〈はじめに〉
このレーゼドラマ(読むための戯曲)はフィクションではあるが、もとより史実に基づくことに留意している。私が最も参考にした著作は、「秩父事件」(井上幸治著・中公新書)と「秩父困民党」(井出孫六著・講談社現代新書)である。他の参考文献・ビデオ、映画などは以下の通りである。
「秩父事件〈佐久戦争〉を行く」(上條宏之編・銀河書房)、「秩父コミューン伝説」(松本健一著・河出書房新社)、「秩父困民紀行」(浅尾忠男著・新日本出版社)、「女たちの秩父事件」(著者多数・新人物往来社)、「『明治』という国家」(司馬遼太郎著・日本放送出版協会)、小説「花埋(うず)み」(渡辺淳一著・角川文庫)、「参謀本部と陸軍大学校」(黒野耐著・講談社現代新書)、「図説 日本の歴史14 近代国家の展開」(編集責任者・小西四郎、集英社)、NHK大河ドラマ「獅子の時代」(NHKソフトウェア発行)、映画「草の乱」、「山県有朋」(岡義武著・岩波新書)、「山県有朋と富国強兵のリーダー」(戸川猪佐武著・講談社)、「伊藤博文と維新の元勲たち」(戸川猪佐武著・講談社)、「ルソー」(桑原武夫編・岩波新書)、「福沢諭吉と中江兆民」(松永昌三著・中公新書)、「錦絵 幕末明治の歴史9 鹿鳴館時代」(小西四郎著・講談社)、「日本史辞典」(角川書店)の『明治初期主要官職補任表』など。
更に、明治10年代を知る上での貴重な著作、インターネット上の資料なども参考にしたが、詳細は割愛する。文章の表現については出来るだけ“現代式”とすることに努めた。 なお、登場人物は『実在』と『架空』を含めて非常に多数に上るが、ご了解願いたい。
なお、この戯曲は2006年(平成18年)に書いたものです。
秩父の山々
主な登場人物
日下藤吉(秩父の青年、このドラマの主人公) 日下ミツ(藤吉の母) 日下ハル(藤吉の妹)
松本カヨ(藤吉の恋人、女医を目指す) 山中ハツ(松本カヨの友人、女教師を目指す)
山中常太郎(ハツの父、高利貸し業者) 山中ヨネ(ハツの母) 山中彦太郎(ハツの兄、自警団員)
【秩父困民党の主要メンバー】
田代栄助(総理) 加藤織平(副総理) 菊池貫平(参謀長、後の総理) 井上伝蔵(会計長) 新井周三郎(甲大隊長) 大野苗吉(甲副大隊長) 飯塚盛蔵(乙大隊長) 落合寅市(乙副大隊長) 高岸善吉(党の創立メンバー) 坂本宗作(党の創立メンバー) 井出為吉(軍用金集め方) 小柏常次郎(群馬出身のメンバー) 柴岡熊吉(大宮郷小隊長) 萩原勘次郎(三沢村小隊長)
更に、新井駒吉、新井繁太郎、大野長四郎、木島善一郎、村竹茂一、新井蒔蔵、犬木寿作、島崎嘉四郎、新井悌次郎、大野又吉、伊奈野文次郎、新井寅吉、恩田卯一、横田周作、小林酉蔵、新井貞吉、大野喜十郎ら。 その他、農民多数。
【埼玉県庁・県警関係】
吉田清英(埼玉県令) 伊藤栄(秩父郡郡長) 鎌田沖太(秩父大宮郷警察署長) 江夏喜蔵(埼玉県警警部長) 笹田黙介(県庁の書記官) 丸山署長(寄居警察署) 他に警察官多数
【秩父の地元民】
川本平三、岩上慎次、村岡耕造、林善作、安藤貞一(以上5名は自警団のメンバー) 吉川宮次郎(高利貸し業者) 安藤久作(横瀬村の豪商) 他に地元民や猟師多数
【政府・陸軍関係】
山県有朋(内務卿 兼参謀本部長) 大迫貞清(警視総監) 乃木希典(陸軍大佐・東京鎮台参謀長)
春田少佐(東京憲兵隊) 隈元少尉(東京憲兵隊) 平田大尉(東京鎮台) 広瀬中尉(東京鎮台) 吉野大尉(高崎鎮台) 前川中尉(高崎鎮台) 他に陸軍兵士多数
【長野県関係】
菊池恒之助(困民党の同調者) 菊池藤助(困民党の同調者) 井上署長(岩村田警察署) 桑名四角之助警部補(岩村田署) 柿沼戸長(南佐久郡・海ノ口村)
第1幕
第1場 [明治17年の7月下旬、埼玉県・秩父の小鹿坂(おがさか)峠。日下藤吉(くさかとうきち)と松本カヨが連れ立って歩いてくる。二人は立ち止まって話し出す。]
