ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ベルファスト』を観て

2022年03月28日 | 2020年代映画(外国)
本年度のアカデミー賞絡みで評判の『ベルファスト』(ケネス・ブラナー監督、2021年)を観てきた。

北アイルランドの首都ベルファストで生まれ育った9歳のバディは、家族や友だちに囲まれ、充実した毎日を過ごしていた。
そして、映画や音楽を楽しみ、たくさんの笑顔と愛にあふれた日常は、彼にとって完ぺきな世界だった。
しかし、1969年8月15日を境に穏やかな日々は、突然の暴動により悪夢へと変わってしまう。

プロテスタントの暴徒が、街のカトリック住民への攻撃を始めた。
住民同士が顔なじみで、まるでひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断されていく。
暴力と隣り合わせの日々のなか、バディの両親は故郷を離れるべきかどうか悩む・・・
(映画.comより修正)

主人公バディは母と兄のウィルと一緒に暮らしていて、父親はイギリスに出稼ぎに行きその都度帰ってくる。
その他に、祖父と祖母もいる。

まず背景にあるのが、北アイルランドの領有をめぐるイギリスとアイルランドとの領土問題に関する紛争であり、
16世紀の宗教改革から引きずるカトリックとプロテスタントの問題である。
世の中は緊張の度合いを増していくのに、バディの切実な関心ごとは、成績優秀な同級生で好きなキャサリンのこと。
だから、映画はバディの視点で描かれているせいか、深刻な話がどこか深刻そうでない。
そしてその作り方が、白黒画面であって当時の雰囲気が十分に反映され効果を上げている。
そればかりか、親子で映画を観る場面で、『チキ・チキ・バン・バン』や『恐竜100万年』でのラクウェル・ウェルチのビキニ・シーンが出てきて楽しませる。
そんな中、最高の感動シーンは『真昼の決闘』へのオマージュ・シーンであり、主題歌「ハイ・ヌーン」が堪らない。

しかし、この作品が強烈なインパクトを与えたかと言うと、案外そうでもなかった。
とってもいい作品で好きなんだけれど、視点が完全にバディからになっていれば、世の中で起きている事件もその方向で明確になると感じるけれど、
どうも視点がバディから離れたりして、両親の生活面のやり繰りの切羽詰まった事柄も入り組んでくる。
全体的にみて、それはそれでまともでいいけれど、だから一本筋が通った図太いテーマが見い出せないなと感じてしまった。

そうと言っても、やはり真剣に一途に作られた優れた作品を観た思いは変わらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を観て

2022年03月21日 | 2020年代映画(外国)
話題の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(ジェーン・カンピオン監督、2021年)をNetflixじゃなく、劇場に行って観てきた。

舞台は1925年のモンタナ州。
フィルとジョージのバーバンク兄弟は、牧場の経営で成功を収めていた。
兄弟はある牛追いの道中、宿屋のオーナーで未亡人のローズ・ゴードンと出会う。
心優しいジョージはローズとすぐに心を通わせるようになり、結婚することになる。

ローズは兄弟の牧場に移住し、ローズの息子ピーターに医学と外科学を学ばせるために、ジョージの金で大学へ通わせることになる。
しかし、亡き師ブロンコ・ヘンリーに強く影響されているフィルは、ローズが金目当てでジョージと結婚したと勘繰って嫌悪感を抱き、
ローズはそのフィルの粗暴な振る舞いと嘲弄するような態度に不安を募らせる。

ある日、ジョージは両親と知事を招いて晩餐会を開くことにする。
ジョージはローズに、招待客のためにピアノを弾くようリクエストする。
しかし、ローズのピアノの腕前はそれほどのものではなく、戸惑いながらも練習をしようとするが、フィルからの妨害を受ける。
晩餐会が始まり、ローズはヨハン・シュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』を弾こうとするが、失敗してしまう。
さらに、その場に現れたフィルに演奏をけなされ屈辱的な思いをする。
ローズはこれまで抑えていた飲酒を再開してしまう・・・
(Wikipediaより一部抜粋)

野性味溢れるフィルは、ホモセクシュアルのピーターを忌み嫌い蔑む。
また、その母親であるローズにも同じ態度を取る。
それによって、ローズは徐々に酒に溺れアルコール依存症になっていく。

物語はドラマチックになりそうでならず、フィルとジョージの対照的な性格、ジョージがローズにかける愛情などが絡んで淡々と進んで行く。 
そしてピーターが夏休みに帰省し、ある時、ピーターは偶然にも森でフィルの秘密を知ってしまう。
それを機会に、フィルはピーターに対する今までの態度を180度変え、馬の乗り方を教えてたり、彼のために皮の投げ縄を作ろうとし出す。

