自衛隊は仮に「陸海空軍」ではないとしても、「その他の戦力」に該当している。戦車や戦闘機、大砲は勿論のこと、イージス艦や潜水艦、ミサイルなど最新鋭の物凄い戦闘機能を大量に持っているのであるから、明らかに戦力を保持している。これは誰が見ても明白な事実であり、小学生でも分かることだ。よって、自衛隊の存在は憲法に違反する。
昭和20年代の後半、警察予備隊から保安隊、自衛隊へと拡充していった頃は、自衛隊も極めてお粗末な軍事力しか持っていなかったので、「戦力なき軍隊」と言われ大多数の国民もそう理解していたと思う。 従ってその当時は、自衛隊の存在は憲法9条に抵触するとは思えなかったであろう。
しかし、あれから約50年たった今日、自衛隊の戦力(戦争を遂行しえる力)は飛躍的に増強され、今や世界でも有数の戦力を保持するまでに至った。 どのような詭弁を弄しようとも、現在の自衛隊は近代戦を遂行できる戦力を保持しており、明らかに憲法9条2項に違反しているのである。
この点については、国民の考えは大きく分かれるものと思う。 護憲の立場から自衛隊を廃止、もしくは改組すべきだという意見と、自衛のための戦力を保持する自衛隊の存在を認めて、憲法の方を改正すべきだという意見に分かれるはずである。
例えば、2000年5月3日に発表された読売新聞の憲法改正第2次試案では、「戦争や武力の行使は、永久にこれを認めない」としながらも、「自衛のための軍隊を持つことができる」としている。
勿論、読売新聞の憲法改正試案に反対する人も多くいるであろう。あくまでも現行憲法を擁護したいと思う人達も大勢いるはずである。 絶対平和の精神を高らかに宣言した憲法の意義は、実に大きいものがあり、また貴重なものであると思う。
しかし、その思いと、憲法9条と自衛隊の存在の矛盾を放っておく事とは別である。
戦力を保持する自衛隊の存在が、明らかに憲法に違反する以上、それを廃止もしくは改組するのか、今の自衛隊の存続を認めて憲法の方を改正するのか、日本国民はニ者択一を迫られているのである。
そもそも「自衛権」とは、一般的に「外国からの違法な侵略、侵害に対して、武力を行使しうる国家の権利」と理解されており、国際法上、合法的と認められているものである。
ところが今の日本国憲法では、第9条1項で「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としている。 つまり、今の憲法では、「自衛権」をも明らかに放棄しているのである。こんな事は小学生の国語理解能力があれば分かることだ。 これまでの政府の解釈は明らかに詭弁であり、ごまかしに過ぎない。 だから「解釈改憲」などと言われるのだ。
憲法9条における自衛権の解釈を、あれこれ議論するのはやめよう! 解釈はいくらでも成り立つのだ。不毛の議論はやめようではないか。 こじつけやごまかしの議論は、もうやめよう! いつまでたってもラチが明かないではないか。 だから“神学論争”などと言われるのだ。
今の自衛隊の存在が憲法に違反する以上、また「自衛権」さえ認められていない以上、それではどうしたら良いのか、次のステップの議論をしようではないか。
独立国であれば、他国の侵略から自国を守るために、自衛のための最小限の武力(戦力)を保持していて、当然である。 これは国際法上からも認められているものである。
それならば、もはや議論の余地はない。自衛のための武力(戦力)の保持さえ認めていない今の憲法をただちに改正して、「自衛力の保持」と「自衛権の行使」を明文化すべきである。 そして、「侵略戦争」は絶対に放棄することを明記すればよいのだ。 その上で、年間5兆円に近い今の自衛隊の予算が多過ぎるのかどうか、もっと少ない予算で効率的な防衛力の整備ができないものかどうか、といった議論を進めるべきである。(2001年12月23日)
盛田昭夫氏とマイケル・ジャクソン
今週の初めだが、マイケル・ジャクソンとソニーの元会長・盛田昭夫氏の心温まる交友録をテレビで知って感動した。マイケルは盛田氏を実の父親以上に慕っていたのではないか。
盛田昭夫氏はもう10年ほど前に他界されたが、ソニーの創業者の一人でこの会社を世界的な企業に育て上げたことで有名である。私は会社の経営者という“人種”をよく知らないのだが、盛田氏だけには他に例がないほど好感を持っている。
