矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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サハリン物語(14)

2024年09月08日 05時13分43秒 | 小説『サハリン物語』

マトリョーシカの一行は南部の旧首都・トヨハラで一泊した後、今の宗谷海峡を越えてヤマト帝国の北海道に入りました。その後も気球は順調に南下していきましたが、彼女やマリアは異国の風景に目を見張るばかりです。ほとんどが山林や田畑などですが、気温がどんどん暖かくなっていくのを実感しました。
数日後に、気球はヤマト帝国の首都がある今の奈良盆地に到着しました。ナターシャと夫のスサノオノミコトが出迎えましたが、彼はすっかり美しく成長したマトリョーシカを見て驚いたのです。10数年ぶりの再会になりますね。あの頃、彼女はまだ幼児でしたから。
ナターシャらに導かれ、マトリョーシカとマリアは国の“迎賓館”に案内されました。迎賓館と言っても静かな佇まいで質素なものです。そこで思わぬ女性がサハリン語で話しかけてきました。びっくりしたマトリョーシカが彼女を見ると、もう中年に達したあのベルカでした。ベルカはナターシャに従ってずっとこの国にいたのです。
「王女様、なんと美しくおなりになったのでしょう。まるで母君のリューバ妃を見る思いがします」 ベルカが感嘆の声を上げました。事実、マトリョーシカは母そっくりの美しさに輝いていたので、幼い頃の彼女を知るベルカは感無量といった面持ちです。
「あなた方のお世話は、ベルカにやってもらいますよ」 ナターシャが微笑みを浮かべながら言いました。マトリョーシカやマリアにとって、こんな素晴らしいことはありません。母国語で自由自在に話せます。また、ベルカの方も故郷・サハリンのことを聞きたくて仕方がなかったのです。

こうして、マトリョーシカらは異国の地に暫く滞在することになりましたが、愛する叔母ナターシャと快活なベルカがいることは何よりも嬉しいことです。ナターシャには3人の子供を紹介されました。上の2人が男の子で末っ子が女の子ですが、マトリョーシカの従兄妹に当たります。
3人ともヤマト語の他にサハリン語も話すので、こちらも会話が弾みます。特に末の女の子はマトリョーシカのことを姉のように慕い、暇さえあればまとわりつくようになりました。そのうち、迎賓館に飽きたマトリョーシカとマリアは、ベルカを伴ってナターシャの家に住み込むようになったのです。
2人は活発な娘なので、馬を借りてはよく出かけました。ヤマト国では女性が馬に乗るなど考えられないことなので、多くの人が驚きました。しかし、マトリョーシカらは何でも見てみようという好奇心に溢れていたのです。 やがて、皇帝カワミミノミコト(川耳尊)に謁見する日がやってきました。

その日、マトリョーシカはスサノオノミコトとナターシャの案内で帝居を訪れました。ノグリキの王宮とは違ってとても厳かな雰囲気があり、さすがのマトリョーシカもやや緊張気味です。しかし、皇帝の居室に入ると、カワミミノミコトが和やかな笑みを浮かべて優しく迎えてくれました。
すぐ隣にいた実弟のタケルノミコトが、「おお、なんと大きくなられたことか。それに、母君に似てなんともお美しいことよ」と、満面に笑みを浮かべマトリョーシカを歓迎しました。タケルノミコトもスサノオノミコトと同じく、10数年ぶりに彼女と再会したのです。
また、皇帝の傍には皇太后のイスズヒメノミコトらも同席しており、帝室をあげてマトリョーシカを歓待したのでした。それにしても、皇帝もタケルノミコトも年を取りましたね。かなり肥えたのか貫禄十分といった感じです。皆がマトリョーシカの美しさに目を見張りましたが、それは以前、ナターシャが嫁いできた時と同じような驚きでした。
皇太后が差しさわりのない質問を幾つかしますが、それをナターシャがサハリン語で伝えると、マトリョーシカもようやく緊張感がほぐれてきました。やがて午餐の時間となり、ヤマト国特有の料理が出てきます。山菜などシンプルな物が多く味も控え目だったので、マトリョーシカにすれば意外に質素な感じを受けました。いわば“精進料理”みたいなものですね。

