⑰ 共産党はレーニンのように柔軟であれ! 普天間基地をテニアンに移そう。 TPP反対で「国民共同戦線」の結成を! 感動もロマンもないプロ野球。 「クジ加味」選挙とは
共産党はレーニンのように柔軟であれ!
日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。
受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!
こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間320億円ぐらいあるという。共産党はよく、この320億円を大震災の被災者救援に回せと言っている。これも非常に立派な意見だ。しかし、他の政党は一向に回そうとはしない。320億円はとても有難い資金だからだ。
ここで、他の政党を批判するのは自由だが、現実には国会で「政党助成法」が成立し、運用されているのだ。悪法だろうと何だろうと、国会で決まったことである。この法律を廃止するのに私は大賛成である。その点は、共産党と一致している。しかし、現実に政党助成法を廃止するのは難しい。なぜなら、他の政党が廃止に反対するに決まっているからである。共産党は衆参両院で、たった15人の議員しかいない弱小政党だから、今すぐに政党助成法を廃止するのは無理である。
それならば、当面どうすれば良いのか。共産党員や支持者の中には、せめて共産党の分だけ受け取って、それを被災者救援に回した方が良いという意見がある。私はそれに大賛成だ。何億円だか知らないが、それを被災者の方に回せば、共産党は実に立派だと評価されるだろう。既存のブルジョア・マスコミだって、報道しないわけにはいかない。本当に被災者を救援したいなら、そのくらいのことがなぜ出来ないのか。共産党の諸君! 君らの分は被災者の方に行かず、他の政党の“餌食”になっているのだ。これが「現実」である。これで良いのか。これは被災者救援どころか、単なる“利敵行為”と言うのだ!
だいぶ激しい言い方になって失礼した。少し冷静になって、共産主義者が師と仰ぐレーニンの話をしたい。レーニンは確固たる信念を持っていたが、その一方で非常に“柔軟で大胆”な一面を合わせ持っていた。つまり「目的のためには手段を選ばない」ということである。
私よりも共産党の諸君の方が詳しいはずだが、例えば、第1次大戦中にロシアで革命が起きると、レーニンは亡命先のスイスから帰国するため、何と敵国であるドイツの“封印列車”に乗ってロシアに帰ったのである。これは有名な話だから誰もが知っているだろう。
つまり、レーニンは敵国・ドイツと話をつけ封印列車に乗ったのだ。これについて、道徳や倫理にうるさい人たちはレーニンを非難した。私が尊敬するフランスの文豪ロマン・ロランもレーニンの行動を批判した。
しかし、目的(革命)のためにレーニンは手段を選ばなかったのだ。後はよくご存知だろう。レーニンはフィンランド経由でロシアに帰ると、猛烈な革命運動を起こし、紆余曲折はあったが、臨時政府を打倒して10月革命を勝利に導いたのである。
目的は何か。革命だろうと被災者救援だろうと、やろうと思えば手段を選ばず出来るのだ。本気で被災者を救援したいのか。それならば、ロシア革命よりはるかに簡単なことである。たとえ数億円だろうと、共産党は自分の政党助成金を受け取って、被災者に回せば良いのだ。それをしないというのは、本気で被災者を救うつもりがないのか!?