カヨ 「それで、藤吉さんは東京で勉強しようという気持は、もうなくなったのですか?」
藤吉 「いや、そんなことはない。勉強したい気持は十分にある。 しかし、家が借金で破産寸前になっていることや、秩父の酷(ひど)い現状を見ていると、それどころではないのだ」
カヨ 「残念ですね。二人で東京へ出て、励まし合いながら一緒に勉強しようと話し合っていたのに。でも、私は決めましたの、これから東京へ行くことにしています。 実は先日、父と大ゲンカをしたのです」
藤吉 「えっ、お父さんとケンカしたの?」
カヨ 「ええ。 父は横瀬村の安藤家にどうしても嫁げと言うのですが、私は絶対に東京へ出て勉強がしたいと抵抗したものですから大ゲンカになったのです。顔も合わせたことのない人の所へ、どうしてお嫁に行けますか。ねえ、そうでしょう?」
藤吉 「それはそうだが・・・しかし、お父さんとケンカしたら、この後とても大変なことになるじゃないか」
カヨ 「ええ、なかば勘当になりました。でも、それで良いのです。それで決心がつきました。だって家にいたら、近いうちに無理矢理お嫁に行かされてしまうでしょ。 それより、生意気かもしれませんが、私は一所懸命に勉強して世の中の何かお役に立てれば良いと思っているのです。 御一新(注・明治維新のこと)のお陰で、女もそういう考えを持っておかしくない時代になったのでしょう?」
藤吉 「それはそうだ、その考えは全く正しい。それに、カヨさんは頭が良いし、何事にも熱心に取り組むから、きっと世の中の役に立つ人になるに違いないと思う。また、僕はそういう前向きなカヨさんが好きなんだ」
カヨ(顔を赤らめて)「まあ、そんなに誉めないで下さい、恥ずかしくなります。まだ、思い立っただけですから」
藤吉 「それで、親から独立して何か“手づる”でもあるのですか?」
カヨ 「ええ。実は親戚の松本荻江(おぎえ)さんが東京女子師範学校の教師をしていて、以前からぜひ上京してきなさいと言ってくれているのです。 藤吉さんもご存知だと思いますが、荻江さんのお父さんの萬年先生は昔、この秩父で私塾を開いていましたが、今は東京師範学校の教授をされているんですよ。
萬年先生が一時、妻沼(めぬま)村に移って私塾を開いていた時に、子供の私はよく遊びにいったのですが、先生や荻江さんからとても可愛がられ、いろいろ教えてもらいました。その頃の縁もあって、今でも目を掛けてもらえるようです」
藤吉 「それは結構だ。カヨさんが可愛がられるのは、利口で勉強好きだからですよ。 それで、カヨさんは女子師範学校へ進むつもりなの?」
カヨ 「いえ、最初はそのつもりで、荻江さんのように教師になりたいと思っていたのですが、実はいま女医になりたいと考えているのです」
藤吉 「女医? 女医って、女の医者のこと?」
カヨ 「ええ、そうです」
藤吉 「えっ、女性でも医者になれるのかしら」
カヨ 「ええ、なれそうです。最近の荻江さんからの便りによると、彼女の友人や後輩の何人かが西洋医学を学んで、医師の国家試験を受ける準備をしているというのです。 私、それを聞いて、何か世の中のお役に立つとすれば、自分の進む道は女医ではないかと考えるようになりました。だって、女性は診察を受ける場合、男の先生よりも女医の方が、何かと気楽に安心して受けられることが多いと思いますよ」
藤吉 「それはそうだ。しかし、女性も医者になれるなんて、本当に新しい時代がやって来たというわけだね」
カヨ 「ええ、そう思います。私も少しでも多く、病気に苦しんでいる人達を助けて上げたいと思っているのです。 幸い東京には私立の医学校があるそうで、荻江さんの話しによると、彼女の知り合いで妻沼村出身の荻野吟子さんという優秀な方が、家庭教師をしながら苦学して医師への道を目指しているということです。そういう人を見習いなさいと、荻江さんに言われました」
