ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

ジャック・ベッケル・2~『エドワールとキャロリーヌ』

2019年04月30日 | 1950年代映画(外国)
『エドワールとキャロリーヌ』(ジャック・ベッケル監督、1951年)を観た。

パリのアパルトマンで、睦まじく暮らしている若夫婦のエドワールとキャロリーヌ。
ある日の夜、無名のピアニストのエドワールを売り出すために、キャロリーヌの叔父クロードが屋敷でパーティーを開く。
そのために、キャロリーヌはエドワールに花を買いに行かせ、自分は古いイブニング・ドレスを引っ張り出す。
帰ってきたエドワールが、パーティーのためのタキシードを着ようとするとベストが見当たらない。

そこでキャロリーヌが叔父の家に電話を掛け、その後で、叔父の息子アランのベストを借りにエドワールを行かせる。
その間に、キャロリーヌはドレスを今風にするため、裾の前側をハサミで短かくしてしまう。
帰ってきたエドワールは、喜ぶキャロリーヌのその姿を見て、大事なドレスを切ってしまったと怒り、キャロリーヌを叩く。
それで二人は大喧嘩。

腹を立てたまま一人パーティーに出席したエドワールは、皆に“妻は身体の調子が悪い”と誤魔化す。
心配したアランが電話をすると、受話器の向こうから“離婚する!”と息巻くキャロリーヌの声がして・・・

パーティーに行く準備の夕方7時半から、深夜帰宅した後までの単純な物語。
その間に起きる夫婦喧嘩を中心にして、全体をコミカルに描いた実に微笑ましい話。
まずキャロリーヌ役の“アンヌ・ヴェルノン”がとってもいい。
ドレスを着ながらラジオに合わせウキウキと踊ってみせる場面なんか最高である。
エドワールの“ダニエル・ジェラン”もまた役柄がピッタシで、二人の息が合っている。
この“ダニエル・ジェラン”のピアニスト振りも、ピアノを弾く手元がリアルで、成る程と思う。
叔父クロードも、みんなにかいがいしく世話を焼く姿が笑いを誘い、場面を引き立たせる。

そもそもキャロリーヌが、離婚して実家に帰ろうとしたキッカケは、売り言葉に買い言葉。
だから、痴話ゲンカがこじれる。
この辺りは、世間でよくある話で、至ってリアリティ感が漂っている。
でも、ラストのラストで元の鞘に収まり、本当によかったねと微笑んでしまう。
観て幸福感を味わえるこんな作品は、楽しさの麻薬みたいだと言ったらいいのか、何度も繰り返し観たくなる。
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ジャック・ベッケル・1~『幸福の設計』

2019年04月27日 | 戦後40年代映画(外国)
『幸福の設計』(ジャック・ベッケル監督、1947年)を観た。

パリの下町。
製本工場に勤めるアントワーヌと、デパート店員の妻アントワネットは、洗面所もない安アパートに住みながらも夫婦仲がいい。
アントワネットは、夫の仕事場からの乱丁本を店員仲間たちに貸したりしている。
この日の帰りには、デパートの隣りにある宝くじ売り場のおばさんからも貸した本を返してもらった。

この美人のアントワネットには何かと男が言い寄ってくる。
仕事が終わりアントワネットが、アパートの向かいの食料品店に買い物に寄ると、店主のロランは缶詰をオマケにくれたりした。
丁度その時、アントワーヌも帰ってくるが、止めた自転車をうっかり店の者にトラックで潰されてしまう。
ロランは、自転車の持ち主の妻がアントワネットと分かると、下心丸出しで、自転車を直すことを請け負う。

数日後、新品の自転車の車輪をアパートに持ってきたロランは、花束も持参している。
この花束の件で夫婦仲はギクシャクし、マッチを探すためにアントワネットがハンドバックをぶちまける。
その中から宝くじを見つけたアントワーヌは、不機嫌なアントワネットをよそに当選番号の確認をする。
その場ではよくわからず、再確認すると、何と80万フランが当たっていた。
アントワーヌは翌日、現金交換にそのくじを入れた財布を持って出掛け、いざ交換所に来てみると、財布は無くしてしまっていて・・・

