ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

成瀬巳喜男・9~『放浪記』

2020年02月25日 | 日本映画
『放浪記』(成瀬巳喜男監督、1962年)を観た。

昭和の初期。
林ふみ子は行商をしながら、母と駄菓子屋の二階で暮らしていた。
彼女が八歳の時から育てられた父は、九州から東京まで金を無心にくるような男だった。

隣室に住む律気な印刷工安岡は不幸なふみ子に同情するが、彼女は彼の好意を斥けた。
自分を捨てた初恋の男香取のことが忘れられないのだ。
母を九州の父のもとへ発たせたふみ子は、カフェ「キリン」の女給になった。

彼女の書いた詩を読んで、詩人兼劇作家の伊達は、同人雑誌の仲間に入るようすすめた。
まもなく、ふみ子は本郷の伊達の下宿に移ったが、彼の収入だけでは生活できず牛めし屋の女中になった。
ところが、客扱いのことからクビになったふみ子は、下宿で日夏京子が伊達にあてた手紙を発見した。
新劇の女優で詩人の京子は、やがて伊達の下宿へ押しかけてきた。

憤然と飛び出したふみ子は、新宿のカフェ「金の星」で働くことにした。
その間にふみ子が新聞に発表した詩を高く評価したのは、「太平洋詩人」の福地、白坂、上野山らである。
彼らは京子をつれてきて、ふみ子に女同士での出版をすすめ、今は伊達と別れた二人の女は、ふしぎなめぐり合わせの中で手を握り合った。
こんなことからふみ子は福地と結婚したものの、貧乏と縁がきれない・・・
(映画.comより)

多くを語る必要はない林芙美子の自伝的小説「放浪記」の映画化。
それも何度か映画化されたうちの一作品ということだが、私にとってこれが初である。

貧乏で、生活の糧のために意に沿わぬ仕事もして、どうにか食べなければならない。
書くことが好きで、内に希望をたぎらせていても、夫となる福地も作家を目指して無収入。
だから、ギリギリのところで他人に金の無心をするしか方法がない。

林ふみ子を演じる、高峰秀子。
眉は下がりめ、近眼の目つき、歩く姿は傾いていて猫背で首が前に出ている。
上目遣いは、どう見てもコンプレックスを漂わせ、着物の着付けまで自堕落ふう。
今まで知っている高峰秀子とは格段と違い、正直言って、不細工。
イメージしている林芙美子とは違うけれど、それでも、そうだろうと納得できてしまう本人像。

物語は、最後に林ふみ子が「放浪記」を出版し、人気作家になったところまで。
流行作家になれば、いろいろな慈善事業からの寄付依頼もくる。
それに対し彼女からすれば、人に甘えていないでギリギリまで努力をしてみなさいよ、というメッセージか。
彼女自身のこれまでの人生がそうだったから。
男に弱くて、尽くして裏切られ、思ってもちっとも自立できない、それでも芯がピシャリと通っている、そんなひとりの女性の姿を垣間見るような優れた作品だった。
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成瀬巳喜男・8~『めし』

2020年02月24日 | 日本映画
『めし』(成瀬巳喜男監督、1951年)を観た。

大恋愛の末に結ばれた岡本初之輔と三千代。
結婚から5年を経て、今は大阪に在住する夫婦は倦怠期に突入していた。
世間からは美男美女の幸福な家庭と見られているが、些細なことで衝突が続く。

そんな中、初之輔の姪である里子が家出して、東京から大阪へやってきた。
家計をやりくりしながら家事に追われるだけの日々に、疑問を持ち不満をつのらせていた三千代は、初之輔と里子の楽しそうな姿にも苛立ちを覚える。

三千代は里子に帰京を促し、里子を送る名目で東京の実家に里帰りする。
そして久々に、のんびりとした時間を過ごす。

三千代は自立も考えていとこに東京での職探しを頼み、悶々としていた・・・
(Wikipediaより一部修正)

岡本夫婦は、上原謙と原節子。

小津作品で見慣れているはずの原節子が、所帯やつれで痛々しい。
林芙美子の未完としても原作となれば、やはりニッチも行かない生活がベースとなる。
そんな中での家庭夫婦。

原節子の“こんなはずでなかったのに”との思いの表情。
のほほんと飯を食い新聞を読む夫を見る目つき。
皮肉なことに、この夫婦が喧嘩にならないのは、夫が妻の気持ちを察する洞察力もなく脳天気なため。
こんな中に、あっけらかんとした里子が二人の生活を無意識にかき回す。

