安倍元首相に対して、
中傷・暴言の類になると思われた記事を書いている方を
読者登録から、外させてもらった。
批判は、かまわないと、思っているが
感情論に成ってしまっては、
ちょっと、読んでるこちら側がへげる(判らない言葉だね)
安倍さんのことを、賛成とか反対とかいう考え方ではない。
別に、安倍さんでなくても、岸田さんでも同じ。
こんな考えの大本は
祭りからかもしれない。
ご神体を載せて、練りまわす神輿。
ここと、
政(まつりごと)、同じものがあるとおもえた。
なんの神さまか、
本当に神様が乗って来るのか
とんでもない狐狸の類かもしれない。
だけど、ー信じるー
そして、神輿。
担ぐものが一致団結しなきゃ
神輿は担げない。
もっと、高度な技(投げ揚げるとか、回転させるとか・・)なんて、
とんでもないことで、
下手すれば、神輿が地面にたたきつけられる。
こういうのを見てると
政(まつりごと)も同じに見えてくる。
神様がど~~のとか文句を言う前に
担ぎ手(担い手)が、一致団結したか
担ぐだけの力や技をつけているか
そっちを詮議しろ、と、おもってしまう自分が居る。
それは、
「文句をいうだけ」だと思うからなんだけど。
統一教会云々だって、
自分に置き替えてみれば
例えば、
「当て込んだ思い」
「おかげ信仰」
と、いう「統一教会」じみた考え方をしてないか?
そこを浚えなおしてみないと、と、思う。
嫌な言い方だけど
担ぎ手が狸(のような考え方?)だったら
乗ってくる神様も
狸の神様になりはしないか?
そこを浚えないといけない。
と、思うと、
悪い部分をつつく(文句を言う)ことで
自分は「正しい側」になろうとしているかのように見えてしまう。
ものすごく、ひねくれた見方だと思うけど
文句をいうのと
批判をするのは違う。
また、日本の神様
自然信仰になってくるけど
神様は、二面性がある。(語弊がある)
雨の神様は
田畑の実り他、必要な雨(慈雨)を降らせる。
一方で
台風とか大雨とかも起こす。
その二面性を日本人は受け止める。
慈雨には感謝し
災害雨には、自分を護り
被害が出ぬように祈る。
これも、政にあてはめるのは
極論だと思う。
だが、
感謝も忘れ
自分を守ることをおろそかにして
文句を言う。
統一教会の被害者の人や
周りの人ほど、謙虚に見えるときがある。
政治が悪い
ではなく、
自分がうかつだったとか
周りの人は、防いでやれなかったことに
自責の念をもつ。
例えば、そういう思いで
糾弾しているのだろうか?
自分にはいっさい、責任がなく
悪いのは
つながりをもった奴らだ
と、いいはなっているように見える。
そして、
きりわけが出来ない。
各国の要人がくるというのに
デモとかやって。
家庭内で
客が来ると言うときに
直前に夫婦げんかになったら
客の前でも、夫婦げんかを繰り広げる。
仮に、客が上司だったら
家庭内ひとつをまともに運営できない部下に
仕事の面でも同じ評価で見る。
いざというときに
対応できない考え方(人間性)をしているとみなす。
あくまでも、
安倍さん他、賛同しているつもりはない。
なにか、
ーわきまえるー
と、いうことをどこかに落としてしまっている様に見える。
自分がどうであるか?ということが
成り立たないと
結局、自分が落ちる。
良い程、安倍さんを批判(罵倒?)しまくってた某議員も
自分も同じだったと判ったら(ばれたら)
立つ瀬がなくなって、
自分が掘った穴に落ちてしまっている。
まあ、そんなことを思うので
政に口をはさむ(できないけどwww)
政を口にのせる、なんて
簡単にはできないと思っている。
自分には、「元」がないと思っていたら
好きなように ののしるかもしれないがwww
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