さあ大変なことになった。
どこでどのようにして無くしたのか。
アントワーヌは焦りながら、記憶を元に探す。
結果、宝くじを入れた財布を地下鉄駅の窓口で忘れたのはわかるが、見つからず、もうどうしようもできない。
暖房と洗面所つきアパート、アントワーヌが欲しかったバイクやアントワーヌのコートの夢が儚く消えていく。

アントワーヌの意気消沈するのを、影でやさしく見守るアントワネット。
このアントワネットの夫に対する愛情表現がいい。
何と賢い人かと唯々感心し、憧れてしまう。
この作品が素晴らしいのは、アントワーヌ夫婦もそうだがアパートの隣り近所の人たちの人情味が溢れているところ。
それに引き換え、食料品店主のロランは裕福なのを嵩にかけ、アントワネットをどうにかしてモノにしたいと思う。
内心のいやらしさが滲み出てて、その浅はかな態度がこれまた印象に残る。

こんな失意のアントワーヌ夫妻でも、最後にはハッピーエンドが用意されている。
そのことは、最初の辺りで伏線として用意してあっても、中々気付かないようにサラっと示してある。
それらをひっくるめて、シナリオや演出のうまさが際だっているなと感心もしこの作品に満足した。
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ロベール・ブレッソン・6~『少女ムシェット』

2019年04月25日 | 1960年代映画(外国)
『少女ムシェット』(ロベール・ブレッソン監督、1967年)を観た。

フランスの寒村。
鳥などを密猟しようとするアルセーヌを監視していた森番のマチューが、罠に掛かった鳥を逃がす。
このアルセーヌとマチューは共に、カフェに勤めているルイザを好いている。

同じ村で、道路沿いに住む少女のムシェットは、学校の音楽の時間に自分一人だけ歌わなかったり、
学校の帰り、他の生徒たちに土の塊を投げつけたりして、ひとりひねくれて孤立している。
そのムシェットがある日、学校を途中でサボって森に入っていく。

森番のマチューは、ルイザを断念させるため、罠を仕掛けていたアルセーヌをやっつけようとする。
しかし反対にアルセーヌに殴られ、その後は水筒の酒を二人して飲んで、両人とも記憶が定かでなくなる。

やがて天気が急変し、嵐となって来る。
木の下で雨宿りしていたムシェットの前にアルセーヌが現れ、濡れているムシェットを小屋に連れていく・・・

ムシェットの家庭環境は、乳飲み子を抱えている母が病床に伏せっている。
だから、乳飲み子にミルクをやったりおしめを替えたりするのはムシェットの役目である。
父と兄は、酒の密売をしながら、僅かながらのその日暮しの生活をしている。
この父親は、ムシェットがカフェの皿洗いをした金を出させたりして、何かとムシェットを邪険に扱う。

そんなムシェットが嵐の夜をアルセーヌと過ごし、淋しさを紛らわすためかこのアルセーヌに抵抗もせず身を任す。
衝撃的なのは、たったの14歳の少女がアルセーヌの背に手を回し、受け入れる意思を示すことである。
そして村人に対し、“私はアルセーヌの愛人よ”とまで言わしめるまでの、これほど孤独で愛に飢え、心のよりどころのなさが痛々しい。

母が死に、それでもムシェットは赤ん坊のためにミルクをもらいに行かなければならない。
母のことを慰められ不憫に思われても、同情とは裏腹の“ふしだら”とムシェットは言われる。
また、“うんざりしている”と言うムシェットの言葉に、“なんて悪い子だね、罪深い悪意に満ちた目だよ”と言われたりする。

その後でのシーン。
狩りで、追い詰められて撃たれたウサギが息絶え絶えになる。
このウサギのように行き場のないムシェットは、心と身体を開放するため、自ら池に落ち、再び浮かび上がって来ない。

ムシェットの物語は、単純すぎる筋書きであっても、観客に対しては冷徹なまでに同情を拒否する。
その冴えわたっている腕前は、さすがブレッソンならではと感じた。
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ロベール・ブレッソン・5~『バルタザールどこへ行く』

2019年04月23日 | 1960年代映画(外国)
『バルタザールどこへ行く』(ロベール・ブレッソン監督、1966年)を観る。

フランスの小村ピレネー。
教師の娘マリーは、仲のいい農場の息子ジャックと、生れたばかりのロバを拾い、“バルタザール”と名付け可愛がる。
しかし、ジャック家は農場と共にバルタザールも手放し、引っ越していく。
それから何年か経ち、鍛冶屋で重労働させられていたバルタザールが逃げて、マリーの家にやって来る。
マリーは、バルタザールとの久しぶりの再会を喜び夢中になる。
マリーに思いを寄せているパン屋のジェラールは、それを見て面白くない。

その頃、農場を手に入れていたマリーの父とジャック家との間で訴訟問題が起きる。
マリー家はそのために家を手放し、バルタザールはジェラールの家に買われていく。
マリーへのモヤモヤのために、ジェラールは不良仲間と一緒になってバルタザールを痛めつけ、こき使う執念に燃える・・・

例のごとく、ブレッソンの冷静で淡々とした映像の流れ。
その個々のカットから、作り手のほとばしる内なる思いが見えてくる。
しかしそのようなことは納得できても、物語の筋書きの細部がイマイチ理解できない。
要は、物語の背景があまりにも徹底してそぎ落とされていて、観客を度外視した作りのためだろうとしか思えない。

だから、インターネット上でこの作品の物語の筋をいろいろと読んでみて、再度観直し、やっと成る程と納得できた。
そのようにしてDVDで確認しながら観ればさすがの内容と感心するが、劇場で鑑賞した場合、やはり、分かったようで分からない気持ちを抱いたままになるのではないか。

小さかった時のジャックとマリー。
将来はマリーと一緒になれると夢想していたジャックが、大きくなったマリーに会う。
マリーは言う。
“あなたが見ているのは昔の思い出、私は変わってしまった。
私たちの愛の誓いは子どもの頃の思い出、想像の世界。現実は違う“と。
それでも、昔の夢を手に入れようと、一歩踏み出したマリーにショックな出来事が襲う。

人間社会による諸々の小さな出来事。
それに影響されるバルタザールのその時その時の運命。
このロバの、バルタザールの心優しいとか言えない眼差しが強烈な印象として残る。

それと、少女マリーを演じたアンヌ・ヴィアゼムスキー。
ブロッソンは、シロウトばかりを起用する監督なので、この時当然ヴィアゼムスキーは映画初出演だった。
後に、ジャン=リュック・ゴダール監督と結婚するきっかけのゴダール作品『中国女』(1967年)に出演する。

若かった頃、部屋の壁にこの『中国女』の大きなポスターを貼っていた。
思えば当時、何がなんでもゴダールでなければと粋がっていた頃が懐かしく蘇る。
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ロベール・ブレッソン・4~『抵抗 -死刑囚の手記より-』

2019年04月20日 | 1950年代映画(外国)
『抵抗 -死刑囚の手記より-』(ロベール・ブレッソン監督、1956年)を再度観た。

1943年独軍占領下のリヨン。
レジスタンス派のフォンテーヌ中尉はドイツ軍にとらえられ拷問された上、モントリュックの監獄に投げ込まれた。
独房で死刑の判決を待つうち、彼は脱出することに全力をつくす。
まずスプーンをといでナイフを作り、何日もかかって扉のハメ板を外す。
ベッドの毛布を裂いて綱を作る。
朝の洗面のとき、収容者同士は秘かに連絡をとるが、脱出はすこぶる困難である。
フォンテーヌの勇気と強い意志は、次第に人々を動かして行く。
ところが、16歳のドイツ軍の服を着た脱走兵が彼の同室に投げ込まれて・・・
(Movie Walkerより)

この作品を劇場で観てから40年ほど経つだろうか。
それ以上かも知れないが、当時観た画面、画面の映像が今だに鮮明に記憶として残っている。
だから今回久し振りに観直しても内容自体はわかっていた。
しかし、それにしてもこの作品は無条件に凄かった。