藤吉 「そうか、それは素晴らしい。カヨさんも頑張って、ぜひ立派な女医さんになってほしいな。 それに比べると、僕なんか勉強したくても出来ない状況なんだ」
カヨ 「ごめんなさい、私のことばかり話してしまって。 藤吉さんは、代言人(注・弁護士のこと)になりたいと言っていたのに諦めたのですか? あなたならきっと立派な代言人になれるはずです。どうか諦めないで下さい」
藤吉 「うむ、諦めるつもりはないが、先ほども言ったように、“マユ”や生糸が暴落して家は破産寸前、高利貸しからの借金でオヤジは首が回らない状況で、死にたいと洩らしているほどだ。 カヨさんも知ってのとおり、秩父にはそういう家が沢山ある。借金と税の負担で、この地域は今や“どん底”の状態なんだ。それを何とかしなければならない」
カヨ 「私もよく知っています、本当に胸が痛みます。 先日も、父の友人の島田さんが高利貸しの取立てで店が破産し、一家で夜逃げしてしまいました。あそこのイネさんは、私の小さい頃からの友人で、今どこで何をしているのかとても心配です。こんなに酷い状況になってしまって、何か良い手立てはあるのでしょうか?」
藤吉 「良い手立てが見当たらないのだ。 実は去年末から、困っている農民を代表して、何人かが高利貸しに借金返済の据え置きや、10年ぐらいの年賦払いにしてほしいなどと申し込んでいる。しかし、あの連中はまったく耳を貸そうとしないのだ。本当に強欲な連中だ。
そこで、郡の役所や警察署にも行って、高利貸しを何とか説得してほしいと願い出ているのだが、色好い返事はもらえていない。 役所などが言うには、個人間の金の貸借には一切口を挟むことができないというのだ。これではまったく話しにならない。 役人は結果的に高利貸しの味方になって、われわれ農民を見捨てているのだ。高利貸しの連中から“ワイロ”をもらっているのではという、悪い噂も出ているくらいなんだ」
カヨ 「それでは、明るい見通しはほとんどないのですか? こんな状態が続けば、自殺する人や夜逃げする人がますます増えるだけです。何とかならないのでしょうか」
藤吉 「うむ、何とかしなければならない。しかし・・・何もないのだ。だから、僕は自由党に入ろうと思っている」
カヨ 「えっ、自由党員になるのですか?」
藤吉 「そうだ、それしかない。秩父自由党に入って、政治運動に邁進するしかない。それ以外に、地獄のような現状を打破する方法は他にないと思っている」
カヨ 「自由民権運動によって、社会の改革を目指そうということですか?」
藤吉 「そうだ。 カヨさん、僕は半年ほど前から、フランスの自由民権思想に打ち込んでいる。中江篤介(兆民)先生らの本を読んでいるのだ。 そうこうするうちに、秩父にも自由党が最近誕生した。党員は何人いるか知らないが、同じ志を持った人達と協力して、住み良い豊かな日本を築いていかなければならない。そうしなければ、日本もこの埼玉県も秩父郡も疲弊して潰れていくだけだろう」
カヨ 「藤吉さんのお気持はよく分かります。 でも、最近の自由党による幾つかの暴動事件で、政府の取締りが非常に厳しくなっていますね。十分に気を付けていただかないと・・・」
藤吉 「それはよく承知しています、十分に気を付けましょう。 しかし、“われわれ”の運動は、あくまでも高利貸しとの話し合いや役所への請願といった合法的なものですよ。その点は心配しないで下さい」
カヨ 「ええ、分かりました。でも、ちょっと心配になったので、ごめんなさい」
藤吉 「カヨさんは女医の道を進んでいく、僕は暫くは政治運動に携わりますが、代言人への道を諦めたわけではありません。代言人になって、困っている人達を助けたいというのが願いだったのですから。 やがて機会が来れば、僕も東京へ出て勉強するつもりです。それまで、あなたも元気に頑張って下さい」
カヨ 「ありがとうございます。藤吉さんが一日も早く東京に出てこられるのを待っています」
