The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。 【出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)】を読んで

2020-12-29 07:27:38 | 日記
その5 「ミネルヴァの梟(ふくろう)は迫りくる黄昏に飛び立つ 弁証法」について。パート2

ヘーゲルは母国プロイセンを理想の国家と考えていたようです。それは愛情があるが権利意識とは無縁の家族という「地域共同体」と権利関係はあるが人間関係に愛情がなくギスギスした「市民社会」を一つにして、弁証法的に止揚すると生まれると考えました。
  
この考えに至ったわけは、ヘーゲル19歳の時にフランス革命が起き支持しましたが、その後ルイ16世の処刑とロベスピエールの恐怖政治に移行したころから批判的になったのが原因のようで、市民の自由は支持しましたが、共和政には否定的になっていきました。

 ヘーゲルの著書「法の哲学」の序文に「ミネルヴァの梟(ふくろう)は迫りくる黄昏に飛び立つ」・「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛翔する」と、書かれています。
さて、どのようなことを語っているのでしょうか。ミネルヴァはローマ神話に登場する詩、知恵や工芸の女神(ギリシャ時代のアテナ)。彼女が連れている梟は知恵の象徴と言われています。
 
この文の論旨は「梟が夕暮れ後に活動を開始するように、知恵の化身であるミネルヴァの梟は、一つの出来事や歴史が混迷の暗黒に至ったとき、人間に真実を教えるために飛び立つ」と、解釈されてきました。
 しかしここでいう黄昏・夕暮れとは。フランス革命がもたらしたヨーロッパの時代的な混迷を、指しているのではないか、という考え方もあるようです。「混迷のヨーロッパに私の弁証法の理論はミネルヴァの梟の役割を果たしている」という具合です。

 この名文句を現代に活かすならば、まずは果敢に挑戦する結果として現れる社会現象や世の中の空気等を、ある程度時間経過後(黄昏・夕暮れ)、批評や解説等(ミネルヴァの梟)をする図柄がイメージできます。
 前者にあたる方々は実業家や本物の政治家等で、感性や感覚やひらめきで動き出す人財で、そこで起こる現象や事実や真実をジッと眺め、知的で論理的に解説、提言、批評等するのは評論家や学者等になりますね。



物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。 【出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)】を読んで

2020-12-28 07:28:06 | 日記
その4 「ミネルバの梟(ふくろう)は迫りくる黄昏に飛び立つ 弁証法」について。パート1

「無」から「有」は生じない。必ず下敷きがあります。でも、宇宙誕生と生命の出現は無から有といえますが・・・。
 カントより半世紀ほど後に生まれた弁証法で有名なヘーゲル(1770から1831年没)。弁証法の考えは古代ギリシャのソクラテスの問答法(質問を投げ掛けながら、正解に導く)として既に登場していたようです。学校での指導法の一つとして問答法の手法を活用しながら学びを成立させています。

 ヘーゲルの弁証法の骨子は「有限に存在するすべてのテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包し、その2つは対立と運動を続けて、ジンテーゼ(正反合)に至り、アウフヘーベン『ドイツ語・止揚(しよう・日本語)止まった後に揚がること』する。これは永遠に続き存在は自己発展を続ける」という具合。

 このことを著者は次のように例えています。「ある問題について、Aという人とBという人がいる。2人はあるオフィスの1階で議論していた。どうも議論が噛み合わない。2人は2階に行って改めて議論した。すると両者は理解し合うことができた。その代わり、新たにCという問題が出現した。そこで2人の論争は継続され、3階に移った。するとCは解決され、より高度なDという問題が出現した。2人は4階に行き…」。
 この弁証法には良さと批判があるようですが、「物事は進歩する」という前提には立っているようです。
 
議論の際にはお互いの考えを否定するのではなく取り入れ、お互いの考えが刺激となり、それが触媒の働きをして新しい考えを産み出し結論に達し、新しい企画に取り入れたりする際に弁証法や問答法が持ち入れられています。その過程では、相手の発言に対しては、否定することなく聴き入れ、その時質問などを繰り返してより深く理解しようとする態度が極めて重要になります。現在ではこの過程を発想法と呼んでいる方もいます。


物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。 【出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)】を読んで

2020-12-26 07:50:50 | 日記
その3 「帰納法と演繹法との統合」について。

イングランドの経験論(帰納法)とヨーロッパ大陸の合理論(演繹法)を統合・統一を試みる哲学を産み出したのは、イマヌエル・カント(1724-1804年没)。(でも統一されていないという反論もあるそうですが・・・)

その理論は「人間は感性と悟性の2つが一つになって世界を認識する」という捉え。すなわち認識の方法は感性・感覚(回りの刺激に応じて何らかの印象を感じ取る認識能力)と悟性・理性・知性(感性と共同して認識を行う能力。その認識には感性と違って理性や判断力である理解力が伴う)の2つが合わさり、共同作業をしてものごとを認識するとの考えです。

