The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

思考は脳で「日本語=母国語」で行う・・・小学校英語教育を考えるパート2

2019-12-20 10:21:58 | 日記
 坪谷ニュウエル郁子(東京インターナショナルスクール理事長)さんがブログに下記の内容を紹介されていました。(出典を確かめていますが、たぶん記憶に間違いはないと思いますが?・・・)
 「アメリカ国務省職員の世界各国派遣駐在員研修の言語に関して、速習プログラムがあるそうです。その研修時間は、日常会話レベルまで習得させるケースで、アメリカ人が比較的習得が易しい言語でおよそ480時間。アメリカ人から見て最も難しい日本語は、およそ2760時間で、研修時間は6倍弱になります。1日8時間研修に当てても、345日。ほぼ1年間ということです。逆に日本人がネイティブレベルの英語を操るには、345日の倍の690日はかかる」とのこと。
 かように英語と日本語とは構造やつくりやルール等、振り子でいうところの端から端で一番離れているようで、ですから習得するのは難しく時間もかかるわけです。

 ちなみに、英語と日本語の文の構造・ルール(文法)は、次に示すとおりで、日本語は察する文化と言われていることから述語(動詞)が最後にくる文の組み立てになっています。さらに、主語が明記されていない文も目立ちます。

     ◎主語(S)+述語(動詞V)+目的語(O)+飾り等(修飾語)
           英語、中国語、仏語・スペイン語・ポルトガル語等のヨーロッパ語

     ◎ 主語(S)+飾り等(修飾語)+目的語(O)+述語(動詞V)
           日本語等

 立教大学名誉教授鳥飼玖美子さんが語っていました(朝日新聞2019年11月18日朝刊)。
 「英語の4技能、読む、聞く、書く、話す、の土台は読解力、つまり『読む』こと。読むことによって、単語の使い方や文章の組み立てを学び、それをもとに書くことを学ぶと、聞いて分かるようになる。そして話せるようになるのです。さらに高校までは英語の基礎を作り、その上で高校卒業後に、大学や社会で話す力を磨けばいいと考えます。そのためには、中学校の英語教育に資源を投入すべきです。中学生は記憶力や吸収力が抜群で、母語を土台に分析的に学ぶこともできます。少人数クラスにして、教員の質と数を確保すれば、成果は出るはずです。」

「英語教育が国を滅ぼす」・・・藤原正彦名誉教授の提言

2019-12-16 10:26:11 | 日記
 「文藝春秋」2020新年号に、上記タイトルの藤原正彦先生の論文が掲載されています。

 「大学入試改革は産業界主導の愚民化政策である」との捉えで、傾聴に価する考えを披瀝しています。今回問題になった記述式入試にも触れていて、著者が海外大学で教鞭をとっていた体験をふまえた豊かな考えが発信されています。

 その中で特に現場の先生方や保護者に知ってほしい内容に絞って取り上げてみます。今回の小学校での英語の導入にあたっての実害を三つに絞って書かれています。

 まず一つ目は「壮大な無駄」と括られ、英語学習で週に3時間を使うことによって、漢字や九九のままならない日本人が増えると危惧されています。小学校では漢字を確実に覚えさせ、書き順も正しく身につけることや、同様にかけ算の九九を正しく使えるようにさせることが小学校教育の根底の役割であり、基礎基本を身に付けさせることが最大の使命であると示しています。

 注目すべきは、英語を使う仕事は、外交官、商社マン、学者、スチュワーデス等で中学生になって全力で勉強すると身に付くこと、人間以上の人工脳(コンピュータ)研究が進み、現在出回っている翻訳ソフトが一段と進化することなどから、国民の8割は英語を使う仕事にはつかないであろうとの判断で、生活上では不自由しないとの推測が述べられています。

 二つ目は、「日本人としての自覚の妨げになる」ことを危惧しています。小学生にはまず「自国の文化・芸術・文学など」に触れさせ、自信と誇りを身に付けさせることが先決であり肝要であると述べられています。

