ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

ジュリアン・デュヴィヴィエ・19〜『肉体と幻想』

2019年08月24日 | 戦前・戦中映画(外国)
『肉体と幻想』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1943年)を観た。

夢と占いによる心理的現象が肉体に及ぼす影響について、二人の男の会話によって3つのエピソードが語られる。

第1話。謝肉祭の日。
ヘンリエッタは、自分が醜いために悲観して自殺しようとする。
そこへ、老人が「奇跡の光が君を照らすかも知れない」と、ヘンリエッタを思い止めさせる。
深夜までの約束で、老人の店から美人の仮面を借りたヘンリエッタは、それを着け謝肉祭の会場に行く。
街中ではヘンリエッタを無視していたマイケルが、美人の仮面の彼女に恋をし・・・

老人から、代償を求めない愛を教えられたヘンリエッタ。
謝肉祭が終わった深夜、マイケルの前で仮面を外した彼女は、自分でも信じられない程の美人となっていて、それまでの身勝手さと妬みから開放される。

仮面を付ける前のヘンリエッタと、仮面を取ったヘンリエッタを同一のベティ・フィールドが演じているとは、とても信じられない程の容姿。
それ程みごとな変身劇になっていて、そのことだけでも目を見張る出来栄え。

第2話。
占い師ポジャースが社交場の人たちを占うと、事実と一致してよく当たる。
弁護士のタイラーは、胡散臭く思いながらも手相を見てもらうと、ポジャースは話すのをためらう。
翌日、気になるタイラーは大金を出すからと言って、何があるのかを聞き出す。
そこには、思いもよらない“殺人者”の相が出ていると言う・・・

タイラーは強迫観念に駆られ出す。
自分は誰を殺すことになるのか、そんなことがありえるのか。
その苦しみから逃れようと、老婦人ハードウィックを毒殺しようとする。

そのハードウィックは死ぬが、実は、発作時に飲む薬と言って渡した毒物を飲んでいなかった。
次に狙った司祭長は、いざという時に見破られてしまう。
思い悩むタイラーが霧深い橋に来ると、偶然ポジャースと出くわす。
現在の相を知ろうと迫るタイラーは、無我夢中でポジャースの首を絞めて橋から投げ落としてしまう。

占い師ポジャースがトーマス・ミッチェルで、弁護士タイラーはエドワード・G・ロビンソン。
この両者の演技力が凄い。
特にエドワード・G・ロビンソンの鬼気迫ってくる表情は何とも言えない。

第3話。
サーカスの綱渡りのガスパーは、出番が始まる前の休憩時間に夢を見る。
ガスパーはロープから転落し、それを見ていた観客の中の女性が叫び声を上げる、という内容。
夢が気になるガスパーは、20メートルの高さのロープから3メートル下のロープへ跳ぶことが出来ず、失敗する。

翌日、ロンドンからニューヨークへ移動するために乗った船で、ガスパーはある女性と出会う。
その女性、ジョーン・スタンレーは夢の中で叫び声を上げたその人であった・・・

ガスパーはジョーンを運命の女性と感じ、いろいろと積極的に振る舞う。
しかしジョーンは、常に距離を置き、自分のことを詮索しないでほしいと態度で表す。
だから二人のことは、ニューヨークで下船したらお終いと、彼女はガスパーに言う。
ガスパーは、下船してジョーンが捕まる、不吉な夢を見る。

ニューヨークに着いて、ガスパーはジョーンに、サーカスの綱渡りを見に来るように頼む。
綱渡りは成功し、自信を取り戻したガスパーの楽屋を訪ねて行くジョーンに、刑事が近づいて来る。
実は、ジョーン自らが警察に連絡していた。
ジョーンは言う、ガスパーと出会って、今が人生で最高の夢を見ている、と。

素敵な話であって、そればかりか、主人公をシャルル・ボワイエが演じているために、いやが上にも絵になってくる。
もっとも3話とも甲乙付けがたく、優れた内容となっていて多いに満足した。

ラストの二人の男の会話からすると、夢とか占いは気にするな、迷信に過ぎない、がやはりどこか多少は気になるということか。

最後に、女優が美しくてウットリする程なので名前をあげておきたい。
第1話。ベティ・フィールド
第2話。アンナ・リー
第3話。バーバラ・スタンウィック
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ジュリアン・デュヴィヴィエ・18〜『リディアと四人の恋人』

2019年08月18日 | 戦前・戦中映画(外国)
『リディアと四人の恋人』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1941年)を観た。

障害児孤児院を設立したリディア・マクミランを讃えるラジオ放送を聴いていたマイケルは、
リディアを訪ねて行き、再会を喜ぶ彼女に水曜日に来てくれるよう申し出る。

リディアがマイケルの家を訪ねると、そこにはナイトクラブの支配人のボブ、盲目の音楽家フランクもいた。
マイケルは、あと一人リチャードにも声を掛けてあると言う。

この男性4人は40年前、それぞれがリディアを愛していた相手だった。
リディアは、ここにいる3人が愛してくれているのを知っていながら、なぜ結婚しなかったのか。
そして、今現在もなぜ独身なのか・・・

回想が始まる。
ボストンの名家の娘リディアは祖母に育てられている。
リディアは、執事の息子で医者になっているマイケルと、初めての舞踏会に行く。
その舞踏会で、フットボール選手のボブと知り合い、恋して駆落ちまでするが、彼の酔態に幻滅を感じ家に逃げ帰る。
失意の底にいるリディアをマイケルは愛しているが、彼女の方は兄妹愛のような気持ちから進まない。

マイケルが海兵隊員としてキューバへ出征する。
船を見送るリディアは、そこに乗船しているリチャードを目にする。
そして、岸壁で知り合った盲目の少年ジョニーに感化されたリディアは、“盲目の子供の家”を設立することにする。
その家に、盲目のピアニスト、フランクが訪ねてきて協力を申出る。
フランクは、目がある程度見える子からリディアの容姿を聞き、彼女に恋していく。

マイケルが出征から帰って来、リディアは彼と舞踏会へ行く。
その会場にリチャードも現れ、リディアは彼に夢中になる。

船乗りであるリチャードとリディアの甘い生活。
リディアはリチャードに全身全霊を掛けて愛するが、ある日、船で出掛けた彼は帰って来ない。

回想している現在。
そのリチャードが最後にやっとみんなの前に現れて、その結末が最大のクライマックス。

この作品は、第二次世界大戦のためにデュヴィヴィエがアメリカに渡って作製された第一作目。
そして内容は、自身の『舞踏会の手帖』(1937年)に近い雰囲気となっている。
だから、二番煎じではないかとの印象が刻まれ、悪く言えば、ハリウッドに対してお茶を濁している感じを受ける。
それでも、恋愛をロマンチックに夢見る人には、これは格好の題材の映画かもしれない。
とは言いながら、やはり勝手知ったフランスと異国の地アメリカでの戸惑いをデュヴィヴィエは微妙に感じているのでは、と想像できる作品だった。
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ジュリアン・デュヴィヴィエ・17〜『運命の饗宴』

2019年08月12日 | 戦前・戦中映画(外国)
デュヴィヴィエがアメリカに渡り、ハリウッドで監督した第二作目作品、『運命の饗宴』(1942年)を観た。

燕尾服。この服が、奇妙な因縁から持ち主が変わって渡り歩いていく。
その運命を6つのエピソードに描いたオムニバス映画である。

第1話。人気舞台俳優は、新調した燕尾服を着て舞台を成功させ、その足で元恋人の屋敷に走る。
結婚している彼女は、彼と駆落ちすることをやっと承諾するが、そこへ夫が現れ、猟銃をもてあそんで俳優を射ってしまう。
動揺する夫婦に、俳優は立ち上がり「芝居ですよ」と立ち去るが、車の中で倒れる。

第2話。男は、結婚に燕尾服が必要で、それを手に入れる。
ところがその服にはラブレターが入っていて、婚約者が読んでしまう。
男は親友に応援を頼み、燕尾服を昨晩取り違えたと言わせる。
だが、婚約者は親友の方に興味が行ってしまい、とうとう二人は相思相愛となり、その場から立ち去る。

第3話。貧しい作曲家の妻が燕尾服を手に入れる。
大柄の夫は、苦労の末、やっと大指揮者に認められる。
演奏会で自身の曲を指揮していると、燕尾服が小さすぎ破れてしまう。
観客に大笑いされながらも演奏していると、最後には観客も自分たちの燕尾服を脱ぎ出す。

第4話。作曲家の妻は破れた燕尾服を縫って、貧民街にある慈善ホームの経営者の妻に与えた。
経営者は郵便物の中に、ホームの失業者あての大学同窓会の招待状があり、その失業者に知らせる。
失業者は例の燕尾服を来て出席したが、席上、ほかの者の財布が紛失し、みんなが燕尾服を脱いで証明するはめになる。
疑われた失業者は、友情の薄情さを皮肉り立ち去る。
紛失したはずの財布は、後で運転手によって届けられ、一人の親友が失業者のホームを訪ねる。
親友は失業者の男に仕事を頼みたいと申し出る。

第5話。二人組の泥棒が、古着屋に売られた燕尾服を盗む。
燕尾服を着た泥棒は、カジノに行き大金を強奪する。
しかし、逃げる飛行機のトラブルで、大金を入れたままのの燕尾服は空から投げ捨てられる。

第6話。燕尾服が貧しい黒人の村に墜ちる。
拾った夫婦は、思案に暮れて司祭に相談する。
司祭は、天からの神様の贈物だとして、集落の人々に希望する額を与える。
そして残りの金額で、教会と病院が建てられることになった。
燕尾服は、欲のない老人の希望で案山子の服となった。

十代に観たこの作品は、1話から5話までのエピソードをすっかり忘れていて、それでもラストの6話には、凄く感動した記憶が残っている。
ところが、今回観てみると、何か甘い話で繋いであるなと感じ、左程期待どおりでなかったのが残念であった。
特に4話の、服の袖が破れているのを観客が大笑いし、作曲家は戸惑いながら指揮をする所。
それが後に、観客も服を脱ぎ一体感を示す。
こんな偽善的なシーンを見せられると、吐き気を催したくなってくる。
ラストの昔感動したエピソードも、あまりにも楽天的で全ての人が善人なのが、これも胡散臭く思える。
と言うことは、昔の自分はまだまだ善良であって、今は歳とともに随分とひねくれて来たという証拠か。

それにしても、キャストの豪華なのには目に見張る。
第1話のシャルル・ボワイエとリタ・ヘイワース。
第2話のヘンリー・フォンダとジンジャー・ロジャース。
第3話のチャールス・ロートン。
第4話のエドワード・G・ロビンソン
と、俳優自身には左程興味がない私でも、これは凄いメンバーだと感心する。
だから、俳優目当てなら申し分ない作品と言える。
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『秋津温泉』を観て

2019年08月10日 | 日本映画
『秋津温泉』(吉田喜重監督、1962年)を観た。

昭和20年の夏。
東京の学生、河本周作は、岡山の叔母を頼って来たが、家が空襲でやられたために鳥取まで行こうとする。
列車の中で県北の秋津温泉の女中と知り合い、彼女の案内で“秋津荘”に着いていく。

周作は結核を患っていて、何かと気を遣ってくれたのは、この旅館の娘である新子だった。
そして、終戦が来て・・・

3年後、ふたたび秋津を訪れた周作は、作家をめざしているが芽も出ず、やけになって死のうとし新子に心中を頼む。
だが、いざと言う時、屈託のない新子の心持ちを知って、周作は死を断念する。

また3年後、周作が“秋津荘”に訪れた時は、周作本人は結婚してした。
そして、翌年訪れた時、二人は初めて肉体の関係を持つ。

最初の出会いから17年が過ぎた昭和37年。
“秋津荘”は売られ、結核の周作を介抱した時の離れに新子は住んでいた。
その離れも2日後には取り壊される。
周作に「一緒に死んで欲しい」という新子。

この作品は、岡田茉莉子が100本記念作品と企画し、そして“評判が高かった”との記憶があり、いつかは観てみたいと思っていた映画である。
それに題名から来る、情緒的なイメージもあって憧れてもいた。
それを今回観ることができた訳だが、これは感動どころか私にとっては鼻持ちならない印象の作品であった。

まず、河本周作がこの17年間、グダグダしていて余りにも身勝手過ぎる人物に設定してある。
それを、新子は一途に愛し続ける。
なぜ、このような人間的な魅力のない男に一途になれるのか。
バカバカしくて、勝手に好きになっていてください、と拒否反応が先にくる。
となると、作品の評価のしようがなくなって来る。
少し冷静になぜだろうかと考えてみると、どうしても人物の造形が足りない。

例えば、女が男を一途に想う『浮雲』(成瀬巳喜男監督、1955年)と比べてみれば一目瞭然。
吉田喜重は、“松竹ヌーヴェルヴァーグ”の一人として、主要作品の『エロス+虐殺』(1969年)、『煉獄エロイカ』(1970年)、『告白的女優論』(1971年)、『戒厳令』(1973年)ほかを当時観ているが、どうしても観念的の思いが拭えなかった。
それでも今回の作品に満足できたら、初期作品をもっと観てみようと考えていたが、これでその思いも萎えてしまった。
これが、この作品の感想である。
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『アメリカの影』を再度観て

2019年08月06日 | 1950年代映画(外国)
ジョン・カサヴェテス監督(1929年-1989年)の作品は、『グロリア』(1980年)に刺激されて、随分と以前にミニシアターでまとめて鑑賞している。
今では、題名と内容の記憶が噛み合わなくなっていて、それでも気になる映画監督の一人だから、いずれはある程度観直そうと思っている。
そんな訳で、今回ひとまず『アメリカの影』(1959年)を観てみた。

