老後の話でもしよう。田舎暮らし・・だれでも憧れる言葉である。私も憧れた。で 実行しちゃった。30代での話だが。体は健康だしやりたいことはいくらでもある。毎日がアウトドア 毎日がキャンプだ。山梨の山奥の開拓の跡地を借金して買って まあそれもBMWの5シリーズくらいの値段・・って なんでもBMW換算かよ?とか言われそうだがw 上物は まあ小屋だ。 部屋の中から星空が見えるw で 毎日が大工仕事。山奥の積雪地なので車は4WDだ・・といっても20万円の廃車寸前のステーションワゴン。毎日がトラブルの連続で優雅な山暮らしなんか無い!と断言しておこう。食料は一番近いスーパーまで山道を40分。若いからできた。みんな定年になったら自然の豊かなところに家買ってきままな田舎暮らしって思う人もいるだろうが あれは若くなくちゃできない。運転して買い物に行ける間だけである。一通り自分でできなきゃ無理。どうしてもしたければ温暖な地域の駅が近くスーパーが近いところに限る。まあそれでもあたしみたいに大病したら命の保障は無い。あたしは東京だったから助かっただけ。田舎暮らしは車に乗れなくなったらそれで終わりだ。だから地方で老人の事故が多い。自慢じゃないが無駄金を散々使った馬鹿息子である。なので ほとんど預金は無いw だがうちの両親は堅実である。遊びにはほとんど金を使わなかった。先日通帳を見せてもらったが こんなにあるの?というぐらいの預金がある。で 先日もう自活できないんで・・ってケアつき住宅に転居したわけ。食事は3食提供されるんで 1階の食堂に下りていけば済む。訪問販売も月に何回か来る。部屋は老人ホームの上層階で介護がいらない人が最小限の支援で暮らしてて 介護がいるようになったら下の階に移るわけだ。元JALの社員寮を改築した建物は立派だ。一階の食堂は異様に天井が高く おそらく元室内温水プールだったと思われる場所。至れり尽くせりなんだけどね・・場所がニュータウンの中なのよ。元実家からバスで30分 丘陵地を切り開いた戸建が乱立するなかにそれはある。回りには買い物できるような店はひとつもない。おまけに 眼下に見える公園に行きたくても管理上の問題とかで 外出させてもらえない。簡単に言えば ただ食べてリハビリして寝るだけの生活。一生懸命頑張って働いて最後はこれかい?と思うわけ。まあ あたしが引き取ってなんとかしろよ?って話はある。うちの近くにケア付ではないが老人マンションもできて パンフも取ってきたが 要介護になったら退去させられるっぽい。大阪のおかんも近いうちに そういう問題は出てくるわけで もう頭が痛い。一生懸命働いて 人生の最後がこれでは 何の為に頑張るのかわからない。ほんと どうしていいかわからないのだ。もう実家は売っても・・とは言ってるが 年間50万くらいの持ち出しなら 無理して売らなくてもいいよな・・と思う。親の遺産なんか全くあてにしてないから みんな使い倒してそれでいいかと。あたしらは好き放題生きてきたから 最後はのたれ死んでも後悔はないよなぁ・・と思うのである。
朝5時に起きて静岡まで精神科の通院。さすがに5時、6時の電車はすいてる・・と思いきや 通勤の会社員でそこそこ混んでる。連絡が悪いので着いたのは9時 予約は毎回11時に入れてるんだが 診察時間が空いてると そこにねじこんでくれるので9時半には診察は終わった。で 帰りの東海道線 熱海から乗ってきた杖ついてよろよろのじーさんが 席につくなり バッグの中からコンビニ袋に包まれたビールを飲みだした。まあ湘南を走る郊外路線だ。天気は快晴五月晴れ 雲ひとつ無い青空に青い海。気持ちはわからんではない。でもねぇ 昼間から電車で(それも横一列の通勤系電車だ)ビールなんか飲むなよ!いい歳した大人が真昼間から電車の中でビールなんか飲むなよ!って思う。あたしよりずっと上 団塊の世代の少し上ぐらいか・・この年代 外でそれも公共交通機関の中でビールなんか飲むなよ!と言いたい。この年代は外で飲食しようものならみっともない・・と親にしばかれたはずの世代だ。大人が子供の手本にならなくてどうする?って思う。小田原で乗り換えた小田急の快速急行(ダイヤ改正でやっと登戸で停車するようになって南武線に乗り換えできるようになったが)でも 60過ぎのおっさんが これまたサンドイッチを食ってる。リゾートを走ってる対面座席の観光路線なら百歩譲ってまだ大目に見るが 小田急小田原線 普通の通勤電車だ。沿線には大学や高校があって昼過ぎだったから 高校生も乗ってるのに 見苦しい。そんなに食べたきゃ ホームのベンチで食えよ?と思う。隣にいた大学生風が 乗ってきた主婦のグループにさりげなく席譲ってるのに 大人として恥ずかしくないのか?と強く思った。まあ そういうあたしも 以前は出張帰りの新幹線で同僚と呑んでたから えらそうなことは言えないけど 少なくとも通勤路線というか生活路線ではしなかった(同じように見られてただろうけど) まあ自分がしてることには気がつかないけど他人の行為は目に付く。あたしも気をつけないといけないなぁ・・と思った遠距離通院の一風景である。