というのも、20年ほど前だったろうか、私が某テレビ局の報道番組のプロデューサーをしていた時に、一度だけ番組に出演していただいたことがある。
何のテーマだったか忘れてしまったが、その頃、盛田氏は石原慎太郎氏と共著で『「NO」と言える日本』という本を出版し、大ベストセラーを記録したことがある。
たぶんその件で、日米経済関係などについて話してもらったように思うのだが、詳しいことは覚えていない。
それはともかく、番組の収録前にずいぶん時間があった。そこで経済問題に疎い私は、盛田氏にいろいろ質問したことがある。その時の彼の対応ぶりが何とも言えないほど素晴らしかった。
私が質問したことに盛田氏が的確に答えたのは勿論だが、経済音痴の私に対し、実に丁寧に優しく噛み砕くように教えてくれるのだ。その態度には、大企業のトップ経営者という様が微塵も感じられなかった。驕り高ぶるといった風情が全く見られないのだ。
ふつう、大企業のトップともなれば「そんなことも知らないの?」といった姿勢を見せることもあるが、盛田さんにはそういう所が全くなかった。何でも知っている先生が、出来の悪い子供にとことん優しく丁寧に教えてくれるという感じだった。
私は盛田さんとはこの一度しかお会いしていないが、その時の印象があまりにも良く素晴らしかったので、いっぺんに彼のことが好きになった。
盛田さんという人はとても社交的で、親しみやすい人柄だと聞いてはいたが、もしかするとこの人は社交の“天才”かもしれない。「人たらし」と言うと語弊があるが、彼は人の心を捉える名人だったのかもしれない。とにかく、私は盛田氏に完全に魅了されてしまったのだ。過去に大勢の人に会ってきたが、こんな人は他にいない。
さて、先日 他界したマイケル・ジャクソンだが、彼が盛田氏と初めて出会ったのは20年以上も前のことだという。末尾に盛田氏夫人の良子さんのブログをリンクしておくが、マイケルが日本公演中に盛田氏の自宅を訪れてから親交を深めたという。
そうしているうちに1993年、盛田氏が脳梗塞で倒れ静養を余儀なくされた時、外国からいち早くメッセージを届けてきたのはマイケルだった。
彼は26分ものテープに静かな音楽を流し優しい声で(えっ、これがマイケルの声なの!?という感じ)、盛田氏を何度も励まし癒している。そして、朝昼晩3回はこのテープを聴くようにと頼んでいるのだ。 このため、良子夫人はそれから6年余り、盛田氏が亡くなるまで毎日夫にテープを聴かせていたという。
世界のスーパースターであったマイケルも、個人的にはいろいろな悩みやストレスを抱いていたのだろう。生前の盛田氏を実の父親以上に慕っていたのか、「どうしたら若い人たちの心を掴むことができるのか」とか「誰を信じたら良いのか」などといろいろ問いかけをしているのだ。 これを見ると、マイケルは盛田氏を自分の“師”と仰いでいたのではないか。精神的には不安定で幼い面もあったマイケルが、盛田氏を頼りにしていたのは間違いない。
詳しいことは末尾のブログを見ていただくとして、私はこの話をテレビで聞いた時、20年ほど前の盛田さんのことを思い出した。あの時の盛田さんの優しかったこと、懇切丁寧な説明ぶり、少しも偉ぶった所がなかったことなどを思い出し、マイケルが盛田さんを父とも師とも仰いでいたことに合点が行った。
人間は「人柄」が第一である。どんな大企業のトップ経営者であろうと、どんなに社会的地位が高い人だろうと、人柄が良くなければ好かれることはない。マイケルと盛田氏の関係を聞いて、私は改めて盛田さんは人柄が良く魅力的だったと思うのである。(2009年7月16日)
盛田良子さんのブログ・http://www.akiomorita.net/contents/episode/index.html
復刻! ジリオラ・チンクエッティ
いろいろなサイトやYou Tubeを見ていたら、私が大好きなイタリア人歌手 ジリオラ・チンクエッティの歌に日本語詞が載っているものを2つ発見した。『夢みる想い』と『雨』である。
このため、4カ月前に書いたジリオラ・チンクエッティの記事にその2つを追加したい。以下に記事を復刻するが、新しいものには○印を付けておく。(09年6月27日)
