ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ふたりの女』を観て

2022年10月24日 | 1960年代映画(外国)
『ふたりの女』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1960年)を観た。

第二次大戦中、空襲が増すローマ。
女手ひとつで食料品店をやり繰りするチェジラは、ひ弱な13歳の娘ロゼッタのために生まれ故郷に疎開しようと決意する。
留守中の店の管理は、先立たれた夫の友人ジョヴァンニに託す。
ジョヴァンニはチェジラに好意を抱いていて、チェジラは抗いながらもジョヴァンニに身体を許すことになる。

生まれ故郷の村では、まだ食料困難までにはなっておらず、大勢の人が疎開して来ていた。
その中の一人、青年ミケーレは何かとこの母娘に気を配ってくれ、ロゼッタはいつしか彼を慕うようになった。
だが彼女は、ミケーレが母を愛していることに感づいていた。

戦況はムッソリーニ政権が崩壊し、村を支配していたドイツ兵は逃走のための道案内としてミケーレを拉致して行った。
そして程なくして、米軍が戦車を連ねて進駐してきた・・・

米軍も来るようになり、戦争の終わりが近いと判断した疎開していた人達は、村を後にし始める。
チェジラも、ロゼッタを連れてローマに帰ることにする。
ローマへの帰路の途中、廃墟となった教会で休息しようとした二人は、北アフリカ植民地兵であるモロッコ兵士の集団に襲われる。

この作品は、昔から是非とも観たかった映画のひとつで、それを今回やっと観た。
と言うのも、後半の二人の悲惨さについては色々と耳にしていたからである。

確かに酷い。
母親と娘が同じ場所で大勢に強姦される。
兵士たちが立ち去って、母親であるソフィア・ローレンがそばで茫然自失となって倒れている娘を抱きかかえる。
想像以上に残酷である。
そればかりか、二人にとって大事な人であるミケーレはもうこの世にいない。

戦争とは何であるか。
大義名分を持って戦争を指令している人間には、一般市民の個々の惨状には思いを至らないであろう。
どんな理屈も要らないから、まずは、戦争は起こしてはならないと、ロシアの独裁者をみて思う。
この作品は、ソフィア・ローレンの真に迫る演技やジャン=ポール・ベルモンドを見たいという以上に、誰もが観るべき映画であると痛感した。
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『まぼろしの市街戦』を観て

2022年10月10日 | 1960年代映画(外国)
『まぼろしの市街戦』(フィリップ・ド・ブロカ監督、1967年)を観た。

1918年10月。第一次世界大戦末期の北フランスの小さな町でのこと。
イギリス軍に追撃されたドイツ軍は、その田舎町から撤退する際に、イギリス軍を全滅させるため村のある場所に大型の時限爆弾を仕掛けていった。
イギリス軍司令官は、町に潜入し爆弾の時限装置の解除する役目を、たまたまフランス語が出来るというだけの理由で、
通信兵である伝書バト係のスコットランド人、プランピック二等兵に命令する。

町に侵入したプランピックは、残留していたドイツ兵と鉢合わせになってしまい、たまたま開門していた精神病院に逃げ込む。
そこでは、老若男女の患者たちが戦争をよそに、楽しげにトランプ遊びをしていた。
彼らに名前を聞かれたプランピックは、適当に“ハートのキング”と自称したことから、患者たちの王様に祭り上げられる。

町の人々が逃亡し、ドイツ兵も撤退してもぬけのからになった町。
取り残されたのは、患者たちとサーカス団の動物だけ。
彼らは町中に繰り出し、思い思いの役を演じる。
司教になる者、軍人になる者、貴族になる者、美容師になる者、娼館のマダムになる者。
ひとときのお祭りのような、リアリティのない奇妙な日常生活に、プランピックは取り込まれていく。
そんななか彼は、美しい少女コクリコを始め、徐々に精神病院の“狂人たち”に親しみを覚え始める・・・
(Wikipediaを一部修正)

この作品は端的に言うと、戦争を茶化し、そして戦争そのものを客観視しながら、明るくユーモラスに富んだ作り方をしている。
それによって、精神病患者といわゆる戦争指令者を対比した場合、どちらが本当にまともなのかを考えるキッカケとなっている。
そのいい例が、ラストでプランピックが次の前線に送られる時、一人コッソリと、この精神病棟の仲間になっていく場面に象徴される。