フォンテーヌは不可能としか思えないこの監獄からの脱獄を希求する。
そのために緻密な計画を立て、黙々と粘り強くそれを推し進めていく。
フォンテーヌの無表情な、それとともに周囲の物音とかに気配る態度と行動が緊張感を強いる。
その静寂で無駄を廃し、細部に拘る淡々とした映像は一瞬の隙も与えず、見ている側は画面から目を離せなくなる。
特に、秘密国家警察本部に連行されて銃殺刑による処刑宣告を受けた後の、
ドイツ軍服を着た少年ジョストが同室になってからの緊張感は否応なしに張りつめてくる。
残り時間がない中での脱獄計画を、ジョストに打ち明けるべきか、それとも殺してしまうべきかの選択の賭けは、他では滅多に味わえない凄さがある。
そして、閉ざされた空間に対するラストの開放感は、えも言われないカタルシスを感じる。
これ程の傑作サスペンスをまた観れた感激は、そうそうあるものじゃないと多いに満足した。
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ガルボの『アンナ・カレニナ』

2019年04月18日 | 戦前・戦中映画(外国)
1935年版の『アンナ・カレニナ』(クラレンス・ブラウン監督)を観た。
主演はグレタ・ガルボ。

カレーニン夫妻には愛児セルゲイがいるが、アンナと夫の仲は冷めていた。
ある時、モスクワの兄の家を訪れたアンナは、ヴロンスキー伯爵という若い士官と知り合いになる。
二人はお互いに心惹かれる思いを抑えきれなかった。
兄夫婦の家庭不和を取りなしたアンナは、ペテルベルグの我が家に向かう。
その彼女が乗り込んだ汽車に、追いかけてきたヴロンスキーも乗っていた。

それからペテルベルグでの恋の日々が始まった。
クロッケー・ゲームとか、二人はいつも一緒で何かと人の目を引いた。
ある日、障害レースにヴロンスキーが出場し、落馬する。
それを見て動揺するアンナに、夫は公衆の面前で恥をかかせたと怒る。
ヴロンスキーを愛していると打ち明けるアンナに対して、離婚はしない、もう二度と彼と会ってはならぬと、夫は言い渡す・・・
(映画.comより修正)

イタリアはベニスへの逃避行が始まる。
しかし、二人だけの愛の生活であっても、華やかな社交生活の望郷の念と愛児セルゲイの会いたさがアンナに忍ぶ。
そして、再びペテルブルグに戻る頃には、アンナに対するヴロンスキーの愛が冷め始めている。
と、前回観た“ヴィヴィアン・リー”版によく似た筋の流れで話は進んでいく。
ただし当然、こちらの作品が先ということを踏まえたうえで。

作り方としては、要領よくコンパクトにまとまっていて観やすい。
特に、アンナが子セルゲイに対する思いが強く表れているのがよくわかる。

それとラスト近くで、対トルコ戦に参戦するために旅立つヴロンスキーにアンナが、“戦争を言い訳にして私から逃げるつもりね”と放つ言葉。
「行かないで」と言うアンナの切実な思いに、返すヴロンスキーの「うんざりだ」の一言。
絶望に陥ったアンナが列車に身を投げる気持ちがよく出ていて納得する。
相手が縋る切ない思いでいるのに、自分もあれ程その相手を夢中になっていたのに、人はなんで、いずれは恋のほとぼりが冷めるのか、と考えさせられる。

それにしても、アンナがグレタ・ガルボいうのは多少違和感を感じる。
ガルボの印象は、どちらかと言うと知性が勝ち、恋に何もかも捨てて邁進するタイプとはほど遠いのじゃないかと思ったりする。
なんなら、ドリー(アンナの兄の妻)の妹キティを演じたモーリン・オサリヴァンをアンナにしたらいいのにな、と個人的に思う。
なにしろ、彼女は『類猿人ターザン』(1932年)等のヒロインで、ミア・ファローの母だからと、思い入れが続く。

そして、相手のヴロンスキー役のフレドリック・マーチが当時の有名な俳優としても、この作品に関しては、この彼にアンナは本当に芯から我を忘れるかな、と思ってしまう。
と、勝手なことを思いながらも素晴らしいのは、冒頭場面の宴会場面で食卓を舐めるようにいつまでも引いていくカメラワーク。
このような映像的なテクニックが当時に確立していることに驚いたりする。
と、いうことを思ったりする作品だった。
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ジュリアン・デュヴィヴィエ・16〜『アンナ・カレニナ』

2019年04月15日 | 戦後40年代映画(外国)
『アンナ・カレニナ』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1948年)を観た。

アンナ・カレーニンは、ペテルブルグからモスクワへ向かう汽車の中で老夫人と一緒だった。
駅に、アンナには兄のオブロンスキーが、老夫人は息子ヴロンスキー伯爵が迎えに来た。
ヴロンスキー伯爵は、アンナを一目見るなり、その美貌に釘付けとなる。

そもそもアンナがモスクワに来た理由は、兄の浮気がもとで妻のドリイが屋敷を出て行こうとしたためである。
それをアンナが取りなす。
ドリイには妹のキティがいて、キティはヴロンスキー伯爵を好いている。
そのキティに対しては、リョーヴィンという領主が思いを寄せている。

翌日、メシュコフ家で舞踏会が開かれる。
ヴロンスキー伯爵はキティでなく、アンナを踊りに誘う。
この会でキティの失望を察したアンナは、ペテルブルグに早々と帰ることにした。
帰途、吹雪が荒れ狂うなかのクリン駅。
そこに降り立ったアンナの前に現れたのは、追って来たヴロンスキーだった・・・

物語は、筋も分かりやすく、文芸的な雰囲気も醸しながらと滞りなく進んでいく。

アンナと夫アレクセイとの関係。
冷めている生活の中で、社会的地位と体裁を重んじる夫。
その二人の中に深く関わり込んで、波乱を巻き起こすことになるヴロンスキー。

何しろ、ヒロインがヴィヴィアン・リーなので、片時も飽きることがない。
と、のめりこんで観ていると、どうも後半に差し掛かってくると違和感が出始めてくる。
作品そのものが余りにもアンナだけの感情に寄り添い過ぎているためか、
ヴロンスキーに夢中になる様が、ただ単なるわがままで、何の分別もない女性としか感じられなくなってくる。
だから夫のアレクセイの方が、古い考え方であっても誠実な人間味のある人物だなと、何となく肩を持ちたくなってしまう。
そのように観客を思わせる作りが、何としても残念としか言いようがない。
いっそのこと、ヴィヴィアン・リーの相手役はローレンス・オリヴィエだったら、
実際、現実味も帯びて、もっと面白かったのではないかと勝手に想像する。

いずれにしても、観やすい内容なのに、ヒロインに対してもう少し客観性をもたせてくれたらなと、ちょっと物足りなさも感じる作品だった。
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ロベール・ブレッソン・3~『スリ 〈掏摸〉』

2019年04月13日 | 1950年代映画(外国)
『スリ 〈掏摸〉』(ロベール・ブレッソン監督、1959年)を久し振りに観てみた。

一人暮らしの貧乏青年ミシェルは、競馬場で、観戦中の女性のバッグから金を掏る。
スリは成功するが、帰り道、たちまち捕まり連行される。
しかし証拠はなく、ミシェルは釈放された。

翌日、その金を持って母親のアパートを訪ねると、隣室の若い女性ジャンヌが応対した。
ミシェルはジャンヌにお金を預け、母親には会わずに帰った。

ミシェルがカフェで、友人のジャックに仕事の世話を頼んでいると、そこへ逮捕された時の警部が来た。
ミシェルは警部に、「優秀な才能のある人間は凡々と生きず、法も犯すことができる」と持論を吹聴する。

その帰りの地下鉄の中で彼は、新聞紙を使ったスリを目撃する。
そしてその方法を覚えたミシェルは、緊張しながらも試し、みごと成功する。
スリで生きていけると感じたミシェルは、次にジャックと会った時、依頼の仕事を断る。

スリを一週間ほど続けた頃、ターゲットの相手に見つかってしまい、その後ミシェルは警戒して家に閉じこもる。
部屋へジャックに案内されて来たジャンヌが、ミシェルの母親が病気であることを告げて帰った。

ミシェルがアパートを出ると、知らない男がミシェルに付きまとう。
気持ち悪がるミシェルだったが、その男と話してすぐに友達になった。
実は、その男はプロのスリだった・・・

モノローグを絡めながら物語は進む。

ミシェルは男から様々なスリの手口を教えてもらい、指の訓練もする。
二人は、銀行で金を下ろした男性から巧妙に掏り、その金を山分けする。
そして男は、今後はもう一人の男と三人で仕事をやろうと提案する。

その間に、ミシェルの母親は危篤になり、ミシェルと最後の話をした後に亡くなる。
葬式は、ミシェルとジャック、それにジャンヌの三人だけであった。

ミシェルは、カフェで会った警部に、“スリがどんなに達者でも人間性を発展できない”という警部の考えを否定し、
“スリをしても許される人間はいる”けど、それが誰かは教えないと言う。
このようにミシェルは自己解釈し、スリという犯罪を正当化する。
そこには、世の中から孤立した青年の孤独な姿が浮かび上がる。
そして、ミシェルが正当化する下地には、疑っている警部が部下を使ってひそかに部屋を捜索させても、なんら証拠が出て来なかったこともある。

ミシェル、ジャックとジャンヌの三人で遊園地へ行った時、ミシェルは、ジャックとジャンヌが愛し合っていると感づいたはずである。
何しろ、映像的にはいろいろと省略されているうえに、個々の感情表現をさせない。
だから観ている側が、目つきなどの微妙な仕草を感知し、意味合いを捕えるより方法がない。

ミシェルとジャックは友情で結ばれているが、ミシェルはジャックの忠告を聞かず犯行を重ねる。
しかしある日、ミシェルが駅に行くと丁度、仲間の二人が連行されるところを目撃する。
警部はミシェルも一味だと感づいているが、彼の将来を思いいろいろと忠告したりする。
そんなミシェルは、ジャンヌに、自分がやっていることは困難に挑むためだと言ったりする。

ミシェルは旅に出たいと思い立つ。
イタリアへ行き、その後、ロンドンで2年間稼ぎまくるが、裸同然でまたパリへ帰ってくる。
その間に、ジャンヌにはジャックとの間の子がいたが、彼とは別れていた。
ジャンヌを助けたいと、ミシェルは真面目に働き出すが、ある日、カフェで新聞の競馬欄を見ていた男と知り合い、一緒に競馬に行く。
男が大金を持っているのを見たミシェルは、又もや観戦中に、男から金を掏ろうとし、その相手からついに手錠を掛けられる。

刑務所にジャンヌが会いに来るが、その後、ジャンヌは子供が高熱を出していたために会いに来なかった。
やっと会いに来たジャンヌとミシェルは、面会室の金網越しに頬を寄せ合い愛を確認し合う。
そしてミシェルは、“君のもとへ行くのに、何と遠回りしたことか”と思う。


淡々とした映像であっても、スリリングなスリの手口を見せながら、ほとんど愛情表現も見せず、最後にはミシェルとジャンヌの愛の物語に持っていき感動させる。
その手腕のうまさはピカイチと納得させられる一品であった。
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ロベール・ブレッソン・2~『田舎司祭の日記』

2019年04月10日 | 1950年代映画(外国)
『田舎司祭の日記』(ロベール・ブレッソン監督、1951年)を観た。

北フランスの寒村、アンブリクールに若い司祭が赴任してくる。
しかし村人たちはなぜか心を開かず、受け入れてもらえない。
そこで司祭は、師の“トルシーの司祭”に会いに行く。
師からは、人々を尊敬させて従わせることだ、と助言される。

司祭は半年前から身体の調子が悪いため、医者のデルバンド先生のもとへ診察を受けに行く。
後日、そのデルバンド先生が森の外れで銃によって死ぬ。
友人だった“トルシーの司祭”は、「彼は信仰心をなくしていて、それが耐えられなかった」と決め付ける。

領主の娘シャンタルが、家庭教師のルイーズが許せないし父も嫌い、と司祭に打ち明ける。
そして、彼らの言いなりになっている母親も嫌だ、と言う。
理由は、父親とルイーズが愛人関係にあり、シャンタルを追放しようとしているらしいから。

