<だいぶ昔の話で長くなりますが、2002年3月に書いた記事を一部修正して復刻します>
1) テレビ局には、実にさまざまな電話がかかってくる。 私は定年前の約3年間、某テレビ局の「視聴者なんでもサービスセンター」という部署にいたので、いやと言うほど、視聴者からの電話を受けた経験がある。 電話の大半は、問い合わせである。 放送予定や番組内容、出演者、曲名、テレビ局のことなどが、問い合わせの主だったものである。
そうした問い合わせは良いのだが、厄介な電話が入ってくることも多い。 特に、番組内容やテレビ局の姿勢に対する苦情は、激しかったり、延々と続くことがよくある。 こういう時は、我々も心して対応しないと、とんでもないトラブルに発展する恐れがある。 また、放送予定や放送時間が変更したりすると、ビデオでの収録が出来なかったと、一斉に苦情の電話が殺到してくることも多い。
同じように厄介な電話は、他にも沢山ある。 なんでも“からんでくる”人、一方的に怒鳴り込んでくるもの、意味不明な電話、なにを言っても分かってくれない人、酔っぱらい、ヤクザ、暴力団風の男、暇つぶしに延々とかけてくる人、泣きわめくもの、“人生相談”をしてくる人・・・等々、数え上げれば切りがないほどだ。
我々「視聴者センター」の人間は、これらの電話に、出来るだけ丁寧に、誠実に対応するのだが、こちらも生身の人間なので、時にはトラブルこともある。 元いた部署の話なので、差し障りのあることは言えないが、視聴者への対応というのは、けっこう骨の折れるものである。
2) 「視聴者センター」と同じく、いや、時にはそれ以上に大変なのが、電話の交換手である。 まさに会社の窓口だから、視聴者と最初に接触する所だ。通常、1日に1000本以上は電話を受ける。 なにかあると、すぐ3000本、4000本となり、極端な場合は1万本を超えることもある。 電話の本数だけでなく、交換手の女性達は前述した“厄介”な電話を、まず最初に受ける人達だということである。
テレビとは、“お茶の間の花”である。 これほど親しまれ、これほど影響力のあるメディアは他にない。 あらゆる人が、テレビを見ているだろう。 従って、責任も重いのだが、いつ何時、誰からテレビ局に電話がかかってくるか分からない。 電話をしてくるのは、某内閣総理大臣もいれば、皇族に直結した人もいれば、知的障害の人もいれば、暴力団員もいれば、ありとあらゆる人達なのである。 それらの電話を、まず最初に受けるのが交換手だから、彼女らの苦労も並み大抵ではない。
3) さて、1年以上も前のことだが、作家の曽野綾子さんが、休日の夜にテレビ局に電話をかけてきた。 この時の話は、数日後、彼女が「産経新聞」にてん末を書いておられるから、すでにオープンになったことなので、ここで取り上げることにした。
曽野綾子さんといえば、我々年配者の中では、知らぬ者はいない。 かつて、有吉佐和子さんらと共に、日本に“才女時代”を現出した、極めて“有名な”作家である。そのお名前を聞いただけで、私などは“身震い”しそうだ(笑)。
若き日の曽野綾子さん
その彼女が某日夜、「曽野綾子です。 ペルーのフジモリ前大統領の記者会見を○○日、○○時から、××で開きたいと思います・・・」といった電話をかけてきたらしい。 ところが、交換手は「曽野綾子」という名前をまったく知らない。たぶん、“変なおばさん”からの電話だと思ったらしい。“変なおばさん”は、世の中にはいくらでもいる。 仕方がないので、報道局の外信部に電話をつないだようだが、そこにいた若い人も「曽野綾子」という名前を知らない。結局、フジモリ氏の記者会見のご案内は、泡と消えてしまった。
翌日以降、そのことの後始末が大変だったようだが、それはここでは問題にしない。 その話を聞いた時、私はものすごく怒った。「なんで、曽野綾子さんの名前を知らないんだ!」と叫んだ。センター室長が「まあまあ」と取りなしてくれたが、後で聞くと、20人余りの交換手は、誰も「曽野綾子」の名前を知らなかった。ショックだった。
