【 保護犬:ハッチ日記 】

成犬の保護犬、里親日記

【明治村】森鴎外・夏目漱石住宅、再訪問

2023-05-14 | 博物館 明治村
【博物館 明治村】にある
「森鴎外・夏目漱石住宅」を再訪問してきた。


実は前回見学した後、家に戻ってから
写真の撮り忘れや
確認することを忘れていたことに気付き、
さらに
漱石の小説『吾輩は猫である』を再読したので、
建物の確認をもう一度したいと思い
再訪問することにした。

先月来たばかりなので
知り合いの家に再び遊びにきたような…(笑)

では早速、玄関からお邪魔します。


見学者はここで靴を脱いであがります。↓

当たり前だけれど、
この玄関を鴎外や漱石が出入りしていたのです。

玄関の照明 ↓


玄関左側にある
書斎の掃き出し窓 ↓


玄関を上がってから見るとこんな感じ。↓


住宅の間取り図 ↓



玄関入って右側が炊事場(台所)
食器などが入った棚。 ↓


炊事道具 ↓


漱石の小説『吾輩は猫である』の中では、
主人公の猫が食べ物を探して台所をウロウロする描写が
出てくる。
他にも、猫がお雑煮のお餅を食べて歯にくっつき、
餅を取ろうと必死になる姿が描かれているシーンも出てくる。
当時、漱石の家にいた猫がそうしていたのだろう。

炊事場の天井 ↓

火を熾して煮炊きをするため
天井が高い。

外から見た炊事場のある場所 ↓



炊事場(台所)の隣にある女中部屋 ↓
三畳の部屋。


『吾輩は猫である』の中では、御三(おさん)と呼ばれる
女中が出てくるが、猫を毛嫌いするシーンが何度か書かれている。
さらに、睡眠中に歯ぎしりをするということも書かれていて
小説家の女中はプライバシーも何もないもんだなぁ…(苦笑)と。

子ども部屋 ↓


北側から建物を撮る ↓


女中部屋から女中が座敷を通ることなく、北側の廊下を通って
炊事場や子ども部屋へ行くことが出来るようになっている。

ついでに外回りの外観 ↓


裏側からも ↓


猫が出入りしていたと思われる
掃き出し窓 ↓


住宅の説明を猫がしてくれている ↓


次の間から、奥にある座敷を見る ↓


漱石のパネル ↓

漱石の身長や体重まで記入されている(笑)

同じく鴎外のパネルも ↓


鴎外がこの住宅に住んだのは
わずか1年5ヶ月という短い期間。

漱石自身は、鴎外がこの家に住んでいたことを知らなかったそうだ。
ただし、鴎外は知っていたという。

鴎外の小説『青年』は、
漱石の小説『三四郎』に影響を受けたのではないかと言われていて
(ラジオ【メロディアス・ライブラリー】2022,1,2放送にも出てくる)
鴎外は漱石を意識していたのだろうなぁ、と思われる。


座敷にある床の間。
そこに飾られている掛け軸 ↓


これ、近寄ってよーく見てみると…
漱石の小説原稿!

絶筆となった『明暗』の原稿複製 ↓


漱石の『明暗』が執筆されたのはこの住居ではないけれど、
未完となった小説原稿が
小説を書き始めるきっかけとなったこの住居に飾られているのは
感慨深いものがある。

そして、最後はやはり執筆部屋。
漱石の執筆机 ↓


『吾輩は猫である』の中には、
この執筆机に関する記述がある。

特注で作ってもらった机であるということと、
さらに、
猫の飼い主である苦娑弥(くしゃみ)先生が
この机の上に横になって寝てみて、
縁側に転げ落ちてしまったという話。



漱石の実話だろうか…?
確かにこの大きさの机なら…と、
思わないでもないけれど
ベッド代わりにはならないなぁ、と見て改めて感じた(笑)

そして、『吾輩は猫である』の原稿複製 ↓


ホトトギスと赤い字で書かれていて
この原稿は第11話のもの。


この原稿の複製を提供してくれたのは
虚子記念文学館だ。

漱石の文字 ↓


『吾輩は猫である』は
第11話で小説が終わる。


漱石が推敲を重ねながら
原稿を書いているのが伝わる ↓


書斎で過ごす時間が多かった思われる漱石。


ここから始まる執筆が
後に、“明治の文豪”と称されるようになろうとは
本人も思ってもみなかっただろう。


書斎から廊下を見る ↓


書斎の押し入れ ↓


明り取り窓付きの浅い押し入れ ↓

本棚に入りきらない書籍が山積み…

書斎から縁側を見る ↓


書斎の縁側の天井 ↓


書斎にある火鉢 ↓


書斎の説明 ↓


書斎の広さが七畳と書かれているが
他の文献では、八畳と書かれているものもあり
漱石自身は『吾輩は猫である』の中では
六畳としている。

大きな執筆机、本棚、溢れるほどの書籍の山……
部屋が小さく見えるのは仕方がないのかも(笑)

長くなったけれど
以上で、再訪問の報告は終了!
お疲れさまでした。

(おまけ)
庭にあった鴎外の詩
『沙羅(ナツツバキ)の木』↓


   褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に
   白き花はたと落ちたり、
   ありとしも青葉がくれに
   見えざりし さらの木の花。

鴎外記念館にはこの詩の碑があり、
揮毫(きごう)はなんと、永井荷風!なのです。
(鴎外の長男が永井荷風に頼んで、詩の文字を書いてもらったとのこと)


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