◇ いつも日本の歌を取り上げているが、初めて外国の歌手を紹介したい。それはイタリアのポップス歌手 ジリオラ・チンクエッティである。彼女は主に1960年代から70年代にかけて活躍したのだが、日本でも大変な人気を博した。
チンクエッティやボビー・ソロ、ミーナらイタリア人歌手の活躍で、その頃、日本でもカンツォーネ・ブームが起き、彼女らの人気は母国イタリアよりも高かったと言われる。
チンクエッティのデビュー曲『夢みる想い』(1964年)が日本に入ってくると、私は彼女の温かくほのぼのとした歌声にすっかり魅了された。 まだ16歳のチンクエッティは清純で可憐な姿だったが、歌唱力も見事だったようでその年の「サンレモ音楽祭」で優勝している。
青春時代の真っただ中にいた私は彼女に夢中になり、よせばいいのにイタリア語の辞書を買ってきて、チンクエッティの歌を次々に原語で覚えたものだ。(今はだいぶ忘れたが)
その頃は、カンツォーネだけでなくイタリア映画も隆盛を極めていて、マルチェロ・マストロヤンニ、シルヴァーナ・マンガーノ、ジーナ・ロロブリジーダ、ソフィア・ローレン、クラウディア・カルディナーレといった素晴らしい俳優が続々と登場し、フランス映画とともに日本の映画ファンを大いに楽しませてくれた。
イタリア製の「マカロニ・ウェスタン」もちょうどその頃お目見えしたが、これも『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』などが大ヒットし、まさにイタリアン・ブームの花盛りという感じだった。今からは想像もできない事態だった。
話が少しそれたが、ジリオラ・チンクエッティは“お得意さん”の日本にも来たことがあり、『夢みる想い』などを日本語でも歌っている。私の青春時代を潤してくれた彼女の歌を幾つか以下にリンクしておきたい。(2009年6月27日)
『夢みる想い』http://www.youtube.com/watch?v=UeV1QqZ7YzQ&feature=related
『夢みる想い』http://www.youtube.com/watch?v=F9yD2AazJFA&feature=related(日本語)
『愛は限りなく』http://www.youtube.com/watch?v=qkaKXqCPyS4&feature=related
『ナポリは恋人』http://www.youtube.com/watch?v=u9WAZS8qFBI&feature=related
『愛よありがとう』http://www.youtube.com/watch?v=gKxavIAS6Cw&feature=related
『愛の花咲くとき』http://www.youtube.com/watch?v=7qF82OUIlww&feature=related(日本で公演)
『雨』http://www.youtube.com/watch?v=H3GfQuXgawA&feature=related(日本語)
テレビ局への天下り
昔、フジテレビに浅野賢澄(よしずみ)さんという社長がいた。この人は旧郵政省からの“天下り”である。役人の天下りについて考えている内に思い出したのだが、忘れられない出来事だったので書いてみたくなった。
40年ほど前の話で恐縮だが、その頃、私は国会の野党クラブの記者をしていた。ある年、参議院選挙が行なわれるというので、私は中部地方の担当を命じられ選挙取材に出かけた。あちこち回っている内に岐阜県に入ると、自民党の浅野賢澄氏と社会党の中村波男氏が激しい選挙戦を繰り広げていた。
当時は社会、公明、民社の野党3党がよく選挙協力をして、与党の自民党に対抗していたが、岐阜県でもたしか「社公選挙協力」が実現し大接戦になっていたと思う。しかし、岐阜はもともと保守の地盤が強く、私は浅野氏の方がやや優勢ではないかという印象を受けた。各候補の選挙事務所へ行っていろいろ取材するわけだが、他の県の取材もあるので早々に岐阜を後にしたと思う。
そして、参議院選挙の投票日に、フジテレビ開票速報番組の仕事をしていたが、案の定、岐阜は大接戦になって勝負がなかなかつかない。結局、夜遅くなって、中村氏が35万9千票あまり、浅野氏が34万9千票あまりで中村候補の当選が決まった。わずか1万票の差で、浅野候補は落選したのである。
