一方、サハリンではスターリン皇帝の決断など知る由もなく、ツルハゲ王が退位し、マトリョーシカがついに国王に即位することになりました。ツルハゲ王は体調が悪いばかりでなく、精神的にも疲れ切っていたのです。その上、スターリンに“不義理”をした責任を感じていました。いわば、責任を取る形で退位したのです。こうすれば、少しはスターリンに義理が果たせるとでも思ったのでしょうか。
マトリョーシカの即位式には、ヤマト帝国からスサノオノミコトが代表として参列することになりました。妻のナターシャが里帰りしているので、ちょうど都合が良かったのでしょう。 ところが、シベリア帝国の方は案内状を出しても、誰も来ようとはしません。ツルハゲ王もマトリョーシカも、スターリンがひどく怒っているなと察しました。 しかし、この時点で、まさかシベリア軍がサハリンに来襲してくるとは思ってもいませんでした。読みが甘いと言えばそれまでですが、シベリアの動きは表面上、全く平穏だったのです。さらに、形式的とはいえ、サハリン国はシベリア・ヤマト両国と「平和友好条約」を結んでいたのです。
さて、マトリョーシカの国王即位式は簡素な中にも厳かに行なわれました。20歳の女王誕生です。重臣たちを代表して、パーヴェル宰相が祝辞と忠誠の誓いを述べました。ツルハゲ王夫妻、いや前国王夫妻もソーニャ王太后も、可愛い孫娘の国王即位に感無量です。スパシーバ王子やリューバ妃が存命なら、なんと思ったでしょうか・・・ いや、スパシーバやリューバが存命なら、こういうことはなかったでしょう。ナターシャもスサノオノミコトも、20歳の女王誕生に深い感銘を受けたのです。
こうして、マトリョーシカは国王になったのですが、次はアレクサンドルとの結婚が控えていました。しかし、国王に即位するといろいろな行事やしきたりがあって、すぐに結婚式を挙げるわけにはいきません。嬉しいことはいま暫く“お預け”ですね(笑)。
それに、マトリョーシカは真面目でした。国王の重責に十分に対応できるようになってから、結婚しようと考えたのです。もう、うわついた気持ではありません。しかし、内心は20歳の“乙女心”で、アレクサンドルとの結婚式を夢見ていたのです。
ところが、ちょうどその頃、サハリン国北部の国境警備隊が、シベリア側に不穏な動きが出ていることを察知しました。
商人などの話によると、それは、タタール海峡(間宮海峡)をはさんだシベリア側で軍の大部隊が集結しているとか、国境閉鎖に近い状況になっているというものです。このため、国境警備隊は警戒を厳重にしましたが、シベリアの軍船もひんぱんに行き交うようになりました。
その頃、スターリン皇帝はサハリン征討軍の編制を完了しました。総司令官に長男のアレクセイを任命し、その下の指揮官にチェーホフやガガーリンら古参の将軍を充てたのです。次男のピョートルについては、サハリン国やマトリョーシカとの関係などいろいろあったので、暫らくは前線に出ないように配慮しました。その方が、ピョートルもやりやすかったでしょう。しかし、やがて彼も前面に出てくるようになります。
シベリア軍が陸上戦に強いことは再三述べましたが、弱点であった海軍もこの頃には相当 強力になっていました。先のサハリン戦争ではヤマト帝国の海軍にさんざん敗れましたが、帝国が勢力圏を拡大するにつれて、スターリンは海軍力も強化したのです。タタール海峡沿いや今の日本海沿岸には、ヴァニノやウラジオストクなどに軍港をつくりました。仮にヤマト帝国と海戦になっても、もう負けないような実力を備えたのです。さらに、スターリンは「気球」も開発し、空軍力でもヤマト帝国に劣らない態勢を整えましたが、具体的なことは後でじっくりとお話しします。こうして、シベリア帝国はサハリン制圧に万全の態勢を取りました。
北部国境付近で不穏な動きがあることは王宮にも知らされましたが、マトリョーシカらはまだ平穏な日々を送っていました。国境警備隊の人数を増やしたり、国軍の「動員令」の検討もしましたが、戦争が起きるかどうかはまだ半信半疑です。
ただ、先のサハリン戦争を戦い抜いたジェルジンスキー老将軍だけは、早急に臨戦態勢を敷くようにと強く主張しました。彼は旧ロマンス国時代に勇猛で鳴らした将軍ですね。ジェルジンスキーの進言もあって、パーヴェル宰相は動員令の準備に入りました。