それとダブらせ、現在のウクライナ・ロシアの現状を考えると、独裁者はなんと馬鹿馬鹿しいことを行っているのかと、痛ましく歯がゆい思いがする。
映画の中ではいい。敵味方がみんな亡くなってしまっても、所詮人間はこのような馬鹿なことをいつの時代もしているのだなと納得していればいいいから。
ただ現実はそうはいかない、身近な人々、特にその内のかけがえのない一人でも亡くなれば、残る者の悲痛は想像するに忍びない。
世の中がきな臭い方向にグングン進んでいく中、もう一度立ち止まって、このような作品から世の中の方向転換となるいいヒントを得たいとしんから願う。
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ジャン=リュック・ゴダール監督の逝去の報に接し

2022年09月13日 | 1960年代映画(外国)
ジャン=リュック・ゴダール監督が9月13日死去したと報道された。
91歳だった。

十代の頃、それこそ夢中になった監督である。
フランソワ・トリュフォーと共にヌーベルバーグを代表するゴダールを知って、初めて観た作品は何だったかと記憶を遡る。
『気狂いピエロ』(1965年)を封切りで観た時には、もうゴダールの作品を2番館、3番館で観ていたので何が最初なのかはよくわからない。
それらの作品は、『女は女である』(1961年)、『女と男のいる舗道』(1962年)、『軽蔑』(1963年)、1963年公開の『小さな兵隊』。
そして、『恋人のいる時間』(1964年)、『アルファヴィル』(1965年)。
もっとも『勝手にしやがれ』(1960年)は案外、後の方で観たと記憶している。
大半の内容をもう忘れてしまっているけれど、中でも『女と男のいる舗道』だけはアンナ・カリーナの主演とミシェル・ルグランの主題曲で共に案外覚えている。

                            YouTubeより「女と男のいる舗道」


今、思い返すと『気狂いピエロ』以後は、『男性・女性』(1966年)、『メイド・イン・USA』(1966年)、
『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967年)、『中国女』(1967年)、『ウイークエンド』(1967年)と新作が出る都度、映画館に走って行った。
特に『中国女』なんかは大きなポスターを手に入れて、随分後まで部屋に貼っていてシンボルとしていた。

しかしこれ以降、ゴダールは商業映画から政治メッセージ映画と変質して行き、これでは付いていけないなと観ることをやめてしまった。
その後、1979年に商業映画に復帰したが、こちらとしてはもう以前の興味は失せていて、
『カルメンという名の女』(1983年)、『ゴダールのマリア』(1985年)、『右側に気をつけろ』(1987年)ぐらいをDVDで観た程度で終わっている。
それでも唯一興味が惹かれるのが全8章からなる『ゴダールの映画史』(1998年)である。
ただ作品時間が合計268分かかるので、それが躊躇のもとになっている。

いずれにしても、ヌーベルバーグを牽引した偉大な監督が去ってしまったことに、ご冥福をお祈りいたします。
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『回転』を観て

2022年08月03日 | 1960年代映画(外国)
『回転』(ジャック・クレイトン監督、1961年)を観た。

ミス・ギデンスは、ロンドンの裕福な男性から甥と姪のための家庭教師として採用される。
郊外の古い屋敷に到着したギデンスを、幼いフローラと世話人のグロース夫人が迎えた。
少し経って、寄宿学校を退学させられた兄のマイルスが屋敷に戻ってくる。

兄妹はギデンスになつき平穏な日々が続いていたが、
ある日、庭から屋敷の塔を見上げたギデンスは、いるはずのない男が彼女を見下ろしているのに気づき、そこに行くとマイルスだけがいた。
数日後、夕方に突然フローラがいなくなり、ギデンスが池の端まで探しに行くと、池の草むらの向こうに黒衣の女が立っていた。
やがてギデンスは、屋敷で何かと不気味な人影を目撃するようになり、また、兄妹の行動にも割り切れぬものがあると気づかされる。
そのためギデンスは夜、寝てもうなされるようになり、この屋敷の真相を知ろうとグロース夫人に問いただす。

グロース夫人によると、使用人だった男と前任の家庭教師の女は恋愛関係にあった。
ある夜、使用人が何者かによって惨殺され、家庭教師はその後を追って池で自殺した。
それ以後、二人の霊は幼い兄妹の体を通して恋を語っているのだった。
その事を知ったギデンスは、マイルスとフローラの体から亡くなった二人の霊を追い払おうとするのだったが・・・

まず、驚くのはマイルスとフローラ役の子供の演技が真に迫っていること。
幼い兄妹の、可憐でありながらどこか邪悪さを秘めた眼差し。
それに対する、家庭教師ギデンス役のデボラ・カーの動揺。