2年半前の1月11日建国記念日の昼ごろ 図書館から帰ってきたら足が痺れて どうにもおかしいので救急車を呼んでもらって・・受け入れ先が決まって かついで下ろしますね・・と救急隊員に言われたまでは覚えてるのだが 奈落の底に落ちるように死出の旅を途中まで行った。今となっては笑い話だが 11時間の大手術を経て10日後にICUで意識が戻った。挿管されて拘束されたたんで何がなんだかわからなかったのだけど 急性大動脈乖離スタンフォードAでマジ死にかけたそうだ。生還率7% 生還しても足を切断したり腎不全で透析になるのが7割くらいだそうで あたしみたいに外見 胸に大きな手術痕があるくらいで五体満足なのは2%くらい。まあ製造番号つきの人工血管は2本入ってるが・・都合3ヶ月の病院暮らしが忘れられない死からの帰還の旅である。まあ 普通旅行の思い出というのはイベントはあるにせよ生死に関わるわけではないのだが このツアーは一歩間違えば行ったきりの旅である。都合ツアー料金1300万強。高い旅行代金である。薬を飲まなかったり タバコ吸ったりしてると また同じ行き先のツアーのお誘いが来るんだが ごめんこうむりたいw
日経のコラムで 京都百万遍の京大吉田キャンパス周辺のタテカン(立て看板)を京都市の屋外広告物条例に違反するとして撤去し 学生が保管場所に侵入して取り返そうとする・・なんて泥仕合をしてるが。ここでも書いた百万遍ハイライトは吉田校舎と今出川をはさんで北側にあるので 飯食いに行くたびに見てたわけだけど 60年、70年代の学園闘争や反戦運動の時代ならいざしらず 多少政治的なものはあるにせよ サークルの勧誘だの軟派なものがほとんどである。日経に言わせりゃ 学園祭のノリである・・そうだが 当時を知るものにとっては そうだよなぁ・・と納得するのだが 今あそこに政治的な意味合いの無いタテカンが必要なのか?と言えば 意味は無いと思う。日経のコラムニストは学生の表現活動をしゃくし定規に規制しては収拾が・・と言うが 政治的意味合いのないタテカンには そもそも存在意義は無い。筆者はタテカンを含めて京都らしい場所というのだが 同意しかねる。あの当時の京都を知ってるものなら 荒神口にも今出川にもそれはあったが もう歴史の1ページである。実の無いタテカンなんかいらない。そう思うのはあたしが歳をとったせいだろうが・・
Hanakoを友人が貸してくれた。何気に値段を見たら700円・・高いw さてなんでHanakoなのかというと特集が ひみつの京都 なのだ。で ぱらぱら見てたんだが 今一番行きたいのは五条・・って あんた五条って 元五条楽園て赤線地帯だし 誰もが知ってる会津小鉄会の本拠じゃないか・・まあ写真がきれいに撮れてるので メジャーになりすぎた観光地より まだマイナーな・・ってところがひみつの・・らしいけどw 京都に部屋は欲しいがここらへんは なるべくご遠慮したい場所である。さて またHanakoの記事だが ランジェリーメーカーのワコールがプロデュースした町屋一軒貸の宿で 京の温所岡崎ってのが出てる。町屋をリノベしたいかにも若い女性向けの宿泊施設だが ちょっと概要を見てみたら二人で一泊一人当たり3~4万である。こういう法外な値段の宿(食事もつかないけど)が存在できるのも京都ならではだ。あたしの基準は学生の街京都だから もうこの値段見ただけでお腹いっぱい。リーズナブルな朝の定食が2500円~とあるのを見ると Hanakoの読者ってどんな高給取ってるんだろうと思う。あたしなんか ハイライトの630円のジャンボチキンカツ定食で あ~京都だなぁ・・と思うのだが。前を通るだけでしかない出町座(飲食もできるミニシアター)が出てたり あたしが酷評した永江朗氏の そうだ京都に住もう・なんかを取り上げてるところがいかにも・・である。あたしは住んでたから見方が違うのかも知れないけど 観光京都ってこういう切り口なのか・・と思う。それが悪いわけじゃないけどなんか違う。まあ 全国誌で特集が組まれて 綺麗な写真に惹かれてどっと押しかけちゃうと そこはもうひみつでもなんで無くHanakoお薦めの・・ってなっちゃうわけで・・正直なところ今以上に観光客が増えて欲しくない・・というのが本音なのである。もう容量を飽和してると思うのだが・・