花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

開物仲尼に通じ 知言子輿に継ぐ│皆川淇園

2025-01-20 | アート・文化
  言懐古示諸子  皆川淇園
斉籖同二酉  斉籖(さいせん) 二酉(にゆう)に同じく
家訓在三餘  家訓 三余に在り
開物通仲尼  開物 仲尼に通じ
知言継子輿  知言 子輿に継ぐ
不沽終櫝秘  沽(う)らずして終に櫝秘(とくひ)し
屡酔乏嚢儲  屡(しばし)ば酔ひて嚢儲(のうちょ)に乏し
曳尾泥中好  尾を泥中に曳くこと好し
吾生足著書  吾が生 書を著はすに足る

 揖斐高編訳:「江戸漢詩選 上」, p376-378, 岩波書店, 2021



吾が道は一以て之を貫く│2025年度大学入学共通テスト「論語」

2025-01-19 | アート・文化


子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出、門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
(巻第二 里仁第四)
子曰わく、参よ、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯(い)。子出ず。門人問うて曰わく、何の謂いぞや。曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ。

子曰、賜也、女以予為多學而識之者與。對曰然,非與。曰、非也。予一以貫之
(巻第八 衛霊公第十五)
子曰わく、賜や、女(なんじ)予(わ)れを以て多く學びて之を識る者と為すか。對えて曰わく、然り,非なるか。曰わく、非なり。予れは一以て之を貫く。

参考資料:
金谷治訳注:「論語」, 岩波書店, 2001
荻生徂徠著, 小川環樹訳註:東洋文庫「論語徴1」, 平凡社, 2009
荻生徂徠著, 小川環樹訳注:東洋文庫「論語徴2」, 平凡社, 2009
朱熹著, 土田健次郎訳注:東洋文庫「論語集注1」, 平凡社, 2013
朱熹著, 土田健次郎訳注:東洋文庫「論語集注4」, 平凡社, 2015

謹賀新年│令和七年乙巳

2025-01-01 | 日記・エッセイ


   新正書懐  大沼枕山
無事逢春懶更加  無事 春に逢うて 懶 更に加わる
枕頭香迸小梅花  枕頭 香は迸(ほと)ばしる 小梅花
一年又是甘人後  一年 又是れ人後に甘んぜん
晏起追暄汲井華  晏起 暄(あたた)かきを追うて 井華を汲む
 日野龍夫注:江戸詩人選集「成島柳北 大沼枕山」, p233-234, 岩波書店, 2001

新年の益々の御多幸と御健勝を謹んでお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。

令和六年甲辰歳末

2024-12-30 | 日記・エッセイ


石上布留野の小笹霜を経て ひと夜ばかりに残る年かな
     新古今和歌集・巻第六 冬   摂政太政大臣

本年賜りました御厚情に謹んで御礼申し上げます。
良いお年をお迎えください。

待春・其二│頂いたお花を生ける

2024-12-28 | アート・文化


山風は吹けど吹かねどしら波の寄する岩根は久しかりけり
     新古今和歌集・巻第七 賀歌   伊勢

待春│頂いたお花を生ける

2024-12-24 | アート・文化


住江に生ひ添ふ松の枝ごとに 君が千年の数ぞこもれる
     新古今和歌集・巻第七 賀歌   前大納言隆国

やはりさっぱりと

2024-12-01 | 日記・エッセイ


華道の文目も分かぬ初学の頃からお導き頂いた大和未生流の花は、『東洋の道と美』の言葉そのままに「さっぱり、あっさり、すっきり」である。<さっぱりと│引き算の美学(2018/9/05)>に記した様に、耳鼻咽喉科医として花の道においても先輩の母が折に触れて聞かせてくれたのは、初代御家元が「さっぱりと、さっぱりと」と絶えず仰いながら、女学生の作品後方から次々と御指導の鋏をお入れになった思い出である。その“さっぱりと”の花姿を一枝一葉一花、過不足なく厳格に定める事は甚だ容易ではない。謂わば限定されたダイナミックレンジに美の快適レベルを経営位置するのであり、単に間引けば侘しく減張を欠いた貧相な花になり、反対に蛇足に走れば執拗(しつこ)く冗漫な“人戯え(ひとそばえ)の花”になる。そして今年もはや師走、正月花の花材取り寄せの予約時期となった。

