憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

はからい

2022-08-27 11:35:52 | 憂生日記 その1

宿業と昔馴染み

非常によく似た設定になっている。

それもそのはずで

この昔馴染みの原作?の中に出て来る男(織田と名付けたが)

この男の「太さ」が、いくつかの物語の軸を支えている。

例えば 

子供ができない夫婦(できにくい夫婦)という設定の後ろにあるのは

この男(織田)の「太い思い」が同じようにあるか、

そこに気が付いていくか

と、いう違いでしかなく、

周五郎ばりの「性善説」が、物語の語られていない「土壌」であると思う。

 

そして、ネットをうろつくうちに

もっと、大きい「価値観」を

言葉として、意識化させられることになった。

 

精神障害のある男性だったが

(色々、省く)

ー狂いなんて、愛してくれる人が抱きしめてくれたら、必ず治るー

その言葉の後ろには、

彼を愛する人がもう居ないという意味も含まれていたが

「抱きしめる」ということを、

通り一遍でできることではないときが付くことになる。

仕事も休んだが、結局、退職勧告になってしまい退いた。

生活を支えながら、別の人間をささえるということは

簡単なことじゃない。

幸い、ひと月ほどの「張り付き」で

相手は回復して、通常の生活に戻っていったが

これが、半年、1年~となっていたら

どうなった事か判らない。

 

その「抱きしめてくれる」ということ。

相手のなにもかもを受け止める。

と、いうことが第一義だと思う。

存在価値を見失い、狂気の中に逃げ込むしかない状態。

その存在価値をもう1度取り戻してもらうには

「なにもかもを、受け止める」ことから始まる。

 

そういう話は長くなるので、

ここらへんでやめておくが・・・

物語の中に

この男(織田)の「太い思い」が同じようにある・・・

と、いうところの

「太い思い」というのも

「なにもかもを、受け止める」ということだと思う。

 

何もかもを受け止めるからこそ

見失っていた自分

逃げていた自分を

取り戻すことが出来る。

 

それは、また

白蛇抄 白河澄明の「想い」にも

反映されている。

 

物語を書き終え、

精神障害の男性の一言が楔になり

ひとりの人間を狂気のはざまから

引っ張り出せたと思っているが

出会いも

物語に自分の指標を見出そうとしたことも

すべて、天のはからいだと思っている。



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