ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

高校生のころ・1〜「アストロノウツ」から「ベンチャーズ」へ

2015年08月31日 | 音楽

また音楽の話。

中学を卒業する頃、ヒットチャートにビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』と『抱きしめたい』が現れた。
斬新なポップスのロックンロール。独特なメロディ。
最初、「これは何だ!」と思ったが、よく聞くと今までにないリズミカルな曲に、私も非常に興味を覚え興奮した。
少し経つと、瞬く間にヒットチャートのトップ10にビートルズの曲が4、5曲も占めるようになってきた。
そうなると元々、メロディアスな曲が好きな私はどこかで違和感も感じるようになった。

そのような状況の夏先、突然、一つのサーフィン曲が現れた。
『太陽の彼方に』(アストロノウツ)。
ピチピチ跳ねるような、エコーを効かしたエレキギター。
これは、1964年夏の強烈な印象を受ける出来事だった。
元々、『サーフィン・U.S.A』等のビーチ・ボーイズが好きだった私は、たちまちこの曲の虜になった。

ラジオから流れるサーフィン・リズム。

シャンテイズの『パイプライン』。サファリーズの『ワイプ・アウト』。そして、この『太陽の彼方に』が頭の中でミックスされて、
明るい太陽の下の真っ青な海で、大波に向かってサーフボードを操る若者たち、というイメージが今の私に定着している。
そして、後の映画『ビッグ・ウエンズデー』(ジョン・ミリアス監督、1978年)によって、その記憶が強化されている。

年が明けた1965年の正月。
このアストロノウツがベンチャーズと共に名古屋に来た。
1月6日、愛知文化体育館(現在の名称は愛知県体育館)での公演。
これを見逃したら一生の後悔と、前売りチケットを買い聞きに行った。

前座が「寺内タケシとブルージーンズ」。
待望の『太陽の彼方に』が生で聞ける喜び。感動の一言である。
本命がアストロノウツだったので、『急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)』位しか知らないベンチャーズは二の次だった。
しかし、エレキの痺れる音響の中で曲目を次々に聞いていくと、ベンチャーズが凄い。
ラストのアンコール曲『キャラバン』を聞き終わる頃には、もうすっかりベンチャーズの虜になっていた。
そして、この時の東京公演のライブ盤『ベンチャーズ・イン・ジャパン』が出るや、すぐに買って聞きまくった。

これ以降、ベンチャーズはヒット曲がバンバン出て一大ブームになって行き、私もそれに乗かっていた。
おまけに、エレキバンドにあやかってドラム・スティックも買った。
しかしこれは、時たま机を叩くだけで終わってしまった。

15年ほど前、このベンチャーズ(メンバーは入れ替っているけど)が地元文化会館に来た。
早速出かけてみたら同世代の人でいっぱいで、あの音がまた聞けてとても満足した。

ここに、当時のベンチャーズの演奏曲から、『ワイプ・アウト』をYouTubeより貼り付けておきたい。

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『ある過去の行方』を観て

2015年08月28日 | 2010年代映画(外国)
ここの所、映画館から足が遠のいている。
外は雨。で、レンタル店に行ってDVDを借りてきた。
イランの監督、アスガー・ファルハディの『ある過去の行方』(2013年)。
同監督の『別離』(2011年)に衝撃を受け、次作もと思いながらつい見過してしまった作品である。

パリの空港で、再会を微笑み合う男と女。
しかし、イラン人のアーマドが4年ぶりに妻マリーと再会した理由は、離婚の手続きをするためであった。
アーマドはマリーにホテルの予約を頼んでおいたが、彼女はしていなかった。
帰路の車中で妻は、最近、長女のリュシーが夜になってもなかなか帰らず、家に寄り付かなくなって来たことを言う。
二人が家に着くと、男の子と女の子が外れた自転車のチェーンを直しそうとしている。
それを、直してやるアーマド・・・・

この作品は、本当は少しもあらすじを話さない方がいい。
日常会話から徐々に内容の筋立てがわかりだし、その人間関係もわかるようになってくる。
夫婦の微妙な間柄。夫と子供たちとの実の関係。結婚しようとしている男サミールと妻との関係。夫とサミールの立場。
そして、長女がサミールを嫌う理由。