食事の話はともかく、会食中に皇帝からも幾つかの質問がありました。マトリョーシカがそれに答えると、サハリン通であるタケルノミコトが大きな声で合いの手を入れます。なんと、彼だけが先ほどから酒を飲んでいるのです。豪放磊落(らいらく)なタケルノミコトは酒が大好きで、こういう席ではすぐに飲み始め座を盛り上げようとするんですね。彼はユーモアがあるので、列席者をよく笑わせました。
皇帝カワミミノミコトは謹厳実直な人柄ですが、それと対照的な実弟によく補佐されていました。10数年前のあのクーデター! カワミミノミコトは異母兄のタギシミミノミコト(手研耳命)を討ち取り、皇帝の位に就いたのです。それ以来、タケルノミコトは実兄をよく支え、ヤマト帝国の“ナンバーツー”の地位を占めてきました。
皇帝が内政重視の方針を打ち出し、サハリンからの撤兵を決めた時もこれに協力しました。こうして、ヤマト帝国は国力を充実させ、民百姓の生活も向上していったのですが、その背景には、性格の違う皇帝とタケルノミコトの強い連帯関係があったと言えるでしょう。

 話が少し飛びましたが、ヤマト帝国の充実・安定ぶりを見て、マトリョーシカはこの国に今まで以上に信頼感を持つようになりました。ナターシャから話をいろいろ聞いていましたが、実感としてそれを知ったのです。
そして、帰国の日が近づいてきましたが、マトリョーシカはナターシャと2人きりになった時、つい口を滑らせてしまいました。
「わたし、好きな人ができたんです」
「えっ、どんな人なの?」 ナターシャが興味深げにたずねます。
叔母には何事も包み隠さず言える関係だったので、マトリョーシカは友人の兄に好意を持っていることを話してしまいました。その人(アレクサンドル)が一般人だと聞いて、ナターシャは少し驚いた感じでしたが、すぐにこう答えました。
「マトリョーシカ、あなたが本当にその人を愛するのなら、自分の気持を大切にしなさい。私も異国のスサノオノミコトを愛したのですよ。周りの人は何と言うか知りませんが、誠(まこと)を尽くすことが人の道だと思います」
そう言いながら、ナターシャはかつて、自分の恋心を兄のスパシーバに告白したことを思い出していました。姪は兄に似て、ひたすらわが道を進む性格なのでしょうか。マトリョーシカの表情が、どこかスパシーバの“面影”に見えてくるのです。
叔母から励ましの言葉があったと、マトリョーシカは受け止めました。まだ誰にも言えないことをナターシャに告白して、彼女は肩の荷が下りたように感じたのです。

帰国の日がきました。スサノオノミコトとナターシャ、それに3人の子供たちやベルカに見送られる中で、マトリョーシカとマリアは気球に乗り込みます。マリアがついスサノオノミコトにたずねました。
「どうして、気球は上がるのですか?」
「それは“国家機密”だよ。特殊なガスを使っているんだ。でも、その中身は言えないな。ハッハッハッハッハ」 マトリョーシカもナターシャも思わず笑い出しました。
やがて気球が上がると、マトリョーシカとマリアが手を振ります。ナターシャの子供たちも歓声を上げて手を振りました。こうして気球は一路、サハリンへと向かったのです。

 ノグリキに戻ると、マトリョーシカはヤマト帝国訪問の報告をすぐにツルハゲ王にしました。王は満足げに聞いていましたが、最後にこう言いました。
「マトリョーシカ、次はシベリア帝国へ行く番だな。急ぐこともないが、お前が即位する前に行っておいた方が良い。わが国は永世中立を宣言しているのだから、ヤマト・シベリア両国とは平等に付き合っておくのが良いのだ」
「お爺様、分かりました。できるだけ早く行けるように準備したいと思います」 マトリョーシカはこう答えましたが、シベリアにはナターシャのように気心の知れた人がいないため、やや不安な感じもします。しかし、次期女王という立場から行かざるを得ないでしょう。 ツルハゲ王は旧ロマンス国時代に、シベリア帝国と強い絆で結ばれていましたね。そういうこともあって、マトリョーシカにはぜひ一度シベリアを訪問してほしいと願っていたのです。

