ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

高校生のころ・10~『ファントマ/危機脱出』

2019年06月07日 | 1960年代映画(外国)
中学生の頃から映画の魅力を覚えて観だしたが、それはほぼテレビでの鑑賞だった。
高校になると、多少自由が利くようになり映画館に足を運び出した。
だが、観る基準もなくあれこれ観ていると、随分とつまらない作品にも当たって失望したりする。
なので、以前にも書いたようにキネマ旬報で評価されているシリアスな作品を意識して観るようになった。
と言っても娯楽作品も好きで、面白くて単純に大喜び出来れば、それはそれで大満足の至福の時だった。
そして、それに合致したのが『ファントマ/危機脱出』(アンドレ・ユヌベル監督、1964年)であった。

鮮やかな手口で宝石を盗み出す怪盗ファントマがパリの街に出現。
ファントマは好き勝手に暴れまわり、パリ警視庁も手を焼いていた。
市民の不安を消すため、ジューヴ警視がテレビで「ファントマを必ず捕まえる」と宣言する。
新聞記者のファンドールは、この騒ぎに便乗して「ファントマは架空の人物で存在しない」という記事を出す。
センセーショナルな記事は飛ぶように売れたが、ファントマと警視庁の両方を怒らせてしまい・・・
(ザ・シネマより)

今観ると、映像的には時代のずれを感じて多少のかったるさを感じる。
それでも、やはり面白い。
新聞記者のファンドールがジャン・マレー。
その恋人でカメラマンのエレーヌがミレーヌ・ドモンジョ。
ファントマをどうにかして捕まえようと躍起になるジューヴ警視役のルイ・ド・フュネス。

このド・フュネスがいるから、痛快活劇に可笑しみが加わる。
それにミレーヌ・ドモンジョが可愛らしくて無茶苦茶いい。
ド・フュネスもミレーヌ・ドモンジョもこの作品で知って、ひょっとしたらジャン・マレーだってこの時初めて覚えたかもしれない。

そればかりか、百の顔を持つファントマがゴムマスクを脱いで次の顔が現れるところなんか、当時は本当にたまげた。
そして、後半のアクション。
ファンドールとジューヴ警視がファントマをオートバイで追いかけ、次ぎに汽車に乗り移り、ついにヘリコプターでも追っかける。
行き着く先は、潜水艦に逃げ込み姿を消すファントマに対し、大海原でアップアップする二人と、小さなゴムボートで助けにくるエレーヌ。
この三人の姿が笑える。

このシリーズは「電光石火」、「ミサイル作戦」と続くのである。
だから次回は『ファントマ/電光石火』の感想となる。
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忘れ得ぬ作品・11~『かくも長き不在』

2019年06月04日 | 1960年代映画(外国)
『かくも長き不在』(アンリ・コルピ監督、1961年)を観た。
この作品は、世の中を映画によって知り始めた頃の高校の時、その印象が余りにも強烈で、今日に至っても忘れ得ない映画となっている。
そして、前から再度観てみたいと思っていたら、偶然にも“GYAO”が無料放映していた。

第2次世界大戦後、パリ郊外のうらびれた街角でカフェを営む女性経営者テレーズはある日、
自分の店に立ち寄ったホームレスの男性を見て強く衝撃を受ける。
彼が第2次世界大戦中、出征し、ナチスドイツに拉致されてから行方知れずとなっていた彼女の夫、アルベールにそっくりだったからだ。
テレーズは、過去の記憶を失ったホームレスの男性と寄り添うように交流しながら、なんとか彼の記憶を蘇らせようと懸命に努力を続けるが・・・
(GYAO!より)

浮浪者がテレーズのカフェの前を通る。
その浮浪者を見たテレーズの表情。
その時、テレーズは確信している。
あれは私の夫だと。
後日、テレーズは浮浪者の後を付けて行く。
浮浪者の住んでいる所は、セーヌ川の川べりの掘っ立て小屋。

浮浪者を夫だと確信しているテレーズがいじらしい。
どうにかして記憶喪失の夫に、私が誰かを思い出させたい。
バカンスで町に人が居なくなったそのカフェでテレーズは、浮浪者アルベールに好物のブルーチーズを食べさせダンスをする。
ダンスをしながら、テレーズがアルベールの頭部を触る。
その時気づくのが、頭部の深い傷痕。

どうにかしてアルベールの記憶を戻してほしいと願うテレーズ。
そのテレーズを演ずるアリダ・ヴァリの秘めた静かな思いが凄い。
私にとってアリダ・ヴァリと言うと、この作品と『夏の嵐』(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1954年)、当然なことながら『第三の男』(キャロル・リード監督、1949年)を瞬時に思い出す。
それ程、この女優は観る者に強烈なインパクトを与える。

戦争は、敵味方双方が傷つけ合うばかりでなく、市民にこのような形で影響を与える。
この映画には、戦争のかけらも出てこない。
しかし、アルベールに対するテレーズの必死の思いをみれば、行き着く先は戦争悪にたどり着く。
その隠れたメッセージが強烈すぎ、脳裏から離れない。

私には、この作品へのおもいれが強いためか、随分と前に、ちくま文庫の『かくも長き不在』(マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロ、阪上脩訳:1993年)を購入し愛読してきた。
それを思わぬ形で今回再会でき、感謝している。
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