またまた激しい言い方になって申し訳ない。ところで、レーニンはそれより前の日露戦争の頃(1904年)、日本の参謀本部諜報部員である明石元二郎大佐と秘密に会談し、資金援助を受けたという。(これには異説もあるが、明石本人が戦争後そう述べているのだ。)
つまり、日本にとってもロシアの革命勢力にとっても、ロシア帝国が“共通の敵”であり、敵の敵は味方という考えだ。司馬遼太郎氏の歴史小説『坂の上の雲』によれば、レーニンは後に「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである」と語ったという。(末尾にリンクしておく)
ロシアの革命家が、敵である大日本帝国の軍人と秘密に会って資金援助を受けるなど、道義的・倫理的に見れば許されないことだろう。時代や環境が今とはずいぶん違うとはいえ、目的のためには手段を選ばないという、レーニンの柔軟で大胆な姿勢を如実に表わすものだ。
私は若き日のスターリンのように、銀行強盗などをやれと言っているのではない。いくら革命のためとはいえ、銀行強盗は犯罪である。平和な今の日本で出来るわけがない。しかし、目的(被災者救援)のためには、政党助成金の自分のものを“合法的”に受け取り、被災者に回して何らおかしくはない。いや、逆に国民から拍手喝采を受けるだろう。そうした上で、助成金の廃止を訴えればより賛同を得られるはずである。
以上、私はレーニンの例を挙げて、確固たる信念を持ちながらも、戦略・戦術はびっくりするほど柔軟、かつ大胆に行なうことを提起したつもりだ。
共産党はよく“北斗七星”に譬えられるそうだ。つまり、不動の星座である。信念も節操も不動だということだろう。それは素晴らしい譬えである。私も北斗七星になりたい。しかし、星は天に輝くものだが、政治は地上のものである。泥臭く生臭いものが政治である。綺麗ごとだけを言っていれば、それは単なる「自己満足」でしかない。坊主がお経をあげているようなものだ。したがって、共産党はレーニンのように柔軟に大胆に行動して欲しい。
たまたま私は本日から、共産党の「しんぶん赤旗」日曜版を購読するようになった。そのため、いささかボルテージが上がったと思うが、率直に言わせてもらった次第である。共産党や党執行部に対して、何の悪意もないことを付言しておく。(2011年10月22日)
政党交付金・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91
明石元二郎・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
普天間基地をテニアンに移そう
沖縄・普天間基地の移設問題はいつまで経っても埒(らち)が明かない。これではあと100年ぐらいかかるのか!?(笑)
それはもちろん悪い冗談だが、野田政権には本気で解決しようという姿勢が全く見えない。だらだらと先延ばししているだけという感じだ。いわゆる「沖縄利権」とか「基地利権」が邪魔をしているのだろうか。しかし、困っているのは沖縄県民である。いつになったら、国外ないしは県外移設ができるのだろうかと思っているだろう。辺野古への移設などは絶対に無理なのだ。
ここで、普天間問題をおさらいするつもりはない。さんざん言われてきたことだ。したがって、私の意見だけを述べておく。昨年、私は二度にわたって、普天間基地を北マリアナ諸島の「テニアン」へ移せという記事を書いた。これはもちろん、根拠があって言ったことだ。末尾に参考記事をリンクしておくが、アメリカの自治領であるテニアン島は昨年、普天間基地の移設先として名乗りを上げ、非常に熱心に誘致運動を繰り広げたのである。
しかも、テニアンが所属する「北マリアナ連邦」(14の島から成る)は昨年4月、上下両院で誘致決議を全会一致で決めたのである。これを受けて、テニアンのデラクルス市長が来日し、当時の連立与党である社民党の福島党首らと会って、基地の誘致を陳情したのだ。北マリアナ連邦はもちろん、アメリカ政府にもそのような陳情をした。
彼らが普天間の移設先として最適だと強調したのは、(1)東南アジアにおける防衛戦略上、地理的に優位。 (2)自然環境が豊かで近代施設・娯楽施設も提供でき、在沖米海兵隊員や家族の生活に適している。 (3)テニアンは1999年、土地の3分の2をアメリカ国防総省と賃貸契約している。 (4)志願兵の割合が高いなど米軍に対する協力体制ができているなどの点である。とにかく、移設してくれれば大歓迎だとの意思を表明したのだ。