三千代は離婚を胸に秘め、東京の実家に帰る。
でも、彼女にとって居心地のいいのは数日だけ。

結婚してまだ5年だと言うのに、三千代をこのような思いにさせるのは、やはり世の中の仕組みのためか。
ラストで明るさを取り戻したとしても、やはり原節子は小津作品のヒロインように明るくさせてあげたいと、心から願うばかりだった。
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フランソワ・トリュフォーの『あこがれ』を観て

2020年02月23日 | 1950年代映画(外国)
フランソワ・トリュフォー監督の短編『あこがれ』(1958年)を観た。

フランスののどかな田舎町。
若い女性ベルナデットが自転車で町や林道を颯爽と走る。
ひるがえるスカートからのあらわな脚。
少年たち5人は、ベルナデットが走るのを夢と欲望をもって見る。
ベルナデットが木に自転車を立て掛けていけば、走りよりサドルに鼻をつけ、彼女の匂いを嗅ぐ。
ときめきと官能のうずき。

ベルナデットの恋人ジェラールは、体育の先生をしている。
二人がデートしキスをしている所を見つけると、少年たちは追いかけ冷やかす。
5人にとって、二人の現場はとっておきの遊び場に変化する。

休日にテニスをする二人。
少年たちはそこへ行って、短スカートからベルナデットの脚がむき出しになるのを楽しむ。
ボールが柵を越え、彼女が近づいてくると、汗ばんだシャツの匂いに気が遠くなるほどの陶酔を味わう。
その瞬間の幸福のために、彼らは毎週集まる。

5人は、ジェラールとベルナデットの幸せそうな様子を見て、敵意を抱くようになる。
そして、木の幹、橋の手すり、壁へ二人の婚約をばらすために書き散らす。
その心理が、本当は恋だとはまだ幼くて分からず、二人に復讐したつもりでいた。

敵意はさらに増し、映画館で二人がキスした時に騒ぎ立て、大いに打撃を与えたつもりで逃げた。

8月の午後。
恋人たち二人は、近くの森に自転車で出かけた。
5人は、不意を襲って恥ずかしめようとする。
抱き合う二人にそっと近づき騒ぎ立てる。

駅のホーム。
ジェラールは、「3ヶ月後には戻って結婚式を挙げよう」と言い、列車で出発する。

少年たちの夏休み。
5人は、二人の幸福をぶっ潰し、復讐の決着をつけようとする。
男と女がみだらに抱き合う絵ハガキを買い、思いつく言葉を書いて郵便受けに入れる。

ジェラールが山の遭難事故で死亡する新聞記事を読む。

ジェラールの死は遠ざかり、忘れられた頃の10月のある日、黒衣のベルナデットが目の前を通る。

思い出は、今でも切なくよみがえる。
少年期の自分たちから消えた、彼女の面影、さわやかに走る自転車、ひるがえるスカート。
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成瀬巳喜男・7~『鰯雲』

2020年02月21日 | 日本映画
『鰯雲』(成瀬巳喜男監督、1958年)を観た。

東京近郊の、厚木附近の農村。
東洋新聞の厚木通信部の記者・大川は農家の実態を記事にするため、八重の家を訪ねた。
ハ重は夫を戦争で失い、姑のヒデをかかえ、一人息子の正を育てながら農事に精出してきた。
彼女は女学校を出てい、たまたま大川と一緒に入った町の食堂「千登世」の女主人は、そのときの同級生の千枝だった。

八重の兄・和助は同じ村に住んでいるが、親子八人の大世帯である。
昔は十町歩からの大地主だったが、農地改革でわずか一町八反しか残らなかった。
今の嫁は三人目であった。

長男の初治の嫁探しを八重は頼まれていた。
大川の持ってきた話を調べに二人は山奥の村へ行った。
その娘みち子の義理の母は、和助の最初の妻とよだった。
農事がうまく出来ぬと、和助の父がむりやり追い出したのだ。
八重と大川は、その夜帰りのバスに乗りそびれ、一夜を共にした・・・
(Movie Walkerより一部抜粋)

東京近郊の農村が舞台となっているが、そこでの農家一家の関係が分かりにくく、最初は相当戸惑う。
それを整理しておくと、

本家・和助には、3番目の現在の妻タネとの間に、順三以下男女4人の子がいる。
最初の妻とよは、長男の初治を産んですぐに離縁させられている。
二人目の嫁の子が、次男の信次である。