それから、私はまた元の野党クラブの仕事に戻り、参議院選挙のことは次第に忘れていった。ところが、2週間ぐらい経ってからだろうか、私のもとに一通の手紙が届いた。誰からかと思って差出し人を見ると「浅野賢澄」と書いてある。浅野? すぐにピンと来なかった。 封を開けて文面を読み出すと、「先の参議院選挙では大変お世話になり云々・・・」という落選の挨拶状だった。それが実に丁寧に書かれている。こんなに懇切丁寧な挨拶状を見たことがなかった。一通り読んだが、私は「なんだ、落選候補の手紙か」と思い、すぐにゴミ箱に捨てた。 それもやむを得ないだろう。狭い机の上には野党の書類や資料などが山と積まれているのだ。落選候補の挨拶状などいちいち置いておくわけにはいかない。そのまま、私は落選した浅野氏のことはすっかり忘れた。
ところが、それから数カ月経った頃か、フジテレビの役員人事でその浅野賢澄氏が「副社長」に就任したのだ。これにはびっくり仰天した。 あの落選候補が、よりによってわが社の副社長になろうとは! しかし、浅野氏は郵政省の事務次官まで務めたエリート官僚であり、テレビなど電波行政に精通した人である。
それより前、日本のUHFテレビ局の開設に大いに貢献したという。後発のフジテレビはそれによって、全国6局体制から一気に27局体制へと飛躍できたのだ。したがって、当時の鹿内信隆社長は浅野氏に対し非常な恩義と敬意を抱いていたに違いない。 その浅野氏が参院選で落選したのだから、面倒を見ようということか。もちろん、郵政省に恩を売っておけば何かと後が便利である。あるいは、浅野氏が田中角栄元首相に近かったので、政界からの働きかけがあったのか。
それは分からないが、人間の運命というのは面白いものだ。あの時、浅野氏が参議院議員に当選していれば、全く違った人生を歩んだはずだ。幸か不幸か、浅野氏は落選したことによってフジテレビに入ってきた。その後、彼は順調に社長・会長に昇進、その間、民放連の会長を務めるなど日の当たる場所を歩み続けた。
ある時、NHKの某記者が私に言った。「浅野さんはいいよな~ あれで参議院議員になったって、しょせん“陣笠議員”で終わったかもしれない。フジテレビの社長の方がはるかにいいよ」
私もそう思った。国会議員になっても、すぐに大臣になれるわけがない。陣笠で終わる議員も多い。それより、民放キー局の社長を務める方がずっとやり甲斐があるのではないか。
すっかり浅野氏の話になってしまったが、最後に一つ二つエピソードを紹介して終わりたい。彼はテレビ局には向いていたとは思わないが、さすがに事務次官にまで上り詰めた元高級官僚だ。 仕事熱心かどうか知らないが、放送中のドラマの台本を全部読んでいたという。これには驚いた。社長がドラマの台本を全部読んだって何のメリットもないが(そんな社長はまずいないだろう)、事務次官になる人はそんなことまでするのか。“カミソリ”のような高級官僚は、そこまでしないと気が済まないのか。
私が内勤の泊まり勤務だった時、夜遅く浅野社長から直接電話がかかってきた。何のことだかもう覚えていないが、細かいことを聞いてくるのだ。社長がいちいち聞いてこなくてもと思ったが、それだけ仕事熱心だったのだろう。高級官僚とはそういうものか。他にもいろいろあるが、もうこの辺で止めておこう。
今日は“天下り”の問題を書こうと思ったが、まるで天下りが当然かのような一文になってしまった(笑)。しかし、これは私の本意ではない。(2012年2月11日)
現代人の思考欠如はやむを得ないか
現代人はデジタル化と情報過多で、思考欠如に陥っている。
以前書いたことがあるが、世の中がコンピュータ化しパソコンや携帯電話などが次々に登場してくると、人は考えるよりも“処理能力”が問われることになる。しかも毎日、膨大な情報が雨あられと降りそそいでくるのだ。人々はその整理に大わらわとなり、じっくりとものを考える暇がなくなってくる。
