ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

アキ・カウリスマキ・3~『ハムレット・ゴーズ・ビジネス』

2022年06月30日 | 1980年代映画(外国)
『ハムレット・ゴーズ・ビジネス』(アキ・カウリスマキ監督、1987年)を観た。

大企業の社長の座を自分のものにするため弟クラウスは、社長の飲み物に毒薬を垂らす。
社長は亡くなり、その妻と愛人関係のクラウスは重役のポロニウスと結託する。
ポロニウスは、会社株の51%を所有することになった社長の息子ハムレットを骨抜きにしようと娘オフェリアを近づかせる。
案の定、ハムレットはオフェリアに夢中になり、だがオフェリアは“結婚するまでは”と身体を触らせない。

ハムレットの母と再婚したクラウスは社長となり、この会社を利用して多額の保険金を搾取しようと企む。
一方、ノホホンとした感じのハムレットは、会社のことはよくわからない振りをして、実はこの計画を盗聴していた。
そんなある夜、ハムレットの前に父の亡霊が現われ、毒殺されたから自分の仇を取って欲しいと訴える・・・

「ハムレット」を下地にしたカウリスマキの現代風ハムレット版と言ったらいいのか。
シェイクスピアの「ハムレット」を読んだのは十代だし、ローレンス・オリヴィエの『ハムレット』(1948年)を名画鑑賞として観たのも十代。
あれから50年以上は経っているので、本も、映画も、凄いなとの印象は残っていても筋はあらかた残っていない。
だから今回このカウリスマキの作品を観て、話の粋筋の面白いこと、それはそれは飽きが来なかった。

深刻な内容のはずの、その骨格を十分に捉えて軽くいなす仕方、唯々“凄いね”と感心する。
それと対の、オリヴィエの『ハムレット』の先程の記憶。
オリヴィエの『ハムレット』は最高だとの思いから、相当前からDVDを所蔵しそれに安心してしまって、あの時代からこの方観ていないので暇な時じっくりと観てみたい思いに揺り動かされた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『君を想い、バスに乗る』を観て

2022年06月28日 | 2020年代映画(外国)
『君を想い、バスに乗る』(ギリーズ・マッキノン監督、2021年)を観て来た。

最愛の妻を亡くしたばかりのトム・ハーパーはローカルバスのフリーパスを利用してイギリス縦断の壮大な旅に出ることを決意する。
行く先々で様々な人と出会い、トラブルに巻き込まれながらも、妻と交わしたある“約束”を胸に時間・年齢・運命に抗い旅を続けるトム・・・
(オフィシャルサイトより)

オフィシャルサイトほか映画紹介サイトでは、なぜトムが決心しこのような旅をするのか、その目的を先に知らしてしまっている。
作品では、その最終目的をラスト近くまで明かしていないのに無神経なことをするなぁと思い、その部分はカット。

妻を亡くした90歳のトム・ハーパーは50年暮らしたスコットランド最北端の村ジョン・オ・グローツから、
イギリス最南端の岬ランズ・エンドを目指して1300キロの旅に出る。
その旅はバスの乗り継ぎであって、その間いろいろとトラブルに巻き込まれる。
それでもこの老人は、最終目的を秘めながら、一つの鞄を必死に庇いながら旅を進める。
その旅道は、イギリス最南端の地から最北端への地へ来た逆道順の想い出を数々忍ばせる。
若かりし頃のフラッシュバック。
そのようにして、老人トムと妻の過去の断片が垣間見えてくる。

なぜ、トムは体調が良くないのに、頑なまでに最終目的の地にたどり着こうとしたのか。
観ていて、その想いにラストでは胸に熱いものが込み上げてきた。
主演のトム役ティモシー・スポ―ルが、地味であっても深く印象に残る。
そして思うことは、このような素晴らしい作品はたくさんの人々に観てほしいということ。
ただ残念なのは、日本語題名の気恥ずかしさ。これでは若者向きの作品かと錯覚する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ベイビー・ブローカー』を観て

2022年06月24日 | 2020年代映画(外国)
今日封切られた是枝裕和監督の『ベイビー・ブローカー』(2022年)を観て来た。

釜山で古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス。
ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンが〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。
彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。
しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。
「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。

一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジンと後輩のイ刑事は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが・・・
(公式サイトより)

単純に言うと、訳あって「赤ちゃんポスト」に預けた赤ちゃんをくすねて養子縁組させ、その報酬を得ようとする男二人組の話。
ただしこのような物語を、是枝裕和はそう簡単なわかりきった内容にはしない。
その底辺にあるのは、是枝の家族の概念に対する形態か。
幼児売買で金儲けしようとするサンヒョンとドンス。
それと赤ちゃんを棄てたはずのソヨン。
この3人に養護施設の子ヘジンが加わり、赤ちゃんのウソンを中心とした疑似家族が形成されていく。

それを、私でも馴染みのソン・ガンホ、また刑事役のペ・ドゥナが絡み、出演する皆が自然体でありいつしか画面に引き込まれてしまう。

事情があり棄てられた赤ちゃんは、果たして本当に不幸のままなのか。
そうではなく、暖かく見守って育ててくれる人があれば、それは十分に価値のあるかけがえのないものではないか。
そのようにこの作品は言っているように思える。

是枝作品にしてはストーリー展開が中心の内容となっているが、そうであっても十分に満足でき楽しめる作品であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アキ・カウリスマキ・2~『白い花びら』

2022年06月19日 | 1990年代映画(外国)
『白い花びら』(アキ・カウリスマキ監督、1998年)を観た。

フィンランドの小さな村でキャベツを作る幸せな夫婦、ユハとマルヤ。
ある日、村にシェメイッカと名乗る男が車で通 りかかる。
車が故障したという男は畑にいたユハに助けを求め、ユハは快く車の修理を引き受ける。
しかしシェメイッカは隙を見てはマルヤを誘惑、マルヤも彼を強く意識するようになる。
再びシェメイッカが2人を訪れ、マルヤはシェメイッカと駆け落ちするが、2人が結ばれたあとシェメイッカの態度は豹変し・・・
(映画.comより)

ユハとマルヤの夫婦は、田舎に住んでいてもキャベツを作り売っては、手を取り合って子供のように幸せに暮らしている。
そんな中、偶然にも通りすがりの男、シェメイッカのオープンカーが故障してしまう。
親切なユハは車の修理を請け負って、その日はシェメイッカを家に泊めてやる。

シェメイッカはダンディぽいが、クセがありそうで強引そうな男。
このシェメイッカが、一緒に飲んでいたユハが泥酔した隙にマルヤを口説く。
マルヤにはユハとの幸福な家庭がありその気はないが、翌日シェメイッカが行ってしまうと、胸騒ぎがする。
そうなるとユハとの、この田舎での二人だけの生活が段々と侘しくなってくる。

さあこうなると、よくある話の行き着く手順。
次にシェメイッカが来た時、マルヤは置き手紙を残してシェメイッカに付いて行ってしまう。

ヘルシンキのシュメイッカが経営し、用心棒もいるようなクラブ。
ホステスたちと共に働かされたマルヤは、お客のふるまいに戸惑って客を拒否する。
部屋に戻って、軽率に家を出た行為を後悔するマルヤ。ユハとの幸せだった結婚式が思い出される。

それ以後、マルヤはホステス達らの部屋を掃除する日々。
意を決したマルヤは、村へ帰ろうと列車に乗り込むが、運悪く気絶する。
結果は、懐妊していたということ。

時は秋になり、年が明けて雪解けの季節。
マルヤは赤ちゃんを抱き、片や、マルヤに逃げられて悶々としていたユハは、とうとうシェメイッカに対し復讐を誓う。
ユハは斧にヤスリを掛け、ストーリーはクライマックスになって行く。

この作品は、意識して白黒画面のサイレントとして作られている。
もっとも、全体を通して場面にマッチした音楽が付いているので、サイレントとはほどんど意識しない出来になっている。
と言うか、カウリスマキ作品はいつもセリフを極端に抑えているので、違和感はない。
ストーリーは、それこそサイレント時代の雰囲気を醸し出すためか単純である。
でもそれが、無茶苦茶面白かったりした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アキ・カウリスマキ・1~『コントラクト・キラー』

2022年06月16日 | 1990年代映画(外国)
『コントラクト・キラー』(アキ・カウリスマキ監督、1990年)を観た。

ロンドンで暮らす孤独なフランス人アンリは、長年務めた職場をあっさり解雇されてしまう。
絶望して自殺を図るもことごとく失敗した彼は、ギャングのアジトを訪れて自分自身の殺害を依頼する。

死を待つアンリだったが、パブで花売りのマーガレットに出会って恋に落ち、生きる希望を取り戻す。
しかし、殺し屋はすでに差し向けられていて・・・
(Wikipediaより)

人付き合いもしない内向的な孤独な男、アンリ。
これをジャン=ピエール・レオが演じる。
ジャン=ピエール・レオと言えば、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(1959年)から始まって、
ジャン=リュック・ゴダール監督の作品などで馴染みの俳優。
その彼が無口ながら味わい深い演技をする。
もっともアキ・カウリスマキの作品自体、他の作品を観てもセリフが極端に少ない。

そんなアンリが人生に絶望して自殺しようとする。
しかし、そんなにうまくは死ねない。
だから、しょうがなく自分に対する契約殺人を依頼する。
しかしどっこい、日も経たず、バラ売りの女性マーガレットを見て一目ぼり。
さあ、困った、死ななきゃいけない自分が生に生きがいを見いだしてしまう。

とぼけた味わいが全体の雰囲気を作る中で、最後には生きる素晴らしさをほのぼのと肯定する、その作りの素晴らしさ。
だからその雰囲気に漂っていたい為に、二度DVDで観てしまい、本当にいい作品だなと手放しで余韻に浸った。

フィンランドのアキ・カウリスマキ作品は、『マッチ工場の少女』(1990年)が評判になった時、劇場に観に行った。
その独特な作風に“へぇ”と思ったが、次に観た『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989年)には、凄いとのめり込んだ。
以来この監督作品には意識していたが、所詮、たくさんの見落としがあって、今回を機にもっと観ていこうと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする