ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『情事』を再度観て

2020年12月30日 | 1960年代映画(外国)
なぜかミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品が気になり、随分と前に観た『情事』(1960年)のDVDをネットで取り寄せた。

ローマに住む外交官の娘アンナには、恋人として建築家のサンドロがいる。
だが二人の愛は、もはや冷えかかっている。

夏の終わり、二人はアンナの親友クラウディアも交え、上流階級の友人たちとシチリア島沖のエオリエ諸島へヨット・クルージングに出かけた。
アンナやクラウディアたちは海で泳ぎ、その後、岩肌で覆われた小島に上陸する。

アンナは元々サンドロの言う愛に不安感を持っていて、島でそのことを問い質し、その直後になぜか忽然と行方不明となる。
サンドロとクラウディアは他の者たちと島中を必死に探したが、アンナの姿はどこにもない。
溺死したとしても死体は見つからず、警察の捜査も打ち切られてしまう。
しかし、クラウディアとサンドロは、島から離れた町でアンナらしい人物を見たという微かな情報を頼りに捜索を共にする・・・

消えたアンナを二人はあてもなく、シチリアの各地を巡りながら探す。
その早い段階で、サンドロはクラウディアに“愛している”と口にする。
クラウディアはためらい、親友であるアンナのために気後れする。
だが行動を共にするうちにクラウディアも、やましさを覚えながらもいつしかその気になり、二人は愛し合うようになる。

アンナはどこへ消えたのか。
映画は最後までそれに答えないし、理由も明かさない。
そもそも主人公たちの行動の目的も理由があるようでいて心理ははっきりしないし、行く場所もあてどもない。

そしてラスト近くのこと。
夜、ホテルでのパーティーに出席したサンドロは、朝方になっても二人の部屋に帰って来ない。
不安になったクラウディアは、パーティー会場にサンドロを探しに行く。
もう誰もいなくなったそこでクラウディアが見たのは、ソファーで知らない女と抱き合って眠っているサンドロの姿だった。

絶望したクラウディアは外の小高い場所まで行き、それを追いかけてサンドロも行く。
ラスト、ベンチに座って涙を流すサンドロに、クラウディアは後ろからそっと頭を撫でる。


不思議なラストである。
普通の感覚なら、クラウディアはあそこでサンドロと決別するだろうと思うのだが、アントニオーニは、クラウディアをサンドロに寄り添わせる。
ただそこから見えてくるのは、今後の二人の不安定さ。

アントニオーニの“愛の不毛三部作”として名高いこの作品だが、そもそもサンドロは女性にだらしないと言うか、女に弱いだけの男ではないだろうか。
そう考えると、当然愛も不毛で終わってしまうよね、と思ってしまう。
ただ、筋書きがはっきりしないこの作品は、モニカ・ヴィッティの顔のアップとか、風景の中の人物構図とか、風景そのもの自体の映像の魅力も重なって、
どこまでも飽きがこない。

音楽は、アントニオー二作品の多くを手がけているジョヴァンニ・フスコ。
【YouTubeより】映画 『情事(L'avventura)』 original sound track 1960.


このテーマ曲は、映画音楽も好きだった関係上、高校生の時に購入したニッコ・フェデンコの盤のレコードを今でも持っていて、懐かしい一曲である。
【YouTubeより】情事のテーマ TRUST ME/ニッコ・フィデンコ


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『ヴェラの祈り』を観て

2020年12月24日 | 2000年代映画(外国)
『ヴェラの祈り』(アンドレイ・ズビャギンツェフ監督、2007年)を観た。

アレックスと妻ヴェラとの間には会話が少ない。
アレックスはひと夏を過ごすために、ヴェラ、息子キール、娘エヴァを連れて田舎の亡き父の一軒家へ行く。
着いて一段落した家族は林にクルミを獲りに行く。

夕食後、ヴェラがアレックスに告げる。
「赤ちゃんができた。あなたの子じゃない」
アレックスは動揺し、どう対処していいのかわからない。
アレックスは兄マルクに、「話がしたい、そっちへ行く」と電話し兄の所へ向かうが、途中で引き返す。

翌日、アレックスの友人ヴィクトルらが食事にやってくる。
そこへ兄マルクから、「今、駅にいる」と電話が入る。
迎えに行くアレックスに、息子のキールも一緒についてくる。
車中、キールは言う。
「ニーナおばさんとサーカスに行って帰ってきた時、家にロベルトおじさんとママが一緒にいた」と。
アレックスはそれを聞き、仕事関係の友人ロベルトがヴェラの妊娠相手だと確信する・・・

ヴェラはアレックスの意向を踏まえ中絶する。
その後で悲劇は起きる。
ヴェラが死んでしまうのである。
でも医者はことの次第に疑問を呈し、自殺をほのめかす。

物語はヴェラの不貞を疑う夫アレックスの視点を交えて進む。
だから観客は、アレックスの心情に納得する。
ヴェラが死に、復讐しようとするアレックスがロベルトと対峙する中で判ってくることは、生まれ出る子は誰でもないアレックスの子であること。

