寿岳章子著 彌生書房刊 1984年初版。著者60歳のころの本。先に亡くなった母の闘病日記と思い出 そして父と母の仕事 子供時代の思い出をまとめたもの。タイトルは父である寿岳文章氏がつけたもの。若い時 南禅寺裏に住んでた時代に冬に水道が凍って 生活用水を山の湧き水から汲んでたことからつけられたらしい。後から出た本にかなりの部分が引用されてるので 1/3くらいはああ これどこかで読んだ・・と思うだろう。寿岳章子氏は結局結婚しなかったので母親との関係性は濃密なものだったと想像され その部分に関しては母に対する追悼文みたいなもんで 母に捧げる本だ。まあ 寿岳章子の他の本を読んでいると 今更買わなくてもいいな・・と思う。これは図書館から借りてきた本。書架でなくて書庫とシールが貼ってあるから あまり借りる人もいないのだろう。まあ37年前の本だし そもそも寿岳章子?誰それ?という人がほとんどだろうから無理もないか。で 本書一応amazonのカートには入ってたんだが これは抜く。寿岳章子の本で必読なのは 京都町なかの暮らし と 京に暮すよろこび 暮らしの京ことば・・あたりがお薦めできると思ってる。暮らしの京ことばは古いんでamazonでも結構な値段がついてるので 手ごろな価格で見つけたらポチることをお薦め。先の2冊は100円以下で出てるので ハードカバーをポチというのは前に書いた通り。さて まだ読んでないのが 存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く キャロライン・クリアド=ペレス著だが これ誰?ってレベルである。amazonの内容説明には 公共トイレ、オフィスの温度、交通機関、税金、医療、災害現場…世界の見方がひっくり返る!王立協会科学図書賞受賞、マッキンゼー/FTベストビジネスブックオブ・ザ・イヤー ・・と書かれてるので難儀しそうではあるが。 と22ページ読んだところで既にうんざりしてるw 活字中毒だし2700円も出す気は毛頭ないので最後まで読むだろうが あかんもんはやっぱりあかんのだ。
寿岳章子著 新日本出版社刊 1987年初版。新聞なんかに連載されてたエッセイをまとめたものだが 赤旗がある程度あるのでちょいと左寄りではある。掲載されてたのは1986年前後だから昭和で言えば61年前後。この当時にこんな古いネタで書いて読む人がいるのか?とすら思う。夫婦における女性の立場とか憲法・トマホーク・市民運動・戦争・・と 話は多岐にわたるが どれをとっても これ1986年?というような古さ。感覚的には20~30年遅れて騒いでる感じだ。文中に夫が妻のことをオイ!と呼ぶので子供が真似して困る・・というのが出てたがいつの時代よ?って話だ。あたしは最初から愛称で読んでるから オイなんて呼んだこともないし 親より大事な人にそんな呼び方をするなんて信じられん。再読してみて うーんこれは本棚から抜くか・・と思ったくらいにつまらない。既に古書。今更買う必要も無いだろう。図書館にあると思うから借りて読めばいいと思う。平易な文章で短いコラムの寄せ集めなので 半日もあれば読めてしまう。まあ後悔するだろうけどw
寿岳章子著 沢田重隆絵 草思社刊 1994年初版 寿岳章子氏の京都三部作の最後に出た本 寿岳章子は1924年生まれだから丁度70の時の本だ。前著の京都町なか・・とか京に暮す・・は京都市内の話だが これは京都へ至る街道 周山街道・鞍馬街道・敦賀街道・丹波街道・国道1号・西国街道・奈良街道の まあ言ってみれば京都の周りの田舎 郡部とか町を書いたもの。相変らず沢田重隆の絵は素敵だが 湖北の光と同じであまり多くない。湖北の光は近江に行っちゃったが これは京都府内の話。あたしは市内はそれなりに知ってるが 何十年も京都にいたわけではないので周辺部はさっぱりわからない。まあ 田舎というか農村や山村はとりわけ好きで 東京出てきてからも長い休みは 信州や東北や四国の田舎をバイクで走り回ってたから都市よりも田舎の方が好き。地方都市のうらぶれた感じ・・という以前になんでもかんでも東京一極集中して地方が疲弊したわけだけど そういうのも好きではない。ただの田舎がいいのだ。生まれ育った三重県津市も地元に仕事が無いし大学も三重大くらいしかないから みんな三重を出ていく。で 卒業しても大都会 まあ東京か大阪に出るわけ。あたしも京都時代を経ているといえ 結局仕事を求めて東京に出たから何も言えん。 まあその前に名古屋でも働いたけどソフト屋って職種だからかもしれないが 名古屋はまだ地方レベル。親が国分寺にいた関係もあって東京に出たが仕事はきついが満足できる。そういう意味では東京は評価するのだけど 住環境は劣悪だ。地方から出てきて東京に家を買うのは至難の技。まあ狭い土地に1400万の人間がいるのだから 土地が高いのは仕方ない。あたしは 早々に諦めて東京は仕事をするところで 住むのは地方・・て思ってたから 東京に寝るためだけの部屋を用意して 山梨の中巨摩郡の山の中に住んだ。で平日は東京 週末は地方という二拠点生活をやってた。足に使う車は10年以上前の20万の中古w 嫁はんの従妹は武蔵小杉のタワマンに住んでるが5000万以上はするだろう。とてもそんな財力は無いし 住みたい土地でもないし欲しいとも思わない。知人は5000万のフェラーリに乗ってるが20万の中古よりは見栄が張れるくらいだ。あたしの精神科の主治医も都下だけど文教地区のいいところに家があったのに 結局伊豆の田舎に転居した。まあ彼はベジタリアンなんで必然ではあるのだが・・おかげで 4時間近くかけて通う羽目になったのはいい迷惑だが。まあ 東京は人の暮らすところではないな・・と思う。みんな東京に憧れて出てくるけど何がいいのかわからん。TVで夜10時の渋谷のスクランブル交差点を人がうじゃうじゃ歩いてるのを見ると この緊急事態宣言下で店も閉まってるのに みんな何処に行くんだろう?と思ってしまう。さて この本とても魅力的な山里なんか出てきて いいなぁ・・とは思うのだけど あたしみたいに 生還率1割・・みたいな大病をするともうそういう田舎には住めない。心臓血管外科のある大病院から遠くても30分てところでないと無理だ。なので 倒れてからは山の自宅には行けなくなってしまった。が 東京は嫌なので京都移住なのだ。上京なら府立医大も京大病院もあるから安心。というわけで 田舎へのあこがれを見事に描いた本書は魅力的ではあるのだけど あたしには既に手の届かないところに行ってしまった。京都では三代住まなきゃ京都人とは言えない・・と言われる以前に田舎では土地が無ければ暮していけないからはなから無理な話だ。本書密度は薄まったけれど 京都の田舎について魅力的な話が多い。まだ若くて健康で京都の田舎に憧れる人には良書だと思う。ちなみにあたしも持ってるのだけど前に書いたように除籍よけで借りてきてるわけで 再読して魅力的だな・・とは思うが 洛中中華思想と言われようがやっぱり洛中に住みたい。寿岳氏も沢田氏ももうとっくに彼岸の人だ。あたしも人よりも早くそっちに行くんだろうが不思議と後悔はない。人生は我慢して生きてたらつまんない。多少無茶でもやりたいことをやらなきゃダメなんである。