シャンタルの母親は、今まで数々の屈辱に耐えて暮らしてきたから今更どうでもいい、と司祭に話す。
彼女は、夫の無信仰、娘の反抗や憎悪までが私の責任なの、と司祭に問う。
幼いうちに息子を亡くしている夫人は、神を憎んでいた。

その夜、司祭が用事から帰宅すると夫人から手紙が来ていた。
“息子の思い出と共に、失望し孤独に生きる私を、あなたが救ってくれた。今は安らぎを感じている”と。
そして夫人は、亡くなり・・・

物語は、司祭が日記を書きながら、日常の出来事や神への思いをモノローグによってなぞらえる。
神の存在感、信仰についての意味、そして自分のしていることの無力さについて、司祭は苦悩する。
この若い司祭の孤独とその純粋さが、映像として真摯に映し出されていく。

教区での関わりあう人々、特に領主夫妻と娘シャンタル、家庭教師のルイーズ、片や、師の“トルシーの司祭”に向き合う司祭の真剣な面持ちを見ていると、地味であるのにこの作品から目が離せなくなる。
その内容ばかりか、撮影方法までも実にストイックそのままで、まさにこれは娯楽作品の対極に位置している。
それを観ている側としては、唯々自然と襟を正されてしまうという思いがする。
しかし、宗教観の違いなのか、ただ単にキリスト教に対しての知識の浅さなのか、司祭の思いに深く迫るものがあっても、納得できる共感までには行かない。それが残念である。
それでもやはり、司祭の最期の“すべては神の思し召しである”という言葉に、思わず身が引き締まるところがある。
と、そのように感じる真面目な作品であった。
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ロベール・ブレッソン・1~『ブローニュの森の貴婦人たち』

2019年04月06日 | 戦前・戦中映画(外国)
『ブローニュの森の貴婦人たち』(ロベール・ブレッソン監督、1945年)を観た。

観劇帰りのタクシーの中、エレーヌは男友達から“恋人ジャンはもう愛が冷めている”と忠告されるが、
彼女は“私たちは愛しているわ”と答え、別れる。
しかし、部屋で待っていたジャンには、“愛が冷め、今の生活が苦痛なの”と話す。
するとジャンは、“自分も同じ気持ちで、それを言えずずっと悩み続けていた。お互いのために別れ、今後は友達でいよう”と去って行った。

愛しているのにジャンに裏切られたエレーヌは、復讐を計画する。

場末のキャバレーでアニエスの踊りを見たエレーヌは、帰りの彼女を家まで付けていく。
エレーヌの隣人だったアニエスの母は、以前は裕福だったが3年の間に落ちぶれ、踊り子のアニエスが娼婦まがいをして食いつないでいた。
そんな親子の状況を知って、エレーヌは経済的な面倒を申し出る。

アニエス達の住まいも替えさせたエレーヌは、親子をブローニュの森に誘い出す。
そして、ジャンもそこに連れだして偶然を装い、引き合わせる。
アニエスをひと目みたジャンは、エレーヌの思惑通り、気に入ってしまい・・・

その後、ジャンはアニエスとの出会いを求めて、彼女の家の入り口で帰りを待つ。
しかし、ジャンと会ったアニエスは、どこそことなく冷たい。

ジャンはエレーヌに相談する。
ジャンがアニエスに夢中なのを、冷静に聞くエレーヌ。
エレーヌを演じるマリア・カザレスの、感情を面に表さないがその内面に秘めた嫉妬心、怒りのようなものがじわりと滲みでて怖い。

エレーヌはやんわりと、徐々に自分の計画へとジャンとアニエスを誘導する。
そして、愛し合った二人の結婚式。
その幸福の絶頂の最中に、エレーヌはジャンに向かって、ささやきながらアニエスの過去を告げる。
純粋なはずの愛を絶望の中に落とすエレーヌ。
それは、自分を弄んだジャンへの仕返し。
ただラストでは、二人はそれにもめげずとなって・・・

このラストシーンが期待していたよりも、案外あっさりし過ぎていて、もう少し盛り上げてくれても良さそうと多少の不満も残る。
それでも、主な出演者がたったの4人だけなのに、飽きさせないで見せるブレッソンの初期の手腕は、後の作品を考えると興味が尽きない。
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