藤吉 「ありがとう。僕らはきっと東京で会うことになるでしょう」
カヨ 「ええ、約束ですよ。(遠くを眺めながら)あの美しい武甲山とも暫くお別れです・・・でも、念願がかなって女医になれたら、必ずこの秩父に戻ってきます。だって、ここは私の故郷ですし、私はこの秩父が大好きなんですよ。 その時には、父も私を許してくれると思います。
きょうは、この峠でお別れすることになりますが、藤吉さんのお話しが聞けてとても嬉しかったです。どうか、お身体を大切に。この次は東京でお会いできることを心待ちにしています」
藤吉 「ええ、必ずそうしましょう」(藤吉、カヨの両手を握りしめる。カヨ、顔を赤らめて俯く。)
第2場 [8月上旬、石間(いさま)村にある加藤織平の家。 加藤の他に、高岸善吉、落合寅市、坂本宗作。]
落合 「おととい大宮郷でまた、破産した養蚕農家の橋本という者が首を吊って死んだということだ。これで自殺者は何人になるのだろう」
坂本 「10人を超えただろうか・・・そんなことは知らないが、このままではどうしようもない。 加藤さん、この前開いた“山林集会”を、もう一度大々的に早く開く必要があるのではないですか」
加藤 「うむ、早く開こう、今度は和田山でやるのが良いかな。 それにしても、秩父自由党への加入者は確実に増えているだろうね。それが聞きたかったんだ」
高岸 「大丈夫です、私の所ではこの一週間に3人が入りました」
坂本 「私の所でも最近、2人入りましたよ。そら、加藤さんも知っている日下という旦那の息子で、藤吉君というのがきのう入党しました。 彼は代言人になりたかったようですが、今はそれどころではない、自由党に入って直ぐに政治活動を始めたいと言ってましたよ」
加藤 「そうか、日下さんの息子がね。その子は幾つになるの?」
坂本 「20歳になると言ってましたが、やる気満々という感じです」
加藤 「うむ、それは頼もしいな」
落合 「わしは連絡係で忙しかったが、それでも2人入れた。役所の取締りがうるさいから、入党を絶対に口外するなと言っておきましたけどね」
加藤 「うむ、そのとおり。自由党の組織を拡大するためには、妨害されないように隠密に進める必要がある。秘密党員を増やしていくことだ」
高岸 「それにしても、高利貸しの暴利をむさぼる手口は酷いな。6年前に利息制限法ができ、日歩違約金を禁じて年利2割の制限を設けたが、これがまったくの“ザル法”になっている。 土地を担保にして金を借りる場合、高利貸しに証書を渡すが、5円借りると1ヵ月に25銭の利子が付く。 ここが問題だ。これだと3ヵ月で75銭、1割5分の利率となる。そうなると、1年で6割もの利息を払わなければならない。こんな馬鹿げたことがあるか! 年利2割の制限をはるかに超えているではないか」
坂本 「それよりもっと“あくどい”のが、初めから証書金額の2割、3割を差し引いて貸すやり方だ。こちらが10円を借りる場合、7円か8円しか渡されず、10円分の利息をがっちりと取られる。 それに返済期限を3ヵ月と決められた場合、もし返せなかったらどうなるか。借用証書を作り直して、その間の利息分が元金に加えられる。
それを二度、三度繰り返すと、元金が“雪だるま式”に増えて利息も大きくなる。とても返し切れないで1年近く経ってしまうと、額面10円の借金が何と26円以上にもなってしまうんだ。こんなアホなことがあるか! 実際は7円か8円しか借りていないというのに」
落合 「まったく酷い。これじゃ、借金した人間はほとんど破産してしまう。誰だって高利貸しをぶっ殺してやりたいと思うわけだ」
高岸 「極悪非道も極まれりだ。これを法廷に訴え出ても、民事裁判は証拠を元にする裁判だから、借用証書が証拠となって農民が勝ったためしがない。 早く借金を返せと言われるばかりで、そのうちに抵当物件である土地を差し押さえられて破産ということになる。裁判官だって高利貸しから借金したり、ワイロを受け取っているというぞ。 もう、この世も終りだな」(4人の間で暫く沈黙が続く)