また、国軍とは別に、アレクサンドルが中心になって「国民義勇軍」の編制にも取りかかりました。これはもちろん、マトリョーシカ女王の意を受けてのことですが、アレクサンドルら民間人もサハリン防衛に熱い血をたぎらせたのです。
事態を憂慮したツルハゲ前国王は、スターリン皇帝宛に再び親書を送り、サハリン・シベリア両国間の平和・友好関係を訴えました。前国王は必要とあらば老骨に鞭打ってでもシベリアを訪問し、スターリンと会談する気持にさえなっていたのです。2人は先のサハリン戦争の時には、盟友関係でしたからね。
しかし、スターリンからは返書も来ません。事態が悪化してきたことは誰の目にも明らかです。ついに、サハリン政府は国軍に動員令を発しました。また、民間の国民義勇軍も発足し、アレクサンドルやその仲間が兵の召集に躍起となっていました。マトリョーシカはもうアレクサンドルとの結婚式どころか、楽しい一時を過ごすことも無理になったのです。
さて、スターリンですが、万全の態勢を整えて“サハリン侵攻”の機をうかがっていました。サハリンの兵力は国軍がせいぜい5千人程度なのに対し、シベリア軍は6~7万人と圧倒的な差があります。彼は順当にいけば1ヶ月程度でサハリンを征服できると考えていました。何よりも、チェーホフやガガーリンら古参の将軍が健在なのが強みです。彼らは先の戦争で、サハリンのことを知り尽くしていたからです。
しかし、スターリンはまだ攻撃命令を出しません。それは海軍の出撃準備が少し遅れていたからです。今度の戦争は最終的に海軍と空軍、特に海軍力が物を言うと考えていました。シベリアの艦隊がサハリンの何ヶ所かを攻撃し、上陸しなければなりません。それが上手くいけば、サハリン全土をシベリア軍が制圧できるはずです。また、仮にヤマト帝国軍が介入してきたら、ますます「海戦」がキーポイントになるでしょう。
したがって、スターリンは海軍の出撃準備完了を待っていましたが、内心は自信満々でした。1ヶ月でサハリンを征服し、自分も懐かしいあの地へ入り、生意気なマトリョーシカを引っ捕らえてやるぞ! あの女を殺しはしない。そのかわり「強制収容所」にぶち込んで、一生“囚人”として懲らしめてやるんだ! スターリンは勝利の日を夢見ながら、マトリョーシカへの敵意と憎悪を募らせるのでした。
ついにサハリン侵攻の時がやってきました。「第2次サハリン戦争」の勃発です。シベリア軍は順調に兵力を動員し、アレクセイ総司令官もチェーホフらの古参の将軍も余裕しゃくしゃくといった感じです。 北部方面軍のこれらのシベリアの将兵は、総兵力が約3万人と圧倒的に多く、それだけでも敵を優に呑み込む態勢を取っていました。
これに対しサハリン軍自体は、本気で戦おうという姿勢を見せていませんでした。国軍を5000人動員しても勝てるわけがなく、また国民義勇軍をどんなに強化しようにも限度があります。このため、首都・ノグリキを諦めようというのが“暗黙の了解“のように広がっていたのです。
マトリョーシカはまたナターシャ宛に手紙を書きました。伝書バトの復活ですね。この中で、マトリョーシカは何でも言える叔母に対して、サハリンの窮状を率直に包み隠さず伝えました。しかし、それ以上は救援や助けの依頼は一切しませんでした。マトリョーシカには、せめてもののプライドがあったのです。
こうして、サハリン側は首都・ノグリキの攻防を諦め、部隊を中部や南へと移し“ゲリラ戦”の構えを見せてきました。サハリン島は南北に伸びる細長い島なので、そういう展開はシベリア側も十分に予測したことでした。 それを予想した上で、スターリン皇帝は1ヶ月程度で平定する作戦を練っていたのです。
マトリョーシカらは、旧カラフト王国の首都・トヨハラ(豊原)を再興の地に選びました。これも予想どおりで、他に適当な地はなかったでしょう。トヨハラが駄目なら全ては終わる。地形から言っても旧首都だった伝統から言っても、トヨハラは背水の陣を敷くには最適だったかもしれません。
(筆者注・・・脳梗塞で倒れたので、パソコンの操作が難航しています。続編に時間がかかることが予想されます。)
第2次サハリン戦争の勃発は、ヤマト帝国でも大きな外交課題になりました。内政重視の立場から、積極的な軍事介入を控えてはという慎重な意見もありましたが、大方の意見はシベリア帝国に負けるなという主戦論でした。この10数年間、ヤマト帝国が力を蓄えてきたからでしょう。