この映画は、至ってよくあるヒューマンな作品なんだなと感じて観ていると、突然、フィルが炭疽病で亡くなってしまう。
そこで気付かされる。なぜいとも簡単にフィルは死んだのか。
このストーリーの中には、最初の段階から、そこに至るまでの伏線が丁寧に語られていたことに気付かされる。
冒頭で、ピーターは自殺した父親に代わって、いつまでも母親を守っていこうと明かされている。
また、ピーターが外科を目指し、うさぎの解剖を熱心にしていたことも。
この一見何でもないようなストーリーに、ラストでの、部屋にいるピーターの顔の表情と庭にいる母親の姿から、我々は彼のその深い内面を知ることになる。
そしてその心情に戦慄する。

ジェーン・カンピオンが監督したスリリングな展開の傑作『ピアノ・レッスン』(1993年)と比べると、この作品は見た目静的であるが、
そこに含まれた内容は動的であって、一筋縄ではいかない。
見終わって、唯々凄いと感心してしまって、私はしばらく席から立つことができなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『避暑地の出来事』を観て

2022年03月17日 | 1950年代映画(外国)
ずっと観たいと思っていた念願の『避暑地の出来事』(デルマー・デイヴィス監督、1959年)をやっと観た。

アメリカ東海岸メイン州の避暑地の島。
かつては名門だったハンター家のリゾート・ホテルに、20年ほど前、救命監視員として雇われていたケン・ジョーゲンソンが妻と娘を連れて休暇にやって来た。
今はビジネスに成功しているケンに対して、ハンター家のバートは落ちぶれた状態にある。
ケンの娘モリーとバートの息子ジョニーはすぐに親しくなり、次第に愛し合うようになる。
片や、昔恋仲だった関係のケンとバートの妻シルヴィアは、再会して恋の炎が再燃していく。

ある日、ジョニーとモリーは小型ヨットで沖に出かける。
しかし、やがて激しい風雨にさらされヨットは転覆し、二人は小島で一夜を明かす。
翌日、救出されたモリーを母ヘレンは激しく怒り、ジョニーと今後逢わせないために、その後、娘を遠くの学校に転校させる。
引き裂かれた二人は、手紙でやりとりし・・・

50年代の、青春恋愛ドラマ。
若い男女の恋愛ストーリーに、夫婦仲の冷めた両方の親の恋愛が絡んでくる。
親世代のケンとシルヴィアの仲は、昔、シルヴィアの母によって裂かれている。
そして、今、ジョニーとモリーの仲をモリーの母が裂いている。

ジョニーがトロイ・ドナヒューで、モリーがサンドラ・ディー。
よく有りそうなつまらなさそうな展開で、そして最後には当然ハッピー・エンドだが、私には飽きが来ない。
それは何と言っても、サンドラ・ディーが見れたため。それだけで十分、お釣りがくる。
それに、元々、どうしても一度は鑑賞しておきたかったのは、例の“夏の日の恋”の旋律の使われ方に興味があったため。
やはり、マックス・スタイナーのこの主題曲がうまくマッチしていて、ムードを大きく盛り上げていた。
だから見終わって意外にも十分に満足ができ、こういう作品もいいなと思った。

【YouTubeより“夏の日の恋”~パーシー・フェイス楽団】


中学生の頃、ラジオでポピュラー音楽を聞き出した時、流れていたトロイ・ドナヒューの“恋のパーム・スプリングス”。
その映画『パームスプリングの週末』(ノーマン・タウログ監督、1963年)もチャンスがあったら観てみたいと思っている。

【YouTubeより“恋のパーム・スプリングス”】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イングマール・ベルイマン・4~『不良少女モニカ』

2022年03月15日 | 1950年代映画(外国)
『不良少女モニカ』(イングマール・ベルイマン監督、1953年)を観た。

スウェーデンの港町。
陶磁器店の配達係をしているハリーは、カフェで、煙草の火を借りるモニカと知り合う。
八百屋で働くモニカが「今夜映画に連れてって」と、ハリーに誘う。
要領も悪く大人しいハリーは、モニカとの出会いに幸せを感じる。

