寿岳章子著 新日本出版社刊 1987年初版。新聞なんかに連載されてたエッセイをまとめたものだが 赤旗がある程度あるのでちょいと左寄りではある。掲載されてたのは1986年前後だから昭和で言えば61年前後。この当時にこんな古いネタで書いて読む人がいるのか?とすら思う。夫婦における女性の立場とか憲法・トマホーク・市民運動・戦争・・と 話は多岐にわたるが どれをとっても これ1986年?というような古さ。感覚的には20~30年遅れて騒いでる感じだ。文中に夫が妻のことをオイ!と呼ぶので子供が真似して困る・・というのが出てたがいつの時代よ?って話だ。あたしは最初から愛称で読んでるから オイなんて呼んだこともないし 親より大事な人にそんな呼び方をするなんて信じられん。再読してみて うーんこれは本棚から抜くか・・と思ったくらいにつまらない。既に古書。今更買う必要も無いだろう。図書館にあると思うから借りて読めばいいと思う。平易な文章で短いコラムの寄せ集めなので 半日もあれば読めてしまう。まあ後悔するだろうけどw
寿岳章子著 沢田重隆絵 草思社刊 1994年初版 寿岳章子氏の京都三部作の最後に出た本 寿岳章子は1924年生まれだから丁度70の時の本だ。前著の京都町なか・・とか京に暮す・・は京都市内の話だが これは京都へ至る街道 周山街道・鞍馬街道・敦賀街道・丹波街道・国道1号・西国街道・奈良街道の まあ言ってみれば京都の周りの田舎 郡部とか町を書いたもの。相変らず沢田重隆の絵は素敵だが 湖北の光と同じであまり多くない。湖北の光は近江に行っちゃったが これは京都府内の話。あたしは市内はそれなりに知ってるが 何十年も京都にいたわけではないので周辺部はさっぱりわからない。まあ 田舎というか農村や山村はとりわけ好きで 東京出てきてからも長い休みは 信州や東北や四国の田舎をバイクで走り回ってたから都市よりも田舎の方が好き。地方都市のうらぶれた感じ・・という以前になんでもかんでも東京一極集中して地方が疲弊したわけだけど そういうのも好きではない。ただの田舎がいいのだ。生まれ育った三重県津市も地元に仕事が無いし大学も三重大くらいしかないから みんな三重を出ていく。で 卒業しても大都会 まあ東京か大阪に出るわけ。あたしも京都時代を経ているといえ 結局仕事を求めて東京に出たから何も言えん。 まあその前に名古屋でも働いたけどソフト屋って職種だからかもしれないが 名古屋はまだ地方レベル。親が国分寺にいた関係もあって東京に出たが仕事はきついが満足できる。そういう意味では東京は評価するのだけど 住環境は劣悪だ。地方から出てきて東京に家を買うのは至難の技。まあ狭い土地に1400万の人間がいるのだから 土地が高いのは仕方ない。あたしは 早々に諦めて東京は仕事をするところで 住むのは地方・・て思ってたから 東京に寝るためだけの部屋を用意して 山梨の中巨摩郡の山の中に住んだ。で平日は東京 週末は地方という二拠点生活をやってた。足に使う車は10年以上前の20万の中古w 嫁はんの従妹は武蔵小杉のタワマンに住んでるが5000万以上はするだろう。とてもそんな財力は無いし 住みたい土地でもないし欲しいとも思わない。知人は5000万のフェラーリに乗ってるが20万の中古よりは見栄が張れるくらいだ。あたしの精神科の主治医も都下だけど文教地区のいいところに家があったのに 結局伊豆の田舎に転居した。まあ彼はベジタリアンなんで必然ではあるのだが・・おかげで 4時間近くかけて通う羽目になったのはいい迷惑だが。まあ 東京は人の暮らすところではないな・・と思う。みんな東京に憧れて出てくるけど何がいいのかわからん。TVで夜10時の渋谷のスクランブル交差点を人がうじゃうじゃ歩いてるのを見ると この緊急事態宣言下で店も閉まってるのに みんな何処に行くんだろう?と思ってしまう。さて この本とても魅力的な山里なんか出てきて いいなぁ・・とは思うのだけど あたしみたいに 生還率1割・・みたいな大病をするともうそういう田舎には住めない。心臓血管外科のある大病院から遠くても30分てところでないと無理だ。なので 倒れてからは山の自宅には行けなくなってしまった。が 東京は嫌なので京都移住なのだ。