 三つ目は、「教養を積むことの妨げになること」を心配しています。古今東西の名著を読む時間が取れず、教養が身に付かないことへの指摘です。グローバル社会で生き抜くためには、若いうちに読書を通じて知的充実に励むことが人間的魅力をつける基礎になり、それが教養の背景になることを、著者の体験より述べられています。

 導入された小学校英語の教科を通して、教育について再考できる刺激的内容になっています。是非論文を一読されることをお勧めします。

読解力に想う・・・まずは考えを持たせること

2019-12-15 15:05:28 | 日記
PISAの結果が発表され、読解力が前回の8位より15位となり、マスコミでは賑やかに報道された。日本のマスコミは順位が下がると大げさに取り上げる傾向がある(順位があがった際の扱いは小さい)。前回より12点低い504点で、OECD平均487点よりは遥かに上で、8位も15位も上位集団に位置していることには変わりない。だから国語教育の改善の余地はないかというと、話は別である。

 更に付け加えると、昨年「AI VS 教科書が読めない子どもたち」の書名で新井紀子教授の著書が出版され、エビデンスに基づいた読解力不足を指摘していた。「読解力=読み取る力」は全ての教科の基礎になる極めて重要な能力である。

 「読書百遍 義自ら通ず」。昔から言われていることである。この意味を再認識し、国語授業改善の基盤に置きたい。
読解力不足は読書量不足ともいわれている。だが、就学前の文字に接した度合いや文字に対する好き嫌いなどの子ども自身の得手不得手の資質や家庭環境状況や生活体験の量は大いに影響されることと推測できる。

 それでは学校教育ではどのようにしたら良いか。就学後の小学校国語授業は、まずは声を出して教科書を読ませたい。音読である。声を出すことで①文字を飛ばして読むことを防ぎ、ひらがなや漢字などを正しく読むようになる ②口を大きく動かし声を出すことによって言葉が耳から入り脳を刺激し、文字や話の流れをイメージできることになる、などの効果が期待できる。それだけではなく、「小学校教育は全身を使っての学び」が理解を助けると言われている。音読によって、身体を使った全身の学びになる。もちろん口を動かすことも脳への刺激になり、学びの定着につながる。

 言葉のイメージを広げるためには、できる限り具体物を眼の前に用意して、そのものと言葉という記号の一致を認識させることになる。

 今の子どもたちは音読を億劫がったり、面倒がったり、嫌いがったりして教科書を声に出して読みたがらない傾向が強い。大学生を教えていてもそのことを強く感じている。当然小学校時の音読量の絶対値が文章の読み取りの正誤に左右している原因の一つであると大学生と接して見当がつき、納得できる。

 授業における音読の場は、手を替え品を替えて実施したい。そうしないと飽きてくる子どもが現れ、それらの子は遊び出し読まなくなってしまう。まずは、自席で座って起立して。友だち同士向かい合って。教室の黒板側と後ろ側で向かい合って。さらに、体育館で、昇降口で、校庭で、多目的室で等々読む場所を工夫する。場所を変えることで気分も変わり、変化を持たせることになる。音読させることは、高校生でも大学生でも理解を助けることになり重要な指導の一つになる。

 音読後は、思ったこと、気付いたこと、感じたことをノートに書かせ、それを全体に発表させることである。どんな発表内容も「うんうん。そうそう。なるほど。そうかー」などの認めの言葉を全ての発言に返すことが肝になる。(ふざけた内容以外は本人の記述や発言を認めること。まずは本人の考えを尊重することが、その子の思考の原点・出発になる)。

 聞く(認知)、読む(読解)、書く(思考)、話す(プレゼン)、話し合い(理解・認識)を一体とする指導が当然になる。その指導内容として、発達段階や教室の実態や学年に応じた身につける重点等を計画的に設定(カリキュラム作り)して実践することを心しておかれたい。

 一方、書く力を育てるためには、どの学年や校種にも言えることだが、作品に必ず眼を通し、誤字脱字や表現の稚拙や間違っている表現や更に分かりやすい表現等には、赤ペンを入れ添削することが文章力を伸ばすことになる。赤ペンを入れることは、書かれている字数にもよるが、時間のかかる作業である。書く機会をできるだけ作ることと、作品の点検評価を赤ペンで行うことが、書く力を育てる一里塚になる。