隠されていた屋敷の秘密と潜む幽霊。
その雰囲気を、広大な屋敷の中で陰影を効かせたモノクロ映像が醸し出し、ギデンスは幼い二人を悪霊の手から必死に守ろうとする。
ただ、悪霊が兄妹に取り憑いているのは間違いなさそうだが、実際に幽霊を見たのはギデンスだけである。
うがった見方をすると、悪霊の存在はギデンスの妄想かもしれないとも想像できる。
そこのところは、意識してなのか作品として曖昧模糊にしてある。

この作品の作り方は申し分がなくて、そのためか隠れた傑作と言われるとのこと。
ただ、キリスト教的悪霊祓いの類は、最近観た『尼僧ヨアンナ』(1961年)や『エクソシスト』(1973年)同様、いくら出来が良くっても、
なぜかシックリしないところがあって、評価は“成る程なぁ”というぐらいのところから私は抜け出せない。

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『恋人たちの場所』を観て

2022年07月01日 | 1960年代映画(外国)
『恋人たちの場所』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1968年)を観た。

アメリカから、ある豪華な別荘に洒落た身なりの女性ジュリアがやって来る。
そして彼女は、空港で会ったイタリア人のバレリオのことを思い返す。
バレリオは主婦であるジュリアに一目で夢中になり、住所と電話番号のメモを渡していた。
別荘の部屋でテレビを付けたジュリアは、オートレース・エンジニアの彼が出ているのを見て、教えて貰った番号に電話する。

ジュリアは、別荘にやって来たバレリオを相手に、理由も告げずに2日間だけの恋愛を許す。
そして二人は親密になり、いつしか逢瀬を重ねて行き・・・

男性がマルチェロ・マストロヤンニで、女性がフェイ・ダナウェイ。
この二人がのっぴきならぬ思いで愛を交わす。
ただ観客からすると、状況説明が不足していてどうもその愛がシックリ来ない。
第一、あの豪邸に対するジュリアの立場は何の説明もない。
そして、ジュリアには夫がいるらしいが、それにはひと言だけの会話からの説明であって、ましてやバレリオの家庭背景なんて何らわからない。
後半、アルプスに行った辺りで、やっとジュリアが不治の病、多分癌にかかっていることが明かされ、余命幾ばくもない悲劇の主人公に演出されていく。
調べると、こんな甘い脚本を5人で書いたらしい。
脚本に5人も関わっていたら、みんな自分の主張もせず適当な所で手を打ったのではないか。

二人だけの究極の愛の世界、と言えば聞こえはいいが、単なる有名俳優による顔見せ興業としか言えない作品。
若い頃だったらこのような作品でもロマンテックで許せたかもしれないが、今はそうはいかない。
なにしろ、デ・シーカ監督の作品である。
数々の社会性のある名作を作ったネオリアリスモの巨匠がこのような、アメリカ映画のやっつけ仕事ではないか、と思うような作品を作る。
私としては、『自転車泥棒』(1948年)から始まり1950年代の作品をテレビで慣れ親しんで、
『昨日・今日・明日』(1963年)や『ああ結婚』(1964年)が同世代映画の人間である。
だからデ・シーカの作品が軽くなって行ったのはわかるが、この作品は頂けなかった。

そう言えば、この次に作った作品『ひまわり』(1970年)が現在、ウクライナの関係でリバイバル上映されたり再評価されたりしているが、
当時観た私の感想では、通俗的な甘いメロドラマだったとの印象がある(ただし、観直せば考えが変わるかもしれないが、それはよくわからない)。
と言いつつも、他のデ・シーカの見落とし作品はやはり気になるので、今後も暇を見つけて観ていきたい。
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『恋愛専科』を観て

2022年04月26日 | 1960年代映画(外国)
『恋愛専科』(デルマー・デイヴィス監督、1962年)を観た。

名門女子大で「恋愛専科」という本を生徒に貸したが問題となり、自ら職を辞して、愛を知るためにローマにやってきた女教師のプルーデンス。
船で知り合った金持ちの紳士ロベルトに紹介された下宿先で建築を学んでいるアメリカ人留学生ドンと出会い、恋に落ちる。
プルーデンスはドンと一緒に夏のバカンスを楽しむが、二人の前にドンのかつての恋人で画家のリーダが現れ、プルーデンスにかつての関係を見せつける。
ドンの心に未練があることを知ったプルーデンスはローマを離れ、帰国することを決意する・・・
(ハピネットの内容説明より)

