ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が10月9日に死去したことを新聞で知った。
90歳だった。
ワイダと言えば、私にとって10代後半にテレビで観た『地下水道』(1957年)の印象が忘れられない。
第二次世界大戦末期の廃墟と化したワルシャワの街。
ドイツ軍に追い詰められたパルチザン部隊は、地下水道を通って市の中心部に出て活動を続けることにする。
しかし、やがて離ればなれになり、発狂する者や、マンホールから出てドイツ軍に発見され射殺される者。
目的の出口を見つけたとしても、そこには頑丈な鉄柵が張られ、爆薬も仕掛けられていたりする。
特に印象的なのは、やっとたどり着いた河へ注ぐ水路。
河の向こう側を目の前に、手前の鉄柵が希望を遮断する。その残酷さが目に焼き付いて離れない。
この強烈な内容を、ワイダはわずか31歳の時に作る。
その一年後には、あの傑作『灰とダイヤモンド』(1958年)を発表。
私にとって、ワイダはもっとも信頼できる監督として、20代以後、新作は意識して観るようにした。
『白樺の林』(1970年)、『約束の土地』(1975年)など。
そして、ワイダがまたまた脚光を浴びるようになった『大理石の男』(1977年)や『鉄の男』(1981年)。
その後で記憶にあるのは、『ダントン』(1983年)や『コルチャック先生』(1990年)か。
いずれにしても映画を観ながら、権力に抵抗する人たちに共感し熱烈に支持した。
だが、今では個々の作品がおぼろげな感じになってしまって、それが何とも寂しい。
最近の作品として観たのは、ワイダの父親も犠牲者になり、作るべきにして作られた『カティンの森』(2007年)。
これが上映された時は、是非観なければと勇んで行った。
しかし、その後の『ワレサ 連帯の男』(2013年)は見逃していたりして、好きと言いながらも、私も案外いい加減だったりする。
ワイダは日本びいきであったりして、随分と前になるがNHKでもそのことを放映していて、今思い出すとそのことが懐かしい。
90歳だった。
ワイダと言えば、私にとって10代後半にテレビで観た『地下水道』(1957年)の印象が忘れられない。
第二次世界大戦末期の廃墟と化したワルシャワの街。
ドイツ軍に追い詰められたパルチザン部隊は、地下水道を通って市の中心部に出て活動を続けることにする。
しかし、やがて離ればなれになり、発狂する者や、マンホールから出てドイツ軍に発見され射殺される者。
目的の出口を見つけたとしても、そこには頑丈な鉄柵が張られ、爆薬も仕掛けられていたりする。
特に印象的なのは、やっとたどり着いた河へ注ぐ水路。
河の向こう側を目の前に、手前の鉄柵が希望を遮断する。その残酷さが目に焼き付いて離れない。
この強烈な内容を、ワイダはわずか31歳の時に作る。
その一年後には、あの傑作『灰とダイヤモンド』(1958年)を発表。
私にとって、ワイダはもっとも信頼できる監督として、20代以後、新作は意識して観るようにした。
『白樺の林』(1970年)、『約束の土地』(1975年)など。
そして、ワイダがまたまた脚光を浴びるようになった『大理石の男』(1977年)や『鉄の男』(1981年)。
その後で記憶にあるのは、『ダントン』(1983年)や『コルチャック先生』(1990年)か。
いずれにしても映画を観ながら、権力に抵抗する人たちに共感し熱烈に支持した。
だが、今では個々の作品がおぼろげな感じになってしまって、それが何とも寂しい。
最近の作品として観たのは、ワイダの父親も犠牲者になり、作るべきにして作られた『カティンの森』(2007年)。
これが上映された時は、是非観なければと勇んで行った。
しかし、その後の『ワレサ 連帯の男』(2013年)は見逃していたりして、好きと言いながらも、私も案外いい加減だったりする。
ワイダは日本びいきであったりして、随分と前になるがNHKでもそのことを放映していて、今思い出すとそのことが懐かしい。