センターの数人の若い女性達に聞いても、誰も「曽野綾子」の名前を知らない。私は、だんだん侘びしくなってきた。自分が怒ったことが、間違っていたように感じられてきた。 ジェネレーションギャップなんだ、と思わざるをえなかった。
4) つまり、曽野綾子さんは、若い人達の中では、まったく“無名”だったのだ。 私は情けなくなったが、仕方がないのだ。世代の違いとは、こうも大きいのかと思った。 私が怒ったことはちょっぴり反省するとして、それなら、われわれ60歳前後の人間が、どれほど若い人達を知っているだろうか。 知る必要はないとしても、ほとんど知っていないのではないか。
われわれ古い年代でも、「イチロー」は知っているだろう。「キムタク」も多分知っていると思う。 しかし、GLAYだとか、竹野内豊だとか、TOKIOなんて、ほとんど知らないのではないか。 ところが、若い人達は全員が知っているにちがいない。それが、ジェネレーションギャップなのだ。
私はテレビ局にいたので、やや自慢げに話をしているようだ。しかし、実は「視聴者センター」に配属された時、ものすごく苦労し、汗をかいた。 若い視聴者から「LUNA SEAはどうなってるんですか」とか、「ラルクアンシエルの放送予定は?」などと聞かれると、何を言っているのかさっぱり分からない。 「なんでしょうか、それは?」と聞くと、相手の女性は、「若い人に替わって下さい!」と金切り声を上げた。 私は恥をかいたような気分になり、あわててセンターの若い女性に電話を替わってもらった。
5) 若い人が「曽野綾子」を知らないように、私は「LUNA SEA」を知らなかった。(せっかく知ったのに、もう解散してしまった。) このジェネレーションギャップは、どうしようもない。この前、テレビのクイズ番組を見ていたら、「山本富士子」のことが出ていたが、若い女性は勿論のこと、中年の女性も彼女のことを知っていないようだった。
山本富士子と言えば、天下の大女優ではないか。いや、大女優だったのかもしれない。 世の中の移り変わりは早い。過去のものは、どんどん忘却の彼方へ行ってしまうのだろう。 例えば、「カストロ」なんて言ったって、今の若い人はほとんど知らないだろう。我々の若い頃は、世界で最も有名な人物だったのに・・・
過去は、どんどん忘却の彼方へ去っていく。それが、現世の定めなのだ。 ということは、知る知らないが、問題ではない。 知る必要はないとしても、出来るだけ知るように努めることが、大切なのではなかろうか。
若い世代と古い世代の間に、どうしようもないギャップがあるのなら、願わくば、お互いに、相手の世代を知るように努めようではないか。 その橋渡しをしてくれるのが、テレビや新聞、インターネットなどのマスメディアならば、老いも若きも大いにそれらを活用しようではないか。(2002年3月18日)
高齢の私、確かに今の世の中の事、人の事は知らないことの方が多いと思います。
時代はスピードを増して過ぎていく気がします。時代に抗らうことはできませんね。
この記事を書いたのは17年あまり前のことです。ですから、世の中はさらに大きく変わりました。
若い人たちのほとんどが曽野綾子さんのことを知らないでしょう。一方、我々の世代のほとんどが若い人たちのことをよく知らないと思います。
これはやむを得ないことですが、本文にもあるように、できるだけジェネレーション・ギャップを少なくするよう、お互いに努力するしかないと思います。
そうは言っても“高齢者”である私たちには、限界があることを自覚するしかないですね。若者の方が、私たちを理解する可能性が大だと思わざるを得ません。
でも、時代はどんどん変わっていきます。われわれも若い芸能人を知らないことがよくあります。
まあ、ジェネレーションギャップということで諦めましょう。曽野さんもドヌーブもご健在のようですが・・・
たしかに顔も似ていますし、財団の代表でもありますから。
鳩山邦夫も、笹川さんの子という話もありましたが、これは本当みたいですね。
顔もそっくりでしたし、発言の意外性もそうでしたから。
もう自民党担当でもないので、まったく知りません。