ローマの名所旧跡から始まってイタリア北部マジョーレ湖を巡る、まさしくトロイ・ドナヒューとスザンヌ・プレシェットによる観光映画。
と言っても単なる観光ものという感じでなくって、愛し合う二人の姿がメインとなっているから、見ているこちらもワクワク感が盛り上がってとっても楽しい。
内容的には単純で、ラストも物足りないハッピーエンドとなっているけれど、それでも十分に飽きない。
そればかりか、ついついウットリしてしまうのはなぜだろう。
やはり流れる「アルディラ」(歌:エミリオ・ペリコーリ)とスザンヌ・プレシェットの影響か。

十代の頃、好きな女優と言えば、ナタリー・ウッドとスザンヌ・プレシェットだった。
ナタリー・ウッドは『ウエストサイド物語』(ロバート・ワイズ/ジェローム・ロビンズ監督、1961年)や、
特に『草原の輝き』(エリア・カザン監督、1961年)で強烈な印象があるから自分としても理由はよくわかるが、
スザンヌ・プレシェットの方は『鳥』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1963年)の小学校教師役ぐらいしか観ていないと思う。
それでもスザンヌ・プレシェットが好きだった。
今思い起こせば、高校の時、同級生にスザンヌ・プレシェットに似た雰囲気の子がいて、いいなと思っていたので多分その影響からだったと思う。

いずれにしても、自分の過去のこともない交ぜになって、若者同士の恋愛映画に理屈はいらないなと思った。

【YouTubeより】まず、マックス・スタイナーの音楽がムードを盛り上げる。


【YouTubeより】そして、エミリオ・ペリコーリの「アルディラ」


【YouTubeより】続いて演奏されるアル・ハートの「アルディラ」
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『尼僧ヨアンナ』を再度観て

2022年04月18日 | 1960年代映画(外国)
『尼僧ヨアンナ』(イエジー・カヴァレロヴィチ監督、1961年)を観た。

17世紀中頃のポーランド辺境の寒村。
スーリン神父は悪魔祓いのために、宿屋の下男の案内で尼僧院に行く。
これまでに4人の神父が悪魔払いに来たが全員失敗している。
そのため、スーリン神父が5人目として派遣されてきた。

スーリン神父に会った尼僧長ヨアンナは、自分に8つの悪魔が取り憑かれている、と言う。
だから助けてほしいと願うヨアンナだったが、笑い声を上げて後ろ姿から振り返る時は別人となっていた。
悪魔となって喋るヨアンナは壁伝いに歩き回り、部屋から出ていく時、壁に手形を残していく。

村人たちが見守る中、尼僧たちが広間に集まる。
そこでは、4人の神父たちによって悪魔祓いの儀式が始まるところで、スーリン神父は壇上でその様子を見ていた。
聖水をかけられ、悲鳴を上げながら逃げ回る尼僧たち。
神父に十字架を振られたヨアンナは、呪いの言葉を吐き散らすが、その後どうやら一人の悪魔が去ったらしい。
だが他の悪魔によって、ヨアンナは床を転がり、神父たちからがんじがらめにベンチに縛りくくられるのだった・・・

この作品は二十歳頃に映画館で観た。
場末のその劇場は、それ以前はマイナーな名画を上映していたが、経営が成り立たないのか3本立てピンク映画館に変わってしまった。
それでも新聞の映画欄をチェックしていると、ピンク映画2本の間に名画が挟まっていたりしていた。
そんな1本が、この『尼僧ヨアンナ』だった。

しかし、煙草の煙モウモウとして薄汚れたスクリーンに映るこの作品は、勇んで観た割にはよくわからなかった。
ましてやピンク映画目的のおじさん客は、こんな小難しい作品を楽しめるかなと同情したりした記憶がある。

カヴァレロヴィチ監督の代表作とされるこの作品は、なる程、それなりに凄いと言われる理由があると思う。
白黒画面のコントラスト、悪魔祓いの場面の舞踏らしき構図の的確さ、無駄のないストーリー。

まずこの作品には原作があり、その原作は、1634年にフランス中西部にある町ルーダンに実際に起こった尼僧の集団悪魔憑き事件を元にしているという。
それに先立つ1617年、ルーダン内にある教会司祭にグランディエという人物が指名され、ハンサムで教養のある彼は娘たちの注目の的になって浮名を流したという。
ある日、女子修道院長が悪魔憑きとなり、その原因はグランディエが邪悪な悪魔だとなり、結果、聖職者たちに処刑されてしまったという。

