おもしろい記事を見つけた。
イエス・キリストの教えは仏陀の教義に類似しているという。
キリストが、仏陀の教えを吸収したという考えは
なんと、ショーペンハウェルが最初に唱えたという。
それは、なんの確証もないのだが、教えを比較して、
哲学者であるショーペンハウェルだからこそ、見えてきたものであろう。
ところが、キリストがエジプトに逃れたとされる12歳からの18年間に
エジプトに仏教徒が居た。あるいは、教えが残っていたか根付いていた。
可能性があるという。
ギリシャ僧がアレクサンドリアからスリランカへ30000人!も行ったと記された書物があるそうだ。
それが、紀元前2世紀のことで、キリストがエジプトに行ったころでも、
それほど大規模な人数をスリランカへ送り出すことができた、仏教教団が消滅するとは思えないし
何らかの形でアレクサンドリアに仏教の教えが残っていた、受け継がれていたと考えられる。
12歳から30歳まで、キリストは仏教の教えを踏倣していたとかんがえても差し支えあるまい。
憂生は宗教は嫌いである。
とくに、キリスト教は受け入れがたい。
理由は単純で、キリストを絶対神とさせる部分で、これは、別にキリスト教に限らず
他の宗教もそういう部分はある。
唯一神とか、絶対神という考え方はどこからわいてくるのかと思う。
日本をいえば、八百万の神であるし、
やはり、天という考えがあるせいだろうか?
天という「宇」の中に太陽の神もあれば、竈の神もある。
絶対神というのが、これひとつが絶対価値であるという考え方ではない。
何もかもを包む。極端に言えば、どれをとっても、天が存在を許したものである。
無限に近い包容力で何もかもを包むのが、絶対神で、
日本の考え方は底がないかと思うほどの許容力を見せるに対し
キリスト教(キリスト自体ではない)などなどは、非常に排他的である。
憂生は日本が過去、キリスト教を弾圧したのは、この部分だと思っている。
で、そのスリランカで思い出したのであるが、
もっと、言えばエジプトでも思い出したのであるが
スリランカの何処だったろうか?
日本の言葉がそのまま通じるところがある。
同じ発音で同じ意味なのだ。
それだったら、けっこう、あちこちにあることなので、驚きはしないのだが、
問題の言葉が
「稲」「米」「かゆ」だったから、驚いた。
ひょっとして、稲作文化は日本が発祥?
と、考えたくなるのは世界最古の漆器が日本で発掘されていたり
須恵器とよばれる土器も日本のものがかなり古いという。
須恵器は、当然、粥や飯を炊いた道具だろう。
そして、量が少ない飯よりも、粥やおじやが主流だったのではないのだろうか?
逆の説も考えられる。
スリランカから伝わってきたのではないか?
そこで、エジプトが出てくる。
日本にピラミッドや環状列石がある。
この年代測定をしていくと、エジプトのピラミッドより古く
形もピラミッドの原型に近い。
日本から、稲作がインドに伝えられ
アンコールワットなどもピラミッドに似ていなくも無い。
アンコールワットでいえば、あのあたりの神話か?
ケツアルクアトルあたりも、ヤタ烏や八又のおろち・・・あ、ずれすぎる。
日本の稲作と共にピラミッドの工法も伝えられ、漆(漆塗りの技法?)も伝えられたか?
と、思えてくる。
そして、それが、年代的に一致するのかどうか判らないが
ギリシャ僧をスリランカに送らせることが可能な
スリランカ側の繁栄があるといえる。
繁栄を支える事ができる食物もあったと考えられる。
それより以前に稲作がスリランカに渡り
スリランカから
エジプトへピラミッドが伝えられる。
正確にはエジプトがピラミッド工法を持ち帰った。
おそらく、稲もエジプト経由でキリストにももたらされたのではないだろうか?
だが、小麦の技術があったから、キリストはぬっだの教えのみ吸収し
権力者のためのピラミッドも必要なかった。
日本という国柄を考えても、「作り出す」技能はすばらしいものがある。
器用だ。
箸を使う民族はそう多くは無い。
そして、パリ万博において、日本家屋の作り方。
釘一本使わず家をつくる。
日本の和紙。鼻をかんだ神でさえ、フランス人は拾い、眺め、持ち帰ったというほど
薄い紙を作る事ができた。
こういう部分を考えても、日本が多くの技術の発祥源だったと考えたくなってくる。
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