それは誰もが知っていることだが、例えば計算一つ取っても、昔は電卓などなかったから、数字をいちいち数えたり算盤をはじいたりしていた。スピードは遅かったとしても、自分の頭の中で考えていたのである。ところが、今や電卓は当たり前だから、頭を使うよりも“指先”の動きが重要になってくる。何よりもスピードが求められているのだ。 調査によると、今の子供たちはきちんと計算するのが苦手で、ゼロが沢山出てくると迷うらしい。同様に、文章の意味を正しく理解するのも苦手だそうだ。
子供たちがそうなるのは仕方がないとしても、大人もだいたいそうなりつつある。しかもデジタル化が進んでいるから、思考経路が0(ゼロ)か1か、白か黒か、イエスかノーかといった短絡的なものに変わってきており、物事をじっくりと考える習慣も時間も無くなりつつある。考えている暇はないといった感じだ。
そこへ膨大な情報が土砂降りのように襲ってくるから、それを整理・分析する時間もあまり無い。分析するのに、情報データをコンピュータに入力してその結論に従うのが当たり前になってきた。こうなると、自分の頭で考えるのでなくコンピュータに全てお任せといった状況になる。これが現代社会であり、なにか避けて通れない環境になってきたと言えよう。
思考の欠如・停止はあらゆる面に現われている。いい例が、先の鳩山首相の退陣劇だった。普天間問題で社民党が連立政権から離脱した時、誰が考えても鳩山首相は窮地に立たされた。さらに内閣支持率は低落の一途をたどり、鳩山氏が辞任するのは時間の問題だと思われた。参院選を前にしているから、それが一般常識である。
ところが、大手マスコミはどうだったか。たぶん、大量の情報が入ってきたのだろうが、その情報に踊らされたフシがある。民主党内に鳩山辞任賛成・反対はいくらでもある。しかし、客観情勢は鳩山退陣は「自明の理」であった。あとはいつ辞めるかということである。
しかし、マスコミは退陣賛成論と反対論にモミクチャにされ、鳩山氏が実際に辞任表明するまではっきりした見通しが持てなかった。鳩山氏が民主党の両院議員総会で正式に辞意を表明した時、初めて“我に返った”ようである。そして「驚いた。びっくりした」などと寝言のようなことをぬかしていた。
実に恥ずかしいことだが、これは情報過多と思考欠如がもたらしたものだと思っている。退陣賛成と反対の意見が潮のようにごちゃ混ぜになり、情報を分析する能力が失われていたのだ。つまり客観情勢を見失い、「木を見て、森を見ない」状況にはまり込んでいたと言えよう。大量の情報に埋没したのである。
だから、鳩山氏が辞意表明をする前日の夜、親指を上げて(サムアップして)ほほ笑んだのを、首相続投の意志が固いと受け止め間違った報道をしたのである。一般の人の方が、はるかに客観的に状況を把握していたと思う。
つまり、今のマスコミは目先のことばかりに追われ、「大局観」を見失っているのだ。まさに思考の欠如である。
恐ろしいのは、こういうマスコミから毎日洪水のように情報を流されていることだ。現代人は思考能力が衰えているから、マスコミ情報に右往左往したり、付和雷同したりしやすい。思い切って新聞もテレビも見ないというなら別だが、大抵の人はそうもいかないだろう。要は思考能力を鍛錬する以外にない。しかし、私も含めてデジタル化と情報過多の中で、どこまで思考能力を回復できるだろうか。 いつも客観的に物事を見て、考える能力を養わなければならない。(2010年6月6日)
応接間
この前、ジャーナリストのNさんがわが家に来てくれたので、ごく自然にリビング(居間)に入ってもらい長い間雑談した。初対面なので妻がいると話しにくいと思い、その間、彼女には外出してもらった。お蔭で私も伸び伸びと話すことができた。
Nさんを送り出してふと思ったのだが、わが家には応接間がない。ありふれた普通の家なので、そんな立派な客間はないのだ。所沢の田舎の家だから、“賓客”が来ることはまずあり得ない。何年か前、ブログで知り合ったある人が訪ねてくれたことがあるが、その時もリビングにお通しした。
普通はそれで良いのだが、ふと、応接間があったらいいな~と贅沢な思いが去来した。昔、記者をしていた頃、主に自民党議員の家へ夜回りなどで行くと、だいたい応接間に通される。ソファーに座ると、奥さんやお手伝いさんが飲み物を持ってきてくれる。そして、議員先生とああだこうだと話をしたものだ。
