花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

櫻ノ詩 児島高徳│日本花図絵

2025-03-30 | アート・文化

櫻ノ詩 児島高徳│尾形月耕「日本花圖繪」明治丗年

微服潛行して、時分を伺ひけれども、しかるべき隙もなかりければ、主上の御坐ありける御宿の庭前に、大きなる桜の木のありけるを押し削つて、大文字に一句の詩をぞ書きたりける。
  天勾践を冗らにすること莫かれ
  時に范蠡無きに非ず
警固の武士ども、朝にこれを見つけ、何事をいかなる者が書きたるやらんとて、読みかねて持ちあつかひける間、上聞に達してけり。主上は、即ち詩の心を御悟りありて、龍顔殊に御快げに打ち笑ませ給へども、武士ども、あへてその来歴を知る者なかりければ、思ひ咎むることもなし。

(第四巻 和田備後三郎落書の事│「太平記」 ,p202-204)

*吉川英治著『私本太平記』では、後醍醐帝の叡覧に供えるべく道の桜の小枝に御歌をとの佐々木道誉の言に対し、御弟君の大覚ノ宮が桜の肌を削り「天莫空勾践 時非無范蠡」の詩句を墨書きなさったとの設定である。さらに「こんな異朝の故事や、いちいち辞解などは、いま宋学流行のなかにある宮廷人か、またはよほどな篤学者でもあるならいざ知らず、一般の鎌倉武者や土豪などでは、何の意味やら分らぬ方が当然といってよい。」(「私本太平記(三)」 ,p303)と容赦ない論旨である。志士仁人は生を求めて以て仁を害すること無し、身を殺して以て仁を成すこと有り。詩句が仮に南朝の忠臣、児島高徳作でなかろうが、此の時彼が上聞に達せばやと念じた思いは、この詩心に寸分違わぬものであったに違いない。


雨中月 児嶋高徳/月岡芳年「月百姿」
78.Rainy moon---Kojima Takanori

参考資料:
兵頭裕己校注:「太平記(一)」, 岩波書店, 2014
吉川英治著:「私本太平記(三)」, 講談社, 1990
Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001

無用の用│花信

2025-03-29 | アート・文化


  偶興   安積艮斎
自甘無用臥柴關  自ら甘んず 無用柴関に臥するに
花落鳥啼春晝閑  花落ち鳥啼いて春昼閑なり
有客來談人世事  客有り 来りて人世の事を談ず
笑而不答起看山  笑って答へず 起って山を看る

菊田紀郎, 安藤智重訳注:「安積艮斎 艮斎詩略」, 明徳出版社, 2010

2025年春の一日

2025-03-28 | 日記・エッセイ

医院駐車場の一角、知人の形見である椿の一番花が朝に花開いた。ところが半日も持たずに鳥に齧られてしまった。


近隣のポストに郵便投函の道すがら、菫の花がコンクリート舗装の僅かな隙間に健気に咲いていた。

源範頼公の起請文のこと

2025-03-27 | アート・文化


八月二日 丙申 参河守範頼、起請文を書きて、将軍に献ぜらる。これ反逆を企つるの由、聞こしめし及ぶによつて、御尋ねの故なり。その状に云はく、
 敬みて立て申す
  起請文の事。
右御代官として、たびたび戦場に向かひをはんぬ。朝敵を平らげ、愚忠を盡してより以降、全く貮(ふたごころ)なし。御子孫の将来たりといへども、またもつて貞節を存ずべきものなり。かつはまた御疑ひなく御意に叶ふの候、具に先々の厳札に見えたり。秘して箱底に蓄ふ。しかるに今さら誤たずして、この御疑ひに預ること、不便の次第なり。所詮当時といひ後代といひ、不忠を挿むべからず。早くこの趣をもつて、子孫に誡めおくべきものなり。萬が一にもこの文に違犯せしめば、上は梵帝釈、下界は伊勢・春日・加茂、別して氏神正八幡大菩薩等の神罰を源範頼が身に蒙るべきなり。よつて謹慎してもつて起請文件のごとし。
 建久四年八月 日     参河守源範頼

(「全譯 吾妻鏡 第二巻」、p285-286)

蒲桜に関連し範頼公の切々たる起請文を挙げた。源頼朝公は源範頼と源を称するは甚だ過分なりと起請文の非を断じる。この意を伝えられた使者の大夫属重能は、範頼公が故左馬頭殿(源義朝)の御子息で御舎弟の儀を頼朝公が御存じであること、先の平氏征伐時に舎弟範頼をもつて西海の追討使に使はすと御奉文なさったことを申し上げた。頼朝公は仰せなくこれを黙殺、事の次第を知った範頼は周章したとある。腰越状を綴った義経公を鑑みれば、範頼公も同じく過酷な運命をと思わざるを得ない。我こそ源氏の嫡流という揺ぎ無い旗印の下、其処には臣下の傍系に対する心底舎弟という思いも毛筋ほどの骨肉之親もない。

