<またも、またも、またも銃乱射事件! 2011年1月13日に書いた記事を、一部修正して復刻します。>
アメリカのラスベガスで10月1日、高層ホテルから男が銃を乱射し58人が死亡、500人以上が負傷するというアメリカ史上最悪の事件が起きた。アメリカではこうした銃乱射事件がいつも起きており、不思議でも何でもないが、こういう悲劇が一向に無くならないのは何故なのか。
よく言われることだが、アメリカの憲法に「権利章典」というのがあり、その中に「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文(修正第2条)があり、これが全ての“元凶”だとする説がある。
私もこの説に賛成だが、この「権利章典」というのはアメリカ市民の“基本的人権”に関する最も重要なもので、そう簡単に廃止したり修正することができないようだ。
アメリカの憲法は18世紀後半、イギリスとの独立戦争に勝利する中で生まれてきたから、建国の基礎となるいわば“神聖”なものである。したがって、銃の乱射事件が起きる度に、銃規制の強化が叫ばれても、保守派は「銃の所持は、憲法上の神聖な権利だ」と主張して譲らない。
そうは言っても、悲惨な乱射事件が次々に起きるから、少しずつだが銃規制は進んでいる。しかし、銃の所持はアメリカ市民の基本的権利だとする考えは、建国以来二百数十年たっても変わっていないのだ。
どうも理屈っぽい話から入ってしまったが、今回 ラスベガスで自殺した容疑者は47丁も銃を持っていたという。また2007年の4月に、ヴァージニア工科大学で32人を射殺して自殺した在米韓国人学生は、銃器ショップで運転免許証などを提示し、6万7000円ぐらいで銃を購入していた。また、この韓国人学生はもう1丁の拳銃を、インターネット上で3万円程度で買っていた。
このように、アメリカでは実に簡単に容易に銃を手に入れることができるのだ。銃規制が厳しい日本では全く考えられないことである。こんなに銃規制の甘い国が他にあるだろうか。 世界各国のことはよく知らないが、アメリカでは年間、10万人以上が銃で撃たれ、殺人や事故、自殺を含め3万人以上が亡くなっていると聞く。
また、少し古い統計でも、アメリカ国内には個人所有の銃が2億6000万丁もあるというから、その後、実数はもっと増えているのではないか。アメリカの人口が3億人余りとしても、赤ん坊や児童を含め、おおよそで国民1人当たり1丁の銃を持っていることになる。5人家族の家では、平均して4丁から5丁の銃を保有している計算になるから驚きだ。「刀狩」の歴史があるわれわれ日本人から見ると、何と“物騒な国”かと思ってしまう。
全米ライフル協会(NRA)の本部
こういう国だから、アメリカには「全米ライフル協会」とか、もっと強硬な「米国銃所有者協会」などの大きな圧力団体(市民団体・利益団体)があって、銃の規制に猛反対している。銃器は莫大な利益の温床である。銃器メーカーや販売業者、マニアらが沢山いるのだ。 したがって、こうした圧力団体には潤沢な資金が提供され、その金がアメリカ政界にも流れていく。共和党保守派を中心に献金されるというが、こうして圧力団体は強い政治的発言力を持つことになる。
調べたら、全米ライフル協会のスローガンは「人を殺すのは人であって、銃ではない」、また米国銃所有者協会のそれは「銃規制が人を殺すのだ。銃は人を救う」というものだそうだ。こういう団体がアメリカに幾つもある限り、銃規制はほとんど不可能ではないのか。
圧力団体や保守派が憲法の権利章典を楯に取り、「銃の所持は、憲法上の神聖な権利だ」と主張していることは先にも触れた。しかし、「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」という条文の前段は、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから」となっており、銃の所持はあくまでも国家の安全のためであって、個人的な護身用のものではないのだ。
この憲法は二百数十年も前、1780年代のものである。日本で言えば、江戸時代後期のものだ。そんな古いものを楯に取り、銃の規制に反対するとは“時代錯誤”も甚だしいではないか。いかに国の憲法とはいえ、正すべき所は正していかなければならない。それが「文明国」の義務である。
日本だって戦争に敗れた結果、明治憲法を廃止し今の憲法に改めた。これはアメリカの指導があったからだが、そのアメリカ自身がはるか昔の憲法を後生大事に守っている所に違和感を覚える。何の疑問も持たないのだろうか。
アメリカは建国以来、公式に対外戦争で負けたことがない。だから当時の憲法の精神を維持しているのだろうが、私に言わせれば、歴史的な“遺物”を守っているとしか思えない。そんなものは単なる遺物であって、学校の歴史教科書で学ぶものだ。
