The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

3、「理論・内容」×「技術・技能」=「学」×「術」=∞(ほんもの)

2014-10-04 09:04:45 | 日記

⑴「教育理論」と「教育技術」との交流

 概念や考えなどには階層性があり、そのものの本質である「哲学」の抽象レベルから、実際にどのように取り組み、実行していくかの具象、具体まで大まかなレベルに分けることができる。また、抽象レベルを「学」、具象・具体レベルを「術」と括ることもできる。

 教師には、教育哲学や教育理念、教育内容などの「学問的なもの」と、指導場面で必要な指導方法や教育技術、教育技能などの「具体的なもの」との両面を兼ね備えることが必要である。

 指導方法や教育技術、教育技能は、教育哲学や教育理論、教育内容を実際の場面で使いこなしていける力とも言える。あるいは、「学」(理論・内容)は、「術」(技術・技能)を通して、子どもに伝えられていくのである。

 このことからも分かるように、指導方法や教育技術、教育技能は、教育哲学や理念・理論に裏うちされたものである。このことを上図に表す。

 

  小学校理科における哲学や理念、理論は、理科教育の基本的な考えであり、自然科学の本質と重なる。近代科学の発達は、「自然の観察」から始まり、事物や現象から法則性を見出してきた。事物や現象を観て(観察)その仕組みを理解し、時間・空間の尺度の小さい範囲内で実験をしてそこから道理を導いたりして、科学の体系を構築してきたと考えられる。

 また、科学の「理論や法則」の背景には、観察や実験の事実から思考を働かせ、あるいは思考実験などによって導き出された科学の成果も含まれている。小学校理科の内容は、教育哲学や教育理念、教育理論などと、自然科学の哲学や理念、理論との融合したものである。

 授業を構想し実践するにあたっては、どのように教えていくか、その指導方法やそのための具体的な方法である教育技術や教育技能を考え、準備する。これらは知識や技能を習得させる場であるので、極めて具体的な姿を現出する。

具体例をつぎに記す。

[教育哲学]「人が人として幸せになるための教育」

[教育理念]「子どもたちの自然な好奇心をはぐくみ、内面から出てくる興味に根ざした教育」+「身体を活かす」

[教育内容]「科学の基礎×科学の進化」=「基礎的な見方や概念(エネルギー+粒子+生命+地球)」

[指導法]「観察・実験」+「問題解決の過程」=「科学者の科学研究と同様な手順」

[指導技術]「考え方の技術」+「観察・実験の技術」+「学びの技術」+「授業展開の技術」など

[指導技能]「比較」+「関係付け」+「器具の扱い」+「道具の操作」+「1人一実験」+「発問・指示」+「話し合いの仕方」+「見えない現象を見えるように(モデル図・イメージ図)+「ジャンボな実験装置」などなど

 

⑵理論に裏打ちされた技術

 「子どもが楽しむ教材はないか」「子どもが理解しやすい展開はどうあったらよいか」「見えない現象をイメージ図に表させるときのヒントのあり方はどのようにしたらよいか」などを考えるときには、つぎの三つの基盤より発想していることが多い。

 それは「理屈の世界」「感覚の世界」「本能の世界」である。「論理の世界」「イメージの世界」「本領の世界」と言い換えても良いだろう。

 「子ども主体の理科授業を実現したい」との願いや目標の実現のためには、「理科教育のあるべき内容」を考えるうえでの「理屈や論理の世界」にあたる。

 「これは面白そう・子どもが喜びそう」から発想する場合、思い浮かんだことを上手に説明はできないことが多い。が、これは「感覚やイメージの世界」からひらめいたと考えられる。

 「大事だからこれはやりたい」は、「本能や本領の世界」を背景にして浮かびあがってくる。この場合、心層には小学校で習っていたことがインプリンティングされているかもしれない。

 この三つから立ち上がった考えやアディアやヒントを教育哲学や教育理念のフイルターにかけて意味付けし、教室で実践することは教育の客観性を維持する上でも極めて大切である。