作品の主人公である八重は、和助の妹で戦争未亡人。
息子正と姑のヒデと住んでいる。

あと、分家の大次郎とやすえ。二人には娘浜子がいる。

このような関係の中で、八重は世帯持ちの大川と関係を持ち、彼を忘れられなくなっていく。

縁談話があった初治は、もともととよの子で、みち子はとよからすると前妻の子という間柄である。
その二人が気が合ってその後のことを、自分たちで決めていこうとする。

もう一組。
和助は傾いた土地を立て直す方法として、三男順三と分家の浜子を結び付けようと目論む。
しかし浜子は、気の合う次男信次との間で妊娠してしまう。

これらが絡み合って、戦前大地主だった和助は、家と田畑を守るために戦後の農地改革以後も意識が変えられないままで来ている。
分家の子、浜子が大学に行きたがっていると聞くと、大学出の娘に婿が来るか、と乗り込むほどである。

このような兄に対して、八重の考えは世の中の流れに沿っていて、意見もはっきりしている。

銀行に勤める信次は農家を嫌って下宿生活を始める。
そればかりか、順三も東京で自動車の修理工になろうとしている。
はたまた、初治とみち子は結婚式を後回しにして、食堂「千登世」の二階に間借りして住み始める。

和助ととよが、婿と嫁の親同士として30年ぶりに会う。
その和助が、自分たちの辛かった新婚当時と比べると、今の若い者は思い切ったことをやると、しみじみ言う。
和助にとって、この結婚は近所の手前、昔ながらの盛大な結婚式の、その費用の金策が悩みのタネとなっている。
だが初治は、現代的に公民館で会費制でやろうと考え、そして、信次と浜子の式も一緒にやろうとしている。

大川が東京へ転勤することになって、見送りにくるはずの八重は、気持ちを振り切るように一人青々とした田の中で働く。
空には、久し振りの鰯雲が漂っている。

やや入り組んだ内容としても、個々の役者の持ち味が際立っていて、観ていくうちにすんなりと物語にのめり込んでいく。
特に、主演の淡島千景は、モンペ姿になっても艶やかでピカイチ。
他の俳優名を挙げれば、名前だらけになるので敢えて省略。

それにしても成瀬巳喜男の演出は、新旧世代交代のドラマを流暢なカラー作品にピッチリとまとめ上げる。
その手法には、ただただ感心するほかない。
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成瀬巳喜男・6~『晩菊』

2020年02月20日 | 日本映画
『晩菊』(成瀬巳喜男監督、1954年)を観た。

芸者上りの倉橋きんは、口の不自由な女中静子と二人暮し。
今は色恋より金が第一で、金を貸したり土地の売買をしていた。
昔の芸者仲間たまえ、とみ、のぶの三人も近所で貧しい生活をしているが、
きんはたまえやのぶにも金を貸してやかましく利子をとりたてた。

若い頃、きんと無理心中までしようとした関が会いたがっていることを、飲み屋をやっているのぶから聞いても、きんは何の感情も表わさない。
しかし、以前燃えるような恋をした田部から会いたいと手紙を受けると、彼女は美しく化粧して男を待った。
だが田部が訪ねてきた理由は借金のためで、それがわかったきんは、たちまち冷い態度になり、今まで持っていた彼の写真も焼きすてた・・・
(Movie Walkerより一部修正抜粋)

きんだって、若い頃は色恋に夢中になり、関に無理心中までさせられるし、
田部にはとことん惚れて、彼が兵隊に取られた時には、広島まで追いかけていった。
だが今は、ややこしい男女関係に巻き込まれた過去はさっぱり忘れ、一人で自立している。
そこでは、唯一頼れるのはお金だけであり、それが生活に基盤となっている。

たまえは、連れ込みホテルらしい旅館の女中。
雑役婦のとみは、競輪、パチンコに凝っていて、お金は使うためにあると考えている。
夫と飲み屋をやっているのぶは、たまえと同じように生活がにっちもさっちもいかないから、きんにお金の面で頼っている。

とみは、娘の幸子と共にたまえの家に同居していて、
昔芸者時代にはきんより自分の方が人気があったのにと、お金一辺倒のきんが何かにつけ面白くない。
と言うとみだって、娘にお金を無心したりする。

