ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
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いざ能勢へ

2012年03月28日 21時38分17秒 | オートバイ
平日の休みを利用して、前から気になっていた
大阪府の最北端、能勢へバイクツーリングに。
大阪市内から国道176、173号線を北上し、
途中でちょっと寄り道。
多田駅前交差点を西へ折れ、兵庫県川西市に
ある多田神社へ。

<多田神社>

ここ多田神社は清和源氏発祥の地。
清和源氏の霊廟で、源満仲、頼光、頼信、
頼義、義家を祀っています。
源氏の流れを汲む足利氏や、源氏を称した
徳川氏も多田神社を源氏霊廟として崇めて
いたそうです。

正門にあたる南大門前には立派な石段手前を
流れる猪名川の急流。
境内は広く、本殿、拝殿、 随神門は重文。
恥ずかしながら、こんなに立派な神社とは
知りませんでした。
しかし、平日で参詣する人もほとんどなく、
ご近所さんらしき方が2~3人いるばかり。
NHK大河ドラマで「平清盛」もやって
いるので、ここが平氏発祥の地ならきっと
観光客もいたでしょうね。

参詣を済ませ、国道173号線を再び北上。
一の鳥居交差点で国道477号線へと分岐、
急に空気がひんやりしてきた。
景色も変わり交通量の少ない山間の適度な
ワインディングロードが続き、へたっぴな
私でも気持ち良く走れます。
走ること10kmほどで次の目的地である
地黄陣屋跡に到着。

<地黄陣屋跡>

跡地は能勢町立東中学校の敷地となってますが、
今も残る周辺の石垣は旗本陣屋とは思えない
ほど立派。
この陣屋は慶長7年(1602年)に能勢頼次に
よって築かれ、かつては三層の櫓まで建てられ
ていたそうです。

能勢氏は清和源氏の流れを汲む当地の土豪。
能勢頼次は本能寺の変で一時領地を失った後、
関ヶ原の戦いで東軍に属して旧領を回復、
さらに、大坂の役でも加増されて一万石余りを
領したそうです。
頼次の死後、兄弟間で分地され、幕末には
四千余石の旗本だったそうです。

石垣を撮影しているすぐ近くでは、女子中学生
がテニスの練習中。
あんまり怪しまれないうちに早めに退散します。
城跡って公立の中学や高校になっているケース
が多くて、困ります…。

まだ時間が早いので、さらに北上すること20km、
京都府南丹市にある園部陣屋跡へ。

<園部陣屋跡>

但馬出石から移封となった小出吉親が元和7年
(1619年)に3万石の陣屋として築城。
幕末の動乱期、いざという場合に天皇を迎える
ことを口実に明治元年(1868年)に大規模改修
に着工、翌年に完成したそうです。
その時に完成した大手門、番所、巽櫓が現在
京都府立園部高校の正門。
この大手門は門上に櫓がある一見立派な櫓門
形式ながら、櫓内は梁が頭にぶつかるほど低く、
とうてい実戦の役に立たない代物のようです。

それにしても、ここもやっぱり学校…。
実は3年前に来たんですが、学園祭か何かで
正門周りに学生が一杯。
結局、写真も撮れずに引き返した思い出が…。

その後、能勢に引き返して秋鹿酒蔵さんに
立ち寄り、純米吟醸生酒「秋鹿」を購入。
(720ml \1,522)
ところで、事務所で注文して代金を支払うと、
「ちょっと待っててね」と言い残したまま
オバちゃん15分ほど帰ってきませんでした。
近所の酒屋に買いに行ったのでしょうか…。

<秋鹿酒造、純米吟醸生酒「秋鹿」>

ここは明治19年 (1886年)創業の大阪を
代表する酒蔵メーカー。
米作りから酒造りを始めるシャトー型の
形態をとり、自営田と近隣農家の契約田
から獲れる高品質な酒米で、純米酒だけを
造っているそうです。
帰って飲むのが楽しみです♪

結局、180km走行し、午後4時に帰宅。
昨日よりはましだったとはいえ、まだまだ
寒くて運転で肩凝った~!
もっと暖かくならないとダメですね。
(反省)


~今回の甘いもん~
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009(大阪)能勢 丁稚ようかん
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