上京なら府立医大も京大病院もあるから安心。というわけで 田舎へのあこがれを見事に描いた本書は魅力的ではあるのだけど あたしには既に手の届かないところに行ってしまった。京都では三代住まなきゃ京都人とは言えない・・と言われる以前に田舎では土地が無ければ暮していけないからはなから無理な話だ。本書密度は薄まったけれど 京都の田舎について魅力的な話が多い。まだ若くて健康で京都の田舎に憧れる人には良書だと思う。ちなみにあたしも持ってるのだけど前に書いたように除籍よけで借りてきてるわけで 再読して魅力的だな・・とは思うが 洛中中華思想と言われようがやっぱり洛中に住みたい。寿岳氏も沢田氏ももうとっくに彼岸の人だ。あたしも人よりも早くそっちに行くんだろうが不思議と後悔はない。人生は我慢して生きてたらつまんない。多少無茶でもやりたいことをやらなきゃダメなんである。
寿岳章子著 朝日新聞社刊 1979年初版。もう既に古書だ。今から42年前の本。新書より一回り幅が広いからB5版てところか。寿岳章子氏は国語学の研究者だし1924年の生まれなので 戦前の今はもう使われなくなった・・というか 普通に使ってた人がみんな彼岸の人になっちゃってるから 今のお年寄りでも使える‥以前に知ってる人は少ないだろう。序章で 私にとっての京都弁 京ことばの語り手 一章で 男と京ことば 京女の言葉と暮らし 第二章で いけず 遠回しの表現 やさしさ 第三章で 京の春夏秋冬と食べ物 京都の地名 伝統産業とことば・・と続く。全部で222ページだから 新書と変わらないのだけれど 京都である程度のお歳の方と日常的に接していた経験がないと 途中で読むのが嫌になるだろうな・・と思う。特に関西人・・まあ 京都・滋賀・大阪あたりの人でないとなんのこっちゃ?と思うだろう。京ことばって 生活があって ご近所があって その中で使われてく言葉だから そういう経験がないと 京都が舞台の古い小説でも読んでる気になるだろう。あたしは若いころ京都の洗い屋さんで仕事してたから周りはみんな それなりのおっちゃん おばちゃんばっかやったから ニュアンスもイントネーションも活字になっててもわかるのだけれど。まあ 今の京都の若い人でも使わん表現がいっぱい出てくるから 更にややこしい。あたしは これを読んでて 京都で仕事してた頃の雰囲気みたいなもんも感じるし 町で出会うおばあちゃんがきれいな京ことばでしゃべらはるのをきくと これいつまで残るんやろな・・と心配にはなる。いけずについても 古典からひいた回りくどい表現から 今も使われてる遠回しな拒否までわかりやすく解説されてるので 京都に嫁ぐ あるいは京都から嫁はんもらう人には 必読やと思う。一般的に観光で来られる人は 花街の言葉を京ことば・・と思いがちだけど 実際暮してみると 色々複雑なニュアンスがあったりして それが理解できない人には京都の人はいけずや・・となるようである。京のぶぶ漬け・・が引き合いに出されることが多いけど あれはどこから出た話かは知らんけどあんな話はない。それより 頼み事して 考えときますわ・・と言われる方がはるかに多い。これは本当に検討してくれるのではなくやんわりとした断りの言葉だからだ。ある程度京都で京都の人と仕事してみると 考え方というか物言いとか ああこういうことやったんか・・と納得することは多いし それまでにいっぱい恥をかくw これやからよそさんは・・と言われんようにある程度の基礎知識をつけるには本書は良書だ。西陣のおばあちゃんや 職人の奥さんが話してる言葉がある意味 暮らしの京ことばで あたしは活字でそれを見ててもほっこりするのだ。まるで妙なる調べのように響く京ことばである。ああ 関係ないけど最近電通が早期退職者募集して230人か応募したらしいけど 52の現場の最前線にいた女性が 京都の老舗のお抹茶使った抹茶カフェを始めた・・というのをCMでやってるのだが・・・これがよろしくない。オーナーさんが着物なのだが その着方がすさまじくだらしないのだ。あたしもそんな長くはないけど着物業界で仕事してたし町で見かけるご年配の方の着方を見て知ってるから もう一度勉強して出直してこんかい・・と言いたくなるような着方。寝巻ちゃうんやから そんんなにだらーっと着てたらあかんやないか・・と思うので見るたびに不快になる。京都のおばーちゃんは猛暑のなかでも日傘はさしてるけどぴしっと着てるのを知ってるからなんかうんざりする。それほどに着付けは人を表すのだ。
