ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『昔々、アナトリアで』を観て

2015年09月25日 | 2010年代映画(外国)
『スリー・モンキーズ』(2008年)に続いて、『昔々、アナトリアで』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督、2011年)を借りに、
行きつけの大手レンタル店に行ったら、ケースの中に他の作品が入っていた。
店員にそのことを言ってから大分経っても、まだこのケースはカラになっている。
店の人に調べて貰ったら返却済みとのこと。
となると、店員が他のケースに入れ間違え、それを膨大な量の中から探す手立てがないので、そのままになっているのだろう。

しょうがないので、他のレンタル店に行き、探すと置いてあった。そこで新会員になって借り、早速観てみることにした。
だが、なぜか途中でエラーになり画面が映らなくなってしまった。
おかしいなと思い、DVDの記録面を見たら、熱か何かで焼き付いたような状態である。
店に事情を言ったら他店から取り寄せてくれて、漸くのことで無事観ることができた。

夜。アナトリア地方の草原を3台の車がヘッドライトを点けて来る。
そして、一本の木の脇で止まる。
車から降りてきたのは、容疑者兄弟の供述に基づき死体の埋め場所を探し求める、
警部、検事、検死医、軍警察ら10人程と容疑者。
しかし、容疑者の言うことが要領を得ない。苛立つ警部。
しょうがなく、また次の場所へ移動するはめに・・・・

犯人はどのような理由、方法で被害者を殺害したのか、という事が徐々に明らかになるだろうと期待していたら違っていた。

移動中の車の中での雑談。
早く死体を見つけて仕事を一段落させたい雰囲気。
死体発見することが、警部以外そんなに熱心でなさそうな人たち。それは、自分の役割がくるまで待つということ。
このような形で少しずつ警部、検事、検死医を中心に話が進む。

警部の部下の刑事の話。
「人間はいつかは死ぬ。永久には生きられないし、ソロモンだって750年で死んだ」
それを聞いた検死医は、「100年足らずでみんな消えていなくなる。君も私も。時は過ぎて私の痕跡は消え失せる」

検事は検死医に、友人の妻の話をする。
「彼女は、5ケ月後に死ぬと言って、その日が来るとその通りに死んだ。理由もなしに出産の数日後に」と。

刑事が林檎を取ろうとして、一本の木を揺すると幾つかの林檎が落ちた。
その内の1個が、坂を転げ溝に落ちて水に流される。
そして、水が浅い辺りで止まる。周りには数個の林檎がある。
いずれ、周りの林檎と同じようにこの林檎も自然死となることだろう。

この作品は、表立って言わないけれど、死に対しての洞察ではないだろうかと思う。
残酷な殺人でも、死んでしまえばそれは一つの死でしかない。
そもそも、犯人のケナンはなぜ殺人を犯したかわからない。
弟のラザマンをかばっているようにも思えるし、深くは描かれない。

検死医の場合でも、離婚した妻と一緒に撮った写真や、子供の頃の自分の写真を眺めるシーンがある。
検死医はそれを見てどう思っているのか、なにも語らない。
観客が彼の心の在り様を想像するのみである。
この映画はそのように作られている。

まだまだ書きたいことはあるが、この辺にしておこうと思う。
この作品は、観終わった後でいかに想像力を働かせるか、否かで、評価が分かれると思う。
私はこのような映画をたくさん観たいと思っている。
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『天空の蜂』を観て

2015年09月22日 | 日本映画
テーマに興味があって久しぶりに映画館に行った。
作品は『天空の蜂』( 堤幸彦監督、2015年)。
最近は、休日に映画を観たことがなく、着いてビックリ。最前列の席しか残っていなかった。
こんなだったら、ネットで予約しておけば良かったと思ったが、まあ、しょうがない。
ということで席に行ったら、これはマズイ。
映画が始まれば、スクリーンを常に見上げていなければならず、上下の大きさも変形して見える。おまけに、目も痛くなる予感がする。
いくらなんでも、鑑賞に耐えられない位置まで席を作る必要があるだろうか。
余程、通路に座り込んで観ようと考えたが、我慢して観てみた。

95年8月8日、自衛隊用の最新大型ヘリコプター「ビッグB」が何者かにより遠隔操作されて動き出し、
福井県にある原子力発電所「新陽」の真上に静止する。
犯人は「天空の蜂」と名乗り、国内すべての原発を廃棄するよう要求。
従わなければ爆発物が搭載された「ビックB」を原発に墜落させると宣言する。
「ビッグB」を開発した設計士の湯原と、原発の設計士・三島は、事件解決のために力を尽くすが……。