加藤 「本当に酷い世の中になったものだ。君達の怒りや憎しみはよく分かる。これじゃ、徳川幕府の時代よりも悪くなってしまった。何のための“御一新”だったのか。 あれもこれも元はと言えば、あの松方正義が大蔵卿になって以来、猛烈な緊縮財政を推し進めてきたからだ。高利貸しも悪いが、政府も悪い。 金詰まりになって生糸や絹が暴落し、地価も何もかも下落してしまった。だから、政治を正さなければならない。われわれは自由党に拠って立って闘いを進めていくしかない。 何年も後に国会が開設されるのを待っていては遅い。民衆の声を汲み上げて、いま直ちに国会を開くよう求めていこうではないか。 群馬県やその他の地域の同志達も、同じ要求を掲げて闘っているところだ」
坂本 「それは当然です。一番悪いのは政府だ、特にあの松方の野郎・・・薩摩の“イモ侍”め! 言いたかないが、あいつは子供を20人以上も作っているんですぜ。新聞の話しによると、天皇が『お前は子だくさんだそうだが、何人子供がいるのか』と聞いたら、あの野郎は『調査して、後日ご報告致します』と答えたそうだ。(他の3人が笑う)
自分の子供の人数も分からんような奴が、大蔵卿になって重要な経済政策を担当しているのだから、もうこの国も終りだ!」
落合 「まあまあ、宗作さん、話しが少しずれたようだ。“薩長”の藩閥政治を批判するのは良いが、われわれがまずやらなければならないことは、この秩父での政治闘争だ。 次の山林集会をどうするか、役所や警察、高利貸しへの運動、同志達の糾合をどうするかを詰めていこう」
加藤 「そのとおり。私が松方財政の悪口を言ったものだから、坂本君もついそれに乗ってしまったようだね(笑)。 まずは次の山林集会を大々的に開こうではないか。人数が多く集まれば、それだけ役所や高利貸しへの圧力が強まる。それを元にして運動を高め、負債の延期や地租の軽減、地方税の廃止なども要求していこう。
われわれの運動は、地域の単なる“百姓一揆”のようになってはいけない。困っている人は他にも大勢いるのだ。隣の群馬県や長野県の農民にも呼びかけていこう。 運動の輪が広がれば、それだけ闘争は力強くなり本物となるのだ。そうなれば、郡の役所だけでなく中央政府もわれわれを無視できなくなるだろう。もとより、自由党本部だって何らかの応援をしてくれると思う」
高岸 「加藤さん、それが井上伝蔵さんの話しによると、今年に入って群馬事件や加波山(かばさん)事件などの武装蜂起があったので自由党本部は困ってしまい、農民の蜂起を抑えようとしているということです。だから、党本部には多くを期待できないでしょう」
加藤 「井上さんがそう言っているのか・・・彼は大井憲太郎先生とも親しいから、多分そうなのだろう。 しかし、党本部がどうであろうとも、われわれの闘争を弱めるわけにはいかない。われわれが怯(ひる)めば、秩父の農民の生活はますます悪くなるばかりだ。 どんなことがあっても、闘いを強化していかなければならない。そうでなければ、高利貸しや役所の言いなりになるだけではないか」
落合 「そのとおりです。さらに多くの農民に呼びかけていこう」
坂本 「党本部が何と言おうとも、次の山林集会を成功させましょう」
高岸 「もとより、これは秩父の農民の闘いだ。民衆の力がどんなに凄いか、高利貸しや役所に思い知らせてやりましょう」
せめて、矢嶋さんのブログ記事を拝見して秩父への関心を高めようと思います。
以前に、八ヶ岳にいく途中の小海辺りに秩父事件に関わりのある人たちのお墓に立ち寄ったことがあります。
山を越えて八ヶ岳辺りまで逃れてきた人たちの墓です。
秩父事件で亡くなった人のお墓は以前、通りがかりに立ち寄ったことがあります。まだ若いころ(?)だっただけに、その時は関心がありませんでした。