弥生の花見月を映す琵琶の海は静かに夜をのみこんでゆく。
祠の中に湿った空気が流れ込むのは来訪の印である。
直垂を濡らしてやってきたのは白峰だった。
「白か?」
「ああ」
黒。そうだと冷たい微笑が口元に浮かぶと男ながらも
惚れ惚れする美しさに背筋が張り詰める。
「なんだ」
「女子にうつつをぬかしておるらしいの?」
「おなご?」
「かようてきておるらしいの?」
ここにかようというほどに姿を現すのはきのえだけである。
だが、あれを女子と言う特別な者に見えるのがおかしくて黒龍はふきだした。
「なにをわらう?」
「うわさをきいて、みにきたというか?」
きのえが事を黒龍の女子と思ったのも可笑しいが、
白峰という、およそ人の事なぞに無関心な男が噂ごときに
ここにわざわざ現れると言う事が不思議を通り過ぎて可笑しく思えた。
「ざんねんじゃの」
「なんだという?」
白峰が何故あらわれたか?
黒龍という存在に一目置いている。
この世において、白峰の自尊心をくすぐる存在は同じ長き者である龍しかない。
他のどこの神がうらやむほどの絶世の美女を手に入れようと
とんと興味をしめさなかった白峰が黒龍の想い人と聞いた途端腰が浮いた。
「あやつなら、どんな女子を・・・」
興が走ると一目見てみようと思った。
ところが、
「白峰。噂がさきばしったようじゃ」
とも。
「わしが懸想するようなものでないわ」
とも。
訝しげに聞く白峰を黒龍は笑った。
「おまえ、十二、三の子供にわしがほんきになれるとおもうか?」
「子供?」
「何で、そんな噂が流れたかさえわからぬわ」
「子供・・か・・・」
「おおよ」
噂が流れるには流れるだけのわけがあろう。
黒は子供といいわけしてみせているだけかもしれぬ。
この目でどこまで黒のいいわけが本当のものかみてみぬことには。
考え込んだ白峰に黒龍が笑った。
「ほれ。噂をすればなんとやら・・お嬢がきたわ」
「黒龍」
呼ばわる声は確かにこどものものだ。
「ここにおる」
うっすらと目がなじんできたか、答えた黒龍に
「誰か?客人かや?」
邪魔になるなら帰るしかないのか?
心もとない問いかけが幾分寂しげである。
「かまわぬ。くるがよい」
きのえがあらわれると、白峰は目をこらしなおした。
白峰の様子を見ていた黒龍は
「いうたとおりじゃろう?」
子供でしかないという。
白峰が瞳をこらしたのは子供だということをたしかめたせいではない。
「人間ではないか?」
「そうじゃが」
「わしらがみえるというか?」
白峰がおどろいたのは、女子が人間であるということだった。
神と称される者同士の色恋かとおもっていた。
「人間か・・・」
およそ人と神が交わる事は許されない。
神の所作であるとしてもなのである。
天は人を愛で、人の姿を神に似せて造った。
人と人を結ばせ、異形の血を継ぐ事を疎んだ。
人を護ろうというのが先かもしれない。
人と人でないものが交わるのを天は許さなかった。
だが、それでも抜け道が生じる。
天が愛でた人であらばこそ、人でない者が焦がれる。
掟を破る不心得者があらわれる。
情念のほむらを燃やす心ねをあわれにおもうたか、
天は七日を許すという。
これが人と人でない物が交わる限度である。
いずれこれを超える思いを持つ白峰である。
人と人でない者が交わるが七日ならば、
神という白峰が人であるきのえを人でなくすことで
我が妻にすると言う根底を覆す願をかけるのである。
この先にきのえを渇望する白峰の願が成就するか、
どうかは白峰の誠のありようでしかない。
が、大の男がなりふり構わぬほどに、幼い少女にほたえくるう。
黒龍はもとより、当の白峰とて予測できなかった変転であった。
「なるほど」
何がなるほどだと黒龍は白峰をみた。
「七日でわかれるは・・つまらぬわの」
黒龍が本気にならぬは子供だからでない。
相手が七日で別れねば成らぬ人間だからだ。
「たわけたことを」
「本気になるがこわいか?」
直ぐに来る別れが本意になるをためらわせるか?
「ちがうというておろう」
あくまでも子供でしかない。
「おまえもどうかしておる」
その見方はあんな子供に女子をさぐるということだ。
戯けを通り越して、異常な嗜好ではないか?
「よいかもしれん」
ふざけているとは思えぬ白峰の返事は、
この時点ではまだ、黒龍が思うほどに
きのえが子供ではないぞと言おうとしているに過ぎなかった。
よってきた少女をまじまじと見詰ていた白峰を少女が見詰返した。
「おまえ・・・」
わしがみえておるのか?
問いたださずに置けなかった。
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