こうした動きは彼らだけではない。日本でも民主党の川内博史議員、社民党の照屋寛徳議員らがテニアンを訪問するなど、テニアンへの移設で積極的に動いたのだ。私もテニアンが最適だと思った。ところが、当時の鳩山首相はこういう動きを知っていながら、最終的に沖縄・辺野古への移設を決め、「国外、最低でも国内移設」という公約を裏切ったのである。
その後の経過は皆さんご存知だろう。公約を破った鳩山は社民党などから突き上げられ、すぐに退陣に追い込まれた。そして、菅政権が誕生したのである。
経過説明が少し長くなったが、私はあの頃、北マリアナが移設先として手を挙げたことを“渡りに船”だと思った。こんな好都合なことはない。鳩山政権は国内の移設先候補にした鹿児島県の徳之島から強い反発を受け、非常に困っていたのだ。そこへ北マリアナが熱心に誘致を陳情してきたのだから、これほど割りに合う話はないではないか。
ところが、鳩山首相は最終的に辺野古と決め(あるいは、決めさせられ)、沖縄から猛反発を受け結果的に退陣したのだ。あの頃の鳩山の“哀れな姿”を覚えているだろう。仲井真知事に会うため沖縄を訪問したら、県民からぼろくそに非難された。哀れな最後である。
鳩山政権に何があったかはもう良い。問題はこれからだ。聞くところによると、アメリカ国防総省は議会から予算削減を求められ苦しんでいるという。このため、在沖海兵隊のグアム移転だとか、沖縄基地の経費削減などが浮上しているという。アメリカ軍も苦しい立場に追い込まれているのだ。
そう考えると、普天間基地のテニアン移設は三方一両損でなく、まさに“三方一両得”ではないか! つまり、沖縄や日本政府にとっても良く、財政難のアメリカにとっても好都合のはずだ。民主党政権はもともと、普天間の国外か県外移設を公約していたのだから、テニアンに移れば最良である。また、テニアンにとっても経済活性化、つまり“島興し”になるから大歓迎しているのだ。
あとは政治家の決断である。沖縄の「基地利権」だとか色々あるだろう。また、テニアンに移るとなれば、移設費用をめぐって日米双方が交渉しなければならない。しかし、辺野古へ移っても費用はかかるのだ! どうせ費用がかかるなら、国外へ移ってもらった方が、沖縄県民にとっては万々歳である。
なぜそんなことが分からないのか? そんなに沖縄の「基地利権」は重要なのか? もう話すのが嫌になったが、最後にもう一度だけ言う。鳩山政権時に、普天間基地のテニアン移設も検討されていたのだ。これは私の“妄言”ではない。民主党や社民党の国会議員が実際に動いていたのだ! (2011年11月1日)
テニアン「最適地」・・・http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161169-storytopic-3.html(琉球新報の記事)
テニアン島・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%B3%B6
TPP反対で「国民共同戦線」の結成を!
TPP・環太平洋経済連携協定については、賛成論と反対論が渦巻いている。野田首相は協定参加に前向きの姿勢で臨もうとしているが、果たしてそれで良いだろうか。
私はここで、TPPの内容を詳しく述べるつもりはない。なぜなら新聞、テレビ、インターネットなどを通じて、余りに多くのことが語られているからだ(TPPについては末尾にリンクしておく)。
そこで、内容のことはともかく、TPPに反対する立場から一つのことを提起したい。それはTPPに反対する「国民共同戦線」の結成を、ぜひお願いしたいということだ。なぜそう言うかというと、TPPに関しては自民党や民主党はもちろん、公明党、社民党、共産党に至るまで、多くの人が反対している。このうち、共産党や社民党などは党を挙げて反対している。 また、全国農協中央会(全中)は、TPP交渉参加に反対する1167万人分の署名をすでに藤村官房長官に提出している。これほどまでに反対意見が多い外交案件も珍しい。
それはともかく、この数日間、インターネットをいろいろ検索して気が付いたことは、TPPに関しては左翼も右翼も、また革新派も保守派も全く関係ないということだ。つまり、国民のあらゆる層で反対意見が強いことが分かった。これも珍しい。