史上最悪の原発テロ事件解決に向けて奔走する人々の8時間のドラマを描く。
(あらすじは、映画.comからの引用)

愛知県、錦重工業小牧工場から飛び出す「ビッグB」。
あれ、舞台設定は今この映画を観ているここの事ではないかと、一気に親近感を覚える。
後はワクワクドキドキ。
と思いきや、サスペンス調にはちょっともならず、会話による状況説明。
それも、緊張感を出したいためか、力んでしゃべってみたり、大袈裟な表情の顔をしてみたり。
要は、相変わらずのテレビ仕立ての画面作り。
そりゃ、堤監督はテレビディレクター出身だとしても、これはないでしょうと思う。
なんで、お金と時間を潰して、このような映画を私が観なければいけないの、と後悔が先に立つ。

ラストに原発に対するメッセージが含まれていて、それを訴えたければ、もっと映画とは何かを考えてメッセージを送ってほしいのに。
このような映画なら、原作を読んでお終いとした方が良かったのかなと思う。

余りケチばかり付けてもいけないから、良かった事を書くと、本木雅弘、國村隼、柄本明の演技の上手さ。
特に”本木”は役に成り切っていて、凄いと思う。
それと反対に、江口洋介の妻役(名前は出さない)の演技はひどい。
監督は自分の作品に愛着があったら、出演者の演技チェックをしたら。と思った。
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キム・ギドクの『ブレス』を観て

2015年09月21日 | 2000年代映画(外国)
韓国映画の『サマリア』(キム・ギドク監督、2004年)が劇場上映されて観た時、その斬新な作りに感銘を受けて、
それ以後この監督の作品は意識するようにしている。
しかし、まだまだ観ていない作品も結構あり、それで今回『ブレス』(2007年)を借りてきた。

死刑囚のチャン・ジンは生きる希望もなく、鋭くした歯ブラシの柄で自分の首を刺して自殺しようとした。
娘が一人いる主婦のヨンは、偶然に夫の浮気の証拠となる髪留めを車の中で見つけた。
そのヨンが、テレビで死刑囚チャンのニュースを見、憐憫の情のためか彼に興味がわき、面会を求めて刑務所に行く。
面会を許されたヨンは、チャンに何をしてやれるかと考え、その後、何度も刑務所に行く。
チャンの方も徐々に生きることにぬくもりを感じ、やがて二人は愛を抱き始めるようになった。
しかし、二人の関係を夫が知ることになり・・・・

自殺未遂で声を失ってしまったチャン。
夫に対して、決してしゃべらないヨン。
しゃべらないことで、その二人の心理を表現する映像。
この会話のない愛し方、接し方は『うつせみ』(2004年)と共通する。
『うつせみ』の場合は、もっと究極的な愛の表現方法だったとしても。

それにしても、最初は小さな穴が開いているガラス越しの面会だったのが、
2回、3回と面会が重なると、チャンは手錠をかけられたままで係員も同席していたとしても、部屋の中での面会となる。
そして、最後にはとうとう身体を求めあうようにもなってしまう。

韓国の刑務所って本当にこんな風なのかな。
保安課長の権限でそれが許されてしまうなんて、何が何でもチョットやり過ぎではないかな。
おまけに、監視カメラのモニターを覗いているこの保安課長は、顔が写らないだけに異常な悪趣味の持ち主みたいで不気味な印象を与える。
と言っても、作品には何の影響も与えないけど。

ラストが甘いというか、突っ込みの足りなさが作品の評価を下げていると思うけど、
私は「それでもまあいいか」と満足してしまう。
さすがにキム・ギドクらしい映像だな、またひとつギドクを観てしまったなという余韻が感想として残る。
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「安保法成立」について想う

2015年09月19日 | 社会一般
2015年9月19日、参院本会議で「安全保障関連法」が成立した。

これでアベは大手を振りながら、アメリカに胸を張って成果を報告できるという訳である。
国民の命を、平和な暮らしを守ると言いながら、本当はアベにとって、日本国民の一人ひとりのことはどうでもいいのである。
なぜか。

国民の声を聞こうともしない人間に、国民のことを真剣に考えられるはずがないからである。
と私が言っても、内閣支持率が40%近くある。
と言うことは、相当数の人がアベでもいいんじゃないかと思っているわけである。
これは身近な例でもわかる。

私は地元の仲間と定期的に飲み会をしている。今月は17日夜。
そのうちの一人がストに参加すると言って欠席をした。
「安全保障関連法」が参院特別委員会でどうなるかという時である。