敵国滅びては則ち謀臣亡ぶ│「韓非子」

2024-11-28 | アート・文化


越王攻呉王、呉王謝而告服。越王欲許之。范蠡大夫種曰、不可、昔天以越與呉、呉不受、今天反夫差、亦天禍也。以呉予越、亦拜受之、不可許也。大宰嚭遺大夫種書曰、狡兎盡則良犬烹、敵國滅則謀臣亡、大夫何不釋吳而患越乎。大夫種受書讀之、太息而歎曰、殺之、越與呉同命。 
越王呉王を攻む。呉王謝して服を告ぐ。越王之を許さむと欲す。范蠡・大夫種曰く、不可、昔天は越を以て呉に與へしに、呉受けず、今天夫差に反す、亦天禍なり。呉を以て越に予ふ、亦拜して之を受けよ、許す可からざるなり。大宰嚭、大夫種に書を遺りて曰く、狡兎盡きては則ち良犬烹られ、敵國滅びては則ち謀臣亡ぶ、大夫、何ぞ呉を釋(ゆる)して越を患(うれ)へしめざる、と。大夫種書を受けて之を讀み、太息して歎じて曰く、之を殺さむ、越と呉と命を同じうす。
(内儲説下 六微第三十一│「韓非子 上」, p430-431)

故事成語「狡兎良狗」の出典。敏捷な兎を追う忠実な猟犬の如く功績のあった参謀の家臣は、敵国が滅び戦闘が終われば有害無用となり見捨てられる。大宰嚭からの書は、呉を存続させて越王の患いの種にしておくのが身の保証という意であった。不倶戴天の呉と越。范蠡と大夫種のその後の運命は。

参考資料:
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1977
楠山春樹著:新釈漢文大系「淮南子 下」, 明治書院, 2010


根拠なき自信

2024-11-23 | 日記・エッセイ


昨年度のNHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》、第9回のタイトルは「根拠なき自信」であった。根拠に基づかない自信とは、evidenceを欠いた、他人様の承認御無用の自己陶酔である。鵜の目鷹の目の槍衾が突き刺さる世間の只中で、萎んで縮みがちな己をいかに膨らませるか、どのように愉快に保ち世過ぎ見過ぎしてゆくか。やたら持ち重りする生身を終点まで運ぶ責務がある人生行路にて、「根拠なき自信」はひとつの必需品には違いない。

ところで「根拠ある自信」とは。検証されるべきは担保となる根拠の質である。韓非子の「守株待兎」、童謡「待ちぼうけ」(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)で詠われた如く、兎が木の根っこ転んだのは単なる僥倖である。剣呑なのは、不如意に陥り持ち札が寂しいと、嘗て上手く運んだという妄執に囚われがちになることである。生滅流転の世相は立ち止まる者など一顧だにしない。常住ではない無常の現世で、待ちぼうけが通用する余地は寸分も残されていない。

宋人有耕田者。田中有株。兎走觸株、折頸而死。因釋其耒而守株、冀復得兎。兎不可復得、而身爲宋國笑。今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
宋人に田を耕す者有り。 田中に株有り。兔走りて株に触れ、頚を折りて死す。 因りて其の耒を釈てて株を守り、復た兔を得むとを冀ふ。 兔は復た得可からずして、身は宋国の笑と為れり。今、先王の政を以て、当世の民を治むと欲するは、皆株を守る類なり。
(五蠹第四十九│「韓非子」, p826-829)

参考資料:
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1976

江南の憶い│「夢江南」李煜

2024-11-16 | アート・文化


  夢江南 一   李煜
千萬恨      千万の恨み
恨極在天涯    恨みの極まるは天の涯にあり
山月不知心裏事  山にかかる月は知らず心の裏(うち)の事
水風空落眼前花  水もふく風に空しく落つ眼の前りの花
揺曳碧雲斜    揺曳として碧雲斜めなり

  夢江南 二
梳洗罷      梳洗(そせん)罷(おわ)り
獨倚望江樓    独り望江の樓に倚る
過盡千帆皆不是  過ぎ尽くす千帆皆是れならず
斜暉脈脈水悠悠  斜めの暉(ひ)ざしは脈脈たり 水は悠悠たり
腸斷白蘋洲    腸は断つ白蘋の洲
 村上哲見注:中国詩人全集「李煜」, 岩波書店, 1990 

*李煜(りいく):五代十国時代の南唐最後の君主、詩人皇帝、南唐後主。亡国の後、北宋の地で三年間の軟禁生活を送る。馬銭子から成る牽機薬で最期を迎えたとされる(王銍著「黙記」上巻に記載)。
*馬銭子:馬銭(マチン)は学名Strychnos nux-vomica.L.、マチン科マチン属の常緑高木で、猛毒性のstrychnineを含む代表的植物である。成熟果実の種子を基原とする生薬が馬銭子で、性寒・味苦・有大毒、帰経は肝・脾経、効能は通絡止痛、散結消腫である。