The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

「考える力」を鍛えるためには・・・

2015-02-15 04:17:25 | 日記

「感じて、考えて、行う」が人間の行動仕組みの原理原則である。

五感より情報を取り入れ(入力)、脳で繰り返しループが回って思考し、運動・実行・行動(出力)としてあらわれる。

 

これら脳で行われる思考、すなわち考える力を養うには、考えることの術である視点を子どもに与える必要がある。

 

考える力の原点は、「比較する」こと。授業の導入で2枚の写真を提示したり、永久磁石が茶色のクレヨンを引き付ける現象を見せたりしたりすることは、思考を誘っている。

 比較のさせ方は、違うところ(差異点)を先ずは見つけさせることが子どもにはよい。次に同じところ(共通点)を見つけさせる。違うところを見つける方が容易いからである。比較することによって事柄がより鮮明になる。ベン図などのフォーマットを活用することで整理がしやすくなる。

 

いくつかの情報や煩雑な事柄のケースは、幾つかに「分類する」ことによって鮮明になる。4つのまとまりに区分する際は、用紙に交差する線で仕切りタイトルを付けて分類するXチャート。3つのまとまりの場合は、用紙にY字を書いたYチャートを使う。まとまり毎にグルーピングし見出しをつけることによって、本質があぶり出されてくる。

 

考えの交流やフィールドワークをした際、幾つかの視点により物事を「多面的に見る」ことが必要になる。この場合は複数の視点より物事を見ていくことになる。「視点と事実」や「理由と根拠」などを書き表すことができるフォーマットとして、フィッシュボーンなどと呼ばれている図を活用するとよい。

 

次に、明らかになった事柄と他に明らかになった事柄とのつながりを見付けだすことによって新たな事柄が見えてくる。関係なさそうな事柄を「関連付ける」ことは、想像力やインスピレーションなどを働かせることになる。イメージマップなどの拡散的思考やコンセプトマップなど収束的思考など、ケースバイケースで使い分けることによって、新たな発見に気づく。

 

明らかになってきたものを根拠として論理的に考えを構成するために「構造化する」することが必要になる。ピラミットチャートなど階層に分けたり、集合ごとに関係を明確にしたりして道筋を立てることによって主張や自己の考えが明確になる。

 

述べた思考の術を活用し対象が明らかになったら、「私の考えは・・・」「自分だったら・・・」と「統合する」させることである。

 

 


○ 「気付く」と「知る」と「理解する」の中身を深堀して分析

2015-02-10 18:11:28 | 日記

※「気付く」とは、観察や実験などを行い、子どもが直接「なるほど」と、うなずけ感じ取ったことである。そのためには、じっくり対象とかかわる場と時間確保(自由試行の場)が必要になる。

・糸に錘をつけたものを提示し、振り子と名称を知らせ、「糸につるした錘の動きをじっくり観察しよう」と働き掛ける(指示)。「観察して気付いたことや見付けたことはありませんか」と質問すると、「左右同じように動く」「錘は下に行くほど速くなる」「ブランコに似ている」「友達の振り子の錘の動く速さが違う」などの発言があり、これが「気付き」にあたる。 

 

 

※「知る」とは、ただ単に言葉を教えられることではなく、観察や実験を行ったその結果からは必要な情報は得られず、何らかの教師の支援・援助・指導を必要として得たことを指している。

・振り子のきまりは、「糸の長さ、錘の重さ、錘の振れ幅」に関係するか。この学習問題を解決するために条件をそろえながら(条件制御)実験して、その結果より「振り子の糸の長さが長い程ゆっくり動く」と、どのグループから結果が導き出される。子ども達の言葉で考察の結果を表現させたいが、ここで不足の表現を補う際に「概念としての言葉・語彙」を知らせることになる。

例えば、「振り子の運動のきまりは、振幅があまり大きくない範囲では,振り子の長さによってきまり,おもりの重さや振れ幅には振り子の周期は関係しない。このことを振り子の等時性という」と、子どもは「知る」ことになる。 新しい概念として、「振り子の等時性」という言葉・言語を知ることになる。

 

 

※「理解する」とは、観察実験等を通じて「気付く」「知る」レベルではなく、深く身について他の事実や現象に適用や応用ができるまで高まった状態を指していること。それがまとまって定着すれば「知識」になる。

・振り子のきまりをもとにして、「ブランコが動く理由」を考察し説明でき、さらに遊園地で遊んだことがある「ジェットコースターが動く原理」を考察しあうことによって「振り子のきまり」の「理解に至る」のである。 

 

「知識」は実験や観察という直接経験だけから全て構成されるものではないが、科学的な経験の重要な基礎は直接経験から得られるものである。しかし直接経験をいかに多く積み上げ蓄積しても、そこから自動的に正しい概念や知識が得られるわけではない。

 

そもそも「乾電池の並列つなぎ」などの名称や理科用語を知っていることと、「並列つなぎにおける電流と電圧などの関係」を理解していることとは全く別である。

 

言葉だけの知識を「理解した」と概して捉えている方が多いが、勘違いしないように指導に当たることが肝要である。