場所は、ナチス・ドイツに占領されたある町。
小学校教師で臆病な性格のアルバートは、彼を溺愛する高齢の母親と二人で暮らしている。
隣りの家には、女教師をしているルイーズが兄ポールと住んでいる。
ルイーズの恋人のジョージは貨車操車場の責任者で、ポールもそこに働いていて二人は仲がいい。
ある日、操作場で貨物車が破壊されるが、ナチスのケラー少佐は事件が拡大しないようにと、妨害活動でなく事故として処理する。
そして後日、抵抗新聞を発行している印刷所の者を逮捕し連行する。
その現場からの帰り、利敵協力者の市長と共に乗っているケラー少佐の車の一行に、建物の二階から手榴弾が投げ込まれる。
屋根に向かって逃げていく男、それはポールだった・・・
手榴弾の犯人を逃がしたケラー少佐は、皆が尊敬しているユダヤ人のソレル教授に嫌疑をかけ逮捕する。
しかし抵抗運動は続き、今度は兵器輸送列車が爆破される。
その捜査の過程で、アルバートが逮捕されてしまう。
アルバートを溺愛している母親は、何とか釈放させようと必死になる。
ナチスに犯人とばれてしまったポールは、逃げる途中で撃たれて死ぬ。
実は、犯人を知っていたアルバートの母親がアルバートのために、ジョージに告げ口をし、それを市長、ケラー少佐へと情報が流れていたからだった。
何も理由を知らずに釈放され、上機嫌になっているアルバートは、好意を寄せている隣家のルイーズの所へ行く。
しかし、そこに見たのは、悲しみに暮れるルイーズの怒りに燃えた顔と、「卑怯者」扱いの罵倒の言葉。
ショックを受けたアルバートは、母親を問い詰めて真相を知り、怒り心頭でジョージの仕事場に出向く。
現状追認主義者のジョージは抵抗主義者のルイーズから、意見の相違で婚約解消されたため意気消沈している。
そこに現れたケラー少佐は、ポールの葬式の場でのルイーズに対する慰め方を伝授する。
そしてケラー少佐は言う、そのルイーズから共犯者を聞き出せと。
命令されたジョージは、ケラー少佐が去った後で、机から拳銃を取り出し絶望のあまり自殺する。
そこへ、怒っているアルバートが来る。
ジョージ殺しの犯人にされるアルバート。
その後のクライマックス、法廷場面でのアルバートの弁明。
自分の内と外の二面性、つまり、内には勇敢さを秘めていても臆病なこと。
その反対の者としての、市長やジョージのこと。
休廷の時に、ケラー少佐は監獄のアルバートを訪ね、有利な条件を出してアルバートを手なずけさせようとする。
その気になったアルバートは、たまたまそこの庭で処刑されるソレル教授たちを見る。
真の勇気を知ったアルバートは、再開された法廷で熱弁する。
それは、占領国ドイツに対する痛烈な批判であり、占領が続けばそれを利用する同国人への批判。
アルバートは言う、「私が裁判で無罪になっても、ドイツはその後で処刑するだろう」と。
それは「社会でなく専制国家にとって有害だから」と。
あのオドオドしていたアルバートが、なぜ急に堂々と演説をぶてるのかと不思議には思うけど、その言っている内容に心が打たれる。
ドイツのフランス侵攻でアメリカに渡ったジャン・ルノアールは、会社側の意向でこの作品を自分の思うようには出来なかったと言う。
そう言うこともあるのだろうか、この作品は評価がイマイチだったりする。
しかし、チャップリンの『独裁者』(1940年)が傑作で、こちらはそうでないとは決して思わない。
その演説場面は、同等に感動させられる。
この作品を魅力的にしている理由のひとつは、やはりチャールズ・ロートンとモーリン・オハラ。
それと物語の進み具合。
ラストの、アルバート、そしてルイーズが教室で力強く読む「人間の権利の宣言」は、ひしひしと胸に迫ってくる。
これは、私にとって重要な作品のひとつである。