<弱さ>のちから ホスピタブルな光景 鷲田清一著 講談社刊 2001年初版。著者は京大出の哲学者 この本が出た当時は阪大教授。元々月刊誌に掲載されてた なんらかの形でケアに関わっている13人の対談をまとめたもの。ゲイバーのマスターからセラピストまで幅広い。単行本化に当たって めいわくかけてありがとう 「その他の関係」のために が書き下ろされている。この中で喪失することへの焦り・・というのが気になった。あたしは大病して 一応は生きているけど明日はわからない状態である。生を喪失する焦りというのはある。人生病んでるわけで メンタルも病んでるからもう出口なんかないんじゃないか?状態。さて この書き下ろしの部分は 他者との関係性について書かれててなかなか面白い。極端な話大部分を占める対談部分は無くてもこの章だけで成立する話だな・・と思う。鷲田氏と言えば 書棚にてつがくこじんじゅぎょう・・て氏と某永江氏との対談本があるのだが 当時は永江氏のことは知らずに 鷲田清一の対談本・・てことで買ったのである。なんで鷲田氏かというと一連の京都本の中に 氏の 京都の平熱があって面白かったので買ったのだが 対談相手がまさか~というわけなのでwちょっと読んでほったらかしてある。さて そろそろ息切れしてきた。木曜に病院行った帰りに6冊取ってきて2日で全部読んで 日経4日分と週刊誌3冊 月刊誌4冊を読んで今である。少し読書疲れである。Jazzradio.comでも聴いてぼんやりするとしよう。
倒錯のアナグラム 周縁的ポルノグラフィーの劇場 秋田昌美著 青弓社刊 1988年初版。これもamazonのカートのウェイティングである。まさか無いだろうと思ったら図書館にあった。最近本が増えすぎて3つある本棚も前後2列に入れてもまだ平積みしてるのがあるので 嫁はんから苦情が出てるのであんまり買えないので 図書館にあるものは借りて どうしても欲しいものだけ買うようにしている。さて本書 倒錯・・というか一般的に変態とか言われる フェティシズム・靴フェチ・ラバーフェチ・シーメール・SM・ボンデージなんかの特殊な性嗜好の欧米北欧の歴史的考察が内容。古いところでは13世紀あたりから始まり現代・・と言っても80年代までだがの歴史的資料と言ったところか この本が出た88年ごろってまだネットなんか無かったわけだから 無修正のポルノ雑誌が欲しくても買えなかった時代である。ソフトコアのペントハウスやプレイボーイですら本国版はヘアが写ってて 当時ヘアは解禁されて無かったからみんな黒塗りされてた。これをパターでこすると黒塗りが落ちるとか 間抜けな情報が飛び交っていたが当然デマであるw ハードコアの雑誌に至っては国内からオーダーすることは可能だが 輸入に当たって税関での抜き取り検査があって(当然全部開封検査はできないから怪しそうなのだけ抜き取って検査)わいせつ図書だと 手紙が来て出頭するか任意放棄するか連絡せよ・・なんて言われるわけである。本書にこういう場合はどうすればいいか?というと 無視してると発送元に送り返され運が良ければ再発送してもらえ さらに運が良ければ税関の目をくぐりぬけて配達される・・なんてノウハウが載ってたりするwあたしも最初にハードコアの雑誌を見たのは 下鴨の飲み屋だったが うわっ欧米ではこんなん普通に売ってるのかよ?と思った記憶があるのが懐かしい。今ではネットで無料で動画まで見れるのだから隔世の感があるのは言うまでも無い。本書 資料的価値は高いもののむやみに劣情を刺激wするものではないので興味のある方はどうぞ。これも公共の本棚行きである。
ひとりで暮らすということ 寿岳章子著 海竜社刊 1995年初版。これもamazonのカートのウェィティングだった本だ。手ごろなのが出てたのでカートに入れてポチする前に amazonのレビューを見たら 一人暮らしの知恵とかヒントとかの本と思ったのに 学者先生の日常・・・と低い評価がついてるのが面白いw 氏は東北大出の京都府立大学の教授だった国語学者。氏の著書に京都三部作というか 京都町なかの暮らし 京に暮らすよろこび 京の思い道 (湖北の光はこの際別として)という良書があって 全部持ってるのだが この挿絵を描いてる沢田重隆氏というのがまた良いのである。ペン画なのだが いかにも昔の京都・・で味があって素晴らしい。大体こういうのは繰り返し見るので空中分解しそうで 文庫版も出てるのだが あえて古びた単行本を買った。文庫では絵が小さすぎて物足りないのである。さて本筋からは外れるが 氏は京都市内 それも洛中住まい・・と思っていたが 実際は向日市に家があるそうな。町なかの暮らしや京に暮らす・・を見ているとてっきり洛中が実家と思ったら違うようだが小さい頃は南禅寺の寺内の借家にいた・・というからなんとなく謎が解けた気がする。