寿岳章子著 海竜社刊 1995年初版。これは持ってない。まえがきから 1992年の1月に父が死んだ。11年前に母が死んだときも・・と始まるから みんないなくなったあと どう生きるか?みたいな本かと思ってたら 家族史に始まって歳をとること 愛の結実 出会い 言葉が輝く ときて 京都の心・京都の暮らし となり 自分を生きるということ・・で終わる。まあ 簡単に言ってしまえば 自分史なのだけど 興味深く読んだ。寿岳氏の自語りは他の著作でも書いてあるので 色々合本して一冊したような感じはあるが これはこれで良いと思う。しかしなんとなく読んだことある内容だなぁ・・と思ったら買ってるw 最近古本しか買わないのだけど 月に15冊も買うと もう何が何やらで記憶がごっちゃだ。幸いろくな仕事も来ないし家事をさっさと片づけてしまえば もう日中の35度なんて中に出る気にはならず エアコン入れて読書三昧だ。先日も図書館に取りに行ったら 片道10分くらいを自転車で行ったのだけど もうへろへろ。コロナでステイホームと百合子さんが言ってるのを真に受けて スーパー以外出ないと 体力がガタ落ちになって コロナの耐性がなくなると思うのだが・・ 東京は5000超えたし神奈川も2000超え 静岡も増えてきて230超えてるし。精神科が伊豆なので東京ー神奈川ー静岡と経由するので危なくて行けやしない。おまけに小田急の快速急行では刃物男まで出る始末。どこかでオリンピックやってるみたいだが 興味が無いのでどうでもいい。医療崩壊が叫ばれてる今 オリンピック始まった頃に比べたら 自宅療養者が10倍で死人まで出てるというのにパラリンピック強行するのか?と思うと 今の政府や東京都に危機管理能力が無いというのがもろわかりだ。核兵器禁止条約が批准されたというのに 広島の式典では肝心なところを読み飛ばすうえに 一言も触れない政府や総理って 見てて恥ずかしくなる。8割おじさんと揶揄された西浦教授の予想では中旬には一日の感染者が1万を超えるというのに 5000超える・・って誰も信じてなかったのに当てた西浦氏・・ってすごいな・・と思う。1万超えてもパラリンピックはやるのか?安心・安全な大会の前には国民の命なんかどうなろうが 自分が権力の座にしがみつきたいという浅ましさ・・というか馬鹿さ加減にうんざりするのだ。
京都町なかの・・と 京に暮す・・は寿岳章子著 沢田重隆絵の京都本 寿岳氏の京都本3部作のうちの2冊。後の一冊は湖北の光でこれも寿岳章子ー沢田重隆のコンビでできた本で持ってる。じゃあ 持ってる本をなんでわざわざ図書館で借りるか?というと こういうベストセラーでもない本は誰か時々借りてないと除籍されちゃうから。先日除籍本から拾ってきた 日本の庭 も良書だったから 良書でも除籍される危険性は常にある。なんで 読まなくても定期的に借りる・・みたいな面倒な作業がついてまわるのだ。まあ 寿岳氏の京都本はあたしも 何冊も買ってる。これ 1998年とか1992年とかに出てるハードカバーだが 古書を買うので程度がまちまち。amazonで検索すると購入履歴が出るのだが あたなたはこの本を8回買いました。最終購入は2020年の・・と出るw 調べてみたら どちらも良さそうなのが出たら買って 旅好きの友人や京都好きの友人に無理やり押し付けてるので 手元にあるのはどちらも3冊くらいだ。 それでも多いがw これどちらも角川ソフィア文庫から出てるのだけど 沢田重隆氏のペン画が素晴らしく良い。観光地を描いてるわけではなく 町なかの民家とか風景を描いてるのだけど これが素晴らしく 文庫のサイズではこの良さは半減するだろう。なので ハードカバーが絶対お薦めだ。