私がその欠席ことを報告すると、「今更、ストしたってどうしょうもないじゃないか」。
「するのだったらもっと前でしょう、今まで黙っていて」。
と感想があって、後はどこそこに旅行へ行ったという話。
これが日本国民の縮図ではないのか。特殊ならいいのだが。

ようは、政治が他人ごとである。将来、自分、子供、孫たちに影響があるとしても。
人間は目先の計算が出来ても、将来のビジョンを考えるのは億劫なのか苦手である、と私は思う。
人が思考停止している間に、悪賢い者はちゃんと計算しているものである。

力を持たない我々一人ひとりが、権力者は何をしようとするかという想像力を働かせないで、
チェックすることを怠った時、相手は内心高笑いをしている。
ようは国民は舐められているのである。
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『スリー・モンキーズ』を観て

2015年09月15日 | 2000年代映画(外国)
7月の平日、カンヌ映画祭のパルムドールを受賞した『雪の轍』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督、2014年)を観に行こうと予定して、
ネットでその日の上映時刻をチェックし、ついでにレビューも読んでみた。
そしたら、会話主体の3時間を超える映画でしんどい、退屈という意見がチラホラあった。
ああ、そうか。長時間、会話ばかりではつらいかもしれないなと、結局行くのをやめてしまった。

しかし、パルムドールを受賞する程だから、どんな作品を創る監督かなと気になって、今回『スリー・モンキーズ』(2008年)を借りて来た。

夜道でひき逃げ事故を起こした政治家のセルヴェトは、事故の発覚で政治生命を絶たれるのを恐れ、部下の運転手エユップに身代わりを頼んだ。
毎月の給料と出所後に謝礼を払ってくれるという条件で、エユップは入獄した。
大学受験に失敗した息子のイスマイルは、車で託児所の送迎をやりたいから、セルヴェトから謝礼を前借りして車を買ってくれと、母ハジェルに暗にせがむ。
ハジェルは夫に内緒でセルヴェトに会い、謝礼の一部を渡すという約束を取り付ける。
ある日、イスマイルは偶然に、家で母とセルヴェトの情事を見てしまい・・・・

事の起こりは、自分が車をねだったためと思うイスマイル。
イスマイルの以前からの憂鬱が増幅される。
ハジェルは、セルヴェトとの関係を出所した夫に決して言わない。イスマイルも言わない。
エユップも、その事を疑いながらも深く聞かず、とことん追及しない。
そして最後に三人は、このことに関連した事件の真相に対し、見て見ぬふりをする。
というか、お互いを思いやって、闇に葬り去ろうとする。
ここに至って、バラバラな家族が本来の姿に成りかける。
しかし、罪を背負った家族の行く末はどのような形で進むのだろうか。

暗めのメリハリのきいた画調が、エユップ家の三人の心境を表す。
必要最低限の会話。
それぞれの顔の表情から本人の心理を捉える描写。
その心理から次の行動を予測させる展開。
しかし、観る側の私の予測と、実際にとる行動にずれが生じる。
へぇ、そのように映画を創るのかと感心し、私はもう夢中である。
そして、この監督が好きになってしまった。
ラストの黒い雲の間から雷鳴がとどろくシーンなんかは、正しく絵画そのものである。
素晴らしい作品であった。

このような作品を創る監督なら、『雪の轍』も観ておけばよかったと後悔が先にたつ。
作品に対する感想は人によって違うし、そもそも作品の見方や求めるものがそれぞれ違っていたりする。
だから、レビューもいろいろだなと思った。

トルコの映画は久しぶりで、『路』(1982年)のユルマズ・ギュネイ以来となるから、このジェイラン監督がとても興味深い。
次回は、『昔々、アナトリアで』(2011年)を観ようと思う。
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NHKニュースで「大雨の甚大な被害」を見て

2015年09月11日 | 社会一般
NHKのニュースを見て、気になったことがあるので急遽書いてみることにした。

台風18号の影響による大雨で甚大な被害が出た。
茨城・常総市の鬼怒川の決壊。
それに伴う死者に行方不明者。
宮城・大崎市の堤防決壊や他の地域でも氾濫、土砂崩れなどして、不幸にも死者が出たり、被害に遭われたりして、本人、家族の気持ちを想うと言葉が出ない。
国の支援も含め、一刻も速い復旧を願ってやまない。

このことに関連するが、ネットニュースを読むと、
「福島県飯舘村で河川があふれ、除染で出た廃棄物を入れた大型の袋(容量1立方メートル)が少なくとも82袋、河川に流出したと環境省が発表した。
37袋は回収したが、冠水で重機が入れない場所もあり、残る袋の回収作業は難航している。」と出ている。