ここで、シベリア帝国の現状を簡単に説明しておきましょう。 内戦を勝ち抜いたスターリンは皇帝の位に就きましたが、彼は領土拡張に飽くなき野心を持っていました。今や絶対的な権力を掌握したスターリンは、主に西方と南方に領土を拡大していったのです。
西はウラル山脈を越え、遠くウクライナ地方に進出しましたが、南のカスピ海や黒海方面にも侵略の手を延ばしました。 シベリア軍が強かったのは言うまでもありませんが、征服した国や地域の兵力も存分に使ったのです。抵抗すると情け容赦なく殺戮するので、征服された国々はスターリン皇帝に従わざるを得ません。
こうして、シベリアは未曾有の大帝国に発展しましたが、注目すべきはスターリンが「海軍」にも力を注いだことです。以前のサハリン戦争の時は、海軍が弱かったため、ヤマト帝国にさんざん苦しめられました。その教訓からか、スターリンは海軍力も強化し、黒海方面の制圧に成功したのです。
シベリア帝国の侵略、膨張政策をマトリョーシカは聞いていたので、決して良い気持にはなれませんでした。しかし、ツルハゲ王からシベリア訪問を勧められると、嫌とは言えません。サハリン王国は永世中立国だし、ヤマト・シベリア両国と善隣友好の関係を結んでおく必要があります。
マトリョーシカはシベリア行きの準備を始めましたが、スターリン皇帝への警戒心、不信感のようなものがどうしても拭い切れなかったのです。

その頃、マトリョーシカは19歳の誕生日を迎え、マリアやベラ、ナディアに内輪のお祝い会をやってもらいました。4人とも同い年ですが、マトリョーシカが最も早く、次いでベラ、マリア、ナディアの順ですが、とにかく4人は仲が良く、相変わらず楽しい集いを続けていました。男友だちも時々集まるし、音楽演奏にも打ち興じました。
前にも言いましたが、手芸が得意なベラから、マトリョーシカは刺繍や編み物を習いました。また、運動神経が抜群のナディアを中心にして、剣法などの技も磨いたのです。ただ、学問や知識についてはマトリョーシカが他の3人よりはるかに優っていましたね。それはそうでしょう。幼少の頃から家庭教師について、十二分の“帝王教育”を受けていたのですから(笑)。このため、マトリョーシカは皆にいろいろなことを教えたのです。

楽しい集いの時はシベリア訪問のことも忘れがちでしたが、やがてその日が近づいてきました。シベリア通のツルハゲ王の計らいで、訪問の手筈は全て整いました。マトリョーシカは王から、スターリン皇帝などの話もずいぶん聞かされたのです。スターリンはかつて、極東軍総司令官としてサハリンに来ていましたからね。
サハリン戦争のこともよく聞きましたが、ツルハゲ王は最後に、「あのスターリン皇帝には十分に気をつけろ」とマトリョーシカに言いました。王女の非公式な訪問なので、政治的な話は出ないはずですが、いろいろ探られることは十分に予想されます。まして、相手は領土拡大に血道をあげているスターリンですから。
こうして、マトリョーシカがシベリア帝国を訪問する日かきました。今度も侍女のマリアらが随行します。友好親善の“外遊”なので、特に専門的な知識を持つ家臣を連れて行くことはありません。一行は王室の馬車に乗って、ノグリキを出発しました。そして、まっすぐ西へ進み、タタール海峡の最も狭い所を船で渡ってシベリアに入ったのです。

 ツルハゲ王の計らいもあってか、シベリア側はマトリョーシカを丁重に出迎えました。一行は立派な馬車に乗って、首都ヤクーツクへと向かったのです。ちょうど夏の始め頃とあって、名も知らぬ可愛い花々が路傍に咲き乱れていました。真冬にはマイナス50度を下回るというこの地域なので、短い貴重な夏ということです。
馬車に揺られながら、マトリョーシカはシベリアの風景を楽しんでいましたが、人影はほとんど見られません。大地がどこまでも続く感じです。
「広いな~」と、マリアが思わず口に出しました。「そうね、こんな大地が延々と続くなんて想像もつかなかったわ」 マトリョーシカも初めて見る大陸の奥深さに、溜息の出る思いでした。それに比べると、サハリンなどは小さな島国ですね。