この長女リュシーがサミールを嫌う本当の理由が最大のポイントとなって、その事実が少しずつ露わになり、真実に近づいていく。
しかし、真実と思ったことが二転三転し、話はスリリングにどんどん展開する。
そして、家族とは何か。人と人との関係、愛することとは何か。が重く鋭く突き刺さる。

本来は、もっと書き進めたいが、となると筋となる内容を書かなければならないので省略する。

これは第一級の作品である。
今後のファルハディの作品は見逃せないと思うし、それ以前の作品も是非観なければならないと思った。
考えさせられる、満足感の残る良い作品であった、というのが私の感想である。

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中学生のころ・6〜『アラビアのロレンス』

2015年08月25日 | 1960年代映画(外国)
我が中学校は、私が2年の時に二学校が統合されて真新しい校舎になった。
3年の梅雨時。休み時間に同級生が教師にばれないようにして、持ってきたレコードをその音楽室のステレオ装置に掛けた。
曲は「アラビアのロレンス」(モーリス・ジャール作曲)。
当時の超話題作の序曲である。その雄大な砂漠を沸々とイメージさせるこの曲に、私はすっかり痺れてしまった。

3年を卒業した春休み。
この『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督、1962年)が三番館に回ってきたので、名古屋まで観に出かけた。
70ミリ画面ではなかったけれど、それでも目一杯の大画面である。
煙草の煙がモウモウとする中、通路では一匹のネズミが右から左、左から右へと行ったり来たりしていた。
こんな環境でも、この映画は見応え十分であった。

内容は、オスマントルコに対するアラブの反乱を支援したT・E・ロレンス(1888年 - 1935年)の物語である。

冒頭、疾走するオートバイ。
オートバイは自転車を避けようとして道路から外れて転倒。
跨っていた男は死亡する。ロレンスである。
葬儀の参列者の、彼に対する評価はマチマチであった。
ロレンスとはどんな男であったか。

1916年、第一次世界大戦中のカイロ。
イギリス陸軍司令部のロレンスは、ハーシム家の王子ファイサルに接触するよう上司から指示を受けた。
理由は、オスマントルコに対するアラブ民族の情勢を知るためである。
王子を訪ねる旅に出たロレンスと案内人は、駱駝で砂漠の中を突き進む。
そして二人は、一つの井戸にたどり着き休憩する。
そこへ地平線の彼方から、水を飲む二人に向かって男が近づいて来る。
ハリス族の族長アリであった。
アリは、他部族の者が自分の水を飲んだからと言う理由で、案内人を射殺してしまう。
「アラブ民族同士なのに」と非難するロレンスは、案内を買って出たアリを断り、一人砂漠の中を行く・・・・

広大な砂漠。幾何学的模様の砂丘。風と共に舞い上がり流れる細粒砂。
砂だけの自然の美しさと、その自然の峻烈さ。
陽炎の漂う砂の大地の向う中央に、わずかに黒点が見える。
その黒点の人物アリがこちら側まで来る姿を、ずぅーと映し出しているカメラ。
岩だけの渓谷の上から俯瞰して、小さな虫が行くように進む駱駝のロレンス一行。
砂漠の中、脱落した男を救助に向かうロレンス。それを、彼を慕う青年が灼熱の太陽の下でじっと待つ姿。
それらを見事な映像として映し出す。

またこの映画は、映像としてばかりでなく内容的にも傑出している。
二人の男を殺してしまったと苦悩するロレンスが、後半、手を挙げている敵の相手を憎しみを込めて射殺する。
なぜこのようなことを、心境の変化として人はできるのか。
武器のなせる技か。
武器輸出三原則を見直した現政権は、人を殺す武器に対し真摯に考えるべきではないか。
巨大組織としての国は、利用できることは利用し、用済みとなれば捨てる。
ロレンスは、結果として一個の駒であった。
このようにして、映画は冒頭シーンの意味を探る。

『アラビアのロレンス』は名作の定義を、格好の材料として与えてくれている。

私はこれ以降、デヴィッド・リーンの新作が封切られると待ち構えるようにして観た。
勿論、ロレンス以前の『戦場にかける橋』(1957年)等の作品も観れる限り観た。
そして、どれも印象に残る名作ばかりであった。