と、このようにお金だけの話のやり取りで、ほぼ物語が進んでいく。
この魅力のなさそうな内容を、グイグイ引きつけて飽かせないのは、さすが役者のうまさ。
高利貸しの女を、杉村春子が演じる。
パチンコ好きのとみは、望月優子。
飲み屋が沢村貞子で、旅館の女中が細川ちか子。

杉村春子なんかは、あれ程に人に冷淡なのに、昔の恋人、上原謙が訪ねてくるとなると、それはもうオンナになってしまって、そのギャップのうまさが凄い。
と言っても、目的が借金となると一辺に昔の恋の熱が冷めてしまい、さすが金で人生を制してきた人物像が際立っている。

こんな嫌みみたいなきんにやられっぱなしかと言うとそうでもなく、
たまえととみは、最後に自立して行ったが“自分たちには子供がいるもん”とあけらかんとして嫌みがない。
 
前回観た『稲妻』同様、林芙美子の作品絡みで陰気臭そうな物語なのを、不思議なことに、とっても愛着ある作品に仕上がっていて言うこと無し。
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『1917 命をかけた伝令』を観て

2020年02月17日 | 2010年代映画(外国)
『1917 命をかけた伝令』(サム・メンデス監督、2019年)を観てきた。

1917年4月6日、イギリス兵である第8連隊に所属するスコフィールドとブレイクは、ある重要なメッセージを届ける任務をエリンモア将軍から与えられる。

マッケンジー大佐率いるデヴォンシャー連隊第2大隊は退却したドイツ軍を追っていたのだが、
航空写真によって、要塞化された陣地をドイツ軍が築き、待ち構えていることが判明。
退却に見せかけた用意周到な罠だった。

このままでは、マッケンジー大佐と1600人の友軍は、ドイツ軍の未曽有の規模の砲兵隊によって全滅してしまう。
なんとしてもこの事実をマッケンジー大佐に伝え、翌朝に予定されている戦線突破を止めなければならない。
あらゆる通信手段はドイツ軍によって遮断され、もはやスコフィールドとブレイクの伝令が最後の頼みの綱だった・・・
(パンフレットより一部修正抜粋)

二人はエクーストという町の南東2キロの、ルロワジルの森に向かって出発する。
途中、占領ドイツ軍が築いた塹壕やドイツ占領下の町を越えて行かなければならない。
その行く手は、状況次第でいつ襲撃に遭うかわからない。

その二人の姿を、全編ワンカットの映像として見せる。
だからカメラは常に二人、途中からは一人の動きと共にある。
それを観客は、伝令兵と同じ目線で状況把握することになり、一時も緊張することをやめさせて貰えない。
それは、大袈裟に言えばジェットコースターに乗っている実体験のような錯覚に陥る。
そのような状況とセットで、その先がわからない映像美に驚嘆する。
そして、私が求めるドラマドラマしていなくて映像で見せる、本来の映画らしい作品に出会ったことに感激する。

もっとも、謳い文句である全編ワンカットは、宣伝であって本来あり得ない。
翌朝までの話を実上映時間2時間で映すとなると辻褄が合わなくなってくる。
だから、場面移動をそんなにしていないはずでも、そこは観客が時間経過を勝手に想像しなければならない。
それともうひとこと敢えて言えば、場所設定にエクーストという町名が出てくるが、それだけでは地理把握が出来ずリアリティに欠けるな、と感じる。
と言うようなことも、いちいちあらを探さなければ気にもならないレベルであると信じる。

ともあれ、撮影監督のロジャー・ディーキンス。
今まで撮影監督なんて意識したことがなかったけれど、この人が撮った作品をチェックしてみると成る程と感心する。
だから、アカデミー賞の撮影賞、視覚効果賞は当然の結果だと思う。
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成瀬巳喜男・5~『稲妻』

2020年02月16日 | 日本映画
『稲妻』(成瀬巳喜男監督、1952年)を観た。

小森清子は、東京の遊覧バスガイドをしている。
彼女には、長姉の縫子、次姉の光子、兄嘉助がいて母がいる。
だがこの兄弟姉妹は、母おせいが生んだとしても全員父親が異なっている。

清子は、洋品店を経営している光子の家に下宿している。
はきはきしてしっかり者の清子と、控え目で大人しい光子はとっても気が合う。

縫子は夫がいるというのに、両国でパン屋を営む綱吉と付き合っている。
そして、清子に綱吉との縁談を持って来る。
夫を尻に敷きズケズケしている、そんな縫子を清子は嫌い、どう見ても計算高くて胡散臭さうな綱吉をも毛嫌いし、避けようとする。