ニューヨークのマンハッタン。
20ドルを手にしたベニーは、仲間2人と連れだってバーに入り、ボックス席にいた女の子たちと飲む。
その後で、ベニーは兄のヒューがいるコーラスガールの練習場を訪ね、使ってしまった20ドルを借りる。
歌手のヒューは、経営者からコーラスガールの司会も頼まれるが、フライドが許さない。
が、金のためやむなくフィラデルフィアに行くことにする。

毎日ぶらついているベニーと仲間は、暇つぶしにメトロポリタン美術館へ行き彫刻をみたりする。
20歳の妹レリアは、作家志願の文学グループの仲間になっている。
レリアは、グループの知り合いのデビッドから、友人のトニーを紹介される・・・

レリアとトニーは一夜を共にする。
レリアにとっては初めての経験。
トニーはレリアを家に送って行きたいと言う。

レリアがトニーを連れて来た家では、ベニーと仲間がいたが出掛けて行き、その後しばらくしてヒューが帰ってくる。
ヒューとベニーとレリア。
三人には黒人の血が流れていて、ベニーとレリアは外見は白人と見分けがつかないが、兄のヒューは全くの黒人である。
そのヒューを見たトニーは、戸惑いを隠せない。

一般的な社会問題としてではなく、人は、人種的な問題を現実に目の当たりにした場合、どのような対応をするのか。
それをカサヴェテスは、深刻にならずにありのままにみせる。
それに加え、その都度の三人の兄弟の愛情による絆の深さは、見ていて癒しさえ覚えるほどの力強さがある。

この作品のすごいのは、このような問題をサラリと提示しながら、セリフは一切当事者のアドリブ。
それを、ドキュメンタリー・タッチで映し撮る。
そのモノクロのマンハッタンの陰影ある情景に、チャールズ・ミンガスによるジャズをかぶせる。
これが俳優であるカサヴェテスの初監督作品とは、本当に恐れ入るほど驚く。
やはり才能ある監督は、出だしの作品からひと味違うとつくづく感じた所以である。
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『ファントマ/ミサイル作戦』を再度観て

2019年08月03日 | 1960年代映画(外国)
『ファントマ/ミサイル作戦』(アンドレ・ユヌベル監督、1967年)を観てみた。

スコットランド。
ロールスロイスに乗ったブラウン卿が、ネス湖近くの城の主で友人のマクラシュリー卿を訪れる。
だが実際は、ファントマが変装していて、世界の富豪の一人マクラシュリー卿に次のことを言う。
「金持ちの生存権、つまり命の保証に600万ドルの課税をする。1ヶ月以内に払えなければ増税し、それもダメな時は処刑する」と。
そして、迎えのヘリコプターの乗ったファントマは、ブラウン卿の遺体を投げ落として行く。

マクラシュリー卿からパリのジューヴ警視に電話があり、警視は部下のベルトランとスコットランドへ飛ぶ。
そして、ファンドール記者と恋人でカメラマンのエレーヌも行くことになる。

マクラシュリー卿が世界の富豪を集めて会議をする。
彼は、ファントマをこの城におびき寄せるために、囮としてジューヴ警視やファンドール記者、エレーヌを招待したと言う・・・

またまた、ファントマがいろいろな仮面をかぶって、その人物に成りすます。
ブラウン卿や、ギャング団の大物ジュゼッペ、そしてマクラシュリー卿。
だから、ファントマをいかにしてやっつけようかと計画する重大場面に、当の変装したファントマが加わってしまっている。
要は、筒抜け。

そのファントマを捕まえようとするジューヴ警視と部下のベルトラン。
この二人のやり取りが漫才的コミカルで、今回はそれがメインに近い。
よって、ファンドールとエレーヌの方が、脇に回ってしまった感じもする。

ファントマは、大富豪ばかりかギャング団も一緒に、マクラシュリー卿のお城に来させて、みんなから“100万ドル分のダイヤ”を一気にせしめようとする。
それが上手く成功したファントマは、宇宙に逃げようとお城からロケットを発射させる。
それを英国ジェット機編隊が追い、ミサイルで撃墜する。

この作品は、お城の中とキツネ狩りシーンがほとんどの場面となっている。
だから、前二作と比べるとアクションが少なく、それが物足りない。
そればかりでなく、シナリオにもいい加減な箇所があって、物語のエピソードが完結せずにほったらかしの場面があったりする。
最後なんか、ロケットが爆破されたのに、なぜかファントマは宝石を自転車のカゴに入れ、のんびりと逃げていく。
こんな調子だから、ファントマ自身は捕まっていないのに、シリーズとしては三作で息切れしてしまったのだろうか。
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