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中学生のころ・5〜『キング・コング』(1933年)

2015年08月17日 | 戦前・戦中映画(外国)
中学3年になった春、テレビで『キング・コング』(メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザックの共同監督、1933年)を観た。
当時の日記に「これで3度目である。」と書いてある。となると随分前から観ていたと言うことか。

ジャングル映画の監督デナムは、次の映画作りのために航海の準備をしていた。
そして、冒険映画には美女が必要と、女優役も探した。
そんな折、店で果物を盗もうとした女アン・ダロウを助けたデナムは、彼女を起用することに決めた。
アンも連れて、いよいよ目的地に向かうデナム一行。
しかし、デナムは乗組員、撮影隊に行先や目的を秘密にしている。
スマトラ島付近に来た時に、デナムは初めて目的地の説明をした。
それは地図にも乗っていない島、ドクロ島。
そこには、怪物コングがいるという。
霧の中、やっとのことで一行が発見したその孤島は儀式の祭りの最中であった。
それは、キング・コングに若い女性を生け贄として捧げるためであった・・・・

アンをさらってジャングルに消えるキング・コング。
それを追うデナムの一行。立ちはだかる恐竜。
場面が進むごとに、こちらはブラウン管に釘付け状態となる。
子供の頃は、今より想像力が豊かなのか、恐竜時代の世界にドップリはまって手に汗を握った。
ストップモーション・アニメによるSFX。
アメリカでは昭和8年の段階で、このような技術で映画を制作していたのである。
特撮映画の名作と言われる所以である。

それに比べ、2005年版の『キング・コング』(ピーター・ジャクソン監督)は、期待していた程には面白くなかった。
時代を経ただけあって、特撮技術によるコングのリアルさは十分出ている。
しかし、キング・コングとナオミ・ワッツの関係設定が良くない。
野獣と美女が心を通わせるラブ・ロマンスなんて、コングに野性味がなくなって怖ろしくも何ともない。

やはり映画は、まず元祖を観るべきである。
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中学生のころ・4〜『ボビーに首ったけ 』(マーシー・ブレイン)

2015年08月12日 | 音楽

今回は音楽の話。

中学3年になった時、やっと自分の勉強部屋が持てた。
部屋には兄の手製ラジオがあり、勉強そっちのけでそのラジオで洋楽ポップスを聞いた。
丁度、『シェリー』(フォー・シーズンズ)がヒットしていた頃である。
ヒット・チャート番組が楽しく、夢中になって聞きまくった。
6月になると、季節のタイミングもよく『悲しき雨音』(カスケーズ)が一位を独走し出した。
雷の音に続くあの出だし。この軽やかでしっとりした感じに私は痺れたりした。
今聞いても飽きないこの曲は、10月頃まで上位の常連だった。
此の間、『悲しき雨音』に負けじと、『ミスター・ベイスマン』(ジョニー・シンバル)や『ヘイ・ポーラ』(ポール&ポーラ)が出てきて賑わした。
秋になると、『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』 (リトル・ペギー・マーチ)、『愛しのラナ』(ヴェルベッツ)、『ビー・マイ・ベイビー 』(ロネッツ)とヒットが続く。

今でも耳にするオールディーズは、この'63年にヒット曲が揃っていて、名曲がゴロゴロあった。
中でも私が大好きだった曲は、先ほど挙げた『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』や『ビー・マイ・ベイビー 』、
それに『シェリー』と順位を競った『ボビーに首ったけ 』(マーシー・ブレイン)である。
特に『ボビーに首ったけ』はたまらなかった。
この曲は、18歳だったマーシー・ブレインのデビュー曲である。
しかし、彼女の歌手生活は3年程だけで、その後プロをやめてしまった。
それほど、厳しい競争社会だったのである。

当時、ステレオ装置を持っている友人がいた。厳密に言えば、友人の兄さんの持ち物であったけど。
その友人は、毎月2枚ほどシングル盤レコードを買ったりしていた。
私はレコード・プレイヤーを持っていなかったので、これ幸いと選曲はすべて私がして、聞きたいヒット曲を買わせた。
そして、その兄さんがいない時に、二人でステレオのボリュウムをいっぱいに上げて聞いた。
それはそれは興奮する、何とも言えない素晴らしい体験だった。