嘉助は復員してから、パチンコをしたりしてずっとブラブラしている。

ある日、光子の夫呂平が急死してしまう。
葬儀も落ち着いた頃、縫子や嘉助が、もし保険金が下りたら貸してほしいと光子に言い出す。
おまけに母親まで、それを期待する。
そんな中、ある女が子供をおぶって、恐る恐る光子を訪ねてくる。
どうもその人は、呂平の愛人だったらしくて・・・

下町に住む小森家は、長姉の縫子の家でも次姉の光子でも、当然母親おせいの家も含め、何かと生活がままならない。
だから話の中心にお金が絡む。
金儲けがうまそうな綱吉は縫子とどうもいい仲らしく、綱吉が渋谷で始めた温泉旅館に、縫子は女房気取りでいりびたる。
と思えば後半、夫の死にメソメソしていた光子は、綱吉から神田での喫茶店資金を提供してもらう。
片や、亡くなった呂平の愛人は光子に金をせびる。
そのような綱吉と姉妹の縫子、光子のゴタゴタした関係を知る清子はウンザリし、世田谷で一人下宿することにする。

清子は、そこの隣家に住む、今まで目にしたこともなかったような清純な兄妹を知る。
清子は兄の国宗周三と、二人とも言葉には出さないけれど好意を持ち合う。

そんなところへ、勝手に下宿してしまった清子を心配した母おせいが訪ねてくる。

清子は言う。
「お母ちゃんがずるずるべったりだから、みんな周りの者がずるずるべったりにだらしなくなるのよ」
「お母ちゃんは、なぜ四人兄妹を一人のお父ちゃんの子として産んでくれなかったの」
「私一度だって幸福だなんて思ったことないのよ」

泣きながら母は言う。
「母ちゃんだって、子供を不幸にしようと思って産みやしないよ」
外では稲妻が光る。
「お母ちゃん、もうよそぉ。みっともないわよ」

清子は夜道の中、母を送っていく。

誰がどう言おうとこれは、高峰秀子と浦辺粂子の強烈な感動シーン。
ただただ食い入るのみ。

林芙美子の原作を基にしながら、陰気臭くなる内容をどことなく暗くしない成瀬の手腕を見て、敬服するの一言しか表せない。
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成瀬巳喜男・4~『女の中にいる他人』

2020年02月14日 | 日本映画
『女の中にいる他人』(成瀬巳喜男監督、1966年)を観た。

田代勲は、妻雅子と幼い兄妹、それに母親の5人で鎌倉に住んでいて、東京の出版社に勤めている。
ある夕方、田代が一人、赤坂の店でビールを飲んでいると、隣家の杉本隆吉が偶然通りがかり、彼も一緒に飲む。
建築技師の杉本はこの日、仕事の関係で東京に出て来、化粧品会社勤めしている妻さゆりと一緒に帰ろうとしたが、電話が通じなかった。

二人は地元鎌倉へ帰り、さらに馴染みの店で飲んでいると、杉本に電話が掛かり、さゆりに事故が起きたと言う。
杉本は再び東京に行き、田代は家へ帰って妻と母にそのことを口にした・・・

その杉本の妻が、友人のアパートで情事の末、首を絞められて死んでいた。
それも、杉本と田代が飲んでいた赤坂のすぐ近く。

犯人は最初からほぼわかっている。
田代は何かを思い詰めたように陰気臭く、杉本と会っても口数が少ないし、家に帰っても家族の言うことに上の空である。
それを小林桂樹が演じる。

葬式後の席で、さゆりの友人加藤弓子が田代をじっと見つめる。
田代は弓子を知らないが、彼女の方は以前に、貸しているアパートからさゆりと田代らしき男の後ろ姿を見ている。
弓子は田代を疑いそのことを杉本に耳打ちするが、杉本は他人のそら似だろうと、取り合わない。
なにしろ、田代と杉本は、隣同士で20年来の親友という間柄である。

田代は、良心の呵責に苛まれる。
もう黙っていられない。
このことを喋って、罪の意識から開放されたい。
とうとう妻の雅子に告白する。
雅子は動転する。
幸せな家庭を築いてきたのに、夫が浮気をしていたことのショックを隠せない。
その雅子を演じる新珠三千代の表情が真に迫って凄い。