あれ、そんなニュースってテレビで言っていたかなと思い、9時(11日)からのNHKニュースを見てみた。
そしたら、鬼怒川、宮城の堤防決壊の詳細報道の後で、福島でもという形で、一瞬に近い映像で流した。

観た感じでは、福島でもそうだったんだな、でもそんなに大したことでもなかったんだなという印象である。
しかし、よく考えてみると、こんなに些細なニュースなのだろうか。
放射能汚染されているはずの廃棄物が、どこかへ流れてしまったのである。
重大なことではないのか。
それをNHKは、他の被害地の間に紛れ込ませて素通りさせた。
このことは、勘ぐって言ってしまえば、NHKよる情報隠しではないだろうか。

私の杞憂に終われば良いが、如何なものだろう。
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クローネンバーグの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』を観て

2015年09月10日 | 2010年代映画(外国)
久しぶりに映画でも観に行こうと上映チェックしてみたが、どうも食指が動く作品が見当たらない。
という訳で、またレンタルDVDを借りてきた。
カナダの監督、デヴィッド・クローネンバーグの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(2014年)である。
初めてのアメリカ撮影で風刺ドラマということである。

場所は、ロサンゼルスのハリウッド。
若い女性アガサ・ワイスが、家族に会う目的でフロリダから来た。

女優のハバナは、焼死した母親から自由になりたいというトラウマがあり、
著名なスタッフォード・ワイスのセラピーを受けている。
そして、女優だった母の回顧映画が制作されるに当たり、その母役を是非演じたいと願っている。

スタッフォードの息子ベンジー・ワイスは、人気の子役だが麻薬を断って映画界に復帰したばかりである。

アガサは、ツイッターで知り合ったキャリーの紹介で、女優ハバナの秘書に雇われることになった。
そのアガサには顔その他に火傷の後があり、過去の出来事が尾を引いている。

LAにアガサが来たのを知ったワイス夫婦は、アガサが弟ベンジーに近づくのを恐れている。
恐れるその理由は・・・・

まず、会話の中に人の名がやたらと出てきて、どの名が主要でどの名がその場限りなのか戸惑う。
その会話も下品さがいっぱいで、それをもう少しセーブして、物語りの要点に気を使ってくれたらなぁと思う。
しかし、物語りは後半に入りドンドンと盛り上がっていく。
内容としては飽きるところがなく、観終ればなるほどと感心し面白かった。

ハバナ役のジュリアン・ムーア。
醜さも丸出しの演技で、だからカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞したのも当然かと納得。
しかし、もっと印象が強いのがアガサ役のミア・ワシコウスカ。
決して美人とは思わないが、その存在感は十分だった。
今後のために、この人は覚えておこうと思う。

主要な人達には心に闇があって、そのために幽霊も出てきたりして、こう言うことも合わせて、ハリウッド映画の風刺になっているのかなぁ。
それが感想である。
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『エレニの帰郷』を観て

2015年09月07日 | 2000年代映画(外国)
ギリシャの監督テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』(1975年)を封切りで観て、その独特な長回し撮影の映画作りに強烈なインパクトを受けた。
それ以後、『狩人』(1977年)から『エレニの旅』(2004年)まで、同監督の作品が上映されるたびに欠かさずに観た。
映画館での鑑賞に拘った理由は、あの静かに流れる時間の中にどっぷりと浸っていたかったからである。

しかし、2012年1月25日の当日新聞で、アンゲロプロスが映画撮影中に交通事故で亡くなったと知り、
この偉大な監督による作品がこれ以後観えなくなるかと、非常に残念な思いがした。
それと共に、映画界にとっての損失も多大なものがあると思うと、何とも言えない淋しさがあった。
だから、それ以降に同監督の作品はないと思い込み、この『エレニの帰郷』(2008年)が昨年上映されたことは見逃していた。
テレビ場面で観るのは残念な気もするが、しかし背に腹は変えられず、今回レンタルビデオを借りてきて観た。

ローマのチネチッタ撮影所で、映画監督(エレニの息子)は中断した映画を、ラストシーンが決まれば撮影を再開しようとしている。
そこへ、家に寄り付かなくなった娘から電話が掛かって来たが、しゃべらずに無音のままであった。
焦った監督は家に帰り、ベットの枕の下から母の昔の手紙を見つけた。
それは1956年12月、恋人スピロスに向かって書いた、シベリアでの母の手紙であった・・・・

