The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

「教科書を積極的に活用していますか」パート1

2019-01-23 06:20:14 | 日記
 教科書はどの教科も資料性が濃くなったため分厚くなっています。ですから重い。特に小学校の子どもたちは「毎日教科書を数冊入れたランドセルを背負っての登下校はかわいそう」の保護者の声が文部科学省に届き、各教育委員会に通知が出たようです。例の「置き勉」可の件。
 1年生の孫のランドセルもどっしりと感じます。飲料水用水筒の重さも加わっているからだけではありません。ランドセルを背中に登下校する子どもの姿が幾分背中側に傾いているように感じているのは私だけではないようです。

 「今日の理科は教科書を使いません。仕舞ってください」の授業冒頭の先生の指示。理科授業参観では結構出合います。「教科書を見られては実験の仕方が分かってしまう」「実験結果のところを見て発言する子どもがいる」「教科書に答えが載っている」「教科書を見て授業に集中しない」などの理由で、授業に支障が出るとの考えのようですが・・・。

 むしろ「教科書から実験の仕方を参考にできる子ども」「結果を見て本当にこうなるか確かめようとする子ども」「教科書からヒントや情報を得たいと思う子ども」などを活かす授業展開が、情報を活用する子どもを育てるうえで重要になります。世の中は情報化社会なのです。それよりも教科書のここに書いている。この写真に出ている。吹き出しにあるよ。などに気付き発表できる子どもを育てたい。

 学びの身近な情報源は教科書。教科書に載っている文章やキャラクターの吹き出しの言葉、写真、絵、図、表、グラフなど、自力で見つけることやそれらに気付いたことを発言できることは素晴らしいこと。立派な能力、力になります。
 身の回りで手の届くところにある学びに関するヒントや情報や図書などから、役に立つ情報を取捨選択できる能力の獲得を積極的に育てたい。それらを反映させた授業を意識的に実施したい。
 教科書を教材として料理し、授業で有効活用できる力は教師力の一つになると思う。

「理科の授業をする際に困っていることはありませんか」

2019-01-19 08:36:25 | 日記
 教職経験の浅い先生に上記の質問をします。
 
 今日の学習問題を話し合っているときに、「知識をすぐに言ったり、結果を発言したりする子どもがいて」と、こぼします。
 
 このような子どもの発言にはどのように対応していますか。
 ㋐無視して他の子の発言を促す。
 ㋑スルーして「ほかに―」と進める。
 ㋒親和的に対応して展開する。など。

 私なら、
「〇〇君は難しい言葉を知っていますね。感心します。みんなに分かるように話してごらん」と振ります。口ごもってほとんどは説明できませんね。タイムリーな説明ができたら、「〇〇君の話したことを今日は観察や実験をしたりして見つけていきましょうね。本当に〇〇君が言ったようになるのか、グループで協力して結果を出そうね」。

 教室には理科好きな子どもがいますから、読んだり、聞いたり、見たりして『ことば』を知っています。塾で既に習っている子どももいます。ですが、中身を理解している子どもは少ない。皆無に近い。

 これらの子どもは教室でほんの一握り。どの子どもも理解しているなどと騙されることなく、観察や実験の操作を確実に行い、結果の事実より考察して結論を導き出すように指導していくことが、理解を深め知識に至るようになる。しかも、応用が利く能力が培われる。

『主体的・対話的で深い学び』・・・授業改善の視点

2019-01-14 11:40:34 | 日記

『対話=ダイヤローグの捉え』
 次期学習指導要領では、授業改善の視点として、「主体的・対話的で深い学び」が謳われている。全ての教科・領域に汎用的に当てはまることを想定している。
 
 「対話的」の捉えを考察すると・・・。
 授業における「対話的」の方法は、①「先生と学習者」 ②「学習者同士」 ③「学習者と学習対象物」 ④「学習者とICT」 ⑤「学習者と外部講師等」などが考えられる。
 授業における「対話的」の意義や捉えは、「対話とは、意識や行動を変化させる創造的なコミュニケーション」なのである。

 授業本時のめあてである「学習問題」や「学習課題」「今日のはてな」「ミッション」などを「先生と学習者や学習者同士との対話」により設定する。めあてが決まり、解決のための「見方」である「目のつけどころ」や「切り口」「とっかかり」を「対話」を通して気付かせ、確認して自力追究の武器にさせる。

 観察では見る視点がそうである。物語の登場人物の気持ちでは、「出来事」とそのことによって起こった「反応」に着目させることである。
 
 さらに、追究の過程で見つかったことを「考え方」である比較、関係付けなどの「頭の働かせ方」を、これもまた「対話」によって想起、意識させ、本時のまとめ、結論に至らせる。

 かように、授業おける「対話」は極めて重要な位置を占めている。「対話」を通すことによって、授業が展開し深まるのである。

 ちなみに、会話=カンバーセッションと、討論=ディベートとの違いを明確にしておきたい。

明けましておめでとうございます。

2019-01-03 14:42:16 | 日記
 明けましておめでとうございます。
 今年もブログを宜しくお願いします。

 当地は雲が垂れ込め7時半過ぎには、雲の合間からようやく赤褐色の燃えたぎる初日の出を拝む事が出来ました。年末より株価の低迷が報道されていて、ますます不透明な世界に入っているようです。
 昨年と同様に、小学校教育を基軸に、教育全般に亘って気になることを図解も添えながら分かり易く表していきます。

 昨年12月に出版された藤原邦彦著の「国家と教養」(新潮新書)。教養の4本柱として、次のように書かれています。
① 文学や哲学などの「人文教養」
② 政治や経済、歴史、地政学などの「社会教養」
③ 自然科学や統計などの「科学教養」
④ 加えて日本が誇る「大衆文化教養」
 
 人文や社会、科学教養は当然といえますが、日本の「大衆文化教養」が加えられていることは、独創的で画期的なことのように思われます。西洋の古典よりも日本の大衆文化とも書かれています。

 「国家の品格」とともに、「国家と教養」も名著といえます。「国家と教養」に書かれている歴史観、教養観を踏まえて教育に取り組んでいくことの重要が感じられます。