少女が白峰にくれたのは一瞥だけである。
この白峰の麗しさに目も留めず、
全ての者がみせる、はっと息をのむ白峰の眉目への賛美がない。
黒龍の側ににじり寄ると、客人の目をはばかりもせず、寝転がる黒龍に背をよせた。
その所作にけれんみもない。
黒龍もいつもがそうであるがごとくのようにじっと少女の背を支える。
その姿に男と女の痴話がない。
雛鳥を羽の下に暖めるようである。
「名前をなんという」
物憂げに少女は白峰を見詰返した。
「きのえ・・・」
「おまえ。わしがみえるのか?」
「おまえも神か?」
わざわざ見えるのかとたずねるくらいだからこれも神なのだろうときき返した。
さとい答えでもある。
きのえの答えは黒龍が神であるという事を既にわかっているという事である。
ならばこの白峰も見えるという事は嘘ではない。
「おまえの目にわしはどううつっておるのだ?」
「一目でこの世のもので無いとわかるほどの美しさじゃな。気の毒に・・・」
「え?」
気の毒じゃというか?
この白峰にたじろぎもせず、むしろ血を凍らすほどの美貌を気の毒なものとかたづけるか?
「おまえを好くものがおるまい・・・」
「え」
「あたら美しいだけがとりえじゃ。冷たい気性がそこまで己を磨いたかと思うと一層気の毒じゃ」
あったばかりの男の性分を見抜くと、外観にとらわれない。
外観にとらわれないから性分を見抜けると言うべきか。
「これ・・」
黒龍がほうけた顔の白峰を見るはこれが初めてである。
どうやらきのえに圧倒されている。
きのえの口をしかりつける黒龍に
「われはおもうたとおりをいうただけじゃに」
はむかうように口を返したが、白峰を振り返ると
「きつい事をいうてしもうたか?」
神であるものだ、己の性分なぞわかりきっておる。
きついわけなぞあるまい?と、瞳が動く。
むしろ、この美しさで人を恐れさせ、外界との接触を断っておらねばならないのだろうとも思う。
で、なければ人は直ぐ神に願い事ばかり言い募る。
甘い顔を見せる神がかなえる願い事なぞ薄っぺらなものだ。
誠に高い神は人の真摯を求めて強面の畏敬を作る。
「おまえは・・・どこの神だ?」
「白峰山をしっておるか?」
黒部と長野を結ぶ立山連山の厳壁の中で一等高い山がある。
「山の神か?」
黒龍は水辺に住む。
時にこの琵琶の湖に身を沈めるくらいだ。
だから、黒龍は水神さまだ。
「いや。黒と同じ水神だ」
「おまえも龍か?」
きのえがいぶかった。龍なら水のある事が必須である。
だが、直ぐに思いついた。
山にも湖はある。沼もあろう。
『黒が龍であることもしっておるか』
白峰はきのえの物事を受け止める柔らかさに驚いた。
「わしがなにかわかるか?」
「と、いう事はおまえは龍ではないということか」
呟くと考え始める。
「水神じゃというたの?」
もいちど確かめるとうーんと考える。
『これは・・・これは・・・』
瞳を見開いて考え込むきのえの唇の先が軽くとんがり、些細な事に真剣に集中しきっている。
『えらく・・・可愛いではないか』
改めて少女を見詰なおした白峰である。
神仙樹の果実をおもわす。
白い実に薄く桃色をさす。
産毛が少女を柔らかにつつみ、
穢れを知らない証に、産毛が一つもくずれおちてない。
つうと張り切った皮をむけば、下には果汁を含んで、果肉が甘い香りをただよわせるようだ。
愛くるしい顔立ちが黒龍の言うとおりまだ幼い。
だが、幼さの下に触れれば開花する女子がいる。
これを子供だと言うか?
大人になり始めている少女が口を開いた。
「いもりか?」
「い・・いもり?」
「ちごうたか?」
沼の水の中にもいる。山の僅かな池にもいる。
黒い腹を水の中で翻し泳ぐいもりは不気味な美しさがある。
黒い肌に描かれた緋色は万壽紗華の赤より紅い。
いもりの腹に見る紋様は曼荼羅を見るようで恐ろしい。
こんな小さな生き物が曼荼羅を負うかと怖ろしい。
畏敬の紋様の不気味な美しさが男とにていた。
思いついた事がちがうといわれ、きのえはまた、かんがえこんでいた。
『白峰山の名を出してもわしをしらぬというか?』
何も知らない。
無垢な少女だからこそ、黒はそれを大切に思うらしい。
だが、白峰が見つけた少女は違う。
あの項の細く美しい事。
たわわに実る前の果実をもぎとり、
思い惑う少女は男を強いられるとも気が付かず、
白峰の項を舐める舌にふうと瞳をとじてしまう。
気が付いたときには、
白峰の腕の中で女を咲かされる。
『わしは・・・今何をおもうた?』
唇を尖らせている少女の横顔をみつめかえした。
『わしが?』
ちらりときのえが白峰をみた。
指をたて、唇にあて、まだ、おまえの正体を明かしては成らぬぞと示した。
判じ物に夢中になっている。
確かにこどもなのだ。
だが、白峰の瞳が留まったままだった。
きのえの所作に白峰の胸がどくんとなった。
きのえのいうなよは、白峰の鼓動をだれにも言うては成らぬと聞こえた。
誰にもいわず、我だけに伝えよ。
きのえの中の女がそう、囁いた気がした。
きのえの中の女はそれを最初に見つけ出した男を憎からずと、さらに女を見せ付けるようだった。
『わしが・・もぎとってしまいたい・・・』
きのえの底の女がはっきりと白峰に男をみせつけ、引き出したとも知らず、
白峰も知らせず男の恋情は隠密に蠢きだしていく。
嗅ぎ取った女に胸の中でささやきかえす。
『おまえだけにつたえてやるわ』
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