あたしの好きな京都の漫画家の魚田南氏が市内と市外の壁みたいな話を書いてたが 京都市内と上は多分京都 下も多分京都というあれだw 京都市内でも上京・中京・下京の洛中以外は京都じゃないとか 中京の旦那衆に至っては鉾町以外は京都じゃないという京都中華思想があったりしてややこしいw 魚田氏は大阪よりで枚方が近そうなんでたぶん京都だが 先にも書いたが京橋-出町柳が特急で52分だから たぶん京都でも京都府には違いない。そんなこと言い出したら うちなんか新宿から50分弱の多摩地方なんで 多分東京wと言われそうだが。寿岳氏は研究が面白くての一人暮らしのようだが これはこれで面白い。京都の竹林に関する章はあるものの 学者先生の日常の随筆(エッセイというほど軽くない)だ。 濃密な家族の時間を描いてたりするので良書だと思うが 部屋の本棚に空きが無いのと 森見登美彦氏の密林を買いたいので我慢 しばらくは公共の本棚に入れておくとしよう。しかし熱帯 待ちが28人もいるわけで一人最大二週間なので最長で14ヶ月待ち・・ってありえんだろう・・という話だ。これは買うしか無いか・・と半ば諦めているのだが今月はリラックマを買ったのでもう予算が無い。しくしく
野宿入門 かとうちあき著 草思社刊 2010年初版。著者は”野宿野郎”編集長だそうな。野宿は楽しい・・というのを前面に出した本であるが 具体的なノウハウよりも 野宿する意味というか思想を強調した本である。これもamazonのカートのウェイティングだが 図書館で借りた。正直 これは借りて正解というか買わなくて良かった・・というかw 野宿をするのは呑んでいて終電を逃した時なんてあるけど 誰かと呑んでたらその人の部屋に転がり込めばいいわけだし あたしなんかも若い頃は仕事で終電逃したら 朝まで仕事して始発で帰るとかいうのをしてたからなんで都会で野宿って選択肢があるのかよくわからない。あたしはキャンプもするので地方で野宿つーか無人駅とか屋根つきのバス停とかならアリだと思うが都会でしたらただの酔っ払いかホームレスだと思うと著者の意見には激しく反対である。極めつけは和式のトイレで拾ってきた新聞紙をひいて寝る・・というのがあって壁はあるし屋根はあるしトイレは近い・・当然だがwので慣れてしまえば快適・・とか言われたって そんなことするくらいなら外で凍え死んだ方が何倍もマシだと思うから同意できない。寝袋の良さを力説してらっしゃるが 都市に住んで仕事してたりする人が 終電を逃したりして野宿する場合に備えて寝袋と銀マットを常に携行するなんてありえないしw 若い人 著者は30前の女性だが 都市で野宿・・ってどうなの?という以前に 終電逃す時間まで呑むなよ?とか 終電逃しても泊めてくれるような相手以外と呑むなよ?とか突っ込みどころは満載である。若い頃の貧乏旅行の野宿はいいけど 都市やある程度の年齢だと 発想が変な方向に行ってない?と思うのである。
赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて 木村聡著 自由国民社刊 1998年初版である。これamazonのカートのウェイティングに入っていてポチろうとしたのだが まさか図書館には無いだろうあなぁ・・と思ったが検索したらあったので借りてきた。赤線・・まあ遊郭だが この本・・というか写真集だが 出た時点で多くは取り壊されて 以前に撮影された写真を借りて構成したりしてる。まあ跡・・というだけあって すでに廃墟か崩壊寸前のところが多いのだが。内容的には大正から戦後50年代までの遊郭の写真集。あたしは風俗に行ったことがないので 単なる戦前・戦後の廃墟の写真集・・という感じだが 通った人達 もう相当なお歳だと思うが懐かしいかもしれない。主に関東 京都・大阪が少し・という構成。うちの近くでは立川とか八王子とか載ってたが 大体基地の周辺に多い。本書が出たのが98年だからもう20年前。その当時でもかなり取り壊されて昔の写真を借りて構成してるので 今は大半が失われた光景だと思う。立川なんかその頃の面影は全く無い。本書とは関係ない話だが 学生時代に京都にいたのは前に書いたが 住所が上京区七本松通仲立売下ル一番町である。一番町というだけであって当然五番町もあるわけ。千本仲立売って昔は歓楽街だったらしく 五番町というのは水上勉の五番町夕霧楼に出てくるあの五番町である。当時でも既に昔の面影は無かったから 今ではもう地名しか残ってないのだろうが 千本仲立売には未だにしぶとく その趣味の人達が集まる千本日活って映画館がひっそり営業してたりする。本書 見るまでは買おうと思ったのだがマケプレでも千円近いのでためらってたのだが 借りて見たのでもういい。