さて 話は戻るが 寿岳章子氏の父親 寿岳文章氏・・て1990-1992年 京大出の英文学者、随筆家、書誌・和紙研究家。民芸運動家。龍谷大学講師、関西学院講師。1969年に甲南大学を辞するまで研究者だ。母は寿岳 しづ氏 1901年 -1981年は、英文学者、随筆家。 日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。寿岳章子氏は1924年--2005年 日本の国語学者、エッセイスト。 東北帝国大学卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤めた。言葉と女性差別の問題で発言を続け、「憲法を守る婦人の会」の活動に30年以上携わった。 弟は寿岳 潤 1927年 - 2011年 日本の天文学者。東京大学名誉教授。というわけで学者の家族。文章氏は兵庫の寺の人でしづ氏は大阪の商家で 結婚して京都に住んだわけなので 三代住まなきゃ京都人とは言えない・・というなら 正確には京都人ではないが 自宅は向日市だ。職場は市内だが 御土居の外であることには変わりないのだが きっちり京都の人。なんで井上章一は嵯峨なのにあんなに洛中中華思想・・と言うのかわからんが まあ理数系の人って専門バカなのが多いから仕方ないのかも。で この2冊だがどちらも持ってるので 何度も読んで友達にも贈呈して・・と言っても既に古書だから大した値段ではない。出た時は定価2200円だったが 今ではどんな程度かは別として2冊で1000円もあれば買える。なので 気楽に買って贈呈してるわけで そのうち古書でも程度のいいのが減ってくるだろうから今が最後のチャンスかも知れない。悔しいことに図書館から借り出してきたのは 陽に当たってないせいか カバーも日焼けしてないし 保管状態がいいからか 借りる人が少ないのかわからんが 汚れも無く本心を言えば取り込んでしまいたいぐらいだ。内容は前にも書いたけど 京都の日常の話で 杉本秀太郎氏が1931年だから時代的には大体重なる。本書発売当時に京都の町が壊れていくのを悲しんでおられたから その点では杉本氏と同じ感覚。 もっと後の世代のあたしですら危機感を持ってるのに井上某はなんとお馬鹿な・・と思わざるを得ない。杉本氏の一連の随筆と同じで 寿岳章子氏のもエッセイというより随筆だ。この本が出た当時の京都を知ってるだけに 寿岳氏の思うところとほぼ同じなので懐かしく激しく同意しながら読んだ。良書だ。別に三代住まなくても京都の人にはなれる。あたしも暮らす町としての京都を愛しているので京都人の末端に加えてもらえそうな気がしないでもない。さて 後の一冊 湖北の光だが これも寿岳章子著 沢田重隆絵なのだが 京都って近江商人が多いので 長浜とか彦根とかに興味がいくのはわからんでもないのだが あたしは大病して大きな病院のそばで無いと生きれないので 琵琶湖の北側の興味は今一つだが 沢田重隆絵・・となると買わなきゃならんので これも数冊w買ったw 沢田重隆氏って1918年-2004年なので もう氏の新作はない。 で寿岳章子氏の京都三部作と湖北の光 青山茂氏と組んだ 奈良の街道筋(上・下) 北正史と組んだ 生粋の下町 東京根岸 安西篤子氏と組んだ 鎌倉 海と山のある暮らし 中野孝次氏と組んだ西洋の見える港町 横浜 くらいしか手に入るものが無い。寿岳章子氏の京都三部作は額装しようかな・・とも思うので分解しても惜しくない安いのも買ってるが いざとなるとできないw ブラザーの複合機を持ってるのでスキャンして印刷すればいいじゃん?とか思うが あの白い あまりにも白すぎる紙には合わない気がして断念した。で 寿岳章子氏の本を読んでたら 黒川能(船曳由美著 1964年の黒川能の記憶で集英社刊 3960円w 買ったけど)の話が出てきて もうこの時は王祇会館で観られたそうだが それも嬉しかったし 黒竹節人(よみがえる京町家くろちく 光村推古書院刊 2004年初版 これも買った)なんか出てきて 京都って狭い町だなと苦笑するばかりw 根岸・鎌倉・横浜は内容はどうでもよくて 沢田重隆氏を追っかけて買った本 奈良の街道筋は昔奈良に住んでたし京都と奈良は近いのでもう買うしかない。これについてはまた後日。しかし 読んでる本の著者や画家がみんな彼岸の人というのはちょっと切ない。
さて 話は戻るが 寿岳章子氏の父親 寿岳文章氏・・て1990-1992年 京大出の英文学者、随筆家、書誌・和紙研究家。民芸運動家。龍谷大学講師、関西学院講師。1969年に甲南大学を辞するまで研究者だ。母は寿岳 しづ氏 1901年 -1981年は、英文学者、随筆家。 日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。寿岳章子氏は1924年--2005年 日本の国語学者、エッセイスト。 東北帝国大学卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤めた。言葉と女性差別の問題で発言を続け、「憲法を守る婦人の会」の活動に30年以上携わった。 弟は寿岳 潤 1927年 - 2011年 日本の天文学者。東京大学名誉教授。というわけで学者の家族。文章氏は兵庫の寺の人でしづ氏は大阪の商家で 結婚して京都に住んだわけなので 三代住まなきゃ京都人とは言えない・・というなら 正確には京都人ではないが 自宅は向日市だ。職場は市内だが 御土居の外であることには変わりないのだが きっちり京都の人。なんで井上章一は嵯峨なのにあんなに洛中中華思想・・と言うのかわからんが まあ理数系の人って専門バカなのが多いから仕方ないのかも。で この2冊だがどちらも持ってるので 何度も読んで友達にも贈呈して・・と言っても既に古書だから大した値段ではない。出た時は定価2200円だったが 今ではどんな程度かは別として2冊で1000円もあれば買える。なので 気楽に買って贈呈してるわけで そのうち古書でも程度のいいのが減ってくるだろうから今が最後のチャンスかも知れない。悔しいことに図書館から借り出してきたのは 陽に当たってないせいか カバーも日焼けしてないし 保管状態がいいからか 借りる人が少ないのかわからんが 汚れも無く本心を言えば取り込んでしまいたいぐらいだ。内容は前にも書いたけど 京都の日常の話で 杉本秀太郎氏が1931年だから時代的には大体重なる。本書発売当時に京都の町が壊れていくのを悲しんでおられたから その点では杉本氏と同じ感覚。 もっと後の世代のあたしですら危機感を持ってるのに井上某はなんとお馬鹿な・・と思わざるを得ない。杉本氏の一連の随筆と同じで 寿岳章子氏のもエッセイというより随筆だ。この本が出た当時の京都を知ってるだけに 寿岳氏の思うところとほぼ同じなので懐かしく激しく同意しながら読んだ。良書だ。別に三代住まなくても京都の人にはなれる。あたしも暮らす町としての京都を愛しているので京都人の末端に加えてもらえそうな気がしないでもない。さて 後の一冊 湖北の光だが これも寿岳章子著 沢田重隆絵なのだが 京都って近江商人が多いので 長浜とか彦根とかに興味がいくのはわからんでもないのだが あたしは大病して大きな病院のそばで無いと生きれないので 琵琶湖の北側の興味は今一つだが 沢田重隆絵・・となると買わなきゃならんので これも数冊w買ったw 沢田重隆氏って1918年-2004年なので もう氏の新作はない。 で寿岳章子氏の京都三部作と湖北の光 青山茂氏と組んだ 奈良の街道筋(上・下) 北正史と組んだ 生粋の下町 東京根岸 安西篤子氏と組んだ 鎌倉 海と山のある暮らし 中野孝次氏と組んだ西洋の見える港町 横浜 くらいしか手に入るものが無い。寿岳章子氏の京都三部作は額装しようかな・・とも思うので分解しても惜しくない安いのも買ってるが いざとなるとできないw ブラザーの複合機を持ってるのでスキャンして印刷すればいいじゃん?とか思うが あの白い あまりにも白すぎる紙には合わない気がして断念した。で 寿岳章子氏の本を読んでたら 黒川能(船曳由美著 1964年の黒川能の記憶で集英社刊 3960円w 買ったけど)の話が出てきて もうこの時は王祇会館で観られたそうだが それも嬉しかったし 黒竹節人(よみがえる京町家くろちく 光村推古書院刊 2004年初版 これも買った)なんか出てきて 京都って狭い町だなと苦笑するばかりw 根岸・鎌倉・横浜は内容はどうでもよくて 沢田重隆氏を追っかけて買った本 奈良の街道筋は昔奈良に住んでたし京都と奈良は近いのでもう買うしかない。これについてはまた後日。しかし 読んでる本の著者や画家がみんな彼岸の人というのはちょっと切ない。