アレックスとヴェラの夫婦間。
そこにあったのは、二人における会話のなさ。
その致命的な断絶の溝を埋めようとしてヴェラが言った、「あなたの子じゃない」。
それを聞いたアレックスはヴェラに聞く耳を持たない。
ヴェラの絶望。
だが、アレックスはそれを深く気にとめていなかった。

ゆったりとした田舎風景の中に繰り広げられる的確な映像。
だから会話が少ない分、鳥の鳴き声、車の疾走音、雨の音とかの諸々の音声が効果を表す。
そして、映像説明の省略。
ヴェラが妊娠診断書の裏に書いた内容は、物の本質に重大のはずだが観客には示さない。
それは何だったかと知りたいが、よくわからない。
同じように冒頭、兄マルクが腕を撃たれてアレックスの所へ命からがらたどり着く。
そのことも何もなかったことのように説明がないが、それでも全体を見るとおおよそ雰囲気が掴める気がする。

これらをひっくるめての映像作りがズビャギンツェフとしての魅力であり、観ていて飽きがこない。
『父、帰る』(2003年)の強烈な印象から、『ラブレス』(2017年)までわずか5本の長編だが、ロシアのズビャギンツェフ作品をすべて観たことになる。
今後もこの監督からは目が離せない。
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キム・ギドク監督、死去の報

2020年12月12日 | 目次・キム・ギドク作品
キム・ギドク監督が昨日11日、新型コロナウイルス感染症によりラトビアで亡くなったという。

思えば、『サマリア』(2004年)が上映された時に新聞記事で知り、初めてキム・ギドクの作品を観た。
そして、その斬新な作風に魅了され、それ以後、旧作を含め1本の未公開作品を除いて、今年公開の『人間の時間』(2018年)までの22本の監督作品はすべて観た。
中には首を傾げたくなるような作品もあったが、大半は強烈なインパクトを与える作品群だった。

まだ59歳だというのに、今後、もう新作が作成されることがないと考えると残念で仕方ない。
これもひとつの運命かと思うと諦めるしかない。
それにしても、もったいない話である。
合掌
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『エレナの惑い』を観て

2020年12月09日 | 2010年代映画(外国)
『エレナの惑い』(アンドレイ・ズビャギンツェフ監督、2011年)を観た。

モスクワ、冬。
初老の資産家と再婚した元看護士のエレナは、生活感のない高級マンションで、一見裕福で何不自由のない生活を送っている。
しかしその生活で夫が求めるのは、家政婦のように家事をし、求められるままにセックスをする従順な女の姿だ。
そんな生活の中で、彼女は夫の顔色をうかがいながらも、唯一の自己主張のように、前の結婚でもうけた働く気のない息子家族の生活費を工面している。
しかしそんな日常は、夫の急病により一変する。
「明日、遺言を作成する」――。
死期を悟った夫のその言葉と共に、彼女の「罪」の境界線がゆらいでいく。
そして、彼女がとった行動とは・・・
(公式サイトより)

ゆったりと流れる日常生活。
端から見ると初老夫婦の何気ない生活のなかにも、じっくりとみてみると問題は潜んでいる。
妻のエレナは、郊外に住む、だらしない息子セルゲイの子、サーシャの行く末を気にする。
そのセルゲイは、不良仲間とつるむサーシャに説教するはずが、つい一緒にオンラインゲームに夢中になる。
そんな最低な親子でも、サーシャが大学に行けないとなると必然的に軍隊行きとなるのを気に病む。
だからその大学行きの資金のためにセルゲイは、エレナの夫の金を当てにし、エレナ自身もどうにかしなければとヤキモキする。

片やエレナの夫ウラジーミルには、一人娘のカテリナがいる。
カテリナは独立して自由気ままな生活をしているが、父ウラジーミルには反撥心を持っている。
そんなカテリナであってもウラジーミルは内心、娘を溺愛している。

ある日、ジムに行ったウラジーミルはプールで心臓マヒを起こす。
その後一命を取り留めて自宅療養となったウラジーミルは、遺言書をしたためようと考える。
その内容は、すべての財産を娘カテリナに、そして年金はエレナに。

エレナは考える。孫サーシャの大学行き資金が工面できなくなる、どうしょう、と。

普通のおばさん役であるナデシュダ・マキナという人の自然体演技が素晴らしい。
いい年になっても生活費を稼ごうとしない息子親子を、それでもどうにかしようと思う母心から醸し出される雰囲気。
決意を込めた瞬間の静かな行動。
全体が静的に流れる画面の中に緊張感が走る。
そこから湧き出る親子の絆といびつな溺愛関係。
それはエレナの親子関係でもあり、もう一方のウラジーミルと娘カテリナの関係でもある。
それを見事に際ただせる演出とカメラワーク。
唯々魅了される。
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