ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

ジャン=リュック・ゴダール監督の逝去の報に接し

2022年09月13日 | 1960年代映画(外国)
ジャン=リュック・ゴダール監督が9月13日死去したと報道された。
91歳だった。

十代の頃、それこそ夢中になった監督である。
フランソワ・トリュフォーと共にヌーベルバーグを代表するゴダールを知って、初めて観た作品は何だったかと記憶を遡る。
『気狂いピエロ』(1965年)を封切りで観た時には、もうゴダールの作品を2番館、3番館で観ていたので何が最初なのかはよくわからない。
それらの作品は、『女は女である』(1961年)、『女と男のいる舗道』(1962年)、『軽蔑』(1963年)、1963年公開の『小さな兵隊』。
そして、『恋人のいる時間』(1964年)、『アルファヴィル』(1965年)。
もっとも『勝手にしやがれ』(1960年)は案外、後の方で観たと記憶している。
大半の内容をもう忘れてしまっているけれど、中でも『女と男のいる舗道』だけはアンナ・カリーナの主演とミシェル・ルグランの主題曲で共に案外覚えている。

                            YouTubeより「女と男のいる舗道」


今、思い返すと『気狂いピエロ』以後は、『男性・女性』(1966年)、『メイド・イン・USA』(1966年)、
『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967年)、『中国女』(1967年)、『ウイークエンド』(1967年)と新作が出る都度、映画館に走って行った。
特に『中国女』なんかは大きなポスターを手に入れて、随分後まで部屋に貼っていてシンボルとしていた。

しかしこれ以降、ゴダールは商業映画から政治メッセージ映画と変質して行き、これでは付いていけないなと観ることをやめてしまった。
その後、1979年に商業映画に復帰したが、こちらとしてはもう以前の興味は失せていて、
『カルメンという名の女』(1983年)、『ゴダールのマリア』(1985年)、『右側に気をつけろ』(1987年)ぐらいをDVDで観た程度で終わっている。
それでも唯一興味が惹かれるのが全8章からなる『ゴダールの映画史』(1998年)である。
ただ作品時間が合計268分かかるので、それが躊躇のもとになっている。

いずれにしても、ヌーベルバーグを牽引した偉大な監督が去ってしまったことに、ご冥福をお祈りいたします。
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アキ・カウリスマキ・5~『パラダイスの夕暮れ』

2022年09月01日 | 1980年代映画(外国)
『パラダイスの夕暮れ』(アキ・カウリスマキ監督、1986年)を観た。

ゴミ収集人で独身のニカンデルは、毎日同じ仕事の繰り返しでも真面目に働いている。
ある日年上の同僚から、独立してこの仕事を起ち上げようと誘われる。
その日、うっかり腕に怪我をしたままスーパーに行ったニカンデルは、それを見たレジ係のイロナに手当てをしてもらう。

独立に気乗りしたニカンデルは、英語リスニング教室まで通い出したが、勤務中同僚は、突然に心臓発作で亡くなってしまう。
ショックを受けたニカンデルは、飲食店で大量に酒を飲んで暴れ、その挙げ句、留置場の厄介になる。

留置場を出たニカンデルは、職場に掛け合って、同室だった失業中の男メラルティンを採用してもらい、二人はコンビとしてゴミ収集をし出す。
スーパーのゴミ収集時、裏口にいたイロナを見たニカンデルは、勇気を出し、翌日のデートの約束をもらう・・・

味気ない生活をしているニカンデルが、思い切って、たぶん生涯初めて女性にデートを申し込む。
当日、一張羅に、手には花束。
ただ、不器用なニカンデルが選んだデートの場所は、みんな黙々とビンゴをしている場所。
観ていて“こりゃアカンわ”と思ったら案の定、イロナから今後の付き合いは無しにされる。

そのイロナは、経営不振を理由として勤め先のスーパーを解雇されてしまう。
腹いせに店の手提げ金庫を盗んだイロナは街をさまよい、偶然にガソリンスタンドで給油中のニカンデルと出会って、彼に遠くへ行こうと誘う。
再度チャンスを得たニカンデルがまず寄った所は、友人となったメラルティンの家。
その理由は、デートのお金をこっそり工面するため。
メラルティンはお金を奥さんに頼むが拒否され、寝ている子どものお小遣いを失敬してニカンデルに渡す。
ニカンデルとメラルティン、二人の寡黙の友情が微笑ましく、とってもいいなぁと納得する。

この後、やはりニカンデルとイロナは気持ちのすれ違いがあったりしてうまくいかなくなるが、
カウリスマキはそこの辺りをテキパキと手際よく演出して進む。
その進み具合で見えてくるのは、ニカンデルとイロナは、上手に言葉には表せなくってもやはり相手のことを一途に想っているということ。

ついつい、この二人に惜しみなく声援がしたくなり、心情的にこの作品はピッタリだな、と我ながら納得する。
言い方に語弊があるかもしれないが、不細工な若い男女の不器用な恋の顛末で思い出すのが『マーティ』(デルバート・マン監督、1955年)。
このような作品は、美男美女が出てきてウットリとする作品よりも、はるかに心に強烈な印象を残し、いつまでも慈しみたい気持ちになる。
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