映画では、そのような前段が省略されていて、わずかな会話と殺風景な丘にある火刑台跡だけで表現されている。
そのようにして最後には、悪魔がヨアンナからスーリン神父の内に住み着き、それを、スーリンはヨアンナに対する愛のために殺人を犯して自ら引き受ける。
このように作品は、悪魔憑きに対して徹底してストイックに追求する。

それにしてもその内容は、一応理解できるとしても所詮、キリスト教に縁遠いためか本質的な理解は不可能と思わずにいられない。
そう言えば、それ以後に作られた『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督、1973年)でも、評判になった割にはイマイチ、ピーンと来るところがなかったことを思い出した。
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『夜』を観て

2022年04月07日 | 1960年代映画(外国)
『夜』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督、1961年)を観た。

ある日の午後、作家のジョヴァンニと妻リディアは、病床の友人トマーゾを見舞った。
トマーゾの病気は回復の見込みがない。
トマーゾはジョヴァンニの親友であるが、リディアにとっても親しい間柄だった。
以前トマーゾはリディアを愛したが、彼女はすでにジョヴァンニを愛し結婚していた。

彼女は作家夫人として何不自由のない毎日を送っていたが、その生活に得体の知れぬ不安が徐々に広がっていった。
結婚前二人を結びつけたはずの愛を見失ったと感じたとき、彼女の心にポッカリと一つの空洞があいた・・・
(映画.comより)

末期症状のトマーゾを見舞った二人は、ジョヴァンニのサイン会場に行く。
同行したリディアは夫と分かれ、ひとりミラノの街を歩き、これと言った目的もないのにタクシーで郊外のうら寂れた家並みを歩く。

その夜、リディアの希望で二人はナイトクラブに行き、その後、富豪ゲラルディニのパーティーへ行く。
会場でジョヴァンニは、ゲラルディニの娘ヴァレンティーナに魅了される。
一方リディアは、トマーゾの病院へ電話し彼の死を知る。
自分を理解をしてくれていたトマーゾを失ったリディアは、ジョヴァンニとヴァレンティーナが抱き合ってキスを交わす姿を垣間見ても嫉妬も感じなかった。
そして自分も、パーティで知り合った男と土砂降りの中、ドライブに出かける。

夜が明け、互いに別々の相手と夜を過ごした二人だったが、屋敷の広大な庭の一角でリディアは、トマーゾが死んだこと、もうジョヴァンニを愛していないことを告げる。
それを聞いたジョヴァンニは、かつて二人の間にあった愛を取り戻そうとするかのようにリディアを抱きしめる。

結末は、二人に一縷の望みがありそうにみえるが、夫婦の絆が失われている以上、やはり二人の間に断絶が横たわっていると思わずにはいられない。
主演は、マルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローの夫婦役。それに富豪の娘としてモニカ・ヴィッティが絡む。
セリフが少なく、映像で見せるこの作品は、アントニオーニの「愛の不毛・三部作」の中で、核心を一番明確について分かりやすいのではないか、そんな風に思わずにいられなかった。
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『僕の村は戦場だった』を再度観て

2022年03月02日 | 1960年代映画(外国)
プーチンの命令でロシア軍がウクライナに侵攻している。
だから、敢えて『僕の村は戦場だった』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1962年)を観てみた。


川岸でずぶ濡れになっていた12歳の少年イワンが部屋へ連れて来られ、ガリツェフ上級中尉から質問を受ける。
イワンは説明を拒み、司令部のグリャズノフ中佐へ電話することを要求する。
ガリツェフがグリャズノフに電話すると、中佐はイワンが書き記したものをすぐに司令部へ届けるよう命じる。

翌日、司令部からホーリン大尉が迎えに来て、イワンは司令部へと戻って行った。
イワンの今回の情報は極めて重要なものだったが、グリャズノフ中佐はこれ以上イワンに危険な任務を続けさせることは出来ないと判断し、
彼に幼年学校へ入ることを命じる。
だが、イワンはそれを拒み、幼年学校へ送られるぐらいならパルチザンになろうと決心する・・・

時は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツに対抗するソビエト軍。
少年イワンは両親、妹をこの戦争によって亡くしており、孤児になっている。
しかし孤児院を逃げ出し、今は、前線の偵察任務に就いていて貴重な存在になっている。

