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わかる不幸

2021-10-01 06:41:04 | 日記
普通は知らないことよりも、知っていた方が良いことは当然のことだろう。
だが世には、「知らぬが仏」という言葉がある。
詳しく知らなければ、それはかえって気持ちよく過ごせるというような意味合いなのだろうか。
おいらもそのことで、すこし感ずることがある。

◆100湯を達成して感じたこと
 何度も繰り返し記してきたが、日本には源泉の数が3000程もあるらしい。
 なのでおいらは、とりあえず100湯を目指して頑張ってきた。
 努力の甲斐もあって、現在110湯まで到達し、次は200湯を目指している状態だ。
 これは、本格的な温泉通から言えば、片腹痛い程度だとは思うが、それでも感ずることはある。

 泉質には好みがあり、効能の穏やかな単純泉、ガツンと来る硫黄泉、お肌すべすべのナトリウム含有泉、ポカポカの塩化物泉、
 その他にもメタケイ泉だの炭酸水素泉だの鉄泉だのいろいろある。
 それぞれに効能があり、この現実や嗜好を否定するものではない。
 だがここで再確認しておきたいこととは、源泉の湧出量には限りがあるという事だ。
 そして、源泉の供給を受けるためには、対価(お金の支払い)が必要という事だ。

 すると、経営的に苦境となった温泉宿は、経費削減のために源泉の供給量を絞ることとなる。
 なかには、経営は順調でも、利益を増やすために源泉供給量を削減する宿もあるかもしれない。
 結果、起きることとはこういうこと。
 名古屋弁で、温泉がにすい(標準語では薄い)状態となる。
 美容のためにナトリウム含有泉を訪れたはずが、お湯はやはり名古屋弁でシャビシャビ(効能を感じられない)だった。
 そしてそれは、残念なことに湯に浸かっているとわかってしまうものなのだ。
 ああ、この湯は源泉を絞って加水をしているのなとか、
 温泉資源の確保を言い訳にして循環をしまくっているな、とかがわかってしまうのです。
 もしかしたら、これはわかるが故の不幸なのかも知れませんね。
 人生はすこし、とろい(これも名古屋弁かな)ほうが、スムーズなのかもしれませんね。
 
 

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