普通は左翼と右翼は対立するものだ。日米安保でも在日米軍基地問題でも、また外国人参政権問題でも、左翼と右翼は必ず対立する。ところが、このTPP問題だけは左翼も右翼も関係ない。私は左翼的立場の人間だが、保守的・右翼的立場のサイトにお邪魔すると、今回だけは逆に“激励”を受けた気分になった。こんなことは初めてである(笑)
保守的・国粋的な人たちから励まされ、何か戸惑ってしまうが、それでいっそう意を強くした。TPPに関しては「国益」の観点から、全国民的な反対論、慎重論が非常に多いということだ。
問題は農業だけではない。医療、保険、郵貯・簡保などの金融、公共事業や公共調達、知的財産権、衛生や検疫などなど、国民生活の多方面に及んでいるのだ。
TPP推進派は「まず交渉に参加しないと、情報も入らない」とか、「駄目だと思ったら脱退すれば良い」などと言っているが、こんなに甘い、いい加減な態度で外交交渉に臨むのか。とんでもない話だ! 外交交渉は遊びじゃない。馬鹿かと言いたくなる。
ここでアメリカの狙いがどうだとか、具体的な話はしない。もうそんな話は山ほど出ており、すでに記事にしたり、専門家や国会議員の話を紹介しているので省略する。要は、これほどまでに「国益」に反する協定に、国民がこぞって反対することが求められているのだ。
すでに署名活動などは行なわれた。あとは“超党派”で、TPP反対運動を全国民的に盛り上げていくしかない。これを私は「国民共同戦線」と呼びたいが、名称はどうであれ、これから11月に向けて、一大運動が展開されることを願ってやまない。やや抽象的な話になってしまったが、本日はこれにて終わりたい。(2011年10月26日)
TPP・環太平洋経済連携協定・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A
感動もロマンもないプロ野球
子供の頃、川上や大下、杉下といった野球のスタープレーヤーによく年賀状を出した。いつも10数人ぐらいだったか。たまに返事をもらうと嬉しくて嬉しくて、みんなに見せて回ったものだ。
あの頃と今ではプロ野球の置かれた環境に大きな違いがあるが、今の子供たちは野球選手に憧れを持っているだろうか。少しはあるかもしれない。しかし、我々が子供の頃は、スポーツと言えば野球と相撲ぐらいしかメジャーなものがなかったから、野球選手は憧れの的だったのである。
時代が大きく変わったこともあるが、今のプロ野球は全く面白みがない。昨日もそういう記事を書いたが、野球も大相撲も人気を落としている。いろいろな理由があるだろうが、野球の場合は余りにもデータ重視のプレーになっていて、夢もロマンも感動も何もないのだ。完全にID野球なのだ。
試合に勝つにはそれが一番だろうが、見ていてちっとも面白くない。さらに、これは仕方がないだろうが、3時間も4時間も試合をやっているのだ。これではテレビ中継も無理である。この数年、野球の視聴率はどんどん悪くなって、テレビ局も重荷になっているのではないか。かつて、平均視聴率30%ぐらいを楽に取っていた巨人戦も、今では10%を割ることもあるのだ。
巨人と言えば、ナベツネ氏対清武氏の戦いの方がはるかに面白い(笑)。 この“場外乱闘”はとても意外で突発的に起きたから面白いのだ。いや、ここは巨人のフロント問題を語る場ではない。話を本筋に戻そう。
今の野球にはこの意外性、突発性が全くないのだ。 「勝利の方程式」というのがあり、選手の起用法やローテーションが決まっていて、決まったこと以外は滅多にやらない。方程式通りにやるのだ。選手は単なる“駒”である。だから、スーパープレーヤーなんてまず出てこない。勝つためにはそれが一番だろうが、何とも味気なくなった。
昨日、ある方からコメントを頂いたが、昔の日本シリーズでは杉下や稲尾、杉浦といった名投手が4連投も5連投もしたのだ! もちろん、今はそんなことは許されない。選手の健康管理が第一だから、絶対に許されない。
しかし、あの頃は「神様、仏様、稲尾様」という言葉が流行ったように、学校で日教組の先生から「稲尾に見習え!」なんてハッパを掛けられたものだ。つまり、プロ野球に感動とロマンがあったのだ。今のプロ野球には感動もロマンも何もない。サッカーの「なでしこジャパン」や、先日の日本女子バレーチームの方がはるかに感動的である。見ていてハラハラドキドキするのだ。
昨日のTBSの朝番組で、広島カープの元監督・達川光男氏が、広島に来た日本女子バレーチームの練習を見てびっくり仰天したと語っていた。非常に激しく厳しいというのだ。