少年が特異な形で軍のなかにいる。
その存在意識を支えているのが、家族を殺されてしまったイワンの隠された復讐心。
この頑なまでの心持ちによって、対岸のドイツ軍の偵察に最後は一人で向かう。

この作品は、十代の時に名画座で観た。
当時、映画は二本立てだったので、確か目当ての作品は『処女の泉』(イングマール・ベルイマン監督、1960年)だったかと思う。
だから、このタルコフスキーの作品は私にとって添え物的であって何の知識もなかった。
しかし、たまたま観たこの作品の、ファースト・シーンのイワンの顔のアップ、そして、ラスト近くの捕虜ファイルの中にあるイワンの写真シーンは、
その衝撃さと共に脳裏に焼き付いている。

タルコフスキーの映像美は、まさにこの第1作目の作品から思う存分発揮されている。
そして、イワンの夢・想い出での母親とのシーン、ラストの妹と海岸で走るシーンの美しさを感じる時、
戦争のくだらなさ不毛さをつくづく感じられずにはいられない。
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『パサジェルカ』を観て

2022年02月05日 | 1960年代映画(外国)
若い頃から一度は観たいと思っていた『パサジェルカ』(アンジェイ・ムンク監督、1963年)をやっと観た。

海洋を航海中の、一隻の豪華客船。
乗客の一人であるドイツ人女性リザは、長らく夫と共にアメリカ合衆国で暮らしており、十数年ぶりに故国に帰省する途中である。
やがて、船は英国の港に寄港する。
舷側から乗り込んでくる船客たちを眺めていたリザは、一人の女性に目を留める。
様子のおかしくなったリザに、事情を知らない夫ワルターが大丈夫かと問いかける。
リザは戦争中、アウシュヴィッツ強制収容所の看守の一人だった。
先ほど見かけた女性を、リザはかつて自分が何かと手助けした女因マルタではないかと疑っていた。
戦争中にマルタとの間に生じたできごとをワルターに黙っていたリザは、夫にその想い出を語り始める。

<アウシュヴィッツ強制収容所>
リザは1943年の夏に、アウシュヴィッツに赴任した。
仕事は収容所外にある倉庫の作業監督だった。
彼女の任務は、国家の財産である囚人からの没収品を見張り、その紛失・破損を防止することであった。
一方、リザは他の多くのナチス親衛隊員とは違い、囚人たちに対する同情や親切を忘れたことはなかった。
ある日、新たに収容所に到着した女囚の中から助手を採用することになったリザは、娘らしいかよわさを感じさせるマルタに目を留め、書記として採用した。
リザはマルタが自由な人間に立ち戻るのを見ることに喜びを覚え、彼女に生きる力を与えてやりたいと思うようになった・・・
(DVDパンフレットより)

よく知られているように、この作品は監督ムンクが61年9月に交通事故死したために未完となっている。
それを友人たちが、冒頭と最後の船上部分をスチール写真とナレーションで補って作品に仕上げている。
だから映像が始まって“未完の筋書きに決着をつけたり結論を求めようとはせず、残された映像から制作意図を読み取ろうとした”とある。

リザの、アウシュヴィッツの記憶。
リザは囚人たちに対して冷ややかだったとしても、当時の状況からして一般的には良心的であった。
当然に暴力を振るうこともなく、マルタと婚約者タデウシュの逢引きにも仲立ちとは言えなくても寄り添う形で黙認する。
リザはそのような親切を通して、マルタとの人間的なつながりを求める。
しかし、マルタは常に醒めた感じで心を開こうとはしない。

そこに歴然としてあるのは、戦時下の支配者と被支配者の関係。
ましてや、その場所はあのアウシュヴィッツ強制収容所である。
リザが自分としては、愛情を掛けて相手のマルタを屈服しようとしても、マルタからすればいつ抹殺されるかわからない身である。
その後、マルタはどうなっただろうか。

船上のリザには一度は葬ったつもりの過去の記憶が蘇ったとしても、船は何事もなかったように寄港先から出ていく。
リザとマルタ、二人が再び逢うことはないだろう。
そしてリザの脳裏からは、戦時中のアウシュヴィッツの記憶は今後の日常において遠い過去のこととして再び蘇ることはないだろう。
ナレーションはそのようにラストでメッセージする。

僅か1時間あまりのこの作品に、アウシュヴィッツ収容所の内情とナレーションを絡めた方法に強烈なインパクトを受ける。
ましてや作り手は、被支配者側のポーランド人である。
優れた作品は、淡々とした内容であったとしても、その内に秘めた熱意は自然と十分に伝わる力を持っている。

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