時は遡って、1953年4月27日。
雪が降り積もった野原を一両の市電が行く。
続いて、人々がゆっくりと一方向に歩いて行く。
それを長回しで捉えるキャメラ。
正しく、アンゲロプロスの映像が存在している。

歴史に翻弄されるエレニとスピロス。
そして、エレニに付き添いながら、秘かに彼女を想うドイツ系ユダヤ人のヤコブ。
帰郷の希望を持ちながら、未だ果たせないエレニにとって、帰郷とは何だったのか。
帰郷先のイスラエルへの想いを見失ったヤコブ。
エレニとスピロスに別れを告げる、そのヤコブの運命が切ない。
それと対照的に、ラストの雪の降るシーンが何とも言えないほど美しい。
スピロスと孫のエレニがこちら側に走って来る。
動乱の20世紀が終わって、新しい世紀への希望のかけらが見えてくる。

雪は、すべての死者と生者に。過去に降り、現在に降り、宇宙に降る。

この作品は、語りと会話によって時代背景を説明し、現在と過去が交叉する。
それに例の独特な、過去と現在をそのまま繋ぐマジック的なシーンも2、3箇所あったりする。
スピロス自身の顔も、中盤辺りのベルリンの空港に着いてからしかわからない。
そればかりか、エレニの孫もまたエレニだったりする。
そのため、少々分かりづらい印象も残る。

なので、私はもう一度観直してみた。
一度観て、分かり易いのが良い映画なのか、二度観て、深く分かってくる方が良質なのかはよくわからないが、
この作品は、アンゲロプロスの遺作だったという想いと共に、今後、私の記憶に残って行くことだろう。
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高校生のころ・2〜『007 危機一発(ロシアより愛をこめて)』

2015年09月04日 | 1960年代映画(外国)
高校に入学してみると、クラスには名古屋からの生徒が大半で中学からの知り合いは一人もいなかった。
それでもどうにか友達ができて、同級の一人から映画に誘われた。
ロードショウの『007 危機一発』(テレンス・ヤング監督、1963年)を観に行こうと言う。
今の題名で『007 ロシアより愛をこめて』である。
話が決まると早速、学校帰りに二人で名古屋の駅前まで出かけた。

秘密結社スペクタ-は、ソ連諜報部のクレッブ大佐が密かに同首脳部に転向したのを受けて、
イスタンブールのソ連総領事館にある新型暗号解読機レクターを手に入れる計画を立てた。

そのやり方は、領事館の女性暗号部員タチアナ・ロマノヴァをおとりに使って、
英国諜報部員のジェームス・ボンドを貶めながら、レクターを手に入れる方法である。
理由は、前回のドクター・ノオの敵討ちのために、ボンドには「怨念を込めた悲惨な死を与えよ」という訳である。
そして、英国諜報部員とソ連諜報部員の情死によって、英ソ両国には相手国の仕業と思わせ、
スペクタ-の陰謀とは気づかせない作戦である。

英国諜報部長Mのところに、同トルコ支局長ケリムから重要な情報連絡が入った。
ボンドが英国まで護送するという条件で、ソ連諜報部員・タチアナがレクターを盗み出すがどうか、という確認である。
何か罠の臭いもあるが敢て挑戦しようと、ボンドはイスタンブールに飛んだ・・・・

エキゾチックな女性がくねらせて踊るその身体に、映し出されるカラフルなクレジット。
オープニングのタイトルバックに、私は目が奪われもう最初からワクワクした。

レクターを盗み出すことに成功したボンドとタチアナ、ケリムの三人が、逃げながらオリエント急行に乗る。
それを目撃したソ連保安局のベンツも飛び乗る。
そのオリエント急行には、スペクターの刺客・グラントも乗っていた。
列車の動きと共に、後はハラハラドキドキ、手に汗を握る展開となる。
場面にのめり込んだまま最後までのノンストップ。
そして、ラストのベニスでのモーターボートのボンドとタチアナ。
エンディング・クレジットに流れる『ロシアより愛をこめて』(マット・モンロー唄)が何と言っても心地よい。

映画を観終わって、私は幸せな気分と満足感とで一杯になった。
と同時に、都会の人間は違うなぁ、田舎出の私が知らないハイカラな映画を知っていて凄いなぁ、と誘ってくれた友人を尊敬してしまった。

当時買ったシングル盤レコードの「マット・モンロー」と「ジョン・バリー楽団」の『ロシアより愛をこめて』の二枚が、今でも私の愛蔵盤となっている。
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