―序―
黒龍の傍らにうずくまる少女が居る。
白峰の瞳が少女を嘗め尽くしていた。
立ち尽くす白峰に気が付いた黒龍が少女から目を上げた。
「おまえのものか?」
白峰の心に生じた思いを気取る事が出来ず、
黒龍は問われた言葉に僅かに瞳をいこらしていた。
「馬鹿な事を・・・」
人としていかせしめる。何ぞ、我のものにできよう。
「そうか」
白峰とて、男。
黒龍の中にある少女への情愛は見抜けぬものではない。
―そうか―
だから、どうだという?
護るとは我がものにすることぞ。
我がものにされるを無上の由縁とせしめねば。
―略奪あるのみ―
白峰が湧かした心を暴露するわけもない。
―まだ、童。されど、女子―
鈍く光る瞳がきのえをとらえた。
―きのえ―
護って見せよう。
この白峰の思いの丈で、白峰が物になることにこそ
生まれてよかったと言わせてみしょう。
「きのえ」
うんと顔を上げたきのえを覗き込む黒龍を見透かす。
―言うた言葉を仇とうらむなよー
白峰の呪詛が繰り返されているとも知らぬ。
「ばばさまがよびよる」
「かえりとうない・・・」
「ごてをいうておると・・」
「わかったに・・」
むくれた顔さえいとしいはず。
白峰の心の底に見える黒龍が懸想をば、童というてふさぎこんでおれ。
たぎらすことなかれ。なぜならば。その娘。白峰が心をさだめた。
「帰らねば・・・」
「わかっておるに・・なれど・・・」
「なれど・・・?どうじゃという?」
「ばば様は藤太のところへいけというに・・いやじゃというにしつこいに」
「藤太は優しい男じゃに。きのえのことは大事にしてくれよう?」
きのえの瞳が地べたを見たのは、あふれそうな涙をこらえるためだった。
「おまえまで・・そういうか?」
きっと睨みあげた瞳に涙をうかべておりはしない。
「なにを・・おこりおる?」
「いやじゃというておろうに・・・」
「いやじゃというて、とおるものか・・・」
子供じゃのと小さく舌打をするのがきこえたか、
ぶすりとした顔がそれでも、ほころんだ。
「いやじゃ。きのえは黒龍の嫁になる」
「あほうをいうておれ・・」
「子供じゃからか?」
呆れてものがいえぬ。
黒龍は神である。
およそ、人と神は添うことなぞできない。
人は生き物の中でもっとも多くの神との決め事をもたされている。
それは、人が余りに神に似通って生じたせいかもしれない。
「きのえが子供じゃというなら、もそっとまっておれ。
ほれ・・・もう、すこしじゃに」
黒龍の手を掴むと躊躇いも見せず、きのえの乳にふれさせる。
『大人になってきておろう?』
膨らみ始めた胸の弾みが、うれしい。
大人になるという事は黒龍の嫁になれるということだ。
自分で定めた決め事に近づける証にふれさせる事にてらいもないきのえである。
それぐらい子供という事なのである。
横で見ていた白峰がふきだした。
邪気ない夢は、初めて近寄った大人の男を見知ったことから生まれた憧れでしかない。
―きのえ。いずれ、わしがおまえに大人の男の情愛をそそぎこんでやるわー
そのときこそ、きのえも真の大人になる。
そして、白峰の女になる。
「きのえ」
呼ばれた少女は白峰をふりむいた。
「ほら」
白峰の指に赤い糸がからんでいる。
「あやとりか・・・?」
「そうだ・・・おしえてくれ・・・」
きのえはおずおずと白峰の側ににじりよった。
「かえらねばなるまい?」
優しくさとすと、
「おまえにこれを一巡り教えてやったら、帰るに」
少女の指が器用に糸をからめた。
「厠、からじゃ・・」
「厠からか?」
川からのとりてをおそわったばかりである。
「ああ・・。いかぬに。蛙に成る。おまえでは取れまい?したからくぐらせて川にせねば・・・」
「こうか?」
白峰の指先を見詰る必死な瞳がいとおしい。
「そう、指をつけたまま・・」
心持、唇がとぎる。
夢中になるときはこうだ。
―かわいい-
「離すなよ。ゆびをつけたままじゃに・・あ」
白峰の指に緩んだ糸が移った。
「そっと、そっと、引きとおすに、ああ・・それでよい」
少女の指が川になった綾取りをとらえる。
細く長い指が華奢にそっと、白峰の手の糸を取り返す。
「厠にもどったろう?」
少女の指先をみつめる。
糸を張った手がゆるまない。
変形の厠をとると、やはり蛙になる。
「見ておけよ。こう、とるに・・」
きのえの手の中で菱の実になった糸の潜り先を探り、糸を潜らせた白峰の手の中で糸がよれた。
「ああ、へたくそじゃなあ」
白峰が絡めた糸を手に取り、解き寄せてわらう。
きのえと白峰のやり取りを見詰る、黒龍の瞳は優しい。
白峰は黒龍を見詰返す。
―仇というなよー
決めた心を、翻す気はない。
きのえを我が妻にする。
何故、ここまで幼い少女に惹かれるか自分でも判らない。
だが、それでも、この心、本意。
そうと定めたは白峰が先。
黒竜は白峰の情念にきづくにうとすぎた。
疎すぎたのは己の思いは宥めるに必死だったせいかもしれない。
手の中に残ったきのえの胸の弾みはすでに少女を脱出しかけている者のものだった。
この手を蠢かしてしまいたいのかもしれない。
少女に何をもとめようとしているのか。
黒龍は己のさがの溜息を聞かぬことだけに、尽力をかたむけているに較べ
既に白峰は少女の中の、女を我が手でひきだそうときめていた。
これだけを見れば既に黒龍は白峰にきのえを譲るべきであったのかもしれない。
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