そういう思い出があるし、映画やテレビドラマを見ていると、それなりの結構な応接間が映ったりする。そこに主人がいて、お客さんを迎え入れたりするのだ。あれはなかなか良い雰囲気だが、わが家にはそれがない。今さら応接間を造ろうたって金はかかるし、だいたい敷地が狭いから無理に決まっている。もし応接間があっても、訪ねてくれる客がほとんどいないから無駄もいいところだ(笑)。
ここで“負け惜しみ”のようになるが、応接間よりはリビングの方が話しやすいのではないか。テーブルを挟んで向かい合っていると、親近感も深まる。記者の頃の話にもどるが、議員宿舎だとリビングで対談するのだ。先生方が飲み物を持ってきてくれたり、親しくなると、私が飲み物を取ってきたりする。あれも良いものだ。
しかも、昔は(今もそうかもしれないが)、本当に腹を割って話し合える記者は応接間には通さない。議員の書斎や個室などに通す。その方がじっくりと話せるからだ。その間、並みの記者は応接間で待たされることもある。
しかし、やはり応接間があった方がいい。待たされていても、元女優や美人の奥さんが顔を出してくれて、楽しいひと時を過ごすこともある。その方が議員本人と、しちめんどくさい政治の話をしているより楽しいものだ。今日は全くどうでもいい話になってしまった。失礼。これも家に応接間がない私の思いなのか・・・(2012年2月21日)
パク・クネは全責任を取って辞めろ!
韓国で起きた旅客船沈没事故はまことに痛ましいかぎりである。もう2週間以上になるが、まだ安否不明者が多数いる。高校の修学旅行生が多いと聞くが、家族の悲しみを思うと他人事ではない。もしその中に、自分の孫が入っていると想像すると、胸が張り裂けそうになる。連日、テレビなどの報道に接すると涙涙涙・・・もらい泣きする人も多いだろう。
そうした感情はともかく、だいぶ事故の真相が分かってきたようだ。不明の部分もまだ多いと思うが、ここにきて“責任論”が大きく取り上げられている。船会社の安全管理(過積載問題など)や安全教育はもとより、船長ら乗組員の責任、海洋警察の対応などが議論になっている。そして、政府の責任も当然 追及されることになり、チョン・ホンウォン首相が辞意を表明した。
しかし、最大の責任者はパク・クネ大統領ではないか。国民の怒りが大統領に及ばないように、政府は首相辞任で事を収めようとしているようだが、政争がらみで野党はパク・クネの責任を追及しようとしている。彼女の“謝罪”で事が済むかどうか知らないが、日本人の1人として、私は彼女にぜひ辞職してもらいたいと思う。
ここから沈没事故とは直接 関係ないが、パク・クネ大統領にはほとほと嫌気が差している。とにかく、彼女は「反日」に凝り固まっていて、事あるごとに日本を非難し、日本を悪者扱いしているのだ。例の慰安婦像をあちこちに建てようとしたり、伊藤博文暗殺の安重根を称揚したり、(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わらないと述べるなど、その「反日」の言動は止まるところを知らない。
たしかに、日韓関係は戦前 不幸な歴史を生じ、日本人もそれぞれが反省している。程度の差こそあれ、みんなが反省しているところだ。だからこそ、将来の日韓関係を思って多くの人が努力しているのに、パク・クネの発想は過去の事ばかりである。ここで日韓の歴史を検証する時間はないが、彼女の姿勢はあまりにも“後ろ向き”ではないか!
パク・クネは韓国の国民感情におもねり、迎合するばかりで全く未来を志向していない。日韓関係を悪くするばかりである。沈没事故が起きた時、彼女は国家のメンツ(面子)を気にしたのか、日本の救援申し入れを断ったという。国家のメンツより、人命の救助が第一だろう! そのために、犠牲者の数が増えたとしたら、人道上 許しがたい行為である。
パク・クネを批判しようと思えばいくらでもあるが、もうよそう。ただ彼女は、日韓国交正常化に大きく貢献したパク・チョンヒ元大統領の長女である。親は日韓関係に多大の貢献をしたというのに、娘が「反日」に凝り固まっているようでは、明るい未来はない。この際だ。ちょうど良い。パク・クネは沈没事故の最高責任者として、大統領の職を辞任しろ! と言いたい。そうでなければ、真の日韓友好関係の樹立のために、誠実に努力していくべきである。(2014年4月某日)