そして先に<敵国滅びては即ち謀臣滅ぶ│「韓非子>(2024/11/28)を記したが、『史記』淮陰侯列伝にも「狡兔死、走狗烹、飛鳥尽、良弓藏、敵国破、謀臣亡」(狡兎死して走狗煮らる、高鳥尽きて良弓蔵せらる、敵国敗れて謀臣亡ぶ)がある。組織集団の中での立ち位置、果たすべき役割は時々刻々変遷する。それを履き違え時宜を逸せば峻厳な裁断が下り、かつて功あるとももはや無用、更には有害と切り捨てるのが修羅界の慣わしである。

参考文献:
貴志正造編:「全譯 吾妻鏡 第二巻」、新人物往来社, 1976
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳:「史記列伝(三)」, 岩波書店, 2016
竹内照夫著:新釈漢文大系「韓非子 下」, 明治書院, 1977
楠山春樹著:新釈漢文大系「淮南子 下」, 明治書院, 2010


蒲桜│日本花図絵

2025-03-23 | アート・文化

蒲桜 範頼桜の名あり│尾形月耕「日本花圖繪」明治丗年

曲亭馬琴著『玄同放言』、源ノ範頼・東光寺蒲桜並古碑附の章には、源頼朝の異母弟、範頼公の御生涯、東光寺の巨桜蒲桜と古碑の由緒が詳細に語られている。範頼公の御最期は『保歴間記』にて「建久四年八月、三河守範頼誅せらる、其故は」の一書を以て世に語られるが、「範頼果して誅せられなば、東鑑(吾妻鏡)に必書すべし、知るさゞるは、その謫罰終に赦に遇ざればにや」との馬琴の見解が述べられている。章末は「その旧迹はとまれかくまれ、桜は世に稀なるものなり、好古の人々いゆきて観るべし」で結ばれる。
 蒲桜、石戸蒲ザクラは、範頼公が石戸に落ち延び生涯を終えられたとの伝承に基づく日本五大桜の一つである。武蔵国足立郡石戸宿(現埼玉県北本市)、東光寺境内に現在に至るまで大切に守られている。
*日本五大桜:三春滝桜(福島県)、石戸蒲ザクラ(埼玉県)、山高神代桜(山形県)、狩宿の下馬ザクラ(静岡県)、根尾谷の淡墨桜(岐阜県)

「九月十七日 辛亥 参河守範頼朝臣、伊豆國に下向せらる。狩野介宗成・宇佐美三郎祐茂等、預り守護するところなり。帰参その期あるべからず。ひとへに配流のごとし。(後略)」
(「全譯 吾妻鏡 第二巻」, p288)


東光寺蒲櫻並古碑圖  渡辺崋山画
「かくて今玆(ことし)の夏に至て、これを友人崋山子に謨るに、彼人、余が為に、東光寺にいゆきて、その巨桜古碑を写し、且里老を推敲(おしたゝき)て、その口碑を獲たる事右の如し。」

(玄同放言│「玄同放言 都の手ぶり 織錦舎随筆」, p279)

参考文献:
日本随筆大成編輯部編:第一期・第5巻「玄同放言 都の手ぶり 織錦舎随筆」、吉川弘文館, 1993
貴志正造編:「全譯 吾妻鏡 第二巻」、新人物往来社, 1976


散る花を│花信

2025-03-22 | アート・文化


惜しめども思ひげもなくあだに散る 花は心ぞかしこかりける
     山家集・上 春  西行

花を尋ねて│花信

2025-03-20 | アート・文化


風さそふ花のゆくへは知らねども 惜しむ心は身にとまりけり
     山家集・上 春  西行

花の下にて│花信

2025-03-02 | アート・文化


   古木の桜の所々咲きたるを見て
わきて見ん老木は花もあはれなり いまいくたびか春にあふべき
     山家集・上 春  西行

待たるる花│花信

2025-03-01 | アート・文化


おぼつかないづれの山の峯よりか 待たるる花の咲きはじむらん
     山家集・上 春  西行


鈴蘭のにほひ│花信

2025-02-27 | アート・文化


鈴蘭の花貰はれたさうに咲く    祇園守

鈴蘭に託す一言一句かな     一句好日

鈴蘭が咲けば気になる小約束    初東雲・後藤比奈夫