 途中で10泊ぐらいしたでしょうか、一行はレナ川河畔にあるヤクーツクにようやく到着しました。さすがにここは大勢の人で賑わっていて、首都らしい雰囲気をかもし出しています。皇帝がいる帝居は街の中心地にあり、巨大な門構えになっていました。まるで皇帝の権力と権威を象徴するかのようです。
マトリョーシカが以前訪れたヤマト帝国の帝居は、厳かな雰囲気でどこか神秘的な感じさえしましたが、ここは対照的に人が右往左往していて活気にあふれています。一行が邸内に入ると、衛兵の他に見慣れぬ初老の軍人2人が出迎えました。
案内人がサハリン語で、「この2人はチェーホフ将軍とガガーリン将軍です」と紹介しました。マトリョーシカはツルハゲ王から、サハリン戦争やシベリア軍のことを聞いていたので、思わず2人を凝視しました。彼らにしてみれば、この乙女があのツルハゲ王の孫娘かという感慨があったのでしょう。2人は丁寧に一礼すると、マトリョーシカを皇帝の居室へと先導していきました。
チェーホフもガガーリンも、かつてスターリン総司令官に従ってサハリンで戦ったことが忘れられません。あの頃は2人ともまだ若い将軍でしたが、今は髪に白いものが混じる年に達していました。彼らにしてみれば、マトリョーシカはあのサハリン戦争の“忘れ形見”という感じだったのです。

 スターリン皇帝はマトリョーシカを迎えると、満面に笑みをたたえ彼女の両手を握り締めました。60歳台半ばという感じですが、さすがに精悍な風貌をしています。顔は笑っていても眼光は鋭く、相手を威圧するような何かを秘めているのです。背はそれほど高くありませんが、マトリョーシカを射すくめるように言いました。
「遠いところをご苦労さまです。ツルハゲ王はお元気ですか」
「はい。王は元気にやっております」「陛下にはずいぶんお世話になった。あの頃のことが懐かしいですよ」 スターリンはまた破顔一笑しました。
簡単な挨拶のあと、2人は最近の出来事や両国の話題などに触れましたが、スターリンの方が圧倒的に多くのことを話しました。マトリョーシカはほとんど聞き役に回りましたが、19歳の乙女なのでこれは仕方がないでしょう。

やがて宴席が設けられ、シベリア側の関係者が20人以上も列席しました。チェーホフやガガーリンはもちろんですが、他に若い男女が数多く現われたのです。マトリョーシカが若いので、その辺を気遣ったのでしょうか。
「ここにいるのは、わが国の将来を担う若者たちですよ。マトリョーシカ殿、誰か気に入った者がおれば、いくらでも差し上げますぞ。ハッハッハッハッハ」 スターリン皇帝は酒盃を仰ぐと上機嫌でこう言いました。そして、一人ずつ若者たちを紹介していったのです。
シベリア帝国の青年たちは背が高く、なかなかの“偉丈夫”がそろっていました。しかし、マトリョーシカはこの時ふと、故郷にいるアレクサンドルを思い出していました。シベリアの青年たちがいかに格好が良くても、アレクサンドルには敵わないだろうと思ったのです。
何人目かの青年を紹介する時、スターリンが言いました。「これはわが愚息のピョートルです。まだ23歳の若造ですが、どうぞお見知りおきを」 彼はさりげなくそう言いましたが、実はスターリン自慢の“次男坊”だったのです。
ピョートルは偉丈夫なのはもちろんですが、実に聡明な感じの好青年でした。他の青年に比べて何ら遜色がないどころか、いや、最も素晴らしい若者だったでしょう。マトリョーシカに自分の息子を引き合わせるというのは、スターリン皇帝の目論見だったのですね。彼はサハリン王室と関係を持ちたいと思っていたのです。


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