映画を観たあと二人は湾の見える丘に行き、恋は急速に進んでいく。
その後、ハリーの家を訪れたモニカだったが、ハリーの父が帰ってきて二人の抱擁は中断される。

狭いアパートで家族と暮らすモニカは、酔っぱらいの父親と喧嘩をし家出を決意する。
その足でハリーの家へ行くけれど、家にモニカを泊まらせるわけにもいかないハリーは、二人して父親の所持している船の船室に向かう。
一夜を過ごしたハリーは、翌朝、寝過ごしてしまってそこから職場へ向かったが、雇い主から遅刻の苦情を言われ仕事を辞めてしまう。
ハリーはせいせいして船に戻り、家に帰りたがらないモニカと共に、幸せに満ち足りた気分一杯で、人気のない岸辺に向かって自由に船を走らせていった・・・

ハリーが19歳でモニカは17歳。
8歳の時、ハリーの母親は亡くなっていて、父親と二人暮らしをしている。
その父親も具合を悪くして療養所に入り、叔母が世話をするようになる。
片や、モニカの家では彼女の下に3人の幼な子がいて、アパートの部屋も小さく、モニカは常に落ち着かない状態にいる。
そんな二人が出会って、それこそ二人だけの幸福のときを過ごす。
そして、モニカは妊娠する。

ハリーの叔母の計らいでめでたく二人は結婚したが、若い二人にとって生活の現実は甘くはない。
ハリーはモニカと子のために仕事をし出したが、モニカにはこの貧しい生活が耐えられなくなっていく。
まだ青春を謳歌できる年齢のはずのモニカにとって、今の現実が耐えられない。
家庭のために将来に向かって希望を持ち続けるハリーだが、モニカに対してどのようにも対処ができない。
社会は貧しい若者の家庭に対し、努力の方法もなくうち捨てていく。
貧しさが二人を傷つけ、その結果、破局に至り離婚する。
だがハリーは、モニカの想い出を抱き、引き取った子を育てようとしていく。

この作品は以前に観たように記憶していたが、実際に観てみたら初見だった。
ベルイマン作品を劇場で意識して観るようになったのは、『仮面/ペルソナ』(1966年)以後だから、
それ以前の作品をテレビで観たりしても相当数の作品が未見のままとなっている。
私にとってこの監督は昔から重要な人なので、少しずつでも今後も観ていこうかなと考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『僕の村は戦場だった』を再度観て

2022年03月02日 | 1960年代映画(外国)
プーチンの命令でロシア軍がウクライナに侵攻している。
だから、敢えて『僕の村は戦場だった』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1962年)を観てみた。


川岸でずぶ濡れになっていた12歳の少年イワンが部屋へ連れて来られ、ガリツェフ上級中尉から質問を受ける。
イワンは説明を拒み、司令部のグリャズノフ中佐へ電話することを要求する。
ガリツェフがグリャズノフに電話すると、中佐はイワンが書き記したものをすぐに司令部へ届けるよう命じる。

翌日、司令部からホーリン大尉が迎えに来て、イワンは司令部へと戻って行った。
イワンの今回の情報は極めて重要なものだったが、グリャズノフ中佐はこれ以上イワンに危険な任務を続けさせることは出来ないと判断し、
彼に幼年学校へ入ることを命じる。
だが、イワンはそれを拒み、幼年学校へ送られるぐらいならパルチザンになろうと決心する・・・

時は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツに対抗するソビエト軍。
少年イワンは両親、妹をこの戦争によって亡くしており、孤児になっている。
しかし孤児院を逃げ出し、今は、前線の偵察任務に就いていて貴重な存在になっている。

少年が特異な形で軍のなかにいる。
その存在意識を支えているのが、家族を殺されてしまったイワンの隠された復讐心。
この頑なまでの心持ちによって、対岸のドイツ軍の偵察に最後は一人で向かう。

この作品は、十代の時に名画座で観た。
当時、映画は二本立てだったので、確か目当ての作品は『処女の泉』(イングマール・ベルイマン監督、1960年)だったかと思う。
だから、このタルコフスキーの作品は私にとって添え物的であって何の知識もなかった。
しかし、たまたま観たこの作品の、ファースト・シーンのイワンの顔のアップ、そして、ラスト近くの捕虜ファイルの中にあるイワンの写真シーンは、
その衝撃さと共に脳裏に焼き付いている。

タルコフスキーの映像美は、まさにこの第1作目の作品から思う存分発揮されている。
そして、イワンの夢・想い出での母親とのシーン、ラストの妹と海岸で走るシーンの美しさを感じる時、
戦争のくだらなさ不毛さをつくづく感じられずにはいられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする