ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ゼロの未来』を観て

2015年10月26日 | 2010年代映画(外国)
DVDで『ゼロの未来』(テリー・ギリアム監督、2013年)を観た。

近未来の社会。
マンコム社で働く天才技師のコーエンは、電話が掛かってくる望みを抱いている。
どこからかはわからないが、その電話が人生の意義を教えてくれると思っている。
人間嫌いな彼は、ある日、上司が開催するパーティにしぶしぶ出た。
そこでマネージメントに会い、在宅勤務の方が仕事もはかどるからと希望を出す。
そうすれば、掛かってくる電話を逃さないとも思っている。
マネージメントに許可をもらったコーエンは、荒廃した教会の自宅で一人、仕事を始める。

コーエンに新たに与えられた仕事は、「ゼロの定理」を解析するという作業だった。
何月かかっても解析作業ははかどらない。そして、ずっと待っている電話も掛かってこない。
そんなある日、パーティーで出会った女性ベインズリーが彼の自宅に現れる。
コーエンは、魅力的なベインズリーに次第に心を開き始めるが・・・・

コンピューターによるデジタル社会。
しかし、主人公の廃教会の自宅はなぜかアナログ的だったりする。そこが、いかにもテリー・ギリアムらしい。
といっても、この自宅は監視カメラによって、会社から監視されていたりするのである。
仕事の方法も、まさしくコンピューター・ゲームもどきであったりする。
一人、コンピューター画面と対峙し、人と接触したがらないコーエン。

人と人がコミュニケーションしない社会。
そして、人生の生きる意味まで受け身で待つの態度。
この作品は、監督テリー・ギリアムからの現代社会に対する警鐘か。

作品の出来としては、コーエンが「ゼロの定理」をなかなか解析できずイラつくように、
筋書きもなかなか前に進まずしんどくなったりする。
だから、テリー・ギリアム・ファンとそれ以外の人達では、ひょっとして評価が分かれるかもしれない。
私としては十分に面白かったし、『未来世紀ブラジル』(1985年)の姉妹品と受け止めた。
ただ、イマジネーションの氾濫を思わせる『未来世紀ブラジル』の方が愛着あるし、今でも傑作の一つと考えている。
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ハリー・ベラフォンテの『サクラ・サクラ』

2015年10月24日 | 音楽
ブログを書き出して3カ月が過ぎた。
当初、私にとっての映画遍歴を時系列に書こうとやり始めたが、そうなると、どうも収まり切れない話も出てきた。
それに、書きたい映画のことについて、まだ順番が来ていないと据え置いていたりもする。
だから、ちょっと窮屈な思いもしてきたので、基本はそのままにもう少し話題を拡げて行こうと思っている。
と言うわけで、ブログの概要も少し修正してみることにした。

今日午後7時からBSで、盲目のピアニスト・辻井伸行が佐渡裕の指揮でオーストリアでの演奏模様を放映していた。
生憎、中盤からしか見なかったが、後半、辻井を迎えて村の人たちが辻井作品をコーラスした。
そして、『さくら さくら』も歌った。

中学の時の音楽。
歌唱テストがあって、私はオンチのためもあってか歌うとき緊張したりした。
ペーパー・テストはそんなに悪くはなかったけれど、歌のために成績はあまり良くなかった。
だから、今でも唱歌はあまり好きではない。

しかし後年、ハリー・ベラフォンテの歌う『サクラ・サクラ』を聞いた時は驚いた。
余りにも素晴らしいのである。
この曲がこんなにもいいのかと改めてつくづく思い、当時、そのシングル盤のレコードを買った。
これが今でも持っている唯一の唱歌のレコードである。

ハリー・ベラフォンテの「サクラ・サクラ」をYouTubeから貼り付けてみた。
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『セッション』を観て

2015年10月22日 | 2010年代映画(外国)
デパートの屋上にある劇場で『セッション』(デミアン・チャゼル監督、2014年)を観てきた。
春に公開された作品だが、ジャズドラマーになろうとする男が鬼教師のしごきにもめげず努力していく。
と言うような根性物の内容らしいので、あまり観る気がしなかった作品である。
でも、折角身近なところで上映しているなら、DVDで観るよりましだろうと出かけた。

名門音楽大学1年生のニーマンは、「バディ・リッチ」のような偉大なジャズ・ドラマーを目指して練習に励む。
そんなある日、学内でも名高い指揮者のフレッチャーから、彼のバンドに招かれる。
憧れのフレッチャーから指導を受けられることを喜ぶニーマン。
そして、練習初日。
フレッチャーがスタジオに入って来ると、異様な緊張感に覆われるメンバー達。
それを目撃したニーマンは、違和感を覚える。・・・・

一流になるためのフレッチャーのしごき。時には暴力まがいの事までし、個人の人間性まで否定する。
それに、内心反発して一にも二にもドラムの練習に明け暮れるニーマン。
認められ出したことを良いことに、傲慢な心持ちになっていくニーマン。
そのために、恋人とも別れるニーマン。
そして、挫折。

日本でもよくある話の材料。
スポーツの根性物で一流選手にするためには体罰も厭わずというやつ。
(私は体罰という言葉に嫌悪感を持っている。
単なる暴力を罰という日本語を使ってプラマイ・ゼロにし、本質をうやむやにしてしまうと思うからである。)

このように、物語の筋はいたってシンプルである。
しかし、この映画はすごく素晴らしいのである。
フレッチャー役の J・K・シモンズが真剣なら、ニーマン役のマイルズ・テラーも真剣である。
常に緊張感が漂っていて、観客は画面にクギ付けになる。
なぜか。
画面編集が素晴らしいし、監督の演出力が凄い。

ニーマンが映画館のカウンターに勤めるニコルにデートを申し込む場面、そして、デート先のピザ店での会話。
この場面がとってもいい。観客の私までニコルに恋してしまうのである。
それを、わずかな描写で済ます。
同じように、家族関係も何気なく描いて全体を解らさせる。

有望な才能の若い監督が出現したと、私は感銘してしまった。
久しぶりに多いに満足し、充実した日だった。
そして、映画はやっぱりいいなとつくづく思った。
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高校生のころ・5〜フランク・プゥルセルの『急流』

2015年10月20日 | 音楽
高校の頃は、身近に音楽がないと気分も落ち着かないほどだった。
当時、日曜日の正午台に軽音楽のローカル番組があり、番組の最後にリクエスト・アワーがついていた。
このリクエストにメッセージを付けて応募するのが私の楽しみだった。
運よく、ラジオから自分の名と共にリクエスト曲が流れると、私自身が電波に乗って知れ渡り、有名人になったような錯覚に陥る。
その時は、最高のひと時である。

そして、採用されるとシングル盤のレコードがプレゼントされる。
ただ、曲名は送られて来るまでわからない。それがまた、ワクワクドキドキである。
そのようにして手に入れたレコードが現在3枚ある。
『ダイヤモンド・ヘッド/朝日のあたる家』(ベンチャーズ)、『恋心』(エンリコ・マシアス)、『雨に唄えば』(ジーン・ケリー)である。
当時、シングル・レコードは330円(丁度、米価で1ドル)したので、学生の私には貴重な財源として嬉しかった。
あまり嬉しかったので、学生仲間に言いふらし、同級生に「お前の名でリスエストしてやる」と請け負って、投稿してやった。
そしたら、見事採用されたのはいいけれど、その同級生はそんなに興味もなさそうでその番組も聴いていず、
私の気持ちとしてはレコード盤を1枚損してしまった。

このリクエストが採用されるには、リスナー側も一工夫がいる。
誰もがリクエストしそうな曲は避けて、成程いい選曲だと納得して貰う方法でないといけない。
そのような方法で、今でも記憶に残っているリクエスト曲がある。
フランク・プゥルセル楽団の『急流』である。

その『急流』をYouTubeから貼り付けてみた。

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高校生のころ・4〜ペレス・プラードの『ボンゴ・コンチェルト』

2015年10月02日 | 音楽

        ペレス・プラード楽団  「ボンゴ・コンチェルト」のLPジャケット
         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

高校の頃は、ラジオが主体でテレビを熱心に見ることは余りなかった。
ラジオを聞くとしても、洋楽の番組が中心だった。
そんな中、これはいいと強烈な印象を受けた曲がある。
ペレス・プラード楽団の『花火』である。


【YouTubeより】


『エル・マンボ』『マンボNo.5』などは当然知っていたけど、これを聞いて初めてこの楽団を意識した。
余りいいので、この『花火』が入っているLPを買って聴いてみると、どの曲も素晴らしい。
こうなると、遅まきながらペレス・プラードの楽団にのめり込む羽目になった。
このプラードのマンボがラテン音楽を聴くきっかけとなり、「ラテン音楽入門」(中村とうよう著、1962年)も読んでみたりした。
そして、興味は「ザビア・クガート」「エドムンド・ロス」「パーシー・フェイス」等の楽団へ、どんどん広がっていった。