この考えに至った事例の一つとして、≪ライオンについて全く知識のない数人の幼児に全く異なる街の動物園でライオンを見せたとします。するとその反応が他の小動物を見せた場合と異なるのはなぜか。幼児がライオンに対して、人間一般が反応するのと同様の反応を示すのはなぜか。心が白紙であるはずの幼児が…≫。これらのことにより、カントは人間には感性と悟性の2つの認識の方法があると考えたのです。

そして、「自然界には自然法則があり、人間界には道徳法則がある」ことを「純粋理性批判」(認識の枠組みに関すること)と「実践理性批判」(人の行為・実践に関すること)に表しました。書籍タイトルの「批判」という言葉はドイツ語では「区別する「識別する」という意味があるようで、批判には「議論しましょう・考えを深めましょう」という願いが込められているようです。

感性と理性とでものごとを捉える認識論は、現代社会では主流の考えになっていると思われます。感じ取る力である感性と理解を図る理性との両輪を活かすことは、学校教育の指導場面でも大いに重要になります。


物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。 【出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)】を読んで

2020-12-25 16:59:57 | 日記
その2 「演繹法」について。

イングランドの経験論(帰納法)がベーコン→ロック→ヒュームと発展していった。とほぼ同時代にヨーロッパ大陸では、ルネ・デカルト→スピノザ→ライプニッツなどによって大陸合理論の考えが盛んになり、この考えは演繹法に重きを置いています。

それは真理を探究する推論の方法として、「前提となる命題を置き、経験に頼らず理論的な展開によって一定の結論に到達しよう」とする論法です。
この理論の先駆者であり最大の存在は「コギト・エルゴ・スム(ラテン語)・我思う、ゆえに我あり(日本語)」の言葉を発した「近代哲学の祖」ルネ・デカルト。

デカルトは「人間は経験によることなく、人間が生まれながらに持っているある種の観念」(そのことを『生得観念』と呼んでいます)を持って生まれてくるという考え方です。
そして人間が自分の意識を高める認識の方法について『方法序説』の中に次のように書かれています。
まず ①「明証」(明らかな証拠をまず見付ける)
次いで②「分析」(集めた証拠を細部まで分析・検分)
そして③「総合」(総合して全体的に検証)
最後に④「吟味」(洩れはないか、見落としや見誤りはないか)
これがデカルトの認識論(演繹法)になります。

学校教育の場で教科や領域における指導法を選択する際には「帰納法」か「演繹法」か、議論の分かれるときもあると思われます。その際は児童生徒の発達段階や実態等を考慮し、指導内容を吟味し照らし合わせるなどして、二者択一ではなくそれぞれのよさやほかの指導法なども取り入れて、指導に当たる必要があります。

「演繹法」は『我思う、ゆえに我あり』と言われていますから、考えて考えて考え抜く、すなわち思弁的ですので高度になります。学校教育に取り入れる際は、指導内容によりますが、「演繹法」は中等・高等教育の指導法として導入は可能であると思われます。当然社会人教育には有効に活用ができそうです。

物事を判断する「よすが」に! バックボーンの知見を持つ。

2020-12-22 10:34:10 | 日記
昨年夏(2019年)に発刊された出口治明著「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)を新聞で知り購入しようとした最中、体調を崩し入院手術、退院後も重い本を読もうとする気力が湧いてこなかったが、この度読了。

出口治明氏が「腹落ち」という表現をよく使われているが、著者が体系的に納得され、しかも数多くの書籍より理解した内容をやさしく表現されているので、3千年余りの哲学や宗教の歴史が抵抗なくストーンと頭に入ります。ものを考える得る際の「よすが」が満載の書籍。著者の言葉を借りるならば、「腹落ち」できる書籍。その中で私が大事と感じた幾つかを紹介します。

まずは「帰納法」について。
近代の幕開けはルネサンスと宗教改革によって始められたようで、それは神を絶対視しないで合理的にものごとを見つめて考える知性の働きの大切さに目覚めたから。

その先頭はイングランドの「知性は力なり」と述べたフランシスコ・ベーコンで、この巨人が帰納法を体系づけました。帰納法とは、観察や実験の結果を集めてそこに共通する事実から、一般的な原理や法則を導き出す推論の方法で、近代科学の方法論のひとつ。

この方法論は特に幼児教育や小学校教育では極めて重要な学習指導法で、「問題解決学習」や「課題解決学習」と呼ばれています。体験や経験の大切さもこのカテゴリーに包含されます。

遊びや音読や計算や観察や実験や見学等々の様々な体験や経験の蓄積とその整理が理解し、概念化に至り、そして言葉化・言語化されて知識になり記憶に残るという具合。もちろん、中学高校教育、大学教育、社会人にも十分に活用できる考えになります。