おいらは温泉が好きだ。
で、そのスタイルは、次々と新しい湯を目指すことだ。
だが、著名な文人たちは、お気に入りの温泉宿を持ち、長逗留していたようだ。
(現在の温泉法による温泉ではない宿もある)
◆川端康成も大佛次郎も
川端康成は、「私は温泉にひたるのが何よりの楽しみだ。一生温泉場から温泉場へ渡り歩いて暮らしたいと思っている。」
なんて言ってはいたが、箱根の福住楼が大のお気に入りだったようだ。大佛次郎もそうだった。
林芙美子は、戸隠のお宿諏訪。あじさいのきれいな宿坊でもあるらしい。
宮島の岩惣には、斎藤茂吉・池波正太郎、吉川英治に至っては、ここで「新・平家物語」を書き上げたそうだ。
城崎温泉三木屋は、志賀直哉だ。3週間の逗留中に「城の崎にて」を著したほか、13回も訪れたという。
80歳を過ぎた葛飾北斎は小布施だ。そして、その後も全国を旅し生涯に3万もの作品を残したそうだ。
当時としては極めて長命の90才まで生きた北斎のいまわの言葉は、
「あと10年、いやあと5年生かしてくれ。そうすればまことの絵描きになってみせる。」
抜群の向上心と、自家製漢方薬・温泉が効果あったのだろうか。
おいらも生きているうちに、順にそれらもぜひ訪れて先人の感覚をすこしでも味わってみたいものだ。
と思いつつ、さあ今日も仕事だ仕事だ。
で、そのスタイルは、次々と新しい湯を目指すことだ。
だが、著名な文人たちは、お気に入りの温泉宿を持ち、長逗留していたようだ。
(現在の温泉法による温泉ではない宿もある)
◆川端康成も大佛次郎も
川端康成は、「私は温泉にひたるのが何よりの楽しみだ。一生温泉場から温泉場へ渡り歩いて暮らしたいと思っている。」
なんて言ってはいたが、箱根の福住楼が大のお気に入りだったようだ。大佛次郎もそうだった。
林芙美子は、戸隠のお宿諏訪。あじさいのきれいな宿坊でもあるらしい。
宮島の岩惣には、斎藤茂吉・池波正太郎、吉川英治に至っては、ここで「新・平家物語」を書き上げたそうだ。
城崎温泉三木屋は、志賀直哉だ。3週間の逗留中に「城の崎にて」を著したほか、13回も訪れたという。
80歳を過ぎた葛飾北斎は小布施だ。そして、その後も全国を旅し生涯に3万もの作品を残したそうだ。
当時としては極めて長命の90才まで生きた北斎のいまわの言葉は、
「あと10年、いやあと5年生かしてくれ。そうすればまことの絵描きになってみせる。」
抜群の向上心と、自家製漢方薬・温泉が効果あったのだろうか。
おいらも生きているうちに、順にそれらもぜひ訪れて先人の感覚をすこしでも味わってみたいものだ。
と思いつつ、さあ今日も仕事だ仕事だ。