すると」
「何?」
「そら、お怒りになった」
「いや、待て、そう、教えてやったと言うのか?」
「はい。愛染明王は愛欲の神。人の色恋を司る力をもっております」
「な、なに?」
「半妖の身なればそれ程、唱えれば、愛染明王も聞届けるでしょう。かてて、月の差配で子も、宿りますので姫に嫁入りに近い日の満月の日を選び教えおきました」
「な、な、な、」
「はい。そうでなければ,余りに早くややができますと悪阻も早うきて、何もかもがあからさまになって、元も子もなくなりますので」
「なにいいいい。貴様。初めから、そういう手筈だったのか?それでは、初めから、初めから」
「無駄事だと申上げました」
「違うわ。貴様が、そうしてしまったのだ。戯けた事を言うな」
「されど、そうせねば、因縁通り越せませぬ」
澄明の言葉に政勝が考え込んだ。
「?それだ。それがいっとう、判らん」
「因縁通り越す。が、ですか?」
澄明はにこりと微笑んだ。
「鬼の子を孕むも因縁。鬼を子を孕んだ娘を嫁がせる。これも、因縁。通らねばなりますまい。
されど、その後姫が人としていきるも鬼としていきるも自由。なれど、すでに姫は鬼の血。悪童丸の物。
孕んだ我を父親でない人の所に留め置いて因縁繰り返すだけなら、通り越せたと言いますまい」
「すると」
「さあ?それも、姫が決めること」
「・・・」
「さて、ここです」
いつのまにやら政勝の家の前に着いていた。
「なに?ここはわしの家ではないか?」
くぐり戸を開けるとかのとが跳ぶようにでてきた。
「父上が米を届けよというての。かのとの亭主殿は、黙って座れば米が御飯になって出てくる事しか知らぬ御方だから、米を見た事がないらしい。米の有り様も知らぬに比べ、かのと。お梅は賢い女子じゃな。さらえて炊けというたのに今日の分は残して置く気のつき様じゃ。ややができたら。お梅に来てもらうが良いわ。のう。政勝殿?」
「ほ?おおう。それが良い」
かのとの事になったら先ほどまでの、憤怒もどこにやら相好をくずして澄明の提案に気を良くしている政勝であった。
「おおう。それが良い。それは、気がつかなんだ」
独り言を呟いている政勝を見やりながら、ひのえは手短に先行きの話しをした。
「白峰殿の御守をおおせつかってな。三、四月家をあけねばならぬことになる。
私はその間、動いてやれぬ故、もう、鎌を振りて茅を切ってはならぬぞ」
「白峰?」
「ああ。西方の祭神よ」
「あらぶれておるのですか?」
「そろそろの」
「はあ。それがすみて後には、ひのえも、そろそろ、少し白銅の事を考えてやってくださいませや」
「白銅?」
「もう、よろしゅうございます。男心に疎過ぎます」
「ほ」
いつぞや、政勝が澄明の心に気がつきもせぬ有り様をかのとに託けて、皮肉った事があったが今度は自分がそう、言われるとは澄明も思ってもいなかった。
「白銅がの?」
四方の神に合わせて夫々を頂く陰様師がおる。
朱雀を守る正眼。青龍を守る白銅。玄武を守る不知火。白虎を守る善嬉の四人である。
その内の白銅がかのとの話では澄明に懸想しているように聞える。
が、自分の気持ちがどうのより成る事でないのは、判っている。
「白銅が気がついておるわけがない」
男に拵えるようになってかれこれ七、八年も経つ。
女である事など、気取られた事はない。
「体に気をつけて、たまには父をみやってくだされ」
澄明は政勝に辞去をのべるとくぐり戸を抜けた。
春はもうそこまで来ていた。
梅の香りに咽返りそうな道を一人歩く澄明の頬を滂沱の雫が流れ落ちた。
「訳合って妻帯できぬ」
言いかえれば、訳合って妻になれぬ。
その言葉を何度も呟きながら澄明はかのとを政勝に娶らせて良かったと、思った。
かのとで無ければ、諦めきれなんだ。
かのとであらばこそ、政勝に幸振りが有ると思える澄明であった。
澄明が帰ると
「よくよく深き因縁であるな」
と、政勝は呟いた。
双生の境遇。幼き頃に母を亡くして、ひのえとかのと。御互いを思う気持ちも深い。
其れ故に同じ境遇の姫の気持ち、悪童丸の気持ちがよう判るのであろう。
どうしてやるのが、一番良いのかを判るのは、澄明の方かもしれない。
そう、思うと政勝は澄明の選んだ通り越させが一番良いのだとを信ずる事にした。
時守の元に嫁いで二月。勢姫は悪阻を覚えた。時守との睦事はある。
が、こんなに早く悪阻を覚えるわけがない。
「してやったり。悪童丸。悪童丸」
ふた声弟を呼ぶと、勢姫は天守閣から身を乗り出すとそのまま、身を投げた。
「さらばじゃ。海老名」
皐月の空を朧に霞む月を見たいと勢姫にせがまれて、ここまで供をした海老名である。
月に手を延ばすかのように身を迫り出した姫を止める間もなく、宙を舞った姫の身体を何処からか現れた悪童丸が、がしっと、腕の中に抱きとめると二人の姿は何処かに飛び退り消え果てた。
海老名はほうううと溜息をついた。
その顔には安堵の色が浮かんでいる。
姫が心のままに生きることが一番良い事である。
これで勢姫も、かなえが主膳の心に悔いて、身を投げた苦しみを繰り返す事はない。
それにあり得ない事かもしれないが、かなえも、ひょっとすると勢姫のように光来童子を呼んで何処かに飛び退り密かに恋を成就させて暮らしているかもしれない。
僅かに残った肉片がかなえの物であったかどうかさえ定かではなかったのである。
そうに違いない。海老名はそうと決めるとすくっと立ちあがった。
「ひいいいいい。姫様が、姫様が、おちやった。」
打掛を天守閣から投げ落とすと思いきり大声で海老名は叫んだ。
「ひいいいいい・・・・ひいいい、姫がああ・・・・・」
天守閣の下は深い掘りがある。姫の死体が上がらなくても不思議はない。
『存分にかなえの存念はらしたまえ』
そして、海老名の胸の中に巣食う、かなえと光来童子の恋の成就させてやれなかった悔いを、今、勢姫がはらしてくれる。
海老名はもう一度大きな安堵をつくと、姫の幸いを喜ぶ気持ちが顔に出ぬように男達が上がって来るのを待ち受けた。
(終)
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