ある日の日曜日、ペレス・プラードの新曲が偶然にもラジオから流れてきた。
『ボンゴ・コンチェルト』という曲名。
17分の大曲である。
ボンゴとコンガの競演。激しくリズミカルに叩き合う熱演。
聞き終わって、これは凄いと一度で気に入ってしまった。
そして、すぐにこのLPを買うために名古屋まで行った。
後は、飽きもせず何度も聴いて幸せ一杯であった。

少し経って、これも大曲の「ブードゥー組曲」(1954年、23′16″)も買い求めたりした。

高校を卒業して少し経った頃、ペレス・プラード楽団の6回目の公演(1967年7月11日)が名古屋中日劇場であることを知った。
早速、プレイガイドへ前売りチケットを買いに行き、求めた席が最前列のど真ん中。一番乗りだった。
当日のコンサートでは、プラードは曲に合わせ、例の”ウーゥァ””アゥァ”と掛け声を入れ、
舞台を所狭しとエネルギッシュいっぱいに動きまわっていた。
そして、5人の女性ダンサーも踊りまくって花を添えてくれた。
私はもう興奮しっぱなしで、時間が経つのを忘れて夢中だった。

15年ほど前に来日した時もコンサートを楽しんだが、プラード本人はとうの昔に亡くなっているため、懐かしさが先に立ってしまった。

下に『ボンゴ・コンチェルト』をYouTubeから貼り付けてみた。
この曲を検索してみると、いろいろな制作年で記事が書いてあったりする。
私が持っているLPは1966年9月のUnitedArtists(日本コロムビア発売)盤だが、ジャケット裏の解説には録音時期等が一切載っていない。
なお、1972年盤は演奏時間が違っていて録音時期が異なる。
そもそもペレス・プラードは、有名曲などは何度も録音していて、
ベスト盤等の場合、同曲でも録音時期が書いてない限り、名演を探すのは非常に難しかったりする。


【YouTubeより】
"Concierto para bongó" - cuban Pérez Prado and his mexican Orchestra

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高校生のころ・3〜「ピンク映画」、そして若松孝二へ

2015年10月01日 | 日本映画
高校に入って暫くたった頃、同級生から「ピンク映画」を観に行こうと誘われた。
学ランで行くのはまずいので、学校帰りにその友人の家に寄って、着替えてから行くことになった。
何か着るものはないかと探してくれ、兄さんのブレザーを貸してくれた。
勝手に拝借するわけだが、それにしても結構大きかった。

いよいよ観れると、はやる気持ちになっていたら、友人が劇場内についてアドバイスをした。
「おじさんが隣りの席に座りに来たら気をつけろよ。触られるかもしれないからな」と言う。
私は”へぇ、そんな男がいるのかな”と、初めて聞く言葉に戸惑いながら、ダブダブの服を着ながら劇場に向かった。
場内に入り、席は各々勝手に適当な所に座ることにした。

「ピンク映画」は物語部分が白黒画面である。
だから、観客はその時はつまらなさそうにジィーとしているけど、画面がカラーになると、とたんに雰囲気が変わる。
生つばを飲み込むような気配になる。いよいよ色事が始まるのである。
しかし、私は友人の言った言葉が気になり、そちらの方に緊張しっぱなしであった。

その後しばらく「ピンク映画」を観なかったが、18から20歳頃はよく観た。
「ピンク映画の黒澤明」と言われた若松孝二監督の作品を観るためである。
当時、若松孝二は学生、若者たちに絶大な人気があって、私もそのうちの一人だった。
新聞の映画欄に「若松孝二特集」と出ていると、行ったこともない場所の映画館だろうと探して観に行った。
勿論、一般の映画館ではなく、ピンク系劇場である。
煙草の煙がモウモウとしている中で、おじさん達に混じって観る。
ピンクでもちょっと味が違うこのような映画を、おじさん達はどう思って観ていたかは知らないけれど、私にはとても面白かった。

そのうちの一本で、よく覚えている題名がある。
『腹貸し女』(1968年)である。今でいう「代理妻」。
内容はほとんど忘れてしまったけれど、当時、他人の女性を使って子供を産ませるという発想が、そんな事が本当にできるかなと思い、
若松孝二の着想は凄いなと感心した。
そういう感想と相まって、若松孝二と言えば、『腹貸し女』という題が今でも出てきてしまう。

この『腹貸し女』の一部がYouTubeにあったので貼り付けみた。雰囲気だけでもわかると思う。

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