最近、その彼と飲む機会があったので、あの時のレコードはどうしたかと聞いてみたら、随分前に全部ゴミとして廃棄してしまったと言う。
捨てるぐらいなら譲ってほしかったのにと、それを聞いた私は非常に残念な気がした。
私にとって本当に勿体ない話だった。

あの『ボビーに首ったけ』をYouTubeから貼り付けておこうと思う。

 

 

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中学生のころ・3〜『ベン・ハー』

2015年08月09日 | 1950年代映画(外国)
中学生になって、文学も読んでみようと思った。
「狭き門」(アンドレ・ジイド作)や「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ作)、「女の一生」(モーパッサン作)。
日本文学は、山本有三の「真実一路」、「路傍の石」などを読んだ。
当時より2、3年遡るころに、映画の『ベン・ハー』(ウイリアム・ワイラー監督、1959年)が評判高かったので興味を覚え、
その原作(ルー・ウォリス作)も買って読んだ。

この『ベン・ハー』がリバイバル上映されて、やっと観れたのが中学卒業の春休みの時である。

時、所は、ローマ帝国時代のユダヤ属州、エルサレム。
ユダヤ王族ハー家のベン・ハーは、赴任した司令官メッサラと旧交を温めるが、
メッサラから反抗者を密告するように迫られ、拒否する。
しばらく後、グラトゥス総督がローマ部隊を引き連れてエルサレムに入り、ハー家の真下に来た時に、
屋上でベン・ハーと共に眺めていた妹は、運悪く瓦が外れて、誤って落としてしまった。
この事件が総督の暗殺未遂容疑となり、無実の訴えをするベン・ハーにメッサラは聞く耳を持たなかった。
そのため、ベン・ハーはガレー船送り、母と妹は地下牢に閉じ込められることになり、ハー家は一家離散。
ガレー船までの道のりの途中、ベン・ハーは咽喉の渇きに倒れそうになりながら、ナザレの地に来る。
他の者には水を与えられるが、ベン・ハーだけは護衛隊長によって飲ませて貰えない。
死の直面状態にあるベン・ハーに、そぉと柄杓の水を差し出す人がいた。
誰であろう、その人物こそイエス・キリストであった・・・・

ガレー船と海賊船との海戦の凄まじさ。
そして、クライマックスの4頭立て馬車の戦車競争。
ベン・ハーとメッサラの、確執から始まった敵対関係の決着が切って落とされる。
轟音を立てて走る馬車。
キャメラの素早い切り替え。その競争のスピード感。
競技場内の歓声。興奮のルツボ。
大画面のド迫力。手に汗を握るとはこのことか。
それもそのはずである。
場内一体となった音響効果が凄いのである。
アカデミー賞11部門受賞のうち、音響賞、視覚効果賞も取っているのである。

数ある映画の中で、劇場で観なければ意味がない作品がある。
DVD等でテレビ場面で観て感動したとしても、本当の良さが伝わらない作品がある。
それが『ベン・ハー』である。


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中学生のころ・2〜『ニッサンテレビ名画座』

2015年08月03日 | テレビ
中学時代、『ニッサンテレビ名画座』という番組があった。
提供は洗剤・石鹸などのメーカーで、ニッサン油脂である。
時間枠は午後3時から5時。月曜から金曜まで、同じ作品を放映していた。
それが、翌年になると、月曜から水曜、木・金曜の二作品の番組になった。
私は運動オンチもあってか、部活は文化系に所属し、放課後はなるべく早く学校から解放されるのが喜びだった。
そして、毎日のようにして『ニッサンテレビ名画座』を観た。
しかし残念なことに、どんなに急いで家に駆けつけても、番組の2、30分は頭の方が欠けてしまうのである。
それでも、これらの作品を観ることによって、新しい世界を知る思いがあって夢中だった。
今では、ほとんど個々の作品を具体的には思い出せないけれど、フランス映画、イタリア映画を主に観た記憶がある。
中でも、自然に覚えた俳優がジェラール・フィリップである。
甘いマスクと、柔らかな物言いの彼を観て、私もあんなだったら、世の中、楽しいだらうなと羨ましかった。
当時観たと記憶にある作品を、調べて列挙すると、
『肉体の悪魔』(1947年)、『パルムの僧院』(1948年)、『悪魔の美しさ』(1950年)、『七つの大罪』(1952年)、
『夜ごとの美女』(1952年)、『赤と黒』(1954年)、『夜の騎士道』(1955年)、『モンパルナスの灯』(1958年)である。
これらの内、内容を忘れていたり、この番組以外で観た作品があるとしても、ジェラール・フィリップだったという印象は残っている。
特に、『肉体の悪魔』(クロード・オータン=ララ監督)の記憶が残る(この番組で観たと信じているが、ちょっと自信がないが)。

