The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

授業の際の指導言をどのように生み出すか その1・・・学習問題(課題)の設定まで

2018-08-22 09:34:58 | 日記

 「指導言」⇒「発問」「質問」「指示」「助言(ヒント)・示唆・補足」「説明・解説」「評価(称賛・認め)」

 授業の成立は教師と子どもたちとの対話による。
 文章、写真、絵、グラフ、事物・現象など学習の対象になるが、そこから「不思議や疑問、調べてみたい問題等」に気付かせ、本時のめあてである学習問題(課題)まで高めていくためには、教師の指示や助言、示唆などの指導言の言葉が当然必要になる。

 授業のイントロは学習内容に関係する話題をまずは教師が投げ掛けることになる。この話題を豊富に持っていたり、イメージできたりすることは、授業づくりの武器になる。これができる教師は多様な生活経験や子どもとの遊びがものを言っていることが多い。

 教師からの投げ掛けの話題が呼び水になり、子どもから関連する話が出てくる。こうなったら占めたもので、相槌を打ったりしながらいろんな子どもたちの声を聞かせることである。
 その間、ニコニコしながら本時のめあてになりそうなものをキーワードで関係的・構造的に板書に表す。

 「いろんなことに気付きましたね。話してくれた内容を黒板に短い言葉で表しました。これを見てこれから勉強したいことや、みんなで調べてみたい言葉はありませんか」と、発問する。子どもから取り上げられた言葉を赤色で囲み、そのわけも同時に言わせたい。幾つかの言葉が浮かび上がったところで、それらの言葉を活かして、学習問題(課題)を黒板に提示し、子ども達に確認もする。

 学習問題(課題)の表示は、「~~調べよう」「~~を考えよう」のみではなく、「~~して、(それを使って)~~をする」にしたい。
 一例をあげると、「ツツジの花を観察して、解剖図をつくり教室に掲示する」。次期学習指導要領では「問題解決を成し遂げる力」とうたわれている。

 授業のめあてである学習問題(課題)を解決するまでの所要時間数は、1単位時間(45分間)であったり、3単位時間や単元全体の時間を使ったりする場合もある。

本物の日本人を2歳の子が呼び出したか

2018-08-19 07:39:48 | 日記
 このところ胡散臭いニュースが続き食傷気味のところ、テレビのスイッチは切ったままであったが、久しぶりにスカッとする話題に感動。
 2歳児が救出された報道は、炎暑の中のこころの清涼剤であった。

 大分県日出町の小畠春夫さん78歳。
 「ボランティアとは自己完結で、見返りを求めない」と喝破。有言実行されている方で本来の日本人とみえる。

 「『かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め』。人の命は地球より重い」。これらの言葉は実践より言語化され含蓄があり、心の持ち方が違う。

 明治の頃、日本に来た外国人が日本人に接して「誠実、真面目」などと日本人論を書物に紹介しているようだ。小畠春夫さんは、まさしく大和魂を身にまとっている方のようで、私は深く感動した。

 

設問に対する解答を導き出す際の「思考力・判断力・表現力等」活用の図解

2018-08-14 09:45:09 | 日記


 設問をどのようなプロセスを経て解答を導き出すのであろうか。
 設問は文章と図・絵等で問うていることが多いので、見たり読んだりして設問の内容を認識・理解する。もちろん設問内容文章の読み取りはできるものとする。

 「問うている内容の理解」と「既に内包している知識・技能・経験等」とを比較したり、関係付けたり、因果関係で考えたりして、何らかの考え(結論・答え・解)が浮かびあがる。詳しく述べると、「複数の物事を比較する」「どれとどれがつながるか、前後関係はどうなっているかなど因果関係や変化のプロセス等で関係付ける」のである。この場面で「思考力」が発揮される。

 ここで「適切なものは何か」を思い巡らし、判断して「結論・答え・解」を導き出す。ここでは「こうでないか、こうだろう」などの「判断力」が問われる。

 そして、設問に対する「結論・答え・解」をアウトプットする。それは話したり、書いたり、図化などで示したり、行動化して表していく。これが「表現力」にあたる。

 自分の頭の外に脳を持てる時代に入った。眼鏡にAIを内蔵する時代が近づいている。知識はもちろん大切であるが、それらの多寡よりは思考できる頭を、これからの子どもたちには育てたい。

 授業で「思考力・判断力・表現力等」を鍛えることが急務である。学校教育でいま強烈に求められている。それは、各自に何らかの考えを抱かせたり、ノートに考えを書かせたり、いろんな考えを発表させたり、そして、人の考えを活かしながら自分の考えを持てる授業づくりである。

 どの子も考えを持つことから、どんな考えも認めていくことから出発である。




「公開授業で発表会場面」の授業考察

2018-08-10 08:46:50 | 日記
 公開授業で子どもたちが追究してきた内容の発表会の場面を見ることがある。

 「かっこよく発表していて『よくできているな』『見事な子どもたちだ』などと感じる」
 「発表内容を覚え、何も見ないで発表している。たぶん、今日のために練習を重ねたことが伝わってくる。立派な子どもたちだ」
 「4~5人の子どもが、全員声をそろえて、呼びかけのように内容を発表している。寸劇にも感じる」
 「同じような発表が続く。子どもたちは姿勢よく聞き方が素晴らしい」

 授業にはこのような場面はあるが、それは子どもの学び・学習であるから、発表を終えて拍手のみでは授業とはいえない。もっと突っ込むと「拍手の意味」はと問いたくもなる・・・。
 メモを取りながら発表内容から学んだこと、疑問なことなど、交流させることが本来の授業の姿になり、そこで発表内容を全体に定着させたり、学びが深まったりできる。
  
 何故に発表場面を指導計画に盛り込んだのか、単元構想段階での吟味が甘いことが多い。発表に至る過程の指導公開がお互いの授業づくりに役に立つのである。
 知識・技能に至る過程の丁寧な指導が、子どもの「資質・能力」が育つことにつながる。

資質・能力を培う次期の教育課程の「思考力・判断力・表現力等」を分析

2018-08-09 07:29:52 | 日記



 ものごとの認識は通常五感でキャッチする。観察力を育てることは極めて重要である所以でもある。授業で観察力を鍛え、活用させることは、脳の活性化になる。それらは事物・現象の観察であり、写真や絵などから読み取ることも五感を活用している。文章を読むことも、もちろん目から言葉である記号を脳でイメージし、意味づけすることも同様である。

 図化したものを説明する。
 起床後「外を眺めて曇っている」ことを視覚的に認識したとする。その際瞬時に脳にしまってある既有の知識・情報や経験・技能等を引き出し精査する。すなわちそれらと「比較したり、関係(結び)づけたり、因果関係で考えたり」と思考するわけである(思考力)。
「これから外出する。曇っているから雨が降りそうだ」。「傘を持っていくか、持っていかないか」を思案する。「雨に濡れるのはいやだ。傘が必要」と判断する(判断力)。
 
「だから傘を持参しよう」。話したり、書いたり、行動に移したりなどを表現と呼ぶ(表現力)。
これら一連の過程より、「曇っていたら雨が降りそうで、傘を持って外出すると濡れない」ことの知識・技能が強化される。
であるから、授業では子どもたちの既有の「思考力・判断力・表現力等」を引き出し、学びの対象とスパークさせたり、かけ算させたりする指導が教師には強く求められている。その結果として「知識・技能」や「経験・体験」が定着していくのである。
 
AI等の深化で脳の外側に脳を持てる時代に入った。知識はもちろん大切であるが、それらの多寡よりは思考できる頭を、これからの子どもたちには育てたい。