日本でも、明治憲法を護持している“超保守派”が少数とはいえ存在する。それはその人たちの勝手だが、大多数の人は現行憲法を認めた上で生活しているのだ。もちろん、憲法改正は自由だ。改憲論があっても当然である。
しかし、アメリカは、そのうち特に保守派は、人類の進歩や時代の流れを無視し、はるか昔の憲法の条文にしがみついている。これでは、銃乱射事件はこれからもずっと起きるだろう。
つまり、アメリカはまだ「文明国」になっていないのだ。アメリカは“野蛮な国”のままだということである。
映画の西部劇で、保安官やカウボーイ、騎兵隊が銃で“ドンパチ”やるのは良いが、あれだって100年以上も前の出来事だろう。現代のアメリカがそのままの姿で良いはずはない。話が長くなったが、アメリカは「銃社会」から脱却すべきである。
深い関心をもって拝読しました。私は映画・音楽・野球などのアメリカ文化は好きです。
記事にご掲載の、アメリカ合衆国憲法修正第2条
英語原文は
The United States Constitution
Bill of Right
Amendment II:
A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.
主権国家、連邦共和国としてのアメリカ合衆国の英語の正式国名は "The United States of America" で、合衆国憲法にも "The United States Constitution" と定冠詞 "The" が付きます。
対して第2条の条文では "a free state" と不定冠詞 "a" です。これを考慮すると、条文がまったく違う意味になると思います。
ご卓見を承りたく存じます。
アメリカ憲法の原文をくわしく読んでいないので、初めて知りました。したがって、お答えになるかどうか分かりませんが、小生の考えを述べたいと思います。
定冠詞の「the」は一般に「特定のもの」を指しますから、この場合は今の「アメリカ合衆国」でしょう。
これに対し、不定冠詞の「a」は「不特定のもの」を指しますから、今のアメリカに限定したものではないと考えます。
したがって、そう考えると修正第2条は、いつでも変えられるという意味があると思います。
我田引水的な見解かもしれませんが、むしろ貴兄のお考えを教えてもらいたいものです。
以上、急ぎまとめましたので失礼します。
たいへんご丁寧なご返答、痛み入ります。誠にありがとうございました。
また、矢嶋様のブログであるにも拘わらず、最初のコメント投稿で私の見解を述べずに、いきなり不躾な質問をしましたご無礼、心からお詫び申し上げます。
第2条の "a free State" の "State" とは国家としてのU.S.A.ではなく、U.S.A.を構成する各「州」のことではないでしょうか。 "A well regulated Militia" の "Militia" とは、各州(a state)の「民兵」(あるいは「市民兵」)のことで、米国軍( "The U.S.armed forces" の「正規兵 "regular soldiers" 」とは別物。
修正第2条が制定された1791年12月当時の連邦政府はまだ脆弱で軍備を独占できず13各州の民兵組織に頼るほかなく、このような条文になったのではないかと。
今の強大な連邦政府とはまったく事情が違います。本当の意味は、「よく規律された州の民兵にのみ武器を持つ権利がある」ということで、「全国民が武器を持ってよい」ということではないでしょう。
〉銃の所持はあくまでも国家の安全のためであって、個人的な護身用のものではないのだ。
との矢嶋様のご記述はまさにその通り、全面的に賛同するものです。
長い拙文となりました。末筆ながら、矢嶋様ならびにご家族様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。どうかご自愛のほど。
ご指摘によって、はっと気が付きました。a stateは正に「州」であり、この場合は「国」ではありません。私もボケましたね(笑)。
ということは、州単位で決めても良いということです。
アメリカは州によって今でも法律が大きく違うことがありますので、各州の自発的判断で“銃規制”をやっても良いということになります。
全米ライフル協会などの力が弱い州は、どんどん銃規制を強化しようではありませんか。それは可能だと思います。これは一日本人の見方でしかありませんが。
貴兄のご指摘で、ずいぶん勉強になりました。これは正直な気持です。
引き続き、今後ともよろしくお願いいたします。