第一次大戦中、少年フランソワの学校が臨時病院となり、そこへ見習い看護婦のマルトがやってくる。
マルトには婚約者がいたが、フランソワは彼女に情熱の一途を傾ける。
しかし、夏休みにフランソワが田舎に行っている間にマルトは結婚。
新学期が始まって、二人は再会。そして、熱い抱擁。
いつしか、フランソワの子を宿していたマルト。
二人の新しい人生のために決意をしようと、フランソワは・・・・

恋に溺れるということは、こんなに無我夢中になることなのか、と中学生の私は戸惑い、題名の「肉体」に変な思惑を感じて原作も読んでみた。
原作者のレイモン・ラディゲは自己体験を基にしたこの作品を発表したが、わずか20歳で夭折。看取ったのが、あの詩人ジャン・コクトー。
片や、ジェラール・フィリップも36歳の若さで亡くなっており、私が彼の作品を観だした頃には、もうこの世の人ではなかった。
そして、この『ニッサンテレビ名画座』も高校生になると、帰宅時間の関係で観ることができなくなった。
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中学生のころ・1〜『菩提樹』、そして『サウンド・オブ・ミュージック』

2015年08月01日 | 1950年代映画(外国)
中学生の時、テレビで『菩提樹』(ヴォルフガング・リーベンアイナー監督、1956年)を観た。

オーストリアのザルツブルグ近くでの話。
幼い子たち七人を残し、妻に先立たれたトラップ男爵。
そんな子たちの家庭教師として、ギターを抱えた見習修道女のマリアが来る。
歌が好きな子供たちは、ギターに合わせて歌ったりして、自由教育のマリアに馴染む。
そんな日々が過ぎ、クリスマスの日、男爵はマリアに結婚を申し込む。
修道院長の許可も得て、子たちの親として共にする決心をするマリア。
やがて、マリアと七人の子供たちの「トラップ合唱隊」は、ザルツブルク音楽祭で一等賞を取り、一躍有名となった。
しかし時は、オーストリアのナチス・ドイツへの併合。
ナチ反対を表明した男爵の身に危険が迫る可能性があり、それを案じるマリア。
思い余って、一家はアメリカの興行主を頼って亡命を決心する・・・・

ラスト場面での、子供たちが歌う「菩提樹」(シューベルト作曲)。
美しい歌声に引き寄せられて、集まってくる人々。
とても感動的な場面であった。

数年後、アメリカ亡命後の生活の『続・菩提樹』(同監督、1959年)も観たが、
残念なことに、今では内容が記憶から消えてしまっている。

高校2年の夏休み、中学時の仲間に誘われて、評判の『サウンド・オブ・ミュージック』(ロバート・ワイズ監督、1965年)を観に行った。
日曜のせいもあってか、朝一番の上映時間にも関わらず、超満員。
案内係の女性が空座席を探し、誘導してくれた場所が最前列の一番左ふち。
70ミリの大画面を前にして、隅っこから観るのである。
映画が始まる。アルプスの山々に囲まれた高原でのジュリー・アンドリュースの歌。
思わず、冒頭から引き込まれてしまって、夢中になって観た。
特にビックリしたのは、人物の移動に合わせて音声が動く。その人の口元から声が出てくるのである。
すごいなあと思った。
話が進むにつれて、「ああ、これは『菩提樹』のミュージカル版だったのか」と初めて気付いたりもした。

監督のロバート・ワイズは『ウエスト・サイド物語』(1961年)も作っているので、こちらの作品はまた後日に書こうと思っている。
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