野球とバレーボールでは練習方法が違うが、野球選手の場合は柔軟体操やランニング、ダッシュなどが主体で、あとはキャッチボールや打撃練習ぐらいではないか。そんなものは当たり前だ! テレビ局の女子アナといちゃいちゃ話し合ったりしていて、まるで遊んでいる感じだ。それも良いが、緊迫感など全くない。だから、もっと根性のあるガッツな練習をしろとは言わないが、プロなのにこんなものかと思ってしまう。女子バレー選手の練習よりはるかに楽そうだ。
話が少し逸れたが、日本のプロ野球はテレビ局やスポーツ新聞、地元のファンに甘やかされて今までやってきた。しかし、視聴率はガタ落ち、試合の感動なんて何もないから、一般の人は離れていくのだ。このままでは、大相撲のように人気も落ちていくだろう。野球が大好きだった私も、今年は球場へ行くどころかテレビ中継もほとんど見ていない。記事を書くために、仕方なく日本シリーズを少し見ただけだ(笑)。
国民に感動もロマンも与えられないスポーツは廃(すた)れていくだけだ。高校野球の方がずっと好ましい。もっとガッツなハングリー精神を持てと言いたい。そう言っても無理か・・・
まだ言いたいことは沢山あるが、本日はこれまでにしておこう。(2011年11月21日)
「クジ加味」選挙とは
ある人のブログで「クジ加味」選挙について色々教わった。初めは何でクジなんだと笑ってしまったが、あれこれ考えていくうちに、それも公正・公平で良いのではと思うようになった。
クジとは簡単に言うと、神様に決定を委ねるということである。最も神聖で公正・公平なのだ。そこで、ウィキペディアで「くじ」を調べてみると、色々あるはあるは・・・(以下の記事を参照・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%98)
そこに出ているが、民主主義の祖・古代ギリシャでは、一部を除く公職者は、希望する市民の中からクジで選ばれたそうだ。 日本では室町時代に、6代将軍・足利義教がクジで選ばれたという。これなどは“お家騒動”が起こらないようにと、公正・公平に選んだということか。
現代でもクジで決めるケースは多い。地方の首長や議員選挙の場合、得票が同数になれば当然クジ引きで決める。実際に時々あることだ。 私が驚いたのは、まだ起きたことはないが、内閣総理大臣の指名選挙でも決選投票で得票が同数になれば、クジ引きで決めるというのだ。てっきり、衆議院議長が決めると思っていたらそうではなかった。いずれ起きるかもしれない(笑)。
このようにクジで決めるケースは多くあり、裁判員制度の裁判員、検察審査会の審査員もそうやって決めている。 余談だが笑ってしまうのが、日本の最高学府・東京大学でも、1989年に行なわれた総長選挙では2人の候補が586票の同数となり、クジ引きで有馬朗人新総長を選んだという。
まだ色々な事例があるが、こう考えてくると、クジ引きは最も公正・公平であり誰も文句の付けようがないものだ。これを国会や地方の議員の選挙にも、生かせないものか。
そうすれば、選挙が過熱したり金権選挙になったりはしない。もちろん、裁判員や検察審査員のように無差別抽出でやるわけではない。立候補者を受け付け選挙をした上で、そのうち上位5人の中からクジで選ぶとか方法は色々ある。 いや逆に、成人男女を30人ぐらい無差別抽出しておいて、その中から投票で決める方法もある(小選挙区の場合)。さらに極論すれば、裁判員のように国民の“義務”として、無差別に選ぶことだってあり得る。
肝心なことは、クジ引きだと公平だから、民意が比較的正確に反映されるということだ。また、こうすると絶対に“議員族”みたいなものは生まれてこない。 一度当選しても、次はクジに当たるかどうか分からないからだ。議員が特権化することはないだろう。
私は冗談で言っているのではない。こうすれば、日本の成人男女は、いつ“公職”に就くか分からないということだ。良くいえばチャンスが広がる。 始めに無差別抽出で候補者になった場合は、裁判員と違って「辞退」を認めてもよい。裁判員は半ば強制的だが、自分はどうしても議員に向かないと思う人もいるだろう。
こういう選挙になれば、悪名高い供託金などはもちろんゼロになる。いや、供託金制度など無くなるだろう。こんな制度がない国も多いのだ。
今日はあえて「クジ加味」選挙の問題提起をしたが、笑って取り合わない人が多いかもしれない。しかし、世の中にはこれを真剣に考えている人も少なからずいるのだ。 選挙制度を考えていると言いたいことは色々あるが、本日はこれまでにして、そういう考えもあるということをご紹介しておきたい。(2012年2月2日)