<2016年8月に書いた以下の記事を復刻します。>
日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛(とよひろ)さんのことを書きたくなってきた。と言っても、私は彼との付き合いがわずか2年余りなので、多くは語れない。しかし、30代中半の若いころ、記者クラブで一緒だった彼のことは決して忘れられない。だから書くのだ。
もう40年以上も昔になるが、私がフジテレビの外務省詰めの記者をしていた時、秋山氏はTBSの記者として外務省クラブにやって来た。はじめは何か取っつきにくい感じのする人だったが、同じ民放テレビの記者同士で、席が1メートルぐらいの向かい隣りだったのですぐに仲良くなった。年齢が同じぐらいだったせいもあるだろう。(私の方が1歳年上なので、以後、親しみを込めて「秋山君」と呼ばせてもらうこともある。)
彼は記者クラブが初めてだからか、とにかく仕事に非常に熱心だった。例えば誰かの記者会見があると、ほとんどいつも記者席の最前列中央に座って、鋭い質問を浴びせる。私はと言えば、彼の後ろに隠れるようにして座るのが常だった。こうして、われわれは日々の記者生活を送っていった。
秋山君は非常に仕事熱心だったので、社に送った原稿が変に直されたり歪められて(?)放送されると、相手がデスクだろうと誰だろうと、激しく抗議していた。向かい側に座っているので、彼の迫力がじかに伝わってくるのだ。私が驚いた様子を見せると、彼は電話を乱暴に切って「馬鹿なデスクだ!」と、吐き捨てるように言うこともしばしばだった。とにかく、彼は異常なほど仕事に前向きだった。
その一方で、彼には優しい一面がある。なにせ席が向かい隣りだったので、私の電話送稿に“間違い”があると、そっと忍び寄ってきて耳打ちしてくれるのだ。何度、助かっただろう。もちろん、たまには私が彼の間違いを指摘することもあった。お互いさまだが、彼に助けられた方が多かったにちがいない。
秋山氏はICU・国際基督教大学を卒業してTBSに入り、20代のころイギリスのBBC(英国放送協会)へ出向していたことがある。このため、英語の能力は抜群だ。それに比べて私はと言えば、英語の読み書き、ヒアリングなどはせいぜい中学生並みだ(笑)。このため、彼にずいぶん助けられたことがある。
例えば、アメリカ大使館でレクがあると、ほとんど通訳抜きの英語だけになる。私は必死に聞き耳を立てるが、理解できないことも多い。こういう時、頼りになるのは秋山君である。会社が違うのだから人に教えなくてもいいのだが、そこは“お互いさま”である。彼からよく内容を教えてもらったのだ。
お互いさまと言ったが、まるで秋山氏から“一方的”に教わった感がある(笑)。しかし、私だって役に立つことがたまにはある。記者クラブの仕事は別にして、例えば政界の“生臭い話”などは得意中の得意だ。そのころ、私は自民党の福田派(福田赳夫元首相の派閥)を担当していたから、政界のいろいろな動きも分かる。それを秋山君に教えると、彼も大いに関心を示してくれた。
こうして2年余りの間、秋山氏とは大いに“競合”し助け合ったが、ある時、2人で徹底的に飲もうということになった。彼は酒も強い。3~4軒の店に行っただろうか・・・ 秋山氏はダンスも好きなようで、その場の女性ともよく踊っていた。その時だったか、私が以前 ICUの女子大生と付き合っていたことを話すと、秋山氏も彼女のことをよく覚えていたので、われわれはさらに“親密感”を深めたように思う。
取りとめのない話になってしまった。とにかく、私にとって秋山君は忘れがたい「記者」であり、ある時は親身になって助けてもらった人である。もうそろそろ止めるが、その当時の最大のテーマだった「日中平和友好条約」の締結が終わって、われわれは別れたと思う。
それから10年余りたって、彼が日本人初の宇宙飛行士として、宇宙を飛んだ時には驚いた。あの秋山君が・・・と思ったが、何事にも熱心で優秀な彼なら、当然のことかと思い直したものだ。それから数年して、彼はTBSを退社した。これも意外だったが、後でいろいろ伝わってくる話を聞くと、秋山氏の“世界観”が変わったのだからやむを得ない。
彼はその後、福島県に移住して有機農業に取り組んでいたが、2011年の原発事故で群馬県に避難し、いわゆる“原発難民”の生活を余儀なくさせられた。その辺の体験や苦闘は省略するが、秋山氏は原発を深く呪っているという。そして、今は仕事の都合上(京都造形芸術大学教授)で京都府内にお住まいだというが、いつまでも元気にそのご活躍をお祈りする。(2016年8月22日)
追記・・・蛇足だが、ある日、秋山氏と私は何かで論争したことがある。何のことだったか覚えていないが、彼はマルクス主義の立場で、私はアナーキズム(無政府主義)に拠ってである。論争はけっこう長く続いたが、互いに立脚点を変えることはなかった。それも今は懐かしい思い出となっている。
秋山さんは宇宙から帰ってから人生観が変わったとか・・・さもあろうかと思います。
本文にあるように彼には大変お世話になり、ほとんど彼に助けられ、こちらが助けたのはほんの僅かです(笑)。特に英語関係ではそうですね。
彼が宇宙飛行士になった時は驚きました。宇宙で何かを悟ったのか、その後の変貌も意外でした。でも、それが彼の人生なのでしょう。
秋山君のご多幸を祈っています。