「ソ連侵攻を25年前も前に提言」という小見出しで齋藤 孝著「思考を鍛えるメモ力」に書かれている。
以下引用
≪余談になりますが、実際のレーニンの主張も少し見ていきましょう。『レーニン全集』(マルクス=レーニン主義研究所・レーニン全集刊行委員会、大月書店・1959年)を読むと、彼はとても知的な人で、世界の歴史情勢に対して的確な認識を持っていたことがわかります。
『レーニン全集 第31巻』には私が「ほう」と思った一文があります。1920年12月6日、ロシア共産党・モスクワ組織の活動分子の会合での演説で、レーニンは次のように言っています。
「こんにちの資本主義世界には、利用すべき根本的対立はあるであろうか? 三つの基本的対立がある。私はそれをあげてみよう。第一の、われわれにもっとも近い対立―――それは、日本とアメリカの関係である。両者のあいだには戦争が準備されている」。
さらに、
「共産党主義政策の実践的課題は、この敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである。そこに、新しい情勢が生まれる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら―――両者はたたかおうとのぞんでおり、世界制覇をめざして、略奪する権利をめざして、たたかうであろう」
とあります。両国が戦って疲れたところにつけこんで共産主義社会をつくっていこう、とレーニンは言っているわけです。
この講演はソ連の新聞に載っていたらしいので、日本人でもロシア語のできる人が読んでおけば、終戦直後にソ連が日ソ中立条約を破棄して攻め込んできて、シベリア抑留で多くの犠牲者が出ることも予測できたでしょう。
1945年8月9日、広島と長崎に原爆が落ちた直後にソ連は日本に侵攻してきました。そのときレーニンはとうに死んでいたのですが、日本の敗戦の25年も前、1920年に「日本とアメリカがいがみ合っているから戦争させ、その隙を突こう」と考えていて、その教えを受けたソ連の人たちは虎視眈々とねらっていたわけです。
しかしながら日本はお人よしにも、戦争をやめるに際して、ソ連に仲介を頼もうとしていたのですから、がっくりきます。これは単なる余談ですが、私たちにとって教訓的なエピソードなので、紹介しておきました。(齋藤 孝著 『思考を鍛えるメモ力』149~150ページ ちくま新書2018年7月10日発行)≫
メモ書きの重要性や達人のメモ力を紹介している書物です。レーニンの本の読み方やメモの取り方などを調べる中で、上記の文章を発見したようです。日本が戦争に至った一つの見方や考え方ができる情報に新たに加えられそうです。
以下引用
≪余談になりますが、実際のレーニンの主張も少し見ていきましょう。『レーニン全集』(マルクス=レーニン主義研究所・レーニン全集刊行委員会、大月書店・1959年)を読むと、彼はとても知的な人で、世界の歴史情勢に対して的確な認識を持っていたことがわかります。
『レーニン全集 第31巻』には私が「ほう」と思った一文があります。1920年12月6日、ロシア共産党・モスクワ組織の活動分子の会合での演説で、レーニンは次のように言っています。
「こんにちの資本主義世界には、利用すべき根本的対立はあるであろうか? 三つの基本的対立がある。私はそれをあげてみよう。第一の、われわれにもっとも近い対立―――それは、日本とアメリカの関係である。両者のあいだには戦争が準備されている」。
さらに、
「共産党主義政策の実践的課題は、この敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである。そこに、新しい情勢が生まれる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら―――両者はたたかおうとのぞんでおり、世界制覇をめざして、略奪する権利をめざして、たたかうであろう」
とあります。両国が戦って疲れたところにつけこんで共産主義社会をつくっていこう、とレーニンは言っているわけです。
この講演はソ連の新聞に載っていたらしいので、日本人でもロシア語のできる人が読んでおけば、終戦直後にソ連が日ソ中立条約を破棄して攻め込んできて、シベリア抑留で多くの犠牲者が出ることも予測できたでしょう。
1945年8月9日、広島と長崎に原爆が落ちた直後にソ連は日本に侵攻してきました。そのときレーニンはとうに死んでいたのですが、日本の敗戦の25年も前、1920年に「日本とアメリカがいがみ合っているから戦争させ、その隙を突こう」と考えていて、その教えを受けたソ連の人たちは虎視眈々とねらっていたわけです。
しかしながら日本はお人よしにも、戦争をやめるに際して、ソ連に仲介を頼もうとしていたのですから、がっくりきます。これは単なる余談ですが、私たちにとって教訓的なエピソードなので、紹介しておきました。(齋藤 孝著 『思考を鍛えるメモ力』149~150ページ ちくま新書2018年7月10日発行)≫
メモ書きの重要性や達人のメモ力を紹介している書物です。レーニンの本の読み方やメモの取り方などを調べる中で、上記の文章を発見したようです。日本が戦争に至った一つの見方や考え方ができる情報に新たに加えられそうです。