話はまだまだである。
実は田代は雅子に、さゆりを殺したことまでしゃべっていない。
だから、田代の心持ちは屈折し、罪悪感は深みにはまっていく。

ギリギリの所まできた田代は雅子に、本当のこと、殺人を犯したことを言う。
だがこの殺人は、情事の最中で首を絞めて欲しいという、さゆりの性的嗜好の末であった。
だから、その実情を知った雅子は、子供の将来のこと、家族の崩壊のことを考え、
二人だけの秘密だけにして、すべてを忘れてしまおうと必死になって田代を説得する。
この辺りになると、もともと柔和だった雰囲気の新珠三千代の気迫に圧倒されっぱなしで、一時も目が離せられない。

とうとう、田代は杉本にまで告白する。
杉本としては、男友達の多い妻のさゆりとは冷めた夫婦関係だったので、忘れようとしていた事件を蒸し返されて、困惑するばかりだった。
そして、田代が事件を悪夢として忘れてくれれば万事世の中うまくいくのに、田代の方は自首して罪を償いすべてに対して開放されたがっている。

そこで、家族の安泰を願い雅子が取った手段は、というのがクライマックスである。

成瀬巳喜男としては異色なサスペンス物と言われている。
もっともサスペンスと言っても、主人公の心理描写が重点になっている。
それを表すかのように、この作品は常に近い形で雨が降っている。
そのような状況の中で、雅子の心理描写が被さってくる。

小林桂樹と新珠三千代、それに杉本の三橋達也が絡んだ演技を、飽くことなく一気に最後まで観させてくれた優れた作品だった。
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『成瀬巳喜男を観る』を読んで

2020年02月01日 | 本(小説ほか)
『成瀬巳喜男を観る』(平能哲也編・著、ワイズ出版:2005年刊)を読んだ。

この本は、成瀬巳喜男のいろいろな作品に当たりながら、特に演出術を中心として、成瀬映画の魅力を紹介している。
だから、多くの撮影現場や作品場面の写真が掲載されていて、気楽に読める代物となっているし、内容も当然充実している。

第1章:「成瀬映画はアクション映画である」
成瀬作品は、一見“静かな映画”にみえるが、登場人物がよく動くシーンとして、「歩く」、「振り返る」を、
そして、登場人物の顔や身体の陰影にアクセントをもたらす「光と影」、表現としての「人物の視線・目線の交錯」を紹介する。
著者は、それらを本来のアクションの意味である“動作”をもって、成瀬の作品はアクション映画だと言う。

第2章:「成瀬映画のテンポとリズム」
成瀬作品の、流れるような独特なテンポとリズムを生み出すシーンとシーンのつなぎ方を紹介し、
「フェードアウト、フェードイン」や、その「リズミカルでスムーズなつなぎ方」を説明する。

第3章:「成瀬映画のこだわり」
成瀬のこだわりとして、「雨」の場面や「チンドン屋」、「猫」の登場、そして「縦構図で見せる路地と玄関口」。
また、作品の内容に大きく関わってくる「不吉な電話と交通事故」や「お金にまつわるエピソード」。
そして忘れてはならないのが「ユーモア」である。

第4章:「成瀬映画の逞しい女たちと頼りない男たち」
多くの作品で、ラストシーンで一歩踏み出そうとする「逞しい女性像」があって、反対に、みすぼらしく「頼りない男性像」が成瀬映画の特徴となっている。

第5章:「作品分析『まごころ』と『娘・妻・母』」
戦前の『まごころ』(1939年)における子役たちの自然な演技を引きだす術、特に「目線の表現」を紹介する。
そして1960年の『娘・妻・母』は、世代的に3グループのオールスターキャストによる大家族のもので、
このたくさんの家族構成や各人のキャラクターを、手際よく観客に見せ理解させる手腕を紹介する。

第6章:「インタビュー石田勝心監督に聞く」
石田勝心(かつむね)は、東宝で成瀬監督の『杏っ子』(1958年)から遺作の『乱れ雲』(1967年)まで8本の助監督をし、
他にも多くの監督に付き、1970年に監督デビューした人物。
その人が助監督で成瀬に使えていた時の、現場でのエピソードなどを紹介し、その話題から成瀬その人が身近に見えてくる。

第7章:「成瀬巳喜男フィルモグラフィー」
計89本の、作品スタッフやキャストのデータと共に作品紹介もしてあり、資料としてとても参考になる内容である。

この本は図書館で借りてきたが、最後のフィルモグラフィーが50ページ程もある充実した内容となっている。
だから参考資料として使おうとすると、購入しておかなければいけないかな、と今は考えている。
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