教育書や教育関係者の話題には「やり方」と「考え方」と「あり方」の言葉が結構使われ聞くことも多い。それらの言葉の概念を考察する。
「やり方」は、方法、手順、手法のことである。すなわち方法論であり、具体的な指導の姿・仕方で、指導法にあたる。下図で表している「教育を考える階層」では、「教育の指導法」のジャンルにあたり、下位層の「教育技術・方法、教育技能・技量」をも包含する。
図
「考え方」は、具体的に行っている手法・方法の背後に位置する「教育理念・理論」で、まさしく考えである。現れている姿は「やり方」であるが、それを裏打ちしていたり、背後で支えていたり、基盤や土台となったりしている。哲学ともいえる。
「やり方」と「考え方」は車の両輪のようなもの。であるから、「やり方」と「考え方」とが何度も行き来することを経て、微調整や修正が加わり、それらの自己の経験が年輪となって昇華し、より妥当性のある指導法が形作られる。換言すると、「その子にあった」「その子どもの琴線に触れた」幾つかの指導法を持ち合わせることになり、指導法が豊富になったことである。
「やり方を真似して良い実践ができるか」などの声を聞くことがあるが、実践を通すことによって、その背後にある考え方が見えてきて、繰り返すことによって指導法の真髄やコツのようなものが見いだされてくる。
このことは、やり方の真似を繰り返すことから、やり方の本質である考え方が明らかになってくることを意味する。加えて、実践を通してやり方の「考え方の共通項」が自分の中でつながってくるようになり、教育活動の指導・感化が子どもに受け入れやすくなる。試行錯誤のプロセスのなかで、指導の「あり方」の考えが芽生え育つようになる。
「あり方」は、その人自身の人生観や倫理感、正義感、教育観、授業観、子ども観や人柄、ものの見方や考え方などのフイルターを通した考え方である。同じ「やり方」「考え方」であっても、それを使う人の「あり方」によってその現れる姿や形が大きく変わってくる。「あり方」はその人自身の成長やキャリアアップに伴って大きく変容、増幅、拡大していくのである。図では「教育哲学」のレベルにあたる。