皇帝カワミミノミコトも、昔のように慎重でどちらかと言うと“ひ弱”な男ではなくなりました。10数年間の治世の実績が、彼を力強く逞しい皇帝に変身させていたのでしょう。彼は廟議の席ではっきりと、シベリア帝国に宣戦を布告しました。
ほとんどの重臣らは軍事介入に異議はありませんでしたが、条件付き賛成派を代表する形で、宰相のフジワラノフササキが「基地使用論」を唱えました(彼は故フジワラノフヒト宰相の次男)。 これはサハリン王国に軍事援助する見返りに、幾つかの基地を自由に使用できるというもので、極めて現実主義的な援助方法だと言えます。ただし、この方法だとサハリンを事実上の“属国”にしてしまいかねず、サハリン側からの反発も予想さます。
廟議ではフジワラノフササキ宰相の「基地使用論」が話し合われましたが、結局、皇帝カワミミノミコトの裁断で、この議論は取り上げないことになりました。
基地の使用などは細かい話で、シベリア帝国への参戦という大義の前ではどうでも良いことです。現代では基地問題は些細なことでも重要ですが、この当時は矮小なこと、どうでもいいことと考えられていたのでしょう。それより、戦そのものの大切さ、意義といったものが問われていたのだと思います。
皇帝カワミミノミコトはやる気満々でした。特に新しく開発した「飛行船」という最新兵器には異常な関心を示しており、世界一の兵器だと自負しています。しかし、この飛行船については、追ってゆっくりと説明したいと思います(笑)。
こうして、ヤマト帝国は一致結束し、サハリン王国を援けシベリア帝国に立ち向かうことになりました。
その頃、マトリョーシカは旧都・トヨハラの近くに住んでいましたが、叔母のナターシャから伝書バトの返信を受けました。ナターシャはマトリョーシカをいろいろ励ました後、ヤマト帝国の神話である天照大神の話や、邪馬台国の卑弥呼伝説まで持ち出したのです。これにはマトリョーシカも苦笑しましたが、立派な女王になって欲しいという叔母の切なる願いを受けて、彼女も感じるところが多々あったのです。
こうしてマトリョーシカはトヨハラの近くで何日かを過ごしましたが、ある日、アレクサンドルに重大な決意を打ち明けました。
「アレクサンドル、ヤマト帝国がこちら側に立って参戦してくれるのは結構ですが、私は自分の決意のためにも、もうこれ以上 じっとしていることは出来ません。甲冑を着て武器を持って戦います。いいですね」
これにはアレクサンドルも驚きました。女王自らが先頭に立って戦うなんて、聞いたことがありません。もちろん、アレクサンドルは強硬に反対しました。もし万一、マトリョーシカの身に何か起きたら大変なことになります。マトリョーシカは今や、サハリン王国の女王という立場ですから。
アレクサンドルがどんなに強く反対しても、マトリョーシカの決心は変わりませんでした。彼女は人民義勇軍(国民義勇軍の別称)遊撃隊の一部を引き連れて戦うというのです。そして、マリアやベラ、ナディアや弟たちも配下に入るというのです。
ベラや弟たちの名前が出てきたので、アレクサンドルはもう何も言うことが出来なくなりました。逆に、それほどまでに祖国を愛し、マトリョーシカ女王について行こうという熱意に心を動かされたのです。 「マトリョーシカ、僕はもう何も言うことはできない。君達の安全を祈るだけだ」 アレクサンドルはそう答えるのが精一杯でした。
マトリョーシカは真情を吐露するとほっとしたのか、急に“女らしく”なりました。彼女はアレクサンドルに寄り添うと、こう言ったのです。
「私は明日から、女でなくなります。サハリンが解放されるまで、ずっと男であり続けるでしょう。アレクサンドル、今夜が20歳の乙女の最後の晩だと思って・・・ 」
そう言うと、マトリョーシカはアレクサンドルの腕の中に倒れ込み、女としての暫しの務めを果たすのでした。
さて、シベリア帝国のスターリン皇帝ですが、サハリン討伐が順調に進んでいることに大いに満足していました。ヤマト帝国の動きが少し気になるところですが、かの国は遠い所にあり、今すぐ大軍勢がやって来る気配はありません。
サハリンの北部地域はほとんど戦闘らしいものがないまま、シベリア軍の支配下に入りました。アレクセイ総司令官もチェーホフ将軍らも、ほとんど抵抗を受けず首都・ノグリキを制圧したのです。スターリンは自信を深めました。予定どおり1ヶ月もあれば、全サハリンを征服できる。そうすれば、ヤマト帝国が大がかりな軍事介入をする前に、早めに勝負をつけることができると考えたのです。いわば速戦即決、短期決戦の戦略でしょう。
このため、スターリンは大胆な敵前上陸作戦を立てました。彼は第1次サハリン戦争の時、タケルノミコトが起死回生のマオカ(真岡)上陸作戦を敢行し、戦局を一気にひっくり返したことをよく覚えていました。あの時はシベリア・旧ロマンス国側が、全面勝利を目前にして涙を呑んだのです。その時の悔しさがスターリンには忘れられません。
彼は一度受けた“侮辱”を決して忘れられない性質(たち)です。あの時の怨みを晴らすためにも、彼は次男のピョートルやガガーリン将軍らを中心に一大艦隊を編制しました。総勢2万人の大部隊です。
スターリンは首都・ヤクーツクで指揮を執っていましたが、これらの大艦隊をヴァニノやウラジオストクなどから派遣、サハリン南部への上陸作戦を実施したのです。大胆な「敵前上陸作戦」と言いましたが、敵がほとんどいないようでは敵前上陸とは言いませんね(笑)。上陸はいとも簡単に、何の抵抗もなくスムーズに行なわれました。圧倒的な軍事力の差に、サハリン側はなす術がなかったのでしょう。
こうして、スターリンのマオカ上陸作戦はなんなく成功し、シベリア帝国軍は南北からサハリン軍を挟撃する形になりました。戦況はシベリア側に圧倒的に優位になったのです。
そんな折も折、外務担当の重臣・モロトフがスターリンの目の前に現われ、気になることを告げたのです。 「陛下、トヨハラの付近でこの数日、若い娘に率いられた一隊が毎日現われ、敵の士気を大いに鼓舞しているということです。地元の人たちはこれを“ジャンヌ・ダルク”のようだと評していますが、放っておくと大層なことになるかもしれないと・・・」
「なに、ジャンヌ・ダルクだと? 一体、その者の正体は・・・」 そう言いかけながら、スターリンははっとして思い当たることがありました。
スターリンが思い当たったのはマトリョーシカでした。そんなことを仕出かすのはマトリョーシカしかいない。正体不明だと言うが、ジャンヌ・ダルクに扮しているのはマトリョーシカではないかととっさに思いました。
それは正しかったですね。まさにマトリョーシカやマリア、ベラやナディアらの一隊が毎日現われ、味方の兵士を鼓舞激励していたのです。前にも言いましたが、彼女たちは他の若い男性諸子と共に、運動神経抜群のナディアの所で剣術などを習っていました。それが役に立つ日が来たというわけですが、剣法や剣術はナディアがやはり一番得意でした。
しかし、マトリョーシカ女王自らが剣を取り、甲冑を着けるようになると士気が違ってきます。マトリョーシカはいわばサハリンの自由と独立の象徴であり、勝利の女神になれる女性でした。ジャンヌ・ダルクがオルレアンの乙女なら、マトリョーシカは「サハリンの乙女」なのです。
モロトフの報告を聞くまでもなく、スターリンはこれは厄介なことになってきたと直感しました。マトリョーシカはいま人民義勇軍の遊撃隊を率いていますが、これがいつ正規軍と合体するかもしれません。そうなると、サハリンの正規軍が一挙に盛り上がって力を発揮する恐れがあります。
「何とかして、生け捕りにしたいな。殺してしまうとかえって“英雄”にしてしまうし・・・」 スターリンがこの征討作戦で初めて困った顔付きをしました。これまで、何もかも順当にいっていたから尚更でしょう。ヤマト帝国軍が本格介入する前に勝負を付けようという目論見は、やや怪しくなってなってきたかもしれません。
「全力を挙げて、彼女らを生け捕りにするようしてみます」 モロトフはそう答えたものの別に成算があったわけではありません。そう答えるしかなかったのです。 スターリンはまたマトリョーシカのことを思い出していました。一時はシベリアとサハリンの友好親善のために、次男のピョートルの“嫁”にと考えた娘が、今や最大の敵対者になろうとしている・・・ おのれ、あの女め! スターリンはマトリョーシカのことをますます憎く思うのでした。
